4Lovers
御手紙 葉
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紫乃side
「どう? ここは?」
ふと胸の上を手が這い、軽くさすってきて、彼女は訊いてくる。
「わっ、やめっ! 駄目だよ、綾ちゃん!」
「何が駄目なの? ここなんか効くんじゃない?」
「ひ、ひゃわっ! はひっ!」
「ほら! もっと! もっといくわよ!」
「駄目、駄目! だめえっっ!」
泡まみれになった私の体を、綾ちゃんがそっと後ろから抱きとめ、スポンジでわしわしと上半身をなでてきた。私は顔を真っ赤にして、ばたばたと暴れまわる。
「ほらっ! 動くんじゃないの!」
「だって! 激しすぎだよ、綾ちゃん!」
「垢が落ちないわよ! じっとしてて!」
綾ちゃんは私の体をスポンジで磨き上げると、浴槽のお湯を桶ですくって頭から私にかぶせてきた。石鹸が体から洗い流される。
「どう? 気持ちよかった?」
綾ちゃんはどこか悪戯っぽい笑みを浮べて、濡れた髪を額に張りつかせながら、訊いてきた。
私は綾ちゃんの顔を見て一層頬を膨らませる。
「もう! 綾ちゃん、そんなににやにや笑って、面白がってるでしょう!」
「そうよ。紫乃の裸を余すことなく見れて、興奮したわ。いいもの見せてくれて、ありがと」
「んもう! またそういうことを言う!」
私はそう叫ぶと、浴槽に飛び込んだ。顔を浴槽に半分浸かわせて、綾ちゃんを睨んだ。
すると、綾ちゃんはくすりと微笑み、続いて浴槽に入ってくると、背後に回り、私の体をきつく抱きしめてくる。
「ひゃわっ!」
私は声を上げる。
綾ちゃんは念じるようにつぶやいた。
「紫乃を補充中……」
「私は充電器じゃないよ!」
それから私たちはギャギャーピーピー騒ぎながら、二人並んでバスルームを出る。そして、二人で一枚のバスタオルを使って体を拭き、順番にお互いの髪をドライヤーで乾かした。
フルーツ牛乳を回し飲みして、一緒のベッドにもぐりこむ。
すぐ側に、綾ちゃんの柔らかい肌の感触や、暖かな吐息の温もりがあった。それだけで、私は心がとろけてしまいそうな安らぎを得る。
「おやすみ、紫乃」
綾ちゃんがこちらに首だけを振り向かせ、笑いかけてきた。
「……おやすみ、綾ちゃん」
私も綾ちゃんに微笑み返す。
そうして私達は瞼を閉じた。
……何分経っただろうか。眠れない。もう何度寝返りを打ったことか。
私は枕を胸に抱きしめたまま、唇を強く強く噛む。
あの人の顔が頭にちらついて、胸が激しく締め付けられる心地がした。
そこで、ふと、「紫乃」と声がする。
隣を見ると、綾ちゃんがじっと天井を見つめていた。
「まだ起きてるの?」
綾ちゃんの声に、私は「うん」と消え入りそうな声でつぶやく。
綾ちゃんは言葉を切った後、一瞬間を置いて、言った。
「何か悩みがあるんじゃないの? さっきから落ち着かないわよ、あなた」
私は枕を手放し、綾ちゃんの腕を握る。
「綾ちゃんには、私のこと、なんでもわかるんだね」
彼女の首筋に顔を近づけて囁くと、綾ちゃんはそっと私の髪に手を伸ばして、梳いてきた。
「当たり前じゃない。何年一緒にいると思っているのよ」
綾ちゃんの手つきは優しく、私を包み込むように柔らかだった。
「彼のことで、悩んでるんでしょう?」
綾ちゃんが、何故か悲しげな声音でつぶやく。
私はうなずいた。
「もうすぐ彼が卒業しちゃうでしょう? そしたら、彼に会えなくなる。いっそのこと、彼にこの気持ちを告白しようかなって」
綾ちゃんは、私の言葉を聞いても、黙ったままだった。
どこか険しい表情で、何かを堪えるように唇を引き結んでいる。
「綾ちゃん?」
私の問いかけに、綾ちゃんが、どこか冷然とした様子で振り向き、言った。
「あなたの恋はきっと実らない」
私はその声に、唖然とする。綾ちゃんは手を荒っぽく私の髪から離した。
「なんで……どうしてそんなこと言うの?」
私は震える声を絞り出す。
綾ちゃんは私に背を向け、掛け布団を握り締めながら、ぽつりとつぶやいた。
「あなたの恋は初めから叶うはずがなかったの。早くあきらめた方がいいわ。じゃないとあなたは、」
――きっと傷つく。
綾ちゃんは強い語調でそう言う。
私は、突然の綾ちゃんの言葉に、唖然とするばかりだ。
しかし、綾ちゃんはその途端、びくっと体を震わせて、自分の口元に手をもっていった。
そして、青ざめた顔で振り向き、
「ごめんなさい。今の言葉は忘れて。どうかしてた」
そう言って、私の目元を拭ってくれる。
私は、綾ちゃんの胸に顔を埋めて、涙を彼女のパジャマに染みこませた。
綾ちゃんは私の背中をさすり、「ごめん」と繰り返す。
「私がどうかしてたの。紫乃を傷つける気はなかったから」
「いいんだよ、綾ちゃん。綾ちゃんはこうして私の側にいてくれる」
綾ちゃんは、私を強く抱きしめた。
「ねえ、綾ちゃん」
私はぽつりとつぶやく。
「綾ちゃんには、好きな人がいるの?」
その途端、綾ちゃんの手の力がゆるんだ。彼女の視線は私の頭を通り越して、遠くに据えられる。
彼女の首筋が震えている。
「いるわよ」
綾ちゃんはぽつりとつぶやいた。
「私は出会った頃からその人のことが好き。どんなに世間に反対されようとも、たとえ大切な友達を失ったとしても、その人が好きな気持ちは変わらない」
綾ちゃんは、どこか熱に浮かされた様子で語る。彼女はふうふうと荒い息を吐き、目の焦点が定まっていない。
(綾ちゃん?)
