アスカのパワフルハラスメント

 マルキス領を後にして次に着いたのはアール領。

 指名手配されていた時は、この街の真下に走る蛇の洞窟を通っていたのだが、今は堂々と地上を歩ける。

 革命軍が通り過ぎた後のようで、一部に戦闘の跡が残っているが、街の中は平常運行になっていた。


 アスカに上手いこと言いくるめられて、エルフィード王城とは正反対の方向へ進んでいる現状だが、段々とアリアのことが気になってきた。

 アスカによるとアリアは王城にいるらしいけど、実際に見たワケでもないから信用できない。

 再度アスカに聞いても、最初に聞いた通り、王の遺産の精霊たちが消えたのはメトリィが復活した証拠だとか、メトリィの依代はアリア以外に考えられないとか、にわかには信じられない理由で話題をそらされるのだ。

 不安でしかたなくて、私はアスカにことあるごとにアリアに会いたいと言う。


「あの、アリアとはいつ会えるの……?」 

「……なんで?」


 アスカが宿の前で立ち止まる。

 様子を見ると、アスカは顔を一切動かさず、ぎょろりと瞳が私を捉えた。


「なんでそんな何回も聞くの!? 王城にいるって言ったよね!? あたしの言うことが信用できないの?? なんで? こんなに面倒を見てあげてるのに!?

 あたしはドラゴンだよ? ずっと生きてるんだよ? 全知全能なあたしの言うことが間違っていると言いたいの!? あああああ!! もう意味わかんない! 人間なんて欠陥だらけの存在にこんな扱いをされるなんて!! 黙ってあたしの思うように舞台を演じていればいいんだって!!!」


 錯乱したアスカに首を掴まれる。

 その細腕で軽々と持ち上げられる。

 息ができない。

 もう少しチカラが加われば、窒息より先に首が折れて死ぬ。

 アスカの歯ぎしりが聞こえると、私は投げられた。

 宿屋のドアを突き破り、壁にぶつかる。

 苦痛だけど、痛む時は他の痛みを忘れられるので気がラクだ。

 咳をすると、床に血が飛んだ。


「ご、ごめんね。あたしちょっとおかしい。魔力の巡りが変なの。今日は別々の部屋で休もう」


 回復魔法をかけられ、体が元通りになる。

 アスカはマルキス領にあった死体から回収したお金を取り出し、迷惑料と宿泊料をあわせてかなりの金額を受付に渡した。


 昔の手配書で顔が知られている私と、見た目はエルフなアスカ。

 メトリィ教の聖書に描かれているような、人間とエルフの二人組が突然現れたのだから、宿屋のひとは失神寸前になっていた。

 そんな状態でなんとか部屋番号を聞き出して、ひとりで部屋に入ろうとした。

 寸前に、「おかしい、メトリィが動き出した……?」というアスカの声を聞いたような聞いていないような。


 考えたくないので聞いていないコトにして、部屋のベッドに座る。

 ひとりだ。

 ……久しぶりにひとりになった。


「今のリルたんを放っておくと勝手に死んじゃいそうだから眠ってもらうね」


 ノックもなくアスカが部屋に入ってきて、そう言うと、すぐに私は意識を失ってしまった。

 それでいい。

 余計なことを考えると、怖くなる。

 今の私は生きているのが怖いし、死ぬのも怖い。


 ――。


 目を開けると、日の位置が変わっていて、次の日になっていたことを悟る。

 魔法で眠らされると、寝た気がしない。

 でも疲れは取れていた。


 アスカの部屋を探しに、外に出る。

 隣の部屋の前に人々が群がっていた。


「あ、リルフィ様……」


 当たり前のように知らない人から名前を呼ばれ、これまた当たり前のようにみんながひざまずく。


「エルフ様が……」


 人々が私のために道を開ける。

 出口はふさがれ、隣の部屋までの一本道。

 気が進まないけど、真ん中を歩いて部屋の様子をうかがう。


「……ひっ」


 妙に張り詰めた空気。

 窓からの逆光でシルエットになった姿が、目の前で揺れる。

 ぶらり、ぶらり。


 エルフの死体が吊られていた。

 首から天井の梁に向かって縄が伸び。

 だらりと下がった四肢は青白い。


 近づき、脈を確かめるために手首を触る。

 それをするまでもなく、体は冷たく、硬直していた。

 

