2029/07/16(月) - 現実を開始しますか? -

最終話「気持ちが強くてNew Game」

 一学期の最後の一週間が始まった。すでに見切り発車で休暇に気分を投じて、学園内の朝はこがれるような熱気に満ちていた。


「あれっ? 朱崎アケザキさん、髪……へーっ、今日は三つ編みじゃないんだ」

「ホントだ、どしちゃったの。夏休みデビューならぬ、夏休み前デビュー!?」


 教室の後、たなの上に並ぶ鉢植はちうええを見渡し、緋瑪ヒメは振り返る。日課である生き物係の水遣りを終えた彼女は、朝からドライヤーと格闘してストレートにした髪が、ふわりと揺れた。彼女は緊張する自分を自覚し、それを以前より少しだけ上手に隠して微笑ほほえんだ。

 貴石きせきが静かにかがやくような、朝露あさつゆつぼみが花開くような……自然と相手と共有できる笑みだった。


「おはよう。そ、そんな感じ、かな」

「えーっ、でも何かいいよ。うん、今時いまどきさ、三つ編みって何か野暮やぼったいもん」

「ホントホント、何か変わったよ印象……」


 ――変わるのは、これから。

 そう心に結んで、緋瑪は小さくうなずく。

 仮想現実バーチャルリアリティの世界を取りあえずは終わらせ、緋瑪は再び現実世界へと帰ってきた。自ら進んで関わり、自分ごと世界を変えてゆくために。

 【石花幻想譚】――今では第一幕と呼ばれる物語で、緋瑪は英雄になった。しかし、生まれ変わったかのように全てが刷新さっしんされることはないし、今でもやはり他者との接触はおっかなびっくりだ。だが緋瑪は、それで充分だと思った。ほんの少しでも、確かに変ってゆけるから。

 気付けば緋瑪は、もう一人の自分を演じてたクラスメイトをびていた。


「あァ!? んだとゴルァッ! もっぺん言ってみろやぁ!」

「おーおー、朝からテンション高ぇな。加賀野カガノさ、あんまやり過ぎると先生にばれっぞ」

「それにもう、伊勢谷イセヤには現実逃避がないんだからさ。あ、いや……ま、九月までないか」


 待ち人、きたる。

 峰人ミネトが教室へ、スッ飛ぶように転がり込んで来た。

 そのまま教壇きょうだんにぶつかり、すぐに彼は立ち上がる。

 おどろく緋瑪は小さく飛び上がり、思わず両手で口をおおった。……なんだかゲームに慣れ過ぎたせいで、オーバーリアクションな自分が少しだけおかしい。だが、緋瑪はそんな自分に笑ってもいられなかった。

 周囲の女子たちは皆、呆れたように笑った。


「あーあ、朝からまたやってるよ。それより朱崎さん、土日で何かあったの?」

「あ、私もそれ聞きたーい。ねえねえ、教え――朱崎さん?」


 すい、と一歩、確かに緋瑪は歩み出る。クラスメイト達が呆気あっけにとられる中、「ちょっと、ゴメン」と残して、彼女は教室の前へと進んだ。

 きずに我が身は律儀に強張こわばり、心拍数上昇、呼吸不安定。だが、緋瑪は迷わないし止まらない。鼻の奥に集束してゆく熱を感じても、緋瑪にしては毅然きぜんと歩いたつもりだった。

 目の前では今、一人の少年が勇気を試されていた。


「何度でも言うよ、加賀野くん。僕はもう、加賀野くんの言いなりにはならないから」

「ハァ!? お前、何言ってんの!? もう一発もらいてぇのか、オイオイィ」


 峰人の襟首えりくびを加賀野がつかむのを見て、緋瑪は歩調を強める。しかし、たちまち集まる少年少女が、むれを成して壁を作った。皆、真っ向から加賀野に刃向う峰人が珍しいのだ。

