アスカの熱血猛特訓
貴族の家に生まれた私には、色々なしがらみがあった。
最近になって初代エルフィード国王の血を引いているとかなんとか言われて、周りの振る舞いは変わらないものの、心を縛る鎖が増えて重くなった。
そんな呪縛から解放されて、いつか空を自由に飛んでみたいと思っていた。
それが今になって叶った。
「——ひぃぃ……!」
私は今、ドラゴンの背に座っている。
ものすごい風圧に飛ばされないよう、背中の突起にしがみついている。
「おちち落ちる! 死ぬぅ!」
手が痛くなってきていて、汗で滑って外れてしまいそうで、まさに死の瀬戸際。
「もっとゆっくりで落ちても死なない高さで飛んでぇ!」
『あはは。それはあたしが地面にめり込まないとだめだね』
「その図体でいつも通り喋らないでぇ!」
『すごい注文するじゃん』
声は私の足元から。
ドラゴンに変身したアスカが、人型の時と同じ声で、同じ口調で喋る。
音がダイレクトに私のお尻に響いてくる。
「それじゃあ、スピード上げるよ☆」
「えっ」
直後、さらに強い風。
スポッ、という音とともに、私は空中に投げ出された。
「あぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁあぁぃぁぁぁああぁ!」
死ぬ。
道が線のように見える高さ。
人が虫のような大きさで、はるか遠くの遠くの海や山まで見えて、田畑が地面の模様に見える。
絶対死ぬ。
この高さから落ちて死んだことがあるから分かる。
最初はゆっくりと地面が近づいて見え、地上にあるものが判別できるようになると、それはとてつもない速さで迫ってくるのだ。
そして……。
想像が現実になる前に、恐怖がピークに達し、私は意識を手放した。
そして再生されるのはついさっきの記憶——。
アスカがエルフの姿からドラゴンに変身した場面。
屍の山で遭遇し、ユリアとマリオンを食った、あのドラゴン。
真上を向いてようやく首元が見えるほどの巨体。
『久しいな、末裔よ』
重い低音が降り注ぐ。
せっかく頑張って立ち上がったのに、足からチカラが抜けて尻もちをついた。
ついでに色々緩くなって、穴という穴から液が漏れた。
『何を驚いておる。初めてまみえた訳ではなかろう』
アスカはエルフの里で偶然出会ったエルフだ。
セレスタと入れ替わりで付いてくるようになり、所々で手助けをしてくれた。
それがドラゴン??
確かに昔、ドラゴンにまた会おうみたいなコトを言われたけど。
エルフィード王国に戻ってくる時に通過した山で遭遇しなかったから、ラッキーだとは思っていたし。
でも今?
王の遺産を手放したこのタイミングで?
「た、たべられる……」
ユリアとマリオンを食ったドラゴン。
ふたりは奇跡的に助かったけれど、おかしくなってしまって。
私を襲ったのだ。
『……ふむ』
私を覆う影が消える。
ドラゴンがアタマを下げて、私と目が合った。
縦長の瞳孔がさらに細くなる。
鼻息が顔にぶつかる。
立っていたら吹き飛ばされるところだった。
その巨体が、口を開けた。
『がおおおおおおぉぉぉぉーーーーー!!』
「いやあああぁぁぁぁぁぁーーーーー!!」
耳が壊れてしまいそうな音量に、咄嗟に耳を塞いだ。
鋭い牙が、ただでさえ近かったのがさらに近づいてきて、そのまま齧り付かれるのだと覚悟した。
その生々しい舌で蹂躙され、何度も咀嚼して食感を楽しまれるのだ。
……しかし、予想に反して、声が止み、口は閉じられる。
『どう? びっくりした?』
「……」
ドラゴンの巨体に見合わぬ女の子の声。
それまでのお腹の底に響いてくる野太い声はどこへやら。
口調も何だかおかしい。
『あのさ、ドラゴンってさ、迫力が全てじゃない? だからこの姿の時は演技してるんだよ☆』
ドラゴンのウインク。
『悠久の時を生きるあたしにとって、全ての出来事はエンターテイメント。退屈な時間をまぎらわすためには、エルフにもなるし、老竜の演技もするし、都合の良いお助けキャラになって舞台を整えるのもするのだよ☆』
アタマがはてなマークでいっぱい。