「昨日の様子がおかしかったから……」


 アスカがいきなり発狂して、メトリィが関係していることをほのめかした。

 でもあの強大なドラゴンが、こんなところで簡単に死ぬハズがない。

 現実に無惨な死体が目の前にあるが、幻覚をかけられている可能性もある。

 なにしろ修行と称したイヤガラセをしてくるらしいし……。


 一度部屋から出て、集まった人々を帰らせる。

 扉を閉めて、誰にも見られないようにしてから、再び死体と向き合った。

 幻覚魔法の中にあると断定して、まずはほころびを見つけることにした。


 まずは自分の頬をつねるが、そんなことで魔法は解けない。

 次にアスカの体を観察することにした。

 服に乱れはなく、見えている素肌にキズもない。

 ただ首元には縄を緩めようとしてかきむしった跡がある。


 目を背けると、足元に水溜りができていることに気付いた。

 アスカの股間の部分が濡れており、その足先には雫が形成されている。

 ブーツはベッドの側に置かれているため、就寝前後に死んでしまったように思う。

 ……部屋が荒らされた様子もなく、状況から見て、誰かに殺されたようには見えない。

 ふらりと思いつきで首に縄をかけ、自殺に至ったのだ。


 誰かに操られていたのだろうか。

 それこそ始祖メトリィのような存在でもない限り、ドラゴンに危害を加えるのはムリだ。

 でもそれなら私だってとっくに危害を加えられているハズ。

 だって私は初代エルフィード国王の子孫なのだ。

 アスカを殺したまま、私を放っておく意味は皆無。

 幻覚魔法以外に考えられない。


「もう分かったから解いてよ」


 解除方法が分からず、死体に向かって話しかける。

 そう簡単には解いてくれない。

 アスカの体を叩く。

 固まったアスカの体がただ揺れる。


「いい加減にして」


 趣味が悪い。

 こんなグロテスクな姿を見せつけるなんて。


「起きろ起きろ起きろ起きろ」


 何度も叩く。

 くすぐってみる。

 何も反応はない。

 動く度にべちゃべちゃと鳴る液体が気になってきて、ベッドシーツを引っ張り出して床に敷いた。 

 それがじわじわ色を変えていくのを見届け、立ち上がると。


 死体の足が大きく開かれ、それが顔面に迫ってきた。


「——んぅっ!」


 顔が湿った布で覆われる。

 わずかな隙間を見つけてなんとか息を吸う。

 死体の足をつかみ、拘束を緩めて顔を動かした。


 アスカの腕が持ち上がり、首にかかった丈夫な縄がチカラ任せにちぎられる。

 支えを失い落ちていく上半身。

 手から着地し、その勢いでバック転して私は拘束から解放された。


「急に仲間が死んじゃう体験」

「ぺっぺっ! アスカのが口に入った!」

「2回目のドッキリで早くも図太くなってるじゃん」


 タネが分かっていればそこまで取り乱すこともない。

 そういうイヤガラセ、慣れているし。


「せっかく昨日から仕込んだのに」

「あからさま過ぎ」


 アスカは頬を膨らませながら、服を脱ぎはじめた。

 背中のヒモをほどき、上衣をベッドに投げる。

 スカートとスパッツも脱ぎ捨て、全裸になってしまった。

 その所々で見える指先の血、首に残る縄の跡。


「あれ、もしかして……」

「今のは幻術じゃないよ。死んだの。現実と幻覚の区別はしっかりしないと、ね?? ドラゴンにぽんぽん攻撃してただで済むと思わないでね⭐︎」

「ひっすいません」


 なんでそこで体張ったの……?

 アスカの苦しみに満ちた表情や冷たい肌の感触がよみがえってきて、背中がゾッとする。

 あれはホンモノの死体だった。

 それが幻覚魔法によるものではないとすると。


「ほ、本当に死んだの……?」 

「うん」

「な、なんで生きてるの」

「死んだくらいじゃ死なないよドラゴンは」

「???」


 何を言っているのか意味がわからない。

 でも王の遺産を装備していた時の私だって同じような状態だったのだから、そうなのだろう。

 魔法の技術がスゴすごぎると死ななくなる。

 そういうこととして飲み込むことにした。


「あたしはね、リルたんに呪いをかけたの。私の死に顔はどうだった? かっちかちに固まった体を触ってどう思った? 汚物を垂れ流して悪臭を漂わせている死体は気持ち悪くなかった? リルたんも死んだらこうなるんだよ?」