 最も、緋瑪にはそれは当然にも思えた。自分が変わるように、峰人も変わろうとしているのだ。

 女子の間から悲鳴があがった。再度、加賀野が峰人を殴ったのだ。

 教卓きょうたくに身をえて、峰人の頭から【エルフターミナル】が外れて床を打った。

 そのかわいた音は湿しめった夏の熱気ではなく、緋瑪を寒さの厳しい冬へといざなう。

 季節は冬、場所は廊下……そう、あの日も峰人の【エルフターミナル】は宙を舞い、タイルにはずんで転がった。それを拾い上げたのが、半年前の緋瑪だった。


「おい加賀野、やりすぎだっつーの……朝から熱くなんなよ」

「伊勢谷も早く謝っちまえよ、痛いの嫌っしょ? な?」


 加賀野の取り巻きが呆れた口ぶりで、両者の間に割って入ろうとした。クラスメイト達の人垣ひとがきけ、緋瑪は野次馬やじうま達の最前列に躍り出るや両手を伸ばす。

 突如そでを掴まれた取り巻きコンビは、緋瑪の顔を見て不思議そうに首をひねった。その頭上には恐らくゲームなら、巨大な疑問符が浮かび上がっていただろう。


「待って。やらせてあげて」

「あ? あ、ああ……つーかどうした、赤崎アカザキ? だっけ?」

「つーか初めてじゃね? 俺等こうしてしゃべるの」


 振り向き立ち止まった二人を緋瑪は下がらせる。

 彼女は一度胸に手を当て呼吸を落ち着かせると、はっきりと言い放った。


「私は朱崎緋瑪アケザキヒメ。これは、伊勢谷くんの挑戦だから。その、上手うまく言えないけど」

「そりゃいいけどよ、俺等が止めねぇと加賀野もやりすぎちまうし」

「俺等だって別に、本気でいじめてる訳じゃ……あ、何? お前等、そゆ仲なの?」


 緋瑪は峰人の【エルフターミナル】を足元から拾い上げると、それを両手で包んで見守った。同時に、首を横に振って否定する。


「違うよ。


 ――伊勢谷くん、頑張って。

 心なしか、【エルフターミナル】を握る手に力がこもる。緋瑪の視線の先で小柄こがらな峰人は、加賀野に圧倒されていた。怯む事無く真っ直ぐ見詰める峰人の鼻から、赤い筋が伝う。それに気付いて峰人は、ぐいと手の甲で拭った。

 【ブライダリア】のヒメだった面影おもかげ微塵みじんもなく、相手へ反撃しようともしない峰人だが……決してあやまくっする素振そぶりを見せない。


「もう一度言うよ、加賀野くん。お昼なら、一緒に買いに行こう。僕はもう、お昼ごはん代を巻き上げられたりはしない」

「一緒に行こう、だぁ?」


 加賀野が眉根まゆねを寄せて八の字を作り、その上に血管を浮かべる。しかし、峰人は言葉を続けた。震えて上ずるその声音こわねは、彼の必死さの表れだった。


「僕はもう、使いっ走りにはならない。けど、。先週末に言ったよね、僕は何も失わない……むしろ手に入れるって。それ、勇気なんだ。自分の意思を相手に伝える、ほんのちょっとでいい、勇気なんだ」


 ゴン! とにぶい音を立てて、加賀野のゲンコツが峰人の脳天のうてん炸裂さくれつした。が、それは殴るというよりは、ただ押し当てたような一撃だった。かろうじて振りあげた拳の落し所をみちびかれた加賀野は、嘆息たんそくして背を向けた。


「ばっ、ばっかじゃねーの! ネットゲームのやりすぎで、頭おかしくなったんじゃね?」


 遠巻きに見守るクラスメイト達は、加賀野が近付くと自然と左右に分かれて道を作った。その真ん中を自分の席へ大股で歩く加賀野は、やれやれと後を追う取り巻きコンビの奥から振り返った。


「……チーズバーガー、どこで買ってんだよ。おせーんだよ、いっつもよ」


 加賀野の背中に、峰人は頬を緩めて笑った。


「駅前だよ、走って十分ってとこかな。ゲームと違ってリアルじゃ僕、足遅いから……」

「例のゲームも終ったことだしよ、手前てめぇもちったー身体からだ鍛えろや。駅前? バーカ、遠いじゃねぇか。バカだな、クソッ……」


 身を投げ出すように自分の席に加賀野はおさまった。一件落着と誰もが安堵し、意外な結末の理由をささやき合いながら、いつもの朝へと教室の空気を換気させていった。

 そんな中、峰人と緋瑪だけが取り残された。


「伊勢谷くん、はいこれ……わたし、思い出したよ。半年前の、冬のこと」


 そう言って緋瑪は、峰人の頭へと【エルフーミナル】をかけてやる。

 それは転入を翌日に控え、母と共にこの私立白台学園しりつはくだいがくえんを訪れた日の思い出だった。緋瑪は確かに、苛められっ子が蹴っ飛ばされて転び、その頭から外れた【エルフターミナル】が転がるのを見た。

 恐る恐る拾い上げ、放ってはおけぬとすくむ自分を叱咤しったして……あの時も緋瑪は、峰人へと【エルフターミナル】をかけてやった。鼻血を流しながら。

 今日は赤いしずくの代わりに、心からの笑顔がこぼれた。


「あっ、ありがとう……朱崎さん」

「ん。ねえ伊勢谷くん、わたしに秘密にしてること、ないかな」

「え、えっ……ええと。うん、秘密と言うか……えっと、その」

「わっ、わたしもあるよ、伊勢谷くんに言わなきゃいけないこと」


 周囲の声が遠くへとフェードアウトしてゆく。

 緋瑪も今、勇気を振り絞って……ままならぬ我が身から言葉をしぼした。峰人と全くの同時に。


「あっ、あの! 僕、実は朱崎さんのことを――」

「わたしね……実は伊勢谷くんのことね――」


 互いの秘密がはじけて溶け入り、二人は現実世界を共有した。

 そしてそのまま、二人だけの未来へと分岐ぶんきしていった。

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Brave Week Online ながやん @nagamono

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