『舞台は人間基準ではるか昔。エルフィード・ノーザンスティックスがこの土地に漂着したところからはじまりはじまり』
ドラゴンが顔を上げる。
日光がドラゴンの首で遮られ、再び影が差す。
目を慣れさせるために瞬きをすると、瞬間、目の前の巨体が消えた。
「ドラゴンはたまたま寄った山でぼーっとしていたら、ある日男がやってきて、出会ってしまったのです」
アスカがエルフの姿に戻る。
そして私の隣に腰を下ろしたので、少し距離を取るとそれ以上に詰めてきた。
ぴったり肩がくっついている。
「男はあたしの姿を見るなり斬り掛かってきた。微妙に鋭い魔剣エリスフィアに刺されて痛かったから、思わず踏み潰したね」
ふくらはぎを見せてきて、ここ、と指差す。
ドラゴンの脅威に震えつつ視線だけ送ると、足をぐっと近づけてきた。
……アスカの指し示す先のところ、よく見ると白い肌の中にかすかに赤い点が見える。
「ちっぽけな人間なんてそれで終わりかと思ったら、男はなんと生き返った。ぺったんこになった体がみるみる膨らみ、何事もなかったように起きがったのです。そんな面白そうな登場人物と出会い、首をつっこまざるを得ない。あの時のアスカちゃんは千載一遇のチャンスを逃さなかったのだ」
アスカがひょいと立ち上がる。
私の腰に手が回り、軽々担ぎ上げられた。
暴れて抜け出す気力も希望も勇気もなく、モノのように扱われる。
実際、ドラゴンにとっては、初代エルフィードも私もただのオモチャなのだ。
「事情を聞けば、男は重い女の束縛から命からがら逃げてきたらしく、必死に見逃してくれと命乞いしてきた。どうしようかと思った瞬間! その重い女、メトリィが転移してきてエルフィードをさらっていってしまった!」
世間話をするような口調とは反対に、アスカは私を抱えたまま木に飛び乗って枝から枝へと移るという、アグレッシブな動きの最中である。
無数の葉が高速で全身をかすり、痛みを感じる前に切り傷が一個二個と増えていく。
「当然、追うよね。あたしは怪しまれないようにエルフの姿に変化して、二人の愛憎劇を見守ることにしたの」
アスカが減速すると、水の匂いが鼻先をくすぐる。
小川に降り立ち、回復魔法をかけられた。
自分の腕を見てみると、血だらけだ。
涙がでてきて、鼻をすする。
「魔剣・エリスフィア、フローリエット・カラー、リリアンテ・アンクレット、アルシアン・ピン、クロルディル・リング。五つの拘束具で完璧なエルフィード監視体制を敷くメトリィ。狂うエルフィード。増えていく子供。爛れた生活を送ったメトリィは、ある日ふとラブラブ生活を思い出し、自分の肉体と摩耗したエルフィードを捨て、すべてリセットする決意を固めるの……!」
アスカは遠い過去の記憶をその目に映しながら、極めて作業的に私の服を脱がせてきた。
すっぽんぽんの状態で小川に投入され、冷たさに呼吸が止まる。
「そして時は巡り、ついにエルフィードの生まれ変わりとメトリィの器がそろった!」
アスカの焦点が私に合う。
口は半月に歪み、頬は上気し、呼吸は早い。
手は激しく私の体をこすり、汚れが流れていく。
「
私の辿ってきた道が、物語調に語られる。
「愚王が収めるこの地で生きるには、愛する人を守るための力が必要。
私の知らない未来の物語までも、語られる。
どこまでが真実で、どこまでが妄想なのか。
それを確認すると、私の人生が、苦労が、仕組まれていたことだと分かってしまう。
絶望を感じてしまいそうで、考えたくない。
「さて終わったから修行を始めようねぇ。目指せメトリィ討伐☆」
いつの間にか洗濯された服を着せられ、身体はすっかりキレイになった。
私は空を飛ぶこととなった。
・・・・・・・・・・・
外が騒がしくって、目が覚めた。
誰かに呼ばれたのかと思ったら、ノウス・リルフィという革命の合言葉。
窓の外を見ると、武器を持った平民たちと鎧をまとった騎士たちが衝突している様子だった。
ブランケットを押しのけ、そこでようやく現状を把握した。
ドラゴンから転落して、ベッドでの目覚め。