私は綾ちゃんが知らない誰かに変わってしまったような気がして、不安になり、彼女の手を握った。
そこで、彼女ははっと我に返ったようだった。私の顔を見つめ、彼女は顔を歪めて笑うと、そっと私の体を手繰り寄せてくる。
私達はそうやって、お互いの体温を感じあったまま、そっと眠りにういた。
その夜、彼の夢を見た。夢の内容は忘れてしまったけれど、ふんわりと柔らかな、幸せな雰囲気に満ち溢れた夢だったことを覚えていた。たとえ夢の中でも、彼に会えた。それが私には嬉しかった。
*
綾side
私はベッドから起き上がると、苛立ちに髪をくしゃりと掻く。歯軋りして、拳を強く握った。そんな時、ふと隣へ振り向くと、彼女が無防備に体を投げ出して、涎を垂らしながら、幸せそうな顔をして眠っている。私は彼女が今どんな夢を見ているのかなんとなく想像できて、一層苛立ちが募るのを感じた。
どうせ、きっとあの人の夢を見てるんだ。
私はそう思って、思わずシーツを強く握り締める。けれど、彼女の顔を見ているうちに、次第にその感情が萎んでいき、代わりに愛おしさが込み上げてきた。
私は苦々しく微笑み、そっと彼女の髪に指を差し入れ、梳く。私がそっと頭をなでていると、彼女は小さな声を上げて気持ち良さそうに目を細めた。
どうして、彼女はあの人のことが好きなんだろう。よりにもよって、あの人のことを。
どうにもならない切なさがこみ上げてきて、私は唇を噛む。
彼女の恋は叶うはずない。だって――。
私は彼女の寝顔を見つめて、溜息を吐いた。
すると、彼女が何かをつぶやく。
「何?」
私は自分の耳を彼女の口元に近づけた。すると、彼女がはっきりとつぶやく。彼の名前を。
私は、額を押さえて呻いた。
どうしたらいいんだろう。私にはわからない。わからない――。
*
紫乃side
ふと頬に何かが突き立てられたような気がした。私は目を覚ます。
目を開くと、間近に綾ちゃんの顔があった。彼女はにんまりと微笑みながら、「ほれほれ」と私の頬を指で突付く。
「ふにゃっ、やめてよ、綾ちゃん!」
綾ちゃんたら、いきなり朝から何やってるの!
「やめないよ~」
綾ちゃんは私の頬を掴むと、前後左右に引っ張った。
「いひゃいよ。あやひゃん!」
「ほれほれ!」
「いひゃあい!」
もう! 寝起きの女の子をいじめて、何が楽しいのさ!
「あなたの頬って、すごく柔らかいのよね。この感触がたまらないのよ」
綾ちゃんはそう言うと、もみくちゃに頬を引っ張る。
私は無理矢理綾ちゃんの手から逃れると、まだずきずきと痛む頬をさすりながら、「もう!」とぷりぷり怒りつつ、着替えを始めた。
綾ちゃんはすでに下着一枚の無防備な格好で、ブラウスの袖に手を通している。
「あなた、寝言で彼の名前をつぶやいてたわよ」
綾ちゃんがぽつりとつぶやいた。
私は顔を真っ赤にさせて、「え、嘘」とつぶやく。
「そりゃあもう、愛しそうに『一樹』『一樹』って……聞いているこっちがお腹一杯になってくるわよ」
綾ちゃんはそう言いつつ、呆れ顔で笑った。
私はうなだれる。
すると、綾ちゃんはくすりと微笑み、突然背後から私を抱きしめてきた。ひょわあっ、と私は声を上げる。
「あなたがこんなにも想いを寄せているのに、その想いに気付かないなんてねえ。あの鈍感男」
そう言いながら、綾ちゃんは私の胸を揉みしだいた。ひゃわわっ! と私はじたばたもがく。
すると、「ごはんできたわよ~」とおばさんの声が聞こえてきて、綾ちゃんは「ちっ」と舌打ちしながら名残惜しそうに私の胸から手を離した。
「Fカップの感触をもっと味わいたかったのにな」
「もう、綾ちゃんたら!」
私たちは口々に罵詈をまくし立てながら、リビングへと向かう。
綾ちゃんの家を出ると、私たちは通学路を歩き出した。すると、曲がり角から一人の男子生徒が現れる。
私の胸が跳ね上がった。顔が熱くなって、首筋が震えて、息が荒くなる。
少し癖毛のあるブラウンの髪。直線的な鼻筋。きめ細かな唇。女の子にも似た中性的な顔。
神田一樹。
一樹君は私に気付くと、柔らかな微笑を浮べて、慈愛に満ちた眼差しを向けてきた。しかし、綾ちゃんの存在に気付くと、はっとして、ばつが悪そうに視線を逸らす。
一樹君の様子に違和感を覚えた。
綾ちゃんへと振り向くと、彼女も伏目がちに彼から目を逸らしている。
どうしたんだろう?
