最終話 よりしろのみこ

 程なくして、境内のずっと下の方から、数台の車輌が到着する音がかすかに聞こえた。そしてそろいの制服に身を包んだ数名の隊員達が石段を登ってきた。

「迎えが来たようね」

 天乃がそちらを振り返って言った。

 前回のようなアサルトスーツではなく、簡便な作業服であったが、その背中には同様に神祇省と印字されている。

 彼等は天乃に気付くと、各々がその場で立ち止まり、深く一礼した。天乃も彼等に向かって小さく頭を下げた。

 すると、その隊員達の後ろから、一人の巫女が彼等をかき分けて園子達に走り寄ってきた。

「ひい様っ」

「礼、ご苦労様」

 天乃がその巫女に声をかけた。

「あれえっ――」

 園子がその巫女の姿を見て驚きの声を上げた。

「先生っ、何でここにいるんですか? それにその格好っ」

 そこに現れた、風変わりな装束をまとった巫女は、ほかでもない、園子のクラスの担任教師、稗田だった。

「そうか、園子にはまだ話してなかったわね」

 天乃はそう言うと礼の横に立って園子に言った。

「園子、改めて紹介するわ。この稗田ひえだれいは、あなたも知っての通り今私たちの担任教師をしているけど、それは世を忍ぶ仮の姿。その正体は、我がやしろ猨女大社さるめたいしゃいにしえより代々仕える稗田家直系の巫女なのよ」

「榊さん、このたびはひい様が大変お世話になりました」

「い、いえ、こちらこそ」

 そう言いながら深く頭を下げる礼に、園子も返礼した。

「もう、二人とも堅苦しいんだから」

 天乃が苦笑しながら言った。

「ひい様っ、その手はっ」

 その時天乃の左手の傷に気付き、礼が大きな声を上げた。

「ああ、ちょっとね」

「ああ、なんと言うことでしょう――」

「大げさね。たいしたことはないわ。かすり傷よ」

「どなたかっ、ひい様が怪我をしておられます、手当の用意をっ」

 その声を聞いて隊員の一人が救急箱を持ってくると、礼は手早くそれを開き、自ら天乃の傷の応急処置を始めた。

 その手当が終わる頃、天乃が真面目な表情で口を開いた。

「ところで礼、あの暦屋こよみや、今日は来るの」

「はい、じき着く頃かと」

「でしょうね…… 園子」

「うん、なあに」

「もうすぐ、ちょっとやっかいな男が来るわ。私達の側を離れちゃだめよ」

「……敵ってこと?」

「いいえ、味方よ…… ただ、味方にも色々あるのよ」

「噂をすれば…… 来られたようです」

 園子達の会話を遮るように、礼が言った。

 園子が礼の視線の先、鳥居の脇に目を向けると、そこに一人の黒いスーツに身を包んだ男が立っていた。年の頃は三十代なかばであろうか、整った顔立ちをしているが、表情は氷のように冷たく、近づきがたい空気を漂わせている。

