**6 少年**

「まったく、スラムの汚い小僧がベタベタとソウに近づくんじゃない」



 そんな、声をぼんやりと聞き取りながら、僕はチックに飛びつくようにして駆け寄った。

「チック!」

 返事はない。僕は素早く薄い手袋をして傷口に触れた。

 銃弾が肩をえぐってめりこんでいた。手元が震えて上手く傷口を確認できない。指先に脈を探り当て、ようやく視界が落ち着いた。

 傷口が致命傷ではないのを確認したところで、いやに耳につく猫なで声が僕の思考を遮った。


「君はソウの扱いがずいぶんと上手いようだね。こんなに楽しそうなソウを見るのは久しぶりだ」

「……」


 僕は男を睨みつける。

 目の前の男は、僕らとはまるで違う姿をしていた。日焼けしていない肌に、スラムの子には名前も分からないような光る素材の服。何より肥ったその体型から、誰の目にも上位貴族なのだと分かるだろう。

 そして男は、思いもよらないことを、涼しい顔で言った。




「どうだい、君、私専属の庭師にならないか?」




「……冗談はやめてくれ。僕に興味なんてないだろ」

 僕はチックの傷口を押さえながら、男を睨みつけた。チックは気を失っているけど、ちゃんと手当てすれば助かるはずだ。


「興味あるさ。君の知識量と経験の深さ、そして何より家柄にね」

「……!」

 僕は奥歯を噛みしめた。


「タクト……あなたは、ただのスラム出身の子ではないの?」

「……」

 ソウが戸惑ったような声で聞いてくる。僕は、答えられない。なんと言おうともこの男は僕を知っていたのだろうし、僕もまた、


「ソウ、彼は没落貴族の次男坊だ……だった。実家が不正を暴かれて全てを失う前には、将来を期待されていたよ。小さいころから王都の書庫の本を読み解き、王宮の希少樹園に入ることまで許されていた。特に鉱石に関する知識を多く身に着けていた。どこに消えたかと思っていたが、スラムの子らを使って鉱石畑を作っていたとはね」

「……勝手なことを」


 勝手に男が、勝手な推測を交えて喋った。その声も言葉も何もかもが不快だ。僕は唾を吐き捨てる。


「家の名誉を、取り戻したいとは思わないかね? スラムにいたなどという経歴さえ消してしまえば、私の元でなら君は、この星いちの庭師になれるだろう。その評判で、****家を再興することだってできる。いや、私が約束してあげ」

「ふざけるなっ!!!」


 僕は貴族相手ということをすっかり忘れて、怒鳴った。


「そもそも、が何をしたというんだ。が、何をしたというんだ! 勢力争いで勝手に冤罪を押し付け、謂れのない罪で血の繋がる一族全てを貶め、父上も母上も、分家のまだ幼い跡継ぎまで殺させたのはお前ら貴族じゃないか。直接手を下さずとも、見殺しにして、奪えるものは全て奪っていった。牢に入っていたとき、家宝だった宝石を持って現れ、父上と母上を足蹴にしたのはお前だ! あの恨みを忘れたことはない! お前の言いなりになど、絶対になるもんか!」


 大声を出したのも、本気で感情を表したのも久しぶりだった。

 処刑の前日に牢屋の隙間から、一人だけ逃がされた。幼子はもう毒を飲まされていて、大人は穴を通れず、逃げられるのは僕だけだった。あの夜のことは何一つとして忘れていない。父上と母上に最期の別れを告げた瞬間から、人目も耳も気にしなくて良い場所に逃げるまで、僕は嗚咽ひとつ上げられなかった。やっと森の中に迷いこんで、獣を恐れて、傷だらけになりながら野生のダイオプサイドの樹によじ登って……その時、最後に、大声で泣いた。

 スラムでの暮らしは僕に感情を覆い隠さないことを教えてくれたけれど、だからといって、僕の事情など話すわけにはいかなかった。ふいに家族を思い出す日も、狂いそうなほどの怒りも、仕方がないと収めてきた――それが、とても簡単に崩れかけていた。


「親に似て、物分かりの悪い……」


 ……この、男のせいで。


「この私、貴族に、道端の石でしかない貴様が口答えできると思った? 元貴族なんてどうでもいい。今の身の程をわきまえろ。……彼らもそうだ。あのバカな奴らも、さっさと言うことを聞いていれば良かったんだよ。そうすれば、死なずに済んだだろうに」


 あざ笑うような声に、もう僕は我慢できなかった。その醜い顔を、声を出す喉を、腐った脳を、ぶん殴って、めちゃくちゃにしてやりたかった。僕は男に飛びかかった――飛びかかりたかった。






「や、め……とけ、タクト」


 ゆっくりと薄目を開けたチックが僕の脚を掴んでいなかったら、きっと本当にぶん殴っていただろう。


「チック……」

「な?」

「お前、大丈夫なのか」

「だい、じょうぶだ、ほら……」

 チックは、痛くて仕方ないだろうに、引きつった笑顔を見せる。

「チック、お前、どうして」

「今、この貴族様、殴ったって、どうにもならない、だろ。それより……逃げろ」

「お前を置いてけるか」

「置いてく、んだよ……!」

 震えた声で言うチックを抱えて銃弾から逃げる力は、僕にはない。

 でも、チックの言う通りここから一人で逃げたところで、どうすればいい? すぐ近くの集会所には子供たちがいる。十分に動けない子も多い。この男に捕まったら、どんな目に遭わされるかなんて考えたくもない。


「ふん、雑草のようにしつこい奴だ」

 僕が動けずにいる間に、男は、また拳銃を構える。

「やめろ」

 僕には、チックと男の間に割り込むことしかできない。

(僕がおとなしくこいつに付いていけば……いや、ダメだ。こいつが、みんなを見逃してくれるわけない)

 銃口と男のにやけ面を、ただ睨みつけるしかできない……

(どうすれば……)




 その時、僕の目の前に、薄緑の模様が入ったクレイドールが、ぎくしゃくと、飛び出してきた。


「チック、さん、達を……、いじめ、ない、で!」


 僕の前に飛び出してきたのは、僕らのクレイドール、フローラだった。




** - To Be Continued - **

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白銀の君は美しい【鉱石×人形企画】 山の端さっど @CridAgeT

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