不安になる。まるで、二人の間に、私の知らない別の感情が――それも、目を覆いたくなるような禍々しい感情が渦巻いているような気がして、背筋が震えるのを感じた。
綾ちゃん? 一樹君?
私はそっと綾ちゃんの手を握る。
すると、俯いていた綾ちゃんが、私を見た。そして、険しい表情をして、一樹君を睨むように見据える。
一樹君は近づいてくると、私にだけ「おはよう」と言った。
すると、綾ちゃんはナイフで切りつけられたような痛みを顔に映す。
一樹君は何事もなかったかのように私の横に並び、歩き出した。
綾ちゃんも唇を引き結んで、私の隣に並び、歩き出す。
私は耐え切れなくなって、つぶやいた。
「ねえ、どうしたの、一樹君、綾ちゃん。二人とも、何かあった?」
すると、一瞬だけ二人の目が合う。
彼らは視線で何かを確認しあうようにお互いの瞳をじっと見つめた。
私は胸が激しくざわつくのを感じる。
なんだろう、二人のこの雰囲気。
すると、綾ちゃんが決心したように私に振り向き、「あのね」とつぶやいた。
綾ちゃんは短く息を吸うと、言う。
「紫乃に大事な話があるの」
大事な話?
私は身を固めて、綾ちゃんの言葉を待った。
「あのね、私たちは……」
そこで、綾ちゃんはじっと私の瞳を見つめて、苦々しく唇を結ぶ。
一樹君が「ほら、早く言えよ」と促した。
私は動悸の激しい胸を押さえて、綾ちゃんをじっと見つめる。
なんだろう。二人に、私の知らない何かがあるの?
その途端、綾ちゃんは首を振って、「やっぱり駄目だわ」と視線を逸らした。
綾ちゃんは「駄目なの」と繰り返す。
私は二人の顔を見た。
本当に、どうしたの?
「ごめん、忘れて」
綾ちゃんはそう言って、身を引く。
私はすがるように一樹君を見る。彼も私の追及から逃れるように視線を逸らした。
*
綾side
昼休み。私は廊下を早足で歩きながら、強く拳を握り締める。
紫乃があの人のことを語るたびに、私の胸にはどす黒い感情が渦巻いた。
紫乃は、どうしてあの人のことが好きなのだろう。もしかしたらそのうち、私とあの人の関係を知ってしまうかもしれない。
そうしたら、きっと彼女は傷つく。そして、自分が儚い恋をしていたということを悟ったら、あの子は私を恨むだろうか。
紫乃に恨まれたくない。ずっと友達のままでいたい。
でも、きっと紫乃は私を恨む。
私の気持ちはかき乱されて、きっとおかしくなってしまう。
全ては、紫乃の心を奪ったあの人が悪い。あの人が、紫乃をおかしくした。
そして、私をおかしくした。
あの人を、紫乃に近づける訳にはいかない。このままでは、きっと紫乃が壊れてしまうから。
私は自分の腕をつかみながら、「紫乃」と震えた声で繰り返した。
*
紫乃side
綾ちゃんの様子がおかしい。昼休みが終わる頃に、綾ちゃんは戻ってくる。けれど、私と視線を合わせようとはせず、さっさとお弁当を片付けて、席についてしまった。放課後になって、「綾ちゃん」と声をかけても、彼女は振り向かずに教室を出て行く。
私は溜息をついて、彼女の後を追った。しかし、すぐに彼女の姿を見失い、私はとぼとぼと歩いて、校舎を出た。そして、駐輪場を通り過ぎようとした時、校舎裏から、声が聞こえてくる。
それは一樹君の声だった。
私は壁から身を乗り出して、そっと校舎裏をのぞきこんだ。
一樹君と、一人の女子生徒が向かい合って立っている。
「神田君のことが好きなんです」
女子生徒がそう言った。
もしかして、これって告白の現場?
