第11話 今宵は酒場へ帰ろう

 時刻を確認した。8:50を告げている。朝早くにお邪魔してだいぶ時間が過ぎていた。商店街会長の幡さんと秋江さんに視線を戻すと、妙案を発するのを待ちかねているようだ。


「まず会長、箒の女性を探すのは難しいです、が彼女の行動、すなわちお猪口にわざわざ日本酒を分けたのは、箒と同じ晴れて欲しいという願いです」


「どうして日本酒分けるのが晴れにつながるんだ?」


 まだ腑に落ちない表情の会長が聞き返した。秋江さんも同様の表情である。


「会長言ったじゃないですか、日本酒を分けたお猪口は供えるように傍らに置いていた、って。そうなんです、てるてる坊主を使わないで翌日の晴れを願う晴れ乞いに、日本酒を入れた杯を部屋の南側に供える、というのもあるんです」


 へぇー、そんな簡単なやり方があるんだな、と会長が感心した後、


「どうしてそんなの知っている?」


 二人の息が合うように聞いてきた。


 なんで知っている、ってその問いかけの答えは簡単だ。


「それは探偵だからですよ」


 二人の無言で辺りにしばしの沈黙が漂う。無論、俺を見つめる視線は冷たい、ははは。


「こ、ここからが本題です」構わずに進めることにしよう。


「『まるごと街飲み酒場』の前日に商店街の各店で日本酒の入った杯を供えてもらう、というのはどうです」


 まあ、素敵、そう言ってくれた秋江さんに有りがたく、もう一つ最後に付け加える。


「飲まない人の店や日本酒が無い店はあると思うんですが、そこは会長のお力で・・・・」


 伺いを立てるように、いつしか上目で会長を見ていた。


「よし、なら『まるごと街飲み酒場』の前日に商店街全体で酒を供えて晴れを願おう」


 そう言った会長が、そうだ!と閃いたのか、とびきりの笑顔で叫んだ。


「前夜祭だ!」


 ・・・・行き着く先はやはりそこですか、会長。俺は笑うしかない。


「絶対に晴れますよ、俺も応援します、いえ、応援に行きます」


「飲みたいだけだろ」


 会長には言われたくないですよ、なんて口にはできないので、笑顔のまま立ち上がった。この辺で、と言いかけると秋江さんに、鮭太郎さん、と呼び止められる。


「せっかく朝早くからお手間取らせたんだから、お礼に飲んでいって、乾きものと缶詰めしかないけど」


「いえいえ、朝食もご馳走なったばかりですし、手間だなんて、全然。今日は遠慮させてください」


 ここで笑ったままだと、ホントは飲みたいんだけど、なんて捉えかねないと思い真顔で答えた。それに、


「・・・・今日はこの後に墓参り、行くつもりで」


 今度は真顔のままだと変に気を遣わせかねない。俺は忙しく再び笑顔に戻した。


「ああ、そうだったな。そりゃ、残念だ」


 そして、また今度飲むか?と見送るように頷いている会長が、肝心なのを言い忘れてた!と顎を出すようにして口を開けた。


「恵比須ちゃん、絶対『まるごと街飲み酒場』に来るように頼んでくれ、なんてたって彼は、晴れ、男だからな」


「恵比須くんなら明日、出張から帰るって連絡あったので、その時は必ず連れてきますよ」


「出張だなんて仕事かい?優秀な助手だからね、恵比須ちゃんは」


 すかさず会長に向かって「嫌みにしか聞こえませんよ」と苦笑いだ。まあ、ホントのことだが。秋江さんには朝食のお礼を言って、『田村屋工芸店』を後にしたのだった。





 思いの外時間が過ぎていて、時計の針は夕方の5時に差し掛かっていた。墓参りの帰り道、電車に揺られている。「次はB駅ー」と車内アナウンスが流れ始めた。


 B駅と言えば『環福』の最寄り駅だ、なんて思い付き、電車を降りた。探偵事務所に戻る前に、今宵は『環福』へ帰るとしますか。


 北口の階段から地上へとかけ上がる。大通りに面した地下鉄の入口のすぐ目の前に横断歩道があり、信号を待って反対側に渡った。『環福』は渡ってすぐの下町の横道に入った所にあるのだ。めくり上げられた暖簾から店内を見ると、すでに先客が座っている。迷わず格子の引戸を開けた。


「お帰り!」


 いつものカウンターの席を示しながら、店員の芝さんが迎えてくれた。間髪入れず飲み物を聞いてくれる。


「今夜は瓶ビールから始めるよ」


 すぐさま瓶ビールにお通しが出された。今日のお通しは千切り長芋に梅肉が乗っている。紅白の彩りが嬉しい。


 早速ビールを注いで一口飲む。あー、うまい。日替りのオススメを見ようと、つい店内を見回してしまう。ここは懐かしい昭和な感じではなく、黒の色調が落ち着く古民家の雰囲気だ。