「さ、さんざん殺したし、実際に死んだ経験もあるし、慣れてる——」

「あー痛かった。苦しかった。縄が首に食い込んで、手で隙間を作って息をしようとしても出来ずに、意識はすぐに飛ばなくて、苦しいから意味もないのに足をばたばた動かして、自分の意思で動かなくなるとだんだん寒くなってきて、胸が痙攣して、ようやく意識がなくなって、死ねた」

「——うぅ」

「リルたんはこれから死を意識する度にあたしの死体を思い出す。苦しみを想像する。それが結果的に生への執着に繋がる。そうでしょ?」


 王の遺産による痛覚軽減がなくなった今、アスカの言った苦痛は全て自分にも当てはまる。

 ドラゴンと人間の差があり、人間はもっと弱いから、私の時はもっと痛く感じるのかもしれない。

 魔法がかけられたワケでもないのに、その言葉と、映像は、しっかりとアタマに刻み込まれてしまった。

 寒気がして自分の体を抱く。

 その上からアスカが包み込んできた。

 アスカの体はまだ冷たくてもっと寒気がした。


「リルたん強化計画は順調に進行しているね☆」

「もっと優しくして……」


 アスカのそれ以上の言葉はなく、ニヤニヤしたまま服をまとい、そのまま食堂に連れられた。

 絶対悪だくみしてる。

 いつまた仕掛けられるのか分からないので、不安で吐き気を催す。

 食事も喉を通らないだろう。

 席に着くと共に店員を呼び、消化にいいものを頼むことにした。


「うぅ……パンとスープと肉料理とサラダと果物、あるもの適当にください……」

「あたしはバナナとコーヒー……って、リルたん調子悪そうにしてドラゴンより食うじゃん」


 今日はおかわりしないから実質ゼロカロリーだ。

 あと今日は魚料理を入れていないので完全に栄養不足。


「今までそんな食べてるところ見せなかったじゃん」

「野宿だと食料に限りがあるし……」 


 いっぱい食べるようになったのも冒険者になってから。

 体づくりのためだと教わってやっていることだ。

 そんな記憶も今は胸を締め付けてくる要因のひとつ。

 この窮屈さを紛らわすためにも食べて物理的にお腹を膨らませないと。

 じわじわするお腹をさすって料理を待っていると、手頃な大きさに切られたバゲットが3切れ、テーブルに置かれた。


「え……これだけ……」

「飢饉のまっ最中みたいな顔してるけど普通の量だからね」


 続いて底の見える透き通った貧相な汁が入ったカップに、薄っぺらい肉と脇に添えられた申し訳程度の草と柑橘類の破片がのったプレート。

 

「わあおしゃれ! 香ばしいブイヨンスープに食欲をそそる焼き色のステーキ! 野菜とデザートもあってフレッシュな気分になれるね! 冒険者向けの安宿でこのクオリティとは、物騒なご時世、いいあたりを引いたね! ただこれはディナーの量だね!」

「あれ、肉が薄過ぎてアスカの顔が透けて見える」

「そこまで薄くないし一口でちゅるっと食べちゃうから私のかわいい顔が見えるようになっただけだよ」


 一口分の量しか出さないとはどういうことか。試食?

 プレートにのった試食を迅速に平らげて、パンをスープで流し込んで、完食。


「さて……何を食べよう」

「そんな辛そうな表情して朝食二巡目とは恐れ入ったね」


 アイコンタクトで店員を呼び、スープに先程のステーキ肉を入れて鍋ごと持ってくるよう頼んだ。

 スープに入れれば消化によくなるからゼロカロリーの病人食だ。


「前にさあ、演出のためにリルたんの仲間を丸呑みしたけどさあ、やっぱり肉はあんまり口に合わないんだよね。吐いちゃったし」

「そのせいでユリアとマリオンに殺されるほど恨まれているんですけど……」


 この苦しみがすべて目の前のドラゴンが元凶なのだと思うと……。

 自然災害のような存在に対して、憎しみを抱く気にもならない。

 人間が捕まえた虫を戦わせるのと同じ。

 虫けらである私たちが、強大な存在に何か思いを抱いても意味がないことを本能的に察知している。

 ドラゴンに捕まらないように対策しなかった私たちが悪いのだ。


「あたしの魔力にあてられてあそこまで狂っちゃうとは思ってなかったよ。魔力持ちの人間は魔物らしさが強まり、魔力適正が低いのは廃人になる、って感じ。この歳になって学ぶことがあるとはねー」