私は後ろめたさを感じつつも、気になってじっと彼らの様子をうかがう。
「私と付き合ってくれませんか。卒業して、あなたに会えなくなるのが嫌なんです」
女子生徒は切実な瞳を一樹君に向けてきた。
「付き合ってください。お願いします!」
女子生徒は一樹君に頭を下げる。
私は一樹君がうなずいてしまうんじゃないかと不安に思いつつ、二人の様子を見守った。
すると、一樹君は一言、「ごめん」とつぶやく。
「俺にはもう好きな人がいるんだ」
女子生徒が目を見開いた。しかし、その途端、「そうですか……」と目を伏せる。
「なら、仕方ありませんね」
女子生徒はそう言って、顔を伏せて立ち去ろうとした。
その時、壁から身を乗り出していた私と女子生徒の目が合う。私は慌てて身を引かせようとするが、もう遅い。
「そこで何をしているの」
女子生徒は冷たい声で言ってきた。
私は「ごめんなさい」と頭を下げて二人の前に姿を現す。
「たまたま声が聞こえて、そしたら、一樹君が……」
一樹君は私を見て、目を丸くした。
「紫乃。どうしてお前が……」
すると、一樹君は私に近寄ってきて、腕をつかんで、「行こう」と歩き出す。
私は腕を引かれながら、ちらりと女子生徒を見ると、彼女は唇を噛みしめて、私を睨んでいた。その目には、はっきりと敵意の感情が渦巻いていて、私は体が震えるのを感じる。
すると、一樹君が「見るな」と私の顎を前へ向けさせた。
「お前が気にすることじゃない」
「一樹君……」
私たちは校門を出る。
私は言おうかどうか散々迷ったあげく、思い切って口を開いた。
「あのさ。一樹君って好きな人がいるの?」
胸がバクバクいってる。期待と不安が入り混じり、心が張り裂けそうだ。
「それって誰なの?」
すると、一樹君は食い入るように私を見つめた。
そのままじっと私の顔を見つめた後、一樹君は目を逸らして、「それは……」とつぶやく。
「もしかしてさ、」
私は目をぎゅっと瞑って思い切って言った。
「それって私だったりする?」
一樹君は息を呑み、私の瞳を直視する。けれど、何か思い詰めた表情を浮べて、首を振った。
「違う。お前じゃない」
その瞬間、私の立っている地面が崩れる。私は俯き、必死に歯を噛みしめて溢れ出しそうになる感情をこらえながら、「そうだよね」と震える声でつぶやいた。
「一樹君が私のこと好きなわけないよね?」
一樹君はじっと黙っている。
「ごめん。ちょっと冗談を言ってみたの」
「変な冗談言うなよ」
一樹君が私の頭を小突いてきた。
一樹君の好きな人は別にいる。それを知った後も、私の気持ちは変わらなかった。
たとえ、恋が実らないとしても、それでも一樹君にこの気持ちを伝えよう。
明日、必ず告白しよう。
私はお風呂上りで上気した肌をタオルで拭きながら、姉さんの部屋に向かった。ドアをノックする。
「姉さん?」
返事はない。ドアを開くと、姉さんは窓際のベッドに腰掛けて、こちらに背を向けて、耳にヘッドホンをつけて音楽を聴いていた。
彼女はどこか恍惚とした表情を浮べて、頬を上気させている。
「もう、姉さんったら」
私はドアを後ろ手に閉めると、彼女に近づいた。けれど、姉さんは一向にこちらに気付かない。
私は「姉さん」と彼女の肩を叩く。
すると、姉さんが肩を飛び跳ねさせて、慌てて音楽プレーヤーの電源を切って、ヘッドホンを外した。
「何よ、紫乃。ノックぐらいしなさいよ」
「したわよ。けど、反応しなかったじゃない」
姉さんは長い髪をすくい上げると、私に向き直る。
「何か用かしら?」
姉さんは私の顔をじっと見つめた。
「うん……ちょっと相談があって」
私はもじもじしながら俯く。
すると、姉さんは下から顔をのぞきこんできた。
「なあに? 言ってみなさいよ?」
私は短く息を吸うと、決心して言う。
「私ね、明日一樹君に告白しようと思うんだ」
すると、姉さんは一瞬唖然とした顔をした。けれど、すぐにぷっと噴き出して笑う。
「そっか! そっか! やっとその気になったんだね!」
「もう! 何でそんなに笑うの!」
私は頬を膨らませた。
「それで、私に告白の仕方を聞きにきたって訳?」
私は顔が熱くなるのを感じながら、うなずく。
「よし、紫乃! 私を一樹君だと思って、想いのたけをぶつけてみなさい!」
姉さんはばっと両手を広げて、私を受け止める姿勢をとった。
「えっと……どんなこと言えばいいのかな……」
私は指を組み合わせて、俯く。
「『あなたが好き』の一言で十分! さあ、言ってみて!」
姉さんは私をじっと見つめて、言葉を促した。
私は大きく息を吸うと、言う。
「あなたが……好き」
すると、その瞬間、姉さんにがばっと抱きしめられた。
「ウホッ。可愛いなあ、我が妹! そんな風に『好き』って言われたら、どんな男もイチコロだよ!」