「お見事でございます」

 男が天乃に向かって頭を下げながら言った。

「務めを果たしたまでよ」

 天乃がにこりともせず答えた。そしてその男が天乃の方に歩み寄ってきたとき、その動きを制するように、天乃が言った。

刑部おさかべ――」

「はい?」

 その男、刑部が足を止めた。

「せっかく来てもらって申し訳ないけど、もうすべて片付いたわ。無駄足を踏ませて悪かったわね。ここは全部私たちに任せて頂戴」

「猨女様――」

 刑部が硬い表情を天乃に向けて返事をした。

わたくしどもも、我々の努めを果たすべくこちらへ参りました」

「……」

「そちらの方々は、我々が手当をさせていただきます」

 刑部が桜の木の側に横たわる麻祐子達三人を指さしていった。

「ええ、そうだったわね。では、それだけお願いしようかしら――」

「それともう一つ――」

 言い終わる前に、刑部が強い口調で天乃の言葉を遮った。そしてゆっくりとその視線を園子に向けて、静かに言った。

「榊―― 園子様でございますか」

「……はい」

 園子は刑部の漂わせる異様な雰囲気に戸惑いながら答えた。

「初めまして。わたくし刑部おさかべただしと申す者です。帝都で陰陽師をしております」

「は、初めまして……」

「園子様…… 突然のことで恐縮ですが、これから私たちと共に陰陽寮まで来ていただきます」

「それには及ばないわ――」

 天乃が強い口調で口を挟んだ。

「御霊の依り代の権限は、すべて私に一任されているはず。従ってこの子も私たちが責任を持って面倒をみます」

「この状況に至って、もうそのようなことを言ってはおれません」

「どういうこと?」

「猨女様、あなたもご存じの筈…… 御霊の依り代は、この国の歴史の中で人が初めて創り得た、神の世に至る唯一の器。一人の少女に託すには、荷が重すぎます」

「……どうするというの?」

「私にも分かりません。ですが、おそらくは――」

「……」

「依り代は、元通りの、あるべきさまへ――」

 刑部がそう言った、その刹那、天乃が動いた。園子と刑部の間に立ちはだかり、腰の紐付き小刀を抜いた。

 刑部の眼前に鋭くきらめくやいばがかざされた。

「これは―― どういう意味でしょうか」

 刑部が臆する様子もなく静かに言った。

海鼠切なまこきり―― 緋々色金ひひいろかねより打ち出されし、大君に仇なすあたを、らし誅するすめらやいば

 巌のごとき険しい形相で天乃が言った。

「……その刃を、私に向けるというのですか」

 すると、天乃は突然その場に膝をつき、その小刀の切っ先を自分の喉にあてた。

「この罪無き乙女が大君を脅かすと言うならば、全てその責は我にあり。ならば今この刃を持って我が命を絶たん」

 まるで怒号の如く、天乃がたけりたった。しかし刑部はその言葉にも全くひるまず、叫ぶように言葉を返した。

「あなたの命など、今は何も関係ない!」

 そう言いながら、刑部は天乃の喉元に構えられた刃を素手で掴んだ。

「分からないのですかっ、あなたともあろう方が、我らの使命のために、今何をなすべきかっ」

 赤い雫が筋となって刀身を伝い、天乃の手を濡らした。

「待ってくださいっ!」

 そこに、突然園子の声が響いた。

 二人がその声に硬直した。

 園子は、刑部と視線を合わせ、はっきりとした声で語り始めた。

「刑部さん、刑部さんは誤解をしています」

 刑部がゆっくりと園子の方を向いた。

「……誤解、とは?」

「究極の神器、御霊の依り代。そこに有るべきではない異物、私の霊が宿っている。刑部さんはそう考えているんでしょう?」

「ほかにどう考えろというのです」

「私も最初天乃さんの説明を聞いたときはそう思っていました。でも、違います。そんな単純な話しじゃないんです」

「何を…… 言おうとしているのですか」

 刑部が園子の話に耳を傾けた。

 刑部だけでなく、そこにいる全ての者が沈黙し園子の言葉に聞き入っていた。

「人が作り出した、御霊の依り代は、最初は物言わぬ道具だった。でもそれは今、己の意思を持つに至ったんです」

「意思? 依り代に意思が宿ったというのですか」

「はい。それは、全て偶さかな巡り合わせから始まりました。でもこうなることは、御霊の依り代が心を持つことは、きっとさだめだったんです。さっき、私の身体に建御雷の霊が憑いたとき、そのことわりを悟りました―― 私はもう人じゃないって……」

「まさか、あなたが言わんとしていることは……」

「……私、榊園子は、御霊の依り代―― 私の意思こそは、御霊の依り代の意思です」

 園子がそう言い終えると、刑部はゆっくりと刃から手を放した。両眼を大きく見開き、一度よろめくように後ずさった。

「それが、それがすべて…… 誠の言葉というならば――」

 そして一度身なりを正し、園子にまっすぐ向き直ると言った。

「この私と、今この場で、誓約うけいを交わしていただきましょう」

「うけい?」

誓約うけいとは、言わば、あかしを立てるための誓いごと…… あなたの言葉を、身をもってあかしていただきます」

「……何をすればいいんですか?」

 刑部は一度押し黙り、思いを巡らせるように瞳を閉じてうつむいた。そしてまた顔を上げると、語りかけるように園子に告げた。

「今から一年ひととせ の間、現れいずるマガツカミを、あなたとその仲間の手で、ことごとく討ち果たすこと―― それが出来ればあなたが今言ったこと、すべて誠の言葉と成りましょう」

