親子電話

 習字の宿題を早く終えろと言われ、私は半紙に向き合っていた。隣では弟が退屈そうに計算ドリルを解いており、向かいには母と叔父がいた。


 お手本を見ながら、「将来の夢」の4文字を順番に書いていくものの、思うように書けない。悔しくて、思わず涙が出そうになったのをこらえるが、こんな事で涙が出そうになる自分が情けなくてさらに悔しくなる。さらに「の」の出来の悪さも相まって、ぽろりと涙をこぼしてしまった。母に「何で泣いてんの。泣いても上手くならんで」と言われたが、そんな事は分かっている。分かっているが悔しくて余計泣けてくる。叔父は、まあまあと母に言うと、「血筋だなあ」とポツリと呟いていた。私は一旦書くのを中断して、ティッシュで目をぬぐった。


 すると叔父が、ちょっと筆借りるぞ、と言って、さらさらと書き始めた。叔父は、躊躇ためらいなくあっという間に4文字を書きあげる。決して上手な字とは言えないが、お手本とは違った流れる様な線が面白くはあった。たぶん叔父は励ますつもりで書いてくれたのだろうと思っていると、もう1枚半紙を取り出した。


「俺は、1つの文字につき1回しか墨付けたくない派なんだよな」


 そう言って、またさらさらと4文字を書き上げる。言った通り、墨に浸けるのは4回だけだった。すると今度は母が、「準太じゅんたさんあかんわ。これ楷書やで。とめ跳ねムチャクチャやん」と言って、筆を取った。母は昔、書道を習っており、習字にはちょっとうるさい。お手本を見ながらきっちりとした「将来の夢」を書き上げたが、なにやら首をひねっている。

「”の“だね」と叔父が言うと、母も、「”の“やわ」とうなずいて2枚目の半紙を手にした。結局、叔父と母は、その後も何枚かの半紙を抜き出しては書いていた。


 なんとか宿題を終え、母から逃げ出して居間に避難してくると、叔父は笑いながらぺこりと頭を下げた。


「いやー、すまんすまん。俺も由香里ゆかりさんも習字とか久しぶりでな。楽しくなっちゃったわ。すっかり邪魔したな」


 本当だよと抗議すると、弟が急に強気な口調で言い出した。


「僕、お母さん嫌いやわ。てか、女とか全部きらい。結婚とかもしなくてもいいわ」


 3日も空けずに母の布団に潜り込む男が何を言っているのかと呆れていると、叔父が笑いながら、「そうかー? 確かに厳しいとこもあるかもしれないけど、いいお母さんだと思うぞ。あと結婚はしろよ」とやり返していた。今度は弟が、「しない! 準ちゃんもしてないやん」と叫ぶ。叔父は困った顔をして、「俺は結婚したくないわけじゃなくて、できてないだけだぞ」と言った。そして、私の方をちらりと見ると、腕を組んで何事か考えて話し始めた。


「俺が大智たいちくらいの時には好きな子いたぞ。どんどんアタックすればいいのに」


 無責任な事を言うので、そう言っている叔父はアタックしたのかを聞いてみた。すると、苦笑して話してくれた。


「そりゃ、なんとか声かけようと思ったんだけど、皆がいる前だと、恥ずかしくてできなかったんだ。それでいろいろと考えてな……」


 叔父が子供の頃には、まだスマートフォンは普及しておらず、メールやメッセージを送る手段もなかったそうだ。どうしたかというと、直接家に電話をかけたという。当時は、皆にプリントして配布されるクラスの連絡網にいえ電の電話番号が乗っており、それを調べれば、すぐに電話がかけられたそうだ。そういう問題なのかな、と思ったが、とにかく叔父が電話をかけると、運良く意中の子が出たらしい。


「それで、夢中になって話したんだわ。話したと言っても、いきなり”付き合ってくれ”とかじゃなくてな、他愛も無い話だ。あの先生がどうだとか、部活がどうだとか。それでも、気が付いた時には、20分くらい経っていてな。その子も楽しそうだし、あれ、これって脈があったりすんじゃないかなんて思っていたらな、なんか急に電話の向こうが不機嫌になってきたんだ。そりゃ焦ったよ」


 叔父がおろおろしていると、電話の向こうの子は、「ちょっと待って」「聞いてるから」を連発し、会話が噛み合わなくなったという。そして、大きなため息をひとつつくと、


「ちょっと。


 と、電話口でいきなり大きな声を出したそうだ。何を言われているのか分からなかった叔父が戸惑っていると、今度は電話口から、


「聞いてない! 聞いてないからな!」


 という、知らない男の人の声の叫ぶような声が聞こえ、ガチャンと電話を切る音が聞こえてきたという。だが、電話は切れておらず、その子が済まなさそうに「ごめんね。お父さんなの。そういうことだから」と言ってきたそうだ。


「俺もさ、『あ、うん。じゃあ』くらいしか言えなくてな。すぐに電話を切ったよ。たぶんあれだな、あの子の家の電話のつなぎ方が、1階と2階のどっちからでも電話が取れる繋ぎ方のやつだったんだろうな」


 昔はそういう配線方法もあったそうだ。その後、その子とはどうなったのかを聞いてみると、叔父はきまり悪そうに話した。


「なんとなく話し辛くなってな。学校で会えば挨拶くらいはするんだけど、それっきりだ。でもな、あの電話で親父さんに怒られてたら可哀想だと思ってな、その子の仲の良い子に聞いてみたんだよ。親父さんって、どういう人? ってな」


 叔父が聞くと、その子は、しーっと口に手を当て、叔父を教室の端の方へと連れて行ったという。そして、こそこそと、


「あそこのお父さん、ちょっと荒れてたの。凄く束縛そくばくが強くて、家族ともうまく行ってなくて、離婚するって騒いでたみたいよ」


と、話してくれたという。さらに、


「でも、離婚する前に死んじゃったんだって。あ、これ皆にはもちろん、あの子にも言わないであげてね。まだ気にしてると可哀想だから」


 そう言うと、叔父が返事をする間もなく立ち去ったという。


「まあ、いつの時代も親ってのは子供のことが心配なんだろうな。お前等も、誰か好きな子できたら、いっそお父さんかお母さんにあらかじめ教えるってのもいいんじゃないか。もちろん俺でもいいぞ」


 叔父はそう締めくくったが、弟が「いないし!」「教えないし!」と言い出したのを聞くと、「教えろよー」と弟をくすぐりにかかった。


 私は叔父に聞きたいことがあったのだけれども、とりあえず2人のくすぐり合いに参加することにした。

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