「そ、そうかな……」
「そして、Fカップの胸を進呈すれば間違いない!」
「何言ってるのさ!」
私はその後も、姉さん相手に何度か告白の練習を重ねる。そして、心底疲れきって、「もう寝るね」と部屋を出て行こうとした時、姉さんが言った。
「ま、がんばりなさいよ。私的には、あまりがんばらないでほしいけど」
姉さんはそんな意味の分からないことを言いつつ、私の背中をぽんぽん叩く。
私は「ありがとう、姉さん」とにっこりと笑って、姉さんの部屋から出た。
たとえ、彼にこの気持ちが届かないとしても、それでも気持ちを伝えずにはいられない。
好きって気持ちは、際限なく膨らんで、自分では決して止められなくなるのだ。
私は自分から彼に想いを伝えるんだ。
それなら、恋が実らなくても、きっと後悔はないから。彼を好きだったという気持ちを、昇華できると思うから。
私は伝える。彼のことが好きだと。
私は翌日、一樹君を家の前で待った。彼は玄関から出てくると、私の顔を見て、驚いた顔をする。
私は彼の横に並んで歩き出した。
「とうとう卒業式だね」
私は明るい声でそう言う。
「そうだな」
一樹君はうなずき、地面をじっと見つめている。
沈黙が私たちの間に降りた。
どうしよう。今、ここで言わないと。
何度も口を開きかけて、その度に喉に鉛がこびりついたみたいに言葉がすぐには出てこなかった。
落ち着いて。とにかくゆっくりと……言ってみよう。
私は深く息を吸うと、一樹君に「あのね」と呼びかける。
一樹君はどこか暗い影のわだかまった瞳を私に向けた。
「なんだ?」
「あのね……」
私がまごついていると、一樹君はふとぽつりと言う。
「紫乃さ、俺が誰かと付き合っていたらどう思う?」
「え?」
一樹君は無表情のまま、じっと私の顔を見据えている。
様々な想いが目の前を駆け巡った。
もし一樹君が誰かと付き合っていたら、そしたら、私は。
「応援するよ」
私は明るい笑顔を取り繕って、そう言う。
その瞬間、一樹君は息を呑み、拳を強く握り締めた。
唇を噛んで、苦々しく笑う。
「一樹君?」
「そうか。お前はそう思うのか」
一樹君はどこか私を突き放すように言う。
私は嘘をついた。本当は嫌だ。一樹君が他の女の子と仲良くしているところなんか、見たくない。
ずっと私のことを見ていてほしい。忘れないでいてほしい。
私はただ俯く。
すると、一樹君が言った。
「俺、もしかしたらお前の大切なものを壊してしまうかもしれない」
それはどこか氷雪のように冷徹で、どす黒い感情に染まった声だった。
「俺は、お前が思っているような高尚な人間じゃない」
「一樹君……」
私は言葉を失う。けれど、首を振って、言う。
「あのね、今日卒業式が終わった後、校舎裏に来てくれない?」
「え?」
一樹君はわずかに動揺した。
「伝えなくちゃいけないことがあるんだ」
「なんだよ。ここで言えよ」
一樹君は投げやりにそう言う。
私は首を振り、
「その時に言うよ。だから、必ず来て」
私はそう言うと、駆け出した。
そして、ふと足を止めて振り向き、手を振る。
一樹君は毒気を抜かれたように呆然と私を見た。
そのまま私は彼に背を向けて、走り出す。
心臓の鼓動が高鳴っていた。
一樹君を好きな気持ちが膨らんで、抑えられない。
私は一樹君が好き。この気持ちを、必ず彼に伝えるんだ。
卒業式が終わった後、私は校舎裏へと顔を出す。けれど、まだ一樹君の姿はなかった。それはそうだろう、友人との積もる話もあるだろうし、彼がここに来るのはもっと先だろう。
迎えにいこうかな。
私はふとそう思い、ふらりと校舎の三階へと赴いた。
廊下はたくさんの生徒で、賑わっている。
上級生に花束を渡す女子生徒。取っ組み合いをしてじゃれあっている生徒達。
明るくてほろ甘い雰囲気が漂っていた。
私は一樹君のクラスをそっとのぞく。彼は窓側の席で、数人の男女と一緒に談話していた。彼の顔には依然として暗い表情が浮かんでいる
私は心臓を細い糸で締めつけられるような痛みを感じた。
一樹君があんな表情を見せる原因は一体なんなんだろう。
彼の為に、私は何かできないのかな。
私はいつも見ているだけだった。
彼の心の深くに触れず、彼の表面だけを見てきたんじゃないか。
結局、私は彼のことを何も知らないのかもしれない。
知りたい。一樹君に色んなことを話してもらって、そして、一緒に問題を分かち合いたい。
でも、一樹君のパートナーになるのは私じゃない。
私はそんなことを考えているうちに彼を見ていられなくなって、俯く。
どのくらいそこに立っていたんだろう。ふと教室の中を見ると、一樹君の姿が消えていた。もう校舎裏へ行ったのかもしれない。
私は重い足を引きずりながら、校舎裏へ向かった。
私は深く息を吸い込む。
