猫舌ゴチソウ帳 第2皿「のっぺらぼうを味わう」

神田 るふ

猫舌ゴチソウ帳 第2皿「のっぺらぼうを味わう」

 またのお目見え、恐悦にございます。

 さて、本日のお題はのっぺらぼう。

 「富士見L文庫×カクヨム 美味しい話&恋の話 短編小説コンテスト」で私が投稿した「闇鍋ノッペラボウ」という小説のお題とした妖怪ですが、この中でムジナの肉やワンタンを出したのはもちろん意味があります。

 まず、ムジナについては説明不要でございましょう。

 小泉八雲の「むじな」を出すまでもなく、日本では古来より人を化かす動物として知られていました。『日本書紀』に「ムジナが人を化かした」という記録が出てくるくらい、日本ではムジナとは人を化かす生き物という通説が広がっていたのですね。

 さて、ムジナと聞くと狸をイメージされる方も多いかもしれませんが、もともと、中国では狸とは野生の猫、すなわちヤマネコを指す言葉でした。「かちかち山」の狸の様に人を化かして食べてしまうような残虐な狸のイメージは、実は本来の狸、つまりヤマネコのイメージなのですね。一方、同じ「かちかち山」で兎に騙されて散々な目にあう間抜けな狸は我々が知っているあの狸のイメージから来ています。これは奈良時代、「狸」という字を中国から輸入した時、日本にはヤマネコどころかイエネコすらいなかったため、仕方なく山にいる猫っぽい生き物として狸が選ばれた、というのが通説です。

 さて、「かちかち山」で出てくる狸汁。

 お爺さんは大喜びっでうまいうまいと食べますが、実際のところ、狸の味は「非常に美味」と「極端にまずい」という両極端な評価があります。私が投稿した「闇鍋ノッペラボウ」でちょっとした種明かしがされていますが、どうも美味しいのはアナグマの肉、不味いのは狸の肉だったようです。狸もアナグマもよく似ているのでイメージが混在されたとみてよいでしょう。実際、ムジナとは本来アナグマを指す言葉だったというのが有力説です。狸もアナグマも見た目や性格、さらには死んだふりという習性すら似ているため、両者が間違われたのも無理はありません。

 余談ですが、狸汁という料理が実際にあります。

 これは肉ではなくこんにゃくを使った、所謂精進料理なのですが、それについて面白い話があるので、ここで一席。

 時は将軍綱吉の時代、ある厳冬の時節、綱吉が懇意にしていた高僧が江戸城にやってきました。幕閣が「何かお食べになりますか?」と僧に聞いたところ、「体がすっかり冷え切ったので狸汁をいただきたい」という返答。これを聞いて幕閣はびっくり。知っての通り、世は生類憐みの令が布かれ蚊を殺しただけで重罪に処せられる時代です。何かの聞き間違いかと思った幕閣は「それで、その狸汁とはどのようなご料理で?」と改めて問いたのですが、高僧、からからと笑って「なに、つぶして切り刻み、油で炒め、その後、出汁で煮るのじゃよ」と即回答。幕閣は青ざめ「あいにく食材を切らしておりまする」と平身低頭謝ったというお話。いわゆる、けんちん汁の類なのでご家庭でも簡単にできます。油が跳ねるのでご注意を。

 さて、汁の話がでましたので、次はのっぺらぼうの汁、のっぺい汁の話です。

 のっぺらぼうの「のっぺら」とは「滑らか」が原意だと言われています。「ぬらぬらしてつかみどころのない」という意味なのですが、くず粉でとろみをつけた野菜の煮込み、「のっぺい汁」がのっぺらぼうの語源となったと多田克己先生は仰っています。のっぺらぼうというポピュラーな妖怪の名前のルーツが食べ物にあったというのは面白い説ですね。この説を元にして「闇鍋ノッペラボウ」ではタイトルの通り、闇鍋という料理を出しました。のっぺい汁も闇鍋も混沌というイメージがぴったりです。

 そうそう、混沌。

 「闇鍋ノッペラボウ」ではヒロインが闇鍋にワンタンを入れるのですが、このワンタンの語源は混沌=渾沌だと言われています。渾沌とは『荘子』に出てくる神様で、目も鼻も口も耳もない、まさにのっぺらぼうな神様なのです。小説の中で主人公和多さんの悪友が「ノッペラボウを殺す方法」として「顔を与えてやることだ」と言っていますが、その元ネタが『荘子』の渾沌の話です。

 ある時、渾沌は神々を宴席に招きました。神々は渾沌に顔が無いことを哀れに思い、渾沌の顔に目、鼻、口、耳と七つの穴を開けていったのですが、顔が完成した途端、渾沌は死んでしまったというお話です。混沌に顔という秩序が与えられてしまったため、渾沌は命を落としてしまった、つまり、混沌と秩序は相反するのだという寓意だと言われています。

 さて、中国では小麦粉でつくった皮に餡をいれたものをコントンと呼ぶのですが、これがなまってワンタンになったとされています。ちなみに、ワンタンも餃子も同じ料理です。餃子とは本来正月の時に特別につくるワンタンのことを指していました。年末につくるワンタン=餃子の中のいくつかには貨幣が入れられ、それを食べ当てた人は一年間幸運になれるという俗信があったと言われています。イギリスにもクリスマスの晩に食べるクリスマスプティングの中に金貨が一枚入れられ、中国の餃子の俗信と同じように金貨が当たった人は一年の幸福を約束されるとされました。

 度々の余談ですが、東欧ではひき肉の餡を小麦粉で作った皮で包み、スープに入れてゆでて食べるという水餃子のような料理を正月に食べる地域があります。あくまで憶測ですが、東欧はモンゴル軍が侵攻してきた地域であるため、ひょっとしたら、モンゴル軍に従軍してきた漢人の食習慣がそのまま残ってしまたのかもしれません。

 のっぺい汁を食べる機会はそうありませんが、ワンタン=餃子を食べる機会は日常的にあるはずです。今日、餃子を食べたあなたは渾沌という神様を食べたことになりますね。ちなみに、渾沌はウントン、つまり饂飩(うどん)の名前のルーツでもあるのですが、これはまた別の機会にいたしましょう。


それでは、今宵もごちそうさまでした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

猫舌ゴチソウ帳 第2皿「のっぺらぼうを味わう」 神田 るふ @nekonoturugi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