第29話「エンディングと、その先と」

 世界の終わりがはじまった。


 空に走る光の文字は、長年にわたる運営に関わってきたスタッフ達の名前らしい。浮かんでは消えるスタッフロールに、この場に居合わせた誰もが言葉を失い、ただ見上げるしかできない。それは世界のどこからでも恐らく、はっきりと見えるだろう。

 同時に、運営チームの公式アナウンスが粛々しゅくしゅくと響く。それは普段の抑揚よくように欠く事務的な響きではなく、オープニングを語った情緒感じょうちょかんあふれる声だった。


『終わりとはじまりをつなぐ者……【エンシェントハング】は倒された。今こそ頚城くびきを解き放ち、世界は創まりへと回帰かいきする。活目かつもくせよ! 【ブライダリア】に解放の時、きたれり!』


 瞬間、突然の強風に緋瑪ヒメは目をおおった。周囲の悲鳴を聴きながら、思わずにぎるヒメの手に力がこもる。温かなその手は、しっかりと握り返してきた。


「お、おい! あれを見ろっ! くそっ、フレにメールだ……何だありゃ!」

「なんてこった、【ブライダリア】は、この世界は――」


 四方から驚きを叫ぶ声が上がり、緋瑪はまぶたこすりながら目を見開いた。

 世界を覆う白い闇は消え去り、立ち込めていたきりが綺麗に晴れていた。


「これが、エンディングか……セキトさん、立てる?」

「う、うん。あれは? くさり、なの?」


 【ブライダリア】をぐるりと囲んでいた、分厚ぶあつい霧のヴェール。それが隠していたのは、はるか天空へと無数に伸びる鋼鉄の鎖だった。【ブライダリア】の中心からでも目視できる、それは太く巨大な重金属の縛鎖ばくさ。その先は空の彼方にかすんで見えない。

 【ブライダリア】は、


 ――ビィン!


 轟音ごうおんを立てて遥か遠くで、世界を支える鎖が弾ける。


 ――ビィン! ビィン!


 続けて次々と、くだけるそばから空気に溶けて鎖は消えていった。

 立ち上がった緋瑪はヒメとい、かたわらに歩み寄るサユキやアルと一緒に世界の終わりをながめていた。騒がしかった周囲は今、水を打ったように静まり返っている。メールを送るべくメニューを開いたり、使い魔の類を呼び出していた者達も唖然あぜんとしていた。。

 最後の鎖が断ち切られるや、【ブライダリア】は音を立てて沈み出した。

 呆れたようにサユキが溜息を零す。


「参ったわね、これは……公式のストーリーなんて、何年も前に更新止まってたから」

「友よ! 今日が【ブライダリア】最後の日! 我輩わがはいは今、猛烈もうれつ郷愁きょうしゅうを感じているっ!」


 腰に手を当て立ち尽くすサユキを他所よそに、アルは緋瑪とヒメの肩を抱くと……感極かんきわまって泣き出した。緋瑪も自然と、ほおを伝う一筋の光を手の甲でぬぐう。


「あの、わたし……【石花幻想譚せっかげんそうたん】のこと、よく知らないです。この間、始めたばっかりで……でも、もう終わりなんだな、って……凄く、寂しいです」

「僕もさ、セキトさん。みんな一緒だよ。でも、これで良かったんだ……多分。だから、エンデウィルが示した未来へ、胸を張って進もう」


 解けた髪を風に遊ばせ、ゆるやかに落ちてゆく世界の中心でヒメは微笑ほほえんだ。緋瑪も自然と、素直な笑みを返してうなずく。

 その背後では、虚ろな呟きが誰にともなく零れ落ちた。


「終る……私の、【ブライダリア】が……理想郷ユートピアが、落ちてゆく」


 【ロード・ブライダリア】は一人、まるで夢に彷徨さまようように力なく崩れる。その姿にもう、威厳いげんに満ちたGMゲームマスター面影おもかげはない。しかし緋瑪は不思議と、嫌悪けんお忌避きひの気持ちが浮かばなかった。彼もまた、エンデウィルと同じだったのだ……ただ、少しだけこの世界での使命を取り違えてしまっただけ。


「不眠不休のGMは、実はデータのかたまりだった、か。つーか、今日の事件でしばらく公式サイトとSNSはパンクね。今頃はそれより、運営に不具合報告が殺到さっとうしているかも」


 多くのプレイヤーにとっては、最後のイベントクエストは消化不良に終っただろう。万端の準備を整えて集ったものの、GMの突然の不正ユーザー処断にはじまり……ふたを開けてみれば、開始と同時にラスボスは一撃で倒されてしまった。