大丈夫。きっと彼に想いを伝えられる。
私は壁に背中を寄りかからせて、深い息を繰り返した。
そして、意を決して校舎裏へと踏み入る。
しかし、その瞬間、目を瞠る。
一樹君と綾ちゃんが向かい合って立っていた。
綾ちゃんはこちらに背を向けて立っている。
一樹君がちらりと私の方を見た気がした。
彼はそのまま綾ちゃんに近づくと、そっと彼女の肩に手を置き、体を引き寄せ、唇を重ねる。
私は目を見開いた。
高鳴っていた鼓動が急に静止する。
地面が粉々に砕け散って、私はまっ逆さまに落ちていった。
嘘。綾ちゃんと一樹君が……どうして。
二人は濃厚なキスを交わす。唾液を湿らせた舌を転がしている。生々しい音が響いた。
一樹君は顔を紅潮させながら、夢中で唇を重ねている。
視界が次第にぼやけて、二人の姿が歪んでいった。
そっか。一樹君の好きな人って綾ちゃんだったんだね。
二人の間に流れていたおかしな空気や、綾ちゃんの怒りの矛先がどこに向いていたのか。
すべてわかった。
私は馬鹿だ。気持ちを伝えればそれでいいと、自分のことしか考えていなかった。
綾ちゃんが私のことをどんな気持ちで見つめていたのか、わからなかったんだ。
一人で勝手に勘違いして、馬鹿みたい。
友達を心配させて、私は一体何をやってたんだろう。
ホント、馬鹿みたい。
私は手の甲を目に擦り付けて、涙を拭う。
すると、二人が体を離した。
そして、綾ちゃんがゆっくりと振り返る。
私の姿を認めると、目を見開いて、「紫乃……!」と蒼白な顔でつぶやいた。
「紫乃……違うの、これは、」
「ごめんね、綾ちゃん」
私は笑みを顔に貼り付かせて、言う。
「二人がそんな関係だったなんて、私、知らなかったから。今まで邪魔してごめんね」
「紫乃! 違うの、これは!」
綾ちゃんは私に駆け寄ってきて、すがりつこうとした。
しかし、私は彼女の腕を振り切り、背を向けて駆け出す。
私は馬鹿だ。本当に馬鹿だ!
結局、私に一樹君を好きになる資格なんかなかったんだ!
「紫乃! 待って!」
綾ちゃんの声が遠ざかるのを感じながら、私は学校を抜け出した。
*
綾side
違う! こんなはずじゃなかったのに! 紫乃が一樹をあきらめてくれればいいと、それだけを想っていただけなのに! だけど、こんなことになるなんて!
私は額を押さえて、泣き続ける。
嫌だよ! このままだと紫乃が離れていっちゃう! そんなの嫌だ! 嫌だよ!
私は地面に膝をつき、慟哭した。
そんな私を、一樹はじっと無表情に見下ろしている。
こんなに私が悲しんでいるのに、手を差し伸べようともしない。彼の目には、ただ虚無感だけが漂っていた。
紫乃! 戻ってきて! 私にまたあの笑顔を見せてよ!
私は額を覆う手を離すと、一樹にすがりつく。
すべてはあなたが悪い! 紫乃をおかしくさせ、私をおかしくさせた、あなたが!
私は一樹の胸を拳で叩いた。
一樹はそんな私を、ただじっと無表情に見下ろしている。
*
紫乃side
ドアを開け放ち、玄関に駆け上がってきた私に、リビングから顔を出した姉さんがびっくりした顔をした。
私は、階段を上がろうとする。すると、姉さんが「ちょっと待ちなさい!」と私の腕をつかんで無理矢理振り向かせた。
姉さんは私の顔を見ると、「一体どうしたの?」と心配そうに聞いてくる。
私は首を振って、階段を駆け上がろうとした。
しかし、姉さんは私の腕から手を離さなかった。
「どうしたの。一樹に何か言われたの?」
私は「一樹」という言葉に、身をびくりと震わせる。
もう一樹君を好きになっちゃいけないんだ。綾ちゃんの邪魔をしちゃいけない。
だけど、好きという気持ちが、際限なくあふれ出してきて、抑えきれなくなっていくのだ。
駄目! 彼のことはもう忘れなくちゃいけないのに。
必死にそう自分に言い聞かせた。
地面に座り込む私に、姉さんが「落ち着いて」と囁いてくる。
けれど、その気持ちはすぐに抑えきれなくなっていった。
そう、好きだという気持ちはどんどん膨らんで、膨らんで、際限なく大きくなっていくのだ。
それが、恋。
恋をしてしまったその瞬間から、運命付けられていること。
私は喉を涙で濡らしながら、髪を指でかき乱しながら、泣き続ける。
恋と友情がごちゃ混ぜになって、私はその狭間に挟まれて、心と体を縛りつけられていった。
どうすればいいの。わからない。わからない――。
私は姉さんに部屋に案内されて、ベッドに座らされた。彼女はホットミルクの入ったマグを持ってくる。
涙の染みこんだミルクはほどよい温かみを持っていて、おいしかった。
ミルクを飲んでようやく落ち着くと、姉さんに事情を説明した。険しい顔をして聞いていた姉さんは、その途端、ベッドから立ち上がる。
「ちょっと一樹を絞め殺してくる」