 いつもの刺しからいく?カツオ、オススメだよ、そう教えてくれた芝さんが訊ねる。


「朝陽さんと恵比須くんは元気?最近見てなくて」


「恵比須くんは出張でね、大屋さんは友人と温泉と地酒巡りだって」


「あらあら、皆さん忙しそうで・・・・」


 さて、注文しよう、もう一口ビールを含み、厚焼き玉子と肉豆腐をお願いすると、「かしこまり」と短い一言で芝さんは戻っていった。


 さらに、ビールを飲み干し、注ぎ足しながらサクサクの長芋を摘まんでいると、


「肉豆腐お待ち」


 早速運ばれてきた。これを摘まみながらふわふわの厚焼き玉子が来るのを待てば、それまでにはビールを空けているだろう。次は日本酒か?俺自身に聞く。


 いやいや、酔う先を思い描くよりまずは目の前の肉豆腐、ビールで一度口を流し頬張る。うまい、牛肉と玉ねぎの甘さが重なって豆腐にも程よく染みている。すると、再びビールが欲しくなる。・・・・これはいつものように肉豆腐食べきるまでビール持たないな、ははは。


 いらっしゃい、そんな掛け声に気がつくと店内は人が集まって来ていた。カウンターにも俺を含め幾人かが収まっている。


「いらっしゃい、あれ?・・・・」


 滑舌な応対の芝さんが語尾で詰まっている。珍しいこともあるもんだ、なんて手元のグラスにビール瓶を傾けながら聞いていた。


 ───鮭さん。


 気のせいか?誰かが呼んだような。傾けた瓶が空になるかならないかの泡の演出がグラスで繰り広げられている。


「鮭さんって、隣いいですか?」


「えっ?!」と、声の方を振り返った。どうして?と呟いた後、


「恵比須くん!なぜここに居るんだい!」


 思わず立ち上がりそうになったが、騒がせてはお店に迷惑、彼に早く座りなさいと空いている隣を進めた。


「驚かせようと店に入ったら、芝さんに人差し指たてて静かにって近づいたんで、成功ですかね」


 とそこへ、成功でしたね、そう言いながら芝さんがやって来る。まだ出来て来ないボリュームある厚焼き玉子の代わりに、二人に一杯食わされたのか、と満腹の心配をする。


「帰りは明日じゃなかったかい?」


「明日の飛行機だったんですけど、直前に今日の便のキャンセル席が取れたんで乗れました。もしかして鮭さんここで飲んでないかって、見事に空港から直行でここに帰って来ちゃいました」


 偶然でも、いつもの明るさで嬉しいことを言ってくれる。


「芝さん、瓶ビール2本追加で、グラスももう一つお願い」


 芝さんが立ち去る前に、いいよね?と恵比須くんに確認した。


「早く帰って来ても、出張の報告は明日でいいから」などと喋っていると、


「お待たせ」芝さんが追加瓶ビール2本とグラスを置いていき、忙しそうに店内を前後左右に歩いていた。


 乾杯しようとグラスをビールと泡で満たす。どちらともなくグラスを胸元まで掲げ、軽くグラスを鳴らした。。


 ───カンパイ。


 あー、やっぱりうまい。1人で飲むのもいいが、カンパイで共に飲むのもうまい!横目に恵比須くんの方を見る。


「ところで入口のあの片隅に置かれている荷物は君の?」


 そう言いながら物凄く気になってしょうがない。どうしても、恵比須くん越しに見える、その荷物へ目が釘付けになっていた。


 グラスを飲み干し、失礼して、と断って自らのグラスに注ぐ恵比須くんが、振り返りながら、


「あっ、そうですよ」


 さして気にもしない感じにあっさりと答えた。いやいや、恵比須くん、そこはツッコミ入れたんだからボケてよ!と、


「いや、だから君の荷物から顔を出してる箒は何?!」


 たまらず叫んだ。ただし、お店に響かない程度に。


「はあ、箒ですか。よくぞ聞いてくださいました」


 酔いが回りだしたのか、俄然、身を乗り出し語りだした恵比須くん。酒場が心地よい活気の騒がしさに包まれて、恵比須くんの声が重なっていく。


 ── 箒は出張先で立ち寄った土産物店で売っていたんですが、中国では箒を持った掃晴娘という晴れを願う逸話が伝わっていまして、晴れ男の自分がより験を担ぐ物として・・・・ ──




 今宵も程よい酔いで過ぎていく・・・・。片手に酒を、傍らにカンパイを、かけがえのない酒場で。

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酒場探偵のカンパイ酔裡 夏梅はも @natsuumehamo

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