「……起きたね」
「っ!?」
背後から聞き覚えのある声に、寝起きの心臓が飛び跳ねた。
振り向くと、緑髪のゴシックドレス姿が目に入る。
エリス。
ここにいないハズのエリスの存在に、状況がまったく理解できなくなった。
「……寝起きで悪いけど、話があるんだ。ちょっと来てね」
今までのエリスとは思えないような冷たい目線。
返事をする間もなく、部屋を出ていってしまった。
「一体どういうこと……?」
どこからか夢を見ていたのか。
魔剣が出るように念じてみたが、反応はなく、その他の装備もなくなったまま。
王の遺産が外れたのは夢じゃない。
なぜ精霊がいるのか。
ベッドから降りて、恐る恐る部屋のドアノブに手をかける。
少しだけ開けてのぞいてみると、すぐそこにエリスが立っていた。
「……遅い」
エリスが半開きのドアを開け放ち、私の袖を引っ張った。
温厚なエリスらしからぬ行為に対応できず、引きずり出されるようにして廊下に出ることとなった。
体勢を正す間もなくエリスが移動し、ふらつきながらついていく。
エリスはこちらを一切見ずに歩き、隣の部屋のドアをノックした。
一呼吸おいて、中へ。
「アリア……?」
ソファで足を組み、ほおづえをつくアリア。
その脇に控える残りの精霊たち。
エリスに背中を押され、私はその前に跪くかたちになる。
そしてそのまま、沈黙。
誰も何も言わず、感情の宿っていない瞳で私を見下してくる。
私もどうして良いか分からず、アリアの口元をずっと見ていた。
その状態が続き、外の革命軍の叫び声が気になり始めた頃。
アリアが口を開く。
「リルフィさん」
他人行儀な呼び方。
散々打ちひしがれた私の精神に、トドメとなるような一言。
「あなたはもう不必要だから、もうパーティーは解消。いますぐ出ていってくれる? 顔も見たくない」
さらに追い打ち。
聞き返す声も出せず、ただ呼吸が苦しい。
「みんなで~、話し合ったんだよ~? ざこリルフィ~は~、お荷物~」
「我々の加護を失ったただの人間に、利用価値は皆無。ディスカッションの価値もない」
アリアの発言を機に、精霊たちが続々と私を切り捨てる言葉を投げる。
「むしろね……、リルフィちゃんは敵を呼び寄せるから、邪魔なの……!」
「クロルは他の皆さんと打ち解けられて今の環境が心地よいのですがあなたとは仲良くできそうにないのでいなくなってくれたほうが良いと思います!」
正論。
私は役立たず。
「……ボクもね、リルフィわがままに付き合うのに疲れたよ。早く消えてくれるかな」
パーティーの枷。
ゴミにもできない毒。
「もう顔も見たくないから、はやく出ていってよ!!」
アリアの大声に圧され、私は這いつくばって急いで部屋から逃げ出した。
チカラ加減もできず叩くようにしてドアを閉め、そのまま倒れ込む。
アリアから少しでも距離をとろうと、壁を支えに立ち上がり、足を動かす。
走り方も忘れてしまったみたいで、数歩も進めずに足が絡まってまた倒れ込んでしまう。
……しかし、その先には固い床の感触がなく。
柔らかいものに受け止められ、遅れて暖かさに包まれる。
顔を上げてその正体を探る。
「ドッキリ、大成功~☆」
アスカが、無邪気な笑みを浮かべていた。
「幻覚の魔法でパーティー追放体験!」
例によって肩に担がれて、アリアがいた部屋に運ばれる。
中には誰もいなかった。
ソファもないし間取りも違う。
「リルたんに必要なのは、どんな理不尽にも耐えうる強靭なメンタル。なのでこれから毎日追放されて、徹底的に鍛えていきましょう。覚悟してね!」
さっきの出来事が嘘だったと理解し、目から雫が落ち始める。
起きている間は常に泣いているんじゃないかと思うほどで、目元がひりひりする。
でも安心した。
「ここはマルキス領のとある宿。とりあえず気を失ったリルたんを近場の宿屋に搬入しました」
「……ぐすん。お金持ってない」
持ち物はすべてエリスに預けていた。
エリスが消えて、パニックになって、そのままここまで来ているから、お金もナイフみたいな小道具もない。