 だが、不思議と周囲から緋瑪達を責める声は上がらなかった。

 衝撃の展開がもたらすメンタルダメージが回復し、集中力や精神力といった変動パラメーターが安定した今、冒険者ぼうけんしゃ達は残された時間を有意義に使おうとしていた。

 親しい者が待つ場所へ、長年ホームタウンとして暮らした街へ……あるいはもう現実へ。落下してゆくブライダリアから、ログアウトと分岐ぶんきの光が無数に飛び交う。誰も彼もが、各々おのおの自分の移動方法で山を降りて行く。

 感慨にふけっていると、不意に緋瑪の背後でサユキがにんまり笑った。


「っと、それよりヒメ? むっふっふ、お姉さん聞いちゃったわよん? やっぱりこの格好って、ヒメの好きなの……うーん、若い若いっ! そっか、これは三角関係さんかくかんけいかー」

「ちょっ、どこ触ってるんですかサユキさん! それは、その……は? 三角関係?」


 くれない拳士モンクは顔を真っ赤にした。

 まるで自分が触られてるような気がして、緋瑪も真っ赤になった。


「サ、サユキさん! は、恥ずかしいのでその、止めてくださ……ヒメ、逃げてよもう」

「セキトくぅん、お姉さんセキトくんのことも応援してるから……ここまで一緒に戦ったんだし、メールアドレスでも交換して、ね? むっふっふ、ガンバレ女の子っ」

「ハッハッハ! これにて一件落着! して、友よ。今後のことだが」


 アルが高らかに笑いながらも、誰もが気にして口に出せなかった話題に触れる。今、四人の仲間の唯一の接点が、静かに思い出へと消え去ろうとしていた。

 誰からともなく、これからのことを語ろうとした瞬間。

 これからも――その一言を互いに引き出しあった緋瑪達は、突然の轟音おぐおんを聞いた。同時に激震げきしんに大地は揺れて、思わず緋瑪はヒメの腕の中へと倒れ込む。

 サユキは、驚きすがりついてきたアルを引き剥がしながら笑っていた。


「ありゃ、いよいよ終末の時って感じ? 今日の午前零時まで待ってくれないのねぇん」

おさまった。もう、エンデウィル……少し乱暴だよ、このゲームのエンディング」


 去りし友へと文句をつぶやく、緋瑪のほおを一滴の雨粒あまつぶが打った。見上げれば快晴の空は、太陽が小さく遠い。長かったスタッフロールは『……and You!!』の文字を最後に途切れた。同時に音楽もフェードアウトし、突然の雨が降り注ぐ。

 くちびるに触れる雨粒は、めると塩辛しおからかった。

 そして、エンデウィルのあの声が静かに響き渡る。


『今、ブライダリアは地表へと帰還を果たしました。鉱石よりも固く、宝石よりもまばゆい……磨かれた石のごとき、冒険者達の意思いしの力で』


 聴き慣れた優しい声が緋瑪の鼓膜こまくでた。

 天より舞い降りる福音ふくいんは、確かに右手にずっとあった、相棒の声だった。


はなはなと散り、確かなみのりを結ぶ……ようこそ、結実けつじつの大地へ。かつ咎人とがびととして天空へ追放されし、【ブライダリア】の民よ。広がる新たな冒険の世界へと、目を凝らしてください』


 叩き付けるような海水の集中豪雨が終ると、けむる地平線の――否、。【ブライダリア】をぐるりと囲む、海の向こうに新たな大陸を。


「これが……結実。可能性、未来……新たな、理想郷ユートピア


 弱々よわよわしく遠景へと目を細めて、【ロード・ブライダリア】が手を伸べる。そのすすけた背中をみながら、サユキがぽつりとこぼした。


理想郷ユートピアってでも、『どこにもない場所』って意味なのよね」


 その言葉に緋瑪は、己の胸の内につぶやいた。

 それでも理想郷を求めてしまうのが、きっと弱くはかない人間だから。ならば現実で、自分の足で歩いて探そう。時々は仮想世界バーチャルリアリティに安息と冒険を求めながらも……どこにもない場所へと歩き出そう。結果を恐れず、強請ねだらずに。


『これまで【石花幻想譚】をプレイしていただき、まことにありがとうございました。運営チーム一同、心よりプレイヤーの皆様へ感謝いたします。なお、エンディングの解放により、九月一日より【石花幻想譚】は。どうぞご期待下さい――』


 クリアボーナスの申請に関するアナウンスを残して、エンデウィルの声は去った。

 緋瑪は仲間と一緒に、これからの四人へと思いをせた。

 未知なる神秘と冒険の新大陸へ向って、雨上がりの空ににじの橋が掛かった。

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