第10話 箒ときどき晴れ
はれ?ゴイ?右に左に俺の頭は傾く。「の女性」と続けて言ったのは聞き取れたが。聞き慣れない言葉に頭をしきりに傾けても、記憶の棚から想像すら転がり落ちてこない俺に商店街会長の幡さんは察したように教えてくれた。
「雨乞いって知っているだろ、雨が降るようにと祈願する。その逆で、雨を止ませ晴れるように祈願するのが、晴れ乞いだ」
「なるほど、晴れ乞い!」
合点がいってポンと打った手の音が響く。
「その晴れ乞いをするっていう女性が酒場にいたんだよ」
驚くなよ、とでも付け加えたかったみたいに会長の眉が目一杯上がっている。
「酔っ払っていたからすっかり忘れていたわ」
頬に手を当てながら秋江さんも会長を見ている。でもそうですよ、飲めば覚えてないもんです。
「鮭太郎、今朝早くに呼んだのはお前さんに『環福』で会った、晴れ乞いの女性を探してもらいたいんだ」
それから会長は秋江さんと飲みに行った時の様子を話始めた。俺の行きつけの酒場でもある『環福』だけに場景が目に浮かんでくる。
「で、秋江が頼んだ油揚げ焼きが届いた時だ」
ああ、『環福』の油揚げ焼きかぁ。あそこの油揚げは揚げた表面の肉厚の食感と焼いた焦げ目の香ばしさが、ほどよい固さで噛みしめるほど中から染みた大豆の旨味とタレが美味しいのである。薬味はたっぷりのねぎと生姜だ。これに合うのはもちろん、日本酒だけど冷えた白ワインもオススメだ。
「そうね、ついでに飲み物のおかわりを頼もうと店員の芝さんに今日の日本酒のオススメを聞いていた時だったかしら」
朝食後なのにまた喉が鳴った俺に気付いていないのか?秋江さんは変わりなく話を続けた。
「1人の女性が来店したの。空いていた私の隣に通されたわ」
「最近は1人飲みする女性増えてきているって話だなぁ」
口を挟んだ調子がまるで感心が無かったようだった会長が、次第に熱を帯びた口調で語りかける。
「その女性、酒はとにかく日本酒だけを飲むんだ。頼むつまみは餃子に小鉢の何かだったか・・・・。いくら馴染みの酒場で縁があって隣り合わせになった客同士でも、むやみやたらと話しかけるのは野暮というものだが」
そして、おかしなことを口走った。
「キャリーバックを持ち込んでいたから、どこからか出張でこっちに来たのかな?って思ったんだが。包装された箒を携えてな」
ほうき?あの掃除で掃く箒のことか。お土産に地元特産の箒を持ってきたのか、はたまた、箒を製造する会社の社員が営業に持ち歩いているのか?まさか・・・・魔女、ではあるまい。素直に箒の女性と呼ぼう。
「聞くに聞けず、しばらくは秋江と次に何頼むかあれこれ話してたんだが。『環福』名物の穴子棒寿司をそろそろ頼もうか、とかな」
そしたらね、と今度は秋江さんが割り込んで、
「その女性、また日本酒をおかわりしたの。すぐに店員の芝さんが冷蔵庫から一升瓶取り出して注いでくれてたわ」
そう言うと、本人は店員の芝さんの真似をしているようで声色を低くした喋りを混ぜた。
「注いだ後『雨降り続くなか出張ですか大変ですね』って声かけたの。続けてね『明日も雨降りで、梅雨入ってないのに参りますね』なんて言ったら、その女性が曇りのない笑顔でこう答えたの」
大丈夫です、私あの箒持ち歩いていますから明日は晴れます、今度は箒の女性に真似たようで高めのキーになったのだ。
「芝さんだけじゃなく私たちまで一瞬動きが止まってしまってね、『それはなんかのおまじないですかね』って喜んで店の奥に戻っていったわ」
「その流れじゃあ、聞くしかない!って勢いで身を秋江の前に乗り出して聞いてしまったよ、つい」
自身の額をポンと叩いて、そのまま手を当てて会長は話を続けてきた。
「お嬢さん、箒持ってると晴れるの?ってな。すると女性はクスクスっと笑って」で区切った会長が秋江さんに、肩をつつくように促すと、
『てるてる坊主に似たような掃晴娘って紙人形が中国にあって、箒を持っていて掃除するように雨雲を掃く娘が由来なんですが、あの箒はそれをちょっと自分で飛躍して捉えまして』
再び秋江さんが箒の女性の真似でキーを高くした。
「それで験担ぎに箒を持ち歩いているらしい。職業は聞き忘れたが、晴れてくれないと困る仕事らしい」
聞き忘れた?じゃなく聞いたが覚えてないだけじゃないんですか?ね、と秋江さんを見るが視線が上を向いたところを考えれば、秋江さんも覚えてないのか?
「話は分かりました。でも、それで箒の女性を探して見つけても晴れるなんて確証あるんですか?そもそも出張で来たなら、もう1週間経っています。帰ってますよ、すでに」
そして、長い朝食をごちそうになった俺は会長に提案してみた。「てるてる坊主作って吊るしたらどうです?商店街全体で」
「晴れたんだよ。次の日、本当に晴れたんだよ。予報では降水確率100%だったのに」
また思い出したのか、会長の驚きの表情のほうが珍しく、返す言葉が無い。その時、秋江さんもまた思い出す。
「そういえばその女性言っていたわ。てるてる坊主は首を吊るすの悲しいからって」
はあ、と胸の内でため息が漏れる。そう言われると探すしかないと、納得したように頷いてみせた。
「他に何か覚えていませんか?」
無言で顔を見合わせる二人は、暫くして、あっ!、と同時に声を上げて、自分から言うからと頷いてみせてから会長は俺の方を向いたのだった。
「ヒントになるか分からないが、お猪口だよ。あの女性、最初に頼んだ日本酒の時グラスで出されたのに空のお猪口も頼んで、そこへ日本酒を少し移して傍らに置いたんだ。まるで故人を偲んで献杯を供えるように」
朝食に満足したから眠くなって目を閉じた訳ではないが、会長のそのくだりを聞いているうちに目を瞑っていた。なるほど、始めから彼女は・・・・、と納得して会長をあらためて見た。
「会長、妙案があります」
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