「あたしも持ってないけど魔法の力でチェックイン☆」
「前科を増やさないでよぉ……」
「ていうのは嘘で宿の人が革命運動中で無人だから実質無料」
どうやらこの建物の近くで集会を開いているらしく、演説が今も聞こえてくる。
アスカに下ろしてもらい、ベッドに倒れ込んだ。
喧騒のおかげで何も考えずに済む。
疲れたのでそのままずっと動かずに外の声を聴くことにした。
入れ代わり立ち代わり、様々な職業の平民が国への不満を言葉にしている。
田畑が魔物に荒らされるのは兵の怠慢だ。
年々増税する悪政を絶対に許さない。
魔法を使える貴族が権力を独占するのはおかしい。
革命という理由によって、それまでの抑圧が崩れ、民衆が声を上げる。
「さて、休んでいる意味はないからね。明るいうちに出ようね」
落ち着く間もなく、アスカに腕を掴まれて起こされた。
きびしい……。
「簡単な装備を買って、歩きで山まで行こ~」
手をひかれるままに宿屋から出た。
瞬間、目の前で爆発。
熱が肌を焼き、風圧が鼓膜を貫く。
すぐにアスカが回復魔法をかけてくれたので、なんとか持ち直したが……。
「私、本当に役立たずだ……」
「大丈夫大丈夫! あたしの手をとってしまったリルたんは、強くなるまで地獄を見続けてもらうから! こんなの序の口だね!」
「吐きそう」
煙が晴れると、路地には死体の山が出来上がっていた。
ついさっきまで集会をしていた人々。
しかし爆心地にいなかった人々は、まだまだ大勢生きている。
少し先には、貴族が率いる魔導士隊が整列していた。
そして理解した。
今の爆発は牽制の一撃。
そして次に来るのは制圧の掃射だ。
教科書どおり。
魔導士隊が初級魔法の詠唱を始め、生き残った人々に向けてそれを放つ。
私たちは宿屋に引っ込んだ。
火炎弾、石弾、風刃がすぐそこを通り過ぎる。
発動間隔が短い魔法が絶え間なく飛び、平民たちの命を奪っていくのだ。
3割ほど削った後、魔法の雨が止む。
民衆は悲鳴をあげて逃げ出し、あっという間に集会は解散。
これが貴族のやり方だ。
エルフィード王国民を統治するための圧倒的な武力。
平民たちによる小さな反乱程度では迅速に鎮圧される。
しかし今は状況が違う。
民衆が逃げていった方向から、白装束をまとった集団がやって来る。
それはメトリィ教団の革命軍。
元は不穏分子としてシエルメトリィに放り込まれた貴族たちである。
『神の名を騙る現王家に鉄槌を! ノウス・リルフィ!』
行進中に詠唱を完成させた上級魔法が、革命軍から放たれる。
初級魔法は対個人、中級魔法は対グループ、上級魔法は対軍隊。
規格ハズレの破壊力が、出現する。
水魔法・大海。
革命軍から放射状に水の波が発生する。
それは急激に水量を増していき、太陽の光が遮られ。
一瞬の静けさ。
そして全てが飲み込まれた。
真っ暗。
私は当然のようにアスカの魔法で守られていた。
魔法の泡の中で黒い水が流れるのを見送り、ときおり泡が変形して大きな瓦礫を跳ね返す。
次の瞬間、真っ暗だったところに閃光が走り、とっさに目を瞑る。
鈍い重低音が遅れて聞こえ、しばらくそのまま、手を伸ばした先のアスカの足に抱きついていた。
「もう大丈夫だよ」
アタマをぽんぽんと触られて、目を開ける。
水は消えていた。
それどころか、一切の人工物が消え失せていた。
転移したかと勘違いするほど、一変した景色。
「下品な魔法だったねー」
教団のいた方角には岩の壁がそびえ立ち、こちら側は草木一つ生えない湿った荒れ地。
大海の魔法は灼熱の魔法で蒸発し、狂風の魔法で蒸気を飛ばす。
四属性の上級魔法を連続で使用する軍隊魔法、名付けて整地。
貴族の軍はもちろん壊滅。
平然と上級魔法を防ぐアスカがおかしい。
そして何事もなかったかのように、手を引かれ、移動することになった。
『リルフィ様と、エルフ様が、降臨なされているぞ!!』
そのような言葉を背に受け、私たちは旅を続けるのだ。
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