私は姉さんの腰にしがみついて、やめさせようとした。けれど、姉さんは強引に私を振り切って、部屋を飛び出していく。
私は彼女の後を追って外へ出た。
一樹君の家に行くと、玄関のドアが開け放たれ、そこから姉さんの罵声が聞こえてくる。
私は家の中に入り、一樹君の部屋のドアを開くと、姉さんの背中が部屋の奥に見えた。
「おい、一樹!」
部屋の中央のテーブルに手作りらしきケーキが置いてある。そこで、綾ちゃんが泣き腫らした目で姉さんの背中を見つめていた。
姉さんの前に、一樹君の細い腕がちらりと見える。
一樹君は、姉さんに胸倉をつかまれていた。
彼は驚いて目を見開いている。
「お前、綾まで手を出して、何がしたいんだよ! ふざけるな!」
姉さんは拳を握ると、一樹君を突き飛ばした。
一樹君は部屋の隅へと転げ、背中を壁に打ち付ける。
彼の唇から、血が滴り落ちた。
すると、姉さんは再び一樹君に詰め寄って、彼の胸倉をつかむ。
「やめて! 姉さん!」
私は耐え切れなくなって、一樹君に覆い被さった。
「やめてよ! もうやめて!」
涙がぽろぽろと零れていく。姉さんはそんな私を見つめると、怒りの表情を消して、悔しそうに唇を引き結ぶ。
*
一樹side
……紫乃が俺のことなんてまるで気にかけていなかったから……こうするしかなかったんだよ。
紫乃は俺の気持ちになんてまるで気付いてなかったんだ。だから、俺は綾と付き合って、紫乃の気持ちを揺さぶろうとしたんだ。
俺が誰かと付き合っていたらどう思うか、紫乃に聞いてみても、応援するよ、だなんて。それってひどすぎるだろ。
紫乃に好きな人が誰かと聞かれた時も、俺は他の誰かだと嘘をついた。けれど、紫乃はまるで俺のことなんか気にしてなかった。だから、俺も手段を選ばないことにしたんだ。わざと校舎裏に綾を呼んで、キスしているところを紫乃に見せつけた。
俺は自分の胸に覆い被さって泣いている紫乃を見つめ、歯を食い縛る。
こうするしかなかったんだよ、紫乃。
*
紫乃side
一樹君は独り言のように、その事実を告げる。
私は信じられなくて、彼の顔をじっと見つめる。
すると、姉さんが再び一樹君に詰め寄り、彼の胸倉をつかんだ。
「この意気地なし! 鈍感男! お前は、そんなことをしなくちゃ自分の気持ちを表現できないのかよ! はっきりと、素直に、紫乃に想いを伝えられなかったのかよ!」
一樹君は唇を噛んで、俯く。
「だって……俺だって……」
「またそうやって人のせいにする気かよ! この――」
再び胸倉をつかもうとした姉さんの腕を私はつかんだ。姉さんはそんな私を見て、「紫乃……」と呆然とした声を上げる。
「いいの。一樹君のせいじゃない。一樹君の気持ちに気付けなかった私の所為だもの」
私はそう言って、一樹君をまっすぐ見つめた。そして、言う。
「好きだよ、一樹君――」
一樹君は顔を歪めて、私の頬に手を伸ばした。
「紫乃、俺もお前のことが――」
その時、突然私は背後から誰かに突き飛ばされる。壁に上半身を打ち付けて、激しくあえいだ。
振り向くと、長い黒髪が空中に舞うのが見える。
――綾ちゃん?
綾ちゃんは何か言葉にならない叫びを上げながら、突然腕を振り上げて、拳を一樹君の首筋に打ち付けた。ぎらりと光る。
その瞬間、血が飛び散った。
綾ちゃんの手には、果物ナイフが握られている。
「許さない! 私はあなたを許さない!」
綾ちゃんは何度も一樹君の首筋を切りつけた。
「綾ちゃん! やめて!」
一樹君は唇を引き結んで、ナイフをじっとその体で受け止めている。
「すべて、あなたが悪いの! 紫乃の心を奪って、彼女を苦しめた! 私と紫乃の関係をめちゃくちゃにした! あなたが憎い!」
綾ちゃんは今まで見たことがないような激しい感情を顔に映して、叫び、ナイフを振り続けた。
姉さんは唖然とした顔で立ち尽くしている。
「あなたがいなければ、こんな気持ちにならずに済んだのに! あなたは私を利用したっていうの!? すべて紫乃のために!」
一樹君は震える唇を開いて、告げた。
「――すまない、綾」
その言葉に、綾ちゃんが絶叫して、一際大きく腕を振り上げる。
「やめて――!」
私は目を瞑って、叫んだ。
ザク、と生々しい音が部屋に響く。
ゆっくりと目を開くと、綾ちゃんはナイフを地面に突き立てて、泣き崩れていた。
「もうやめてよ! 私を、解放して!」
綾ちゃんはそう言いながら、顔を手で覆って、泣き叫ぶ。
首筋を血で濡らしながらうなだれて佇む、一樹君。
拳を握り締めて、俯いている姉さん。
そして、二人を呆然と見つめる私がいた。
恋は胸を締め付けるように切なく、それでいて、すべてを壊しつくすほど強い力を持っている。
それが、恋。
*
私は休日、一樹君の家に向かって歩いていた。手にはお菓子の入った包みが握られている。