 アスカは平然と言い、コーヒーを一口。

 本当になんとも思っていないから、瀕死の仲間たちを森に放置してここまで飛んできたのだ。

 みんなは今ごろ私を殺すために探し回っているのだろうか。


「ふー。食べ終わった。それじゃあ部屋に戻ってるから準備できたら呼んで」

「えっ」


 待ってくれないの?

 ひとりにされたら殺されるしそうなる前に自分で死ぬ。

 でも早速アスカの呪いがアタマの中を駆け巡ってきた。

 アスカの苦しみに満ちた顔が、私もあんな風になるんだと鮮明に想像できてしまい、自分で死ぬ願望よりも恐怖の方が上回る。


 ひたすら震えたまま動けないでいると、目の前でゴトンと音がして体が飛び上がってしまった。

 攻撃されたのかと思えば、料理が来ただけだった。


 泣きながら鍋の中をかき込み、涙や不安感とともに胃に押し込んでいく。

 胸に溜めたままではずっと苦しいから、お腹に流して消化して欲しい。

 スープだとすぐに流れてしまうから、喉元にこべりついた緊張感をこそぎ落としてくれるような固形物を頼めばよかった。

 食べごたえがないのなら速さでカバーだ。

 急いでそれをかき込んで、逃げるように部屋に戻った。


 前の街で集めた少ない荷物をまとめ、アスカの部屋の扉を叩く。

 中から普通にアスカが出てきて、変な幻覚を見せられなくて安心した。

 チェックアウトをするとき、周りが私たちを指差して騒いでいたが、アスカの横にピッタリくっついて気にしないフリをした。

 アスカが手続きを終え、出口の扉に手をかける。

 そこで一瞬、何かに気付いたのか動きを止めた。


「リルたん、王都の方を見てね」


 ドアを開け放ち、アスカは遥か遠くの空を指差す。

 王都があるであろう方向に、青空よりも淡い水色の光がゆらめいている。


「あれは……魔力壁?」


 昔エルフの里で似たようなモノを見たことがある。

 エルフィード王国民からエルフの里を隠すための結界。

 アリアがそれを壊したときに似たような現象を見た気がする。


「メトリィが殻にこもったようだね。革命運動やら王家のごたごたから自分を隔離して、一人、ゆっくり魔力を溜めていくための殻」

「メトリィはエルフィードの末裔を、私を、探しているんじゃないの?」


 目に見えるほどの魔力は、莫大な量のそれが濃密に滞留している証拠。

 あの障壁を作るための魔力を人探しに使った方が早いだろう。 


「エルフの感覚はニンゲンとは違うからね。ニンゲンにいくら才能があっても、エルフにとっては子供の遊びにすらならない。アリアは魔法の才能があったのかもしれないけど、エルフにとってはゼロ同然なんだね。だから今はただ溜めるのみ。時間感覚もニンゲンとは違うしね――」


 アスカが私の肩に手を回し、抱き寄せて来た。

 そして宿屋の屋根へ一足に飛ぶ。

 地平線の果てに、王都のシルエットが微かに見える位置。

 

 空が急に暗くなり、強い風が吹く。

 目にかかった髪を手でよけて押さえる。


 ——雲が、落ちてきた。

 そこそこ高い山の頂上なら触れられそうなところまで雲海が迫る。

 それは王都エルフィードの方向に引き寄せられるように、流れていく。


 雫が落ちるように、槍が降るかのように、王都を突き刺すような雲の棘が生え。

 巨大な竜巻が王都をまるごと包み込んだ。


 大地から黒いモヤが立ち昇り、それが中心に向かって吸い込まれていく。

 白い竜巻が根本から黒く染まっていく。


 染まったところから雲のヴェールが剥がれ、中身があらわになる。

 それが空まで届くと、空気の渦は逆回転し、雲が霧散。


 ――この時、光に照らされた黒い塔が、その誕生を知らしめた。


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セカイでいちばんのわたし スズキ風三租 @takookura

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