第5話 雨上がりの光~エピローグ

 青白いLED照明の光を受けて夏実の顔はますます生気がなく見えた。


「日本語、なんてふざけた事を言うと怒られますね。じゃあ正直に言いましょう」

 遠野はゆっくりと腰かけていた階段から立ち上がり、ズボンについたほこりを払う。


「僕はあなたが夏実さんではないと確信しています」

 落ち着いた柔らかな声には謎の色気が漂っている。遠野ファンクラブの女子が聞いたらドミノ倒しに気絶してしまいそうなほど攻撃力が高い。


しかしすでに動揺している彼女にはそんなことを感じる余裕すらない。


「何を根拠にそんな事を言うの?」

 ぶるぶると声を震わせる彼女に、遠野は西条に説明した事と同じ内容を彼女にも語った。『夏実』の顔がますます蒼白になっていく。


「あなたの本当の名前、教えてもらえませんか?」

 説明し終えると、静かに遠野は尋ねた。


「ふん。私は何も教えないわ! やっぱりあなたが天使の雫を隠したんじゃない、早く渡しなさいよ!」

 彼女は髪を振り乱して、ヒステリックに叫んだ。


「僕は金切り声を上げる女も嫌いだけど、嘘をつく人間はもっと嫌いだ」

 眉間にしわを寄せ、軽く顎を上向けた遠野は冷ややかな目で彼女を見据えた。


「あなたに好かれなくて結構よ。それより天使の雫を寄越しなさい。私をこんな所に閉じ込めてどうするつもりなの!?」

「少し、静かにしてもらえませんか」

 遠野の低く威圧的な口調に女はぐっと口をつぐむ。


 沈黙に付随する静寂。そして静寂を打ち破るかのように激しい雷鳴が轟いた。


「やっぱり雷が来たか。お化けが出そうな良いシチュエーションですね」

 遠野の笑い声に、再び空を切り裂くような雷鳴が重なる。アスファルトにたたきつけられる雨音が窓のない書庫にも届いた。


「淑子さんがあなたを見ていますよ。天使の雫は諦めたらどうです?」


 女はビクッと身を引き、壁に背中を押しつけた。


「やめてよ、気持ち悪い! 私は諦めないんだから」

 そう彼女が言った時、部屋の灯りがチカチカと点滅を始め、彼女が短く悲鳴を上げる。


「趣味の良い演出だな……」

 遠野は苦笑して呟き、停電する前に確認しようと時計に目をやった。どこにでも売っているようなアナログの時計だが、シンプルなのが気に入っていた。

 時刻は五時過ぎ。センセイの手際の良さなら、もう本物の夏実は解放されてるかもしれないと遠野は思いながら、腕を下ろす。


 照明の明滅は止まない。

 雷鳴に混じって、地面を激しく打ちつける雨音がさらに激しくなってきた。


「何なのよ、これもあなたの仕業なの?」

 女は怯えた目で低い天井の照明を見つめ、その視線を遠野に移した。


「お祖母様の仕業しわざでしょう」

 遠野は腕を組んでにこりと笑った。


「嫌よ、早くここから出して!」


「僕に言われてもね。あの通り、扉は開かないんですから」

 遠野は後ろを振り仰いで肩を竦めた。


 女はつかつかと遠野に近づくと、ひらりと身をかわす彼の前を通り過ぎて、階段を駆け上がった。

 力任せにガチャガチャと何度もドアノブを回すが、やがて諦めたようにぺたりとその場に座り込んでしまった。


「だから閉所恐怖症じゃないか確認したんですけどね」

 遠野はコンクリートの壁に寄りかかって彼女を見上げた。


「あなたはこの扉が開かないことを知っていたの? それともそう仕組んだのかしら?」

 女は肩越しに彼を睨みつけた。


「ノーコメントです」

 遠野はにっこりと笑顔を返す。


 女が口を開きかけた瞬間、外から扉をゆっくりと強くノックする音が響いた。

 遠野はその数をカウントする。


 1、2、3……。


「サイだな」

 遠野は寄りかかっていた壁から背中を引き剥がした。


「誰でもいいわ、開けて!」

 女はドンドンと力一杯、扉に拳を叩きつける。


 カチャリと鍵の回る音がして、静かに扉が開かれた。

 女が飛び出そうと構えたが、目の前の人物に度肝を抜かれたのか金縛りにあったかのように足を止めた。


「夏実……」

 女は幽霊でも見たかのように体を強張こわばらせた。


 遠野はその背中を見つめながらゆっくりと階段を上がっていく。


「お義姉さん、もうあなたの好きにはさせませんから」

 西条と紺色のスーツ姿の男性に守られるように立っていた女性が、強い眼差まなしで女をとらえていた。


 彼女の胸元でキラリと何かが光る。その正体に気付いた女が瞠目どうもくする。


「天使の雫……! やっぱりあなたがったんじゃない!」

 女は後ろを振り向いて、遠野を怒鳴りつけた。


「僕はしかるべき後継者に渡しただけです」

 遠野はうるそうに侮蔑ぶべつの瞳を向ける。


「無事だったか、リン」

 鍵を手にしている西条が言った。


「うん。この通りピンピンしてるよ」

 遠野は首をくるりと回し、ピースサインをして見せる。


「全く、君はいつも無茶をする。夏休みくらい大人しくしてるかと思ったが、西条君から話を聞いてびっくりしたぜ」

 夏実の右側に立っていたスーツ姿の長身の男が呆れたような目で遠野を見た。


「月岡センセイ。来てくれてありがとうございます」

 遠野はパッと目を輝かせ、階段を駆け上がった。


「最初にあなたに紹介しましたよね、優秀な弁護士がいるって。センセイはとっても頭が良いんだよ」

 遠野は女に追いつくと自慢げに胸を逸らした。


「夏実さんから全てお伺いしましたよ、義姉の沼田佳誉ぬまたかよさん。株の投資に失敗して資金繰りが大変だと本家に相談しに来て、彼女から宝石のことを聞いたそうですね」

