第10話 あの後の一朝

 汐実と曖は、サラリーマンが挙って駅に向かっている様子を見かけながら歩いていた。互いに目は合わせずに、心なしか化粧の崩れた曖はただ只管に、周りの建物を見ることも無く前を見て歩いている。

 

 咲はなぜ死んでしまったのだろう。どうやって命を絶ったのだろう。咲は何を理由にこの世から去ってしまったのだろう。二人は随時咲のことしか考えていなかった。彼達の身に宿る生身の足は、ただ互いが同じ方向を歩くためだけに稼働していた。

 

 曖は今、友人の死をその身に実感し始め、どのような気持ちを抱いているのだろうか。その足が行く先は、一体どこに向かっているのだろうか。汐実は曖の顔を見ることができなかった。曖が泣いていたとしても泣いていなかったとしても、ただ前を見て歩いていても自分の足元や地面を見つめて歩いていたとしても自分には何もできないと察したからであった。曖はこの後どのような気持ちを抱いて過ごすのだろうか。二人は会話も無く厳かに構える駅まで向かっていた。


 「私はここで。そろそろ始発の時間だから」

 朝を迎えた男と女は、駅の改札前に到着した。曖の声に力を感じない。本日の業務の為に帰路を辿る彼女は、友人が死に、ふと気が触れてホームにその身を投じてしまうのではないだろうか。

 「今日はキヨミの湯で休んだ方がいいんじゃない?」汐実は曖を心配にかけた。

 「大丈夫よ。私は死んだりしない」曖は笑顔こそは無いものの、汐実の目を見てそう言った。

「荷物はキヨミの湯に置いたままだし、着替えて昼ごろ行ってもいいかな」

 この人のバッグも洗濯している服も、今はキヨミの湯にある。致し方ない、この女は自ら命を絶つことはまずないだろう。でも万が一そうなってしまったとしたら、咲の未練も残ってしまうし、自分の中でも残ってしまう。それはとても面倒だ。汐実は心なしか、瞬時にそう思った。

「必ず生きたまま、キヨミの湯に来てほしい。そうしないと俺がおばあちゃんに怒られる」

 そう思いながらも、つい必ず、と言ってしまった。一種の呪いのように感じてしまうその一単語の抑制力は計り知れない。

「心配してくれているのね」

 どうしてそう言えるのか。何を整理したらそこまで冷静でいられるのか。

「汐実君って優しいのね、ありがとう」そう言い放ち、曖は駅の改札を通った。

 咲に言われた"優しい"という言葉を聞いて汐実は思い出した。以前、清にも言われたことがある。武臣が死に、しくしくと泣いている清のそばで汐実はただ一言何かを清に伝えたのだ。何を言ったか忘れたし、そう言われて嬉しいというものではないが、清がかつて告げた言葉を言った曖を見て、汐実の中にあった一抹の不安は少しばかり消え去った。


 曖と一先ず別れ、汐実は咲が曖を見つけた途端に叫んでいたあの言葉を思い出した。あれを伝えるべきか。ふとした時に曖に伝えられた、あの感謝の一言が今生の別れのようにも感じてしまう。あの一言をを伝えてしまったことで、もしかすると曖が動揺してしまうかもしれない。何か恐ろしい行動を取ってしまうかもしれない。咲の親族はあれを知り、どうなってしまうのだろう。

 汐実はたった数時間で起きた出来事に頭を抱えていた。霊から知った情報をどのようにするべきか。何が正しいのか、何をすれば解決となるのか。久しぶりに見る、一朝の明かりを灯すK町は目を伏せてしまうほどに眩しい。朝の支度をする為、汐実は足早にキヨミの湯に戻っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

湯気の行く先は 傘磯 吸 @sosuu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る