私は上機嫌に鼻歌を歌いながら、彼の家のドアの前に立ち、インターフォンを押した。
すると、おばさんが出て来て、「どうぞ、入って」と私を中に招き入れる。
一樹君の部屋に向かった。ドアを開くと、彼はベッドに腰掛けて本を読んでいる。
私に気付くと、本に栞を挟んで横に置き、振り向いて、はにかむように笑った。
私は一樹君の隣に腰掛けると、持っていた包みをテーブルに広げる。
一樹君はお菓子を頬張ると、おいしいと言ってくれた。
私はそんな中、彼の首筋に巻かれた包帯を見つめて、視線を伏せる。
私たちはあの事件を境に恋人になった。デートにも行ったし、キスだってした。
彼が大学に行くまでのほんのわずかな時間。それを大切にしようと思っている。
彼がふと、私の肩に手を伸ばしてきた。
彼はそっとそれを目で問いかけてくる。
私は頬を染めながらも、うなずいた。
体を重ねあうことは本当に心地良くて、彼と一つになれると思うと嬉しかった。
私は彼が好き。これからも好きでい続ける。
*
綾side
休日、私は散歩をしに家を出た。そんな中、ちょうど紫乃の家の前を通りかける。
すると、玄関のドアが開いて、紫乃の姉さんが出てきた。
彼女の耳には、お決まりのヘッドホンがつけられていた。
私が会釈すると、彼女はにっこりと微笑み、「しばらくぶりね」と言ってくる。
彼女は私の隣に並ぶと、歩き出した。
私もとりあえず歩調を合わせて彼女と一緒に歩き出す。
「失恋した感想は?」
突然多加子さんは屈託なく聞いてきた。私はとりあえず「最悪です」と答えておく。
「やっぱりそうよね。……好きだったんでしょう?」
私はその言葉に、俯いた。
「言っとくけど、私が言ってるのは紫乃のことだからね」
その言葉に、私ははっと顔を上げて、食い入るように多加子さんの顔を見つめる。
「あなた、一樹のことなんてこれっぽちも好きじゃなかったでしょう? 彼と付きあったのも、彼と同じ理由でしょう?」
「私は……」
私は、彼女の白い横顔を見つめた。
「あなたが好きだったのは、紫乃でしょう?」
私は足を止めた。首筋が震える。
この人は……ずっと知っていたんだ。
「あなたは、自分が一樹と付き合えば、きっと彼のことをあきらめてくれると思っていたんでしょう? 言っておくけどね、紫乃はあなたなんかこれっぽっちも気にかけてないわよ? うぬぼれるのもいい加減にしなさい」
そう言って、多加子さんは目をそっと細めて、私を睨んだ。そこには、はっきりと敵意が感じられた。
「あなたは一樹と一緒よ。ただ自分勝手に相手のことを想い続け、人に頼っているばかり。とんだアマちゃんだわ」
私は言葉を失う。自分の心を見透かされたことが恥ずかしかった。
「あなたには紫乃を想う資格はない。とっとと紫乃の前から消えなさいゴミ」
私はその瞬間、かっと頭に血が上って、彼女のヘッドホンをつかみとり、投げ捨てようとする。しかし、そのヘッドホンから漏れてきた音に、頭が真っ白になった。
『あなたが、好き』
それは紫乃の声だった。私が何度も耳にし、その度に心を揺り動かされた声。
ヘッドホンをつかんだまま固まっている私に、多加子さんは肩を震わせて笑い出す。
私は呆然とつぶやいた。
「そんな……どうして」
すると、多加子さんは長い髪を撫でつけながら可笑しげに言う。
「どういうことも何も、私は紫乃を愛しているわ。あんたたちなんかよりもずっと前からね。紫乃の声を聞くたびに、私は快感を感じるの。どんな音楽よりも、紫乃の声は素晴らしいわ。ずっと彼女の側にいたいと思えてしまうほどに」
私は震える指先から、ヘッドホンを振り落とした。
「そんなの……おかしい」
多加子さんはその途端、目をかっと見開いて、私をにらみつける。
「なんでおかしいの!? どうして!? 自分が愛する人間は自分で決める! 誰にも邪魔させたりしない!」
多加子さんはそうまくし立て、ヘッドホンをもぎり取った。そして、いとおしそうにそれをなでる。
「一樹なんかに紫乃は渡さない。必ず紫乃を取り戻してみせる」
そう言うと、多加子さんは再び耳にヘッドホンをつけて、私に背中を向けて歩き出した。
私はしばらく彼女を呆然と見つめていたけれど、その途端、きっと目を吊り上げて、言う。
「私だって……!」
出会った頃から紫乃が好きだった。紫乃のことなら、なんでも知ってる。あんな男なんかに私が負けるはずはない!
私は踵を返すと、一樹の家に向かって歩き出す。
私は紫乃が好きなんだ。
どんな呪詛の言葉よりも、濃厚で深いのが、恋の心。
どんなことがあっても、その相手を忘れられない。それが、恋。
了
4Lovers 御手紙 葉 @otegamiyo
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