 月岡は苦笑しながら遠野の言葉を聞いていたが、表情を改めて黒いワンピース姿の佳誉に声をかける。


「あなたはそれを横取りしようと彼女を監禁し、宝石のありかを聞きだした。それで合っていますか?」

 月岡の話を佳誉は唇を噛んで聞いている。


「警察に通報しようと思えば、すぐにできたのですが、夏実さんがしなくて良いとおっしゃったので」

 佳誉はそれを聞いてぽかんとした後、鼻で笑った。


偽善ぎぜんね。私はあなたを監禁したのよ。警察でも何でも連れてけば良いじゃない」

 佳誉は夏実をにらんで吐き捨てるように言った。


「お義姉さんはなぜ家を出ていったのですか? お祖母様が亡くなられてからずっと家は暗いままでした。毎日息をするのも辛いくらい空気が重苦しくて」

 夏実はそっと天使の雫に手を触れた。白い指先がブルーダイヤを包み込む。


「それは……。家にいると優しかったお祖母様がいなくなったことを嫌でも実感させられるから……。血のつながっていない私にさえ本当の孫のようにかわいがってくれた。もうこの世にいないなんて信じたくない。だから現実から目を逸らして馬鹿みたいに散財して……」

 佳誉の瞳から涙が一粒零れた。


「あなたが羨ましかった。天使の雫のことを知っていたのは夏実だけ。やっぱり血がつながった孫の方が大事なんだって、そう思ったら頭に血が上って……」


「それはきっとお見舞いに行った時にたまたま白いワンピースを着ていたからだと思います。お祖母様もそれまで忘れていたようでした。でも皆さんに話そうとしているうちにお祖母様の容態が悪くなってしまって……」


 それを聞いた佳誉は目を見張った。


「白……? 黒じゃなくて?」

 夏実がゆっくりと首を縦に振ると、肩まで伸びた真っ直ぐな黒髪がつられて揺れた。


「お祖母様の思い出の品を私もこの目で見てみたかったんです。お祖父様からも大切な贈り物を。だからワンピースの色や夢の話は全部嘘です。先に見つけられたら二度と見ることができないだろうって思ったから」


「呆れた……」

 佳誉は自重気味に笑った後、涙を拭ってため息をついた。


「本当に警察へ連れていかなくていいの?」


「はい。天使の雫も必要なら……」

 首の後ろに手をかけネックレスの留め具を外そうとする夏実の腕を佳誉がつかんで下ろす。


「ごめんなさい、もういいわ。お金のことは自分で何とかする」

 佳誉の言葉を聞いた夏実はホッとしたようにうなずいた。


「あ。いつの間にか雨が上がりましたね」

 窓から明るい日が射して、遠野が窓辺に歩いていく。本棚の陰に回った彼が腰をかがめて持ち上げたものを見て夏実と佳誉が息を吞んだ。


「それは……!」

 白いワンピースを着て、眩しそうにはにかんでいる女性はどことなく夏実に面影が似ている。


 ゆっくりと歩み寄る彼女の胸元で、青く澄んだダイヤが清らかな光を放っていた。


                 ※


 

 

 翌日。

 空は今日も雲一つない。クラブハウス棟の近くにある木に留まっているのかセミの鳴き声がいっそう暑苦しかった。


「知子ちゃん、来ないな」

 西条は遠野に話しかけた。


 部活動は一応毎日と決めているが、必ず来なければいけないわけではない。家にいても暇だからほとんど遊びに来ているだけのようなものだ。しかし今日は時間になっても知子だけが現れていなかった。


「アイスの食べ過ぎで、お腹でも壊したんじゃないの~?」

 遠野は扇風機を顔のぎりぎり近くまで寄せて、風を独り占めしていた。おかげで声が宇宙人のようなヘンテコな声に聞こえて、西条はがっくりと肩を落とした。


「別人……だよなあ」

 横目で彼を流し見て西条は呟いた。


「ほら、ちゃんと来たみたいだぞ。あのリズム感のないスキップは僕が知る限り一人しかいない」

 遠野は顔を上げてそう言った。


 西条が耳を澄ましてしばらくすると、その不規則な足音が聞こえてきた。


「お前、耳も良いのか」

 西条はため息をついた。


 やがて、その足音は部室の近くまで来て、止んだ。

 昨日の今日だから入りにくいだろうなと思い、西条は彼女に何か声をかけてやろうとしたが、それより先に遠野が口を開いた。


「どうやら、うちの天使は遅刻しちゃったようだなあ」

 遠野は眠気たっぷりの、のんびりとした口調で言った。


 すると、タタタッと駆け寄ってくる音がして、制服姿の知子が姿を見せた。


「部長! 今あたしのことを天使って言いましたか?」

 知子は部室に顔をのぞかせるなり、ぱあっと明るい笑顔をみせた。


「やあ、遅かったね。言ったよ」


「わぁい! 部長に天使って言われちゃった! 生きててよかったぁ。あれ、深沢先輩は?」

 知子は矢継ぎ早に話すと、首を傾げた。


「例によって買い出し。あいつ、ジャンケン最弱だな」

 遠野は目をつむって言った。


「じゃあ、手伝ってきますね。なにしろ、あたし天使ですもん!」

 知子は机の上に鞄を投げ出すと、突風のようにコンビニに向かって駆けていった。


「素直が一番だよね」

 遠野は得意気な顔で西条に片目を瞑ってみせた。


 西条は関心し過ぎて、ため息すら出ないのであった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天使の雫 宮永レン @miyanagaren

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