「……」

「しかし、もし一つでも打ち漏らすことあらば、あなたの言葉は偽りと成りましょう。その時はその躰、元の形に戻させていただきます」

 園子は何も言わず、神妙な態度で刑部の言葉を聞き終えた。

如何いかに」

 握った拳に血をにじませながら、刑部は真っ直ぐ園子の瞳を見据え、可否を問うた。

「異論ありません。その誓約うけいを交わします」

 園子は深く頷きそう答えた。

「ならば――」

 天乃が小刀を鞘に静かに収めると言った。

「我ら猨女の巫女、この誓約うけいの仲人となろう」

 天乃が小さく目配せすると、礼が一度頷いて続いた。

「はい、今宵この場で確かに誓約は交わされました。これからの一年ひととせ、この稗田礼、ひい様と共にこの誓約うけい、しかと見届けさせていただきます」

「承知しました…… それでは」

 刑部は一度深く頭を下げると、園子等に背を向け、その場を去って行った。まるで闇の中に紛れていくように、鳥居の向こうへ消えていった。

その背中がすっかり見えなくなった時、園子は崩れ落ちるように座り込んだ。

「園子っ」

「榊さんっ」

 天乃と礼は園子に素早く駆け寄ると、その身体を抱き留めるように支えた。

「しっかりして、園子。もうすべて終わったわ」

 天乃が園子の肩を力づけるように揺すった。

 すると園子が小さく声を漏らした。

「こ……」

「園子?」

「怖かったああああ」

 気の抜けるような声で弱音を吐くと、天乃の腕の中へへなへなともたれ込んだ。

 天乃はその様子に思わず失笑を漏らした。

「もう、園子ったら大丈夫?」

 そしてそう言いながら園子の側に膝をついた。

「大丈夫じゃないよお。なんなの今の人? ジガバチなんかよりよっぽど怖かったよお」

 園子は情けない声で泣きごとを言うと、今更のようにおびえた表情を天乃に向けた。

 すると天乃は片手を園子の肩に廻し、自分の方へ抱き寄せて囁いた。

「園子、あなた最高よ。本当にびっくりしたわ」

「え、そんな、大げさだよ」

 園子は少し戸惑いながらも照れ笑いを浮かべて言った。

「いいえ、本当にすごいことです。まさかこんなにうまく行くとは、私も驚きました。榊さん、あなたは何か特別な才能をお持ちのようです」

 礼も園子の側へ顔を寄せ、素直な賛辞を述べた。すると天乃が二人の間に入り、両手をそれぞれの首にまわして自分の顔の脇に引き寄せた。

「ねえ、私たち、これから仲間よ。ずっと一緒よ」

 天乃が無邪気に微笑みながら言った。

「うん、そうだね」

「はい、その通りです」

 園子と礼が答えた。二人もまた微笑んでいた。

 その時、天乃のポケットで携帯電話が鳴った。

「爺ったら、いいところで――」

 天乃が不機嫌な様子で電話に答えた。

「はいはい、どちら様でしょうか?」

思金神おもいかねじゃっ」

 気難しそうな老人の怒鳴り声が電話から聞こえた。

「冗談よ。頭の硬い爺さんね」

「下らぬ話しで時間を取るなっ。さるよ、そちらの状況はどうなっておる」

「もうだいたい終わっているわよ。ちゃんと片付けておくから邪魔しないで頂戴」

「骸の処理は?」

「言われなくても今する所よ。じゃあ、後で全部報告するから引っ込んでて」

 そう言うと天乃は電話の奥でまだ聞こえる声を無視して通話を切り、携帯電話をしまいながら礼に目配せした。

「はい、ただいま」

 すると礼が装束の袂から金属製の筒を取り出した。ロックを解除してふたを開けると、中から一匹の小さな獣が顔を覗かせた。

「あっ、かわいい」

 園子はその獣に駆け寄ると言った。

管狐くだぎつねといって、私達のお手伝いをしてくれる仲間です」

 礼が管狐を器用に手のひらで遊ばせながら説明した。

「わっ、わっ、この子名前はあるんですか?」

 その質問に、礼は一瞬天乃と気まずそうに目を合わせた。

「……『釜折かまさき』といいます」

 礼がどことなく後ろめたそうに言った。

「『カマサキ』ですか? なんか変わった名前ですね」

「はあ、実は最近ひい様がつけられたばかりの名前なんですが……」

 礼が口ごもりながら天乃の方をちらりと見た。

「ええと、園子、この前銭湯で会った時のこと、覚えている?」

 天乃が気まずそうな様子で割って入った。

「うん、覚えてるけど……」

「ごめんなさいっ」

 天乃が急に頭を下げた。

「えっ、どうしたの?」

「実は、園子の家の風呂釜を壊したの、私達なの」

「はい、ひい様の案で、この子を榊さんの家のお風呂場に忍び込ませて……」

「えーっ、どうしてっ?」

「園子、お風呂の調子が悪い時は銭湯に行くって言っていたでしょう? それで…… あの頃は、とにかくなんでもいいから園子に近づく切っ掛けが欲しかったの」

「もちろん風呂釜の修理代はこちらで払わせて、いえ、新品の物に取り替えさせていただきます」

「いえ、そんな、もういいですから」

「大丈夫よ園子、遠慮しないで。出すのはどうせお役所なんだから」

「そうなの? なんだかよく分からないけど、じゃあお願いします」

 風呂釜の件も話が付き、園子は群れになった管狐達が桜の根元のあたりに穴を掘るのを興味深げに眺めていた。その時、天乃がふと口を開いた。

「ところで園子、私、さっきから気になっていることがあるの」

「うん、なあに、天乃さん」

「ほらそれ、ちょっと変じゃないかしら。私達、もう友達なのよ」

 少し不満気な様子で天乃が言った。

「え、何が?」

「呼び方のことですよ、榊さん」

 天乃の不平に気付かぬ園子に、礼が横から耳打ちした。

「あっ、そうか」

「ほら、礼だって、もっと別の呼び方があるでしょう?」

「ふふふ、そうですね――」

 礼は静かに笑うと園子へ振り返り言った。

「これからは『園子さん』と呼ばせてもらって良いでしょうか。ほかの生徒さんがいない時にはですが」

「はい、もちろんです、礼先生」

「ありがとうございます、園子さん」

「ちょっと、私のことは?」

 天乃が不服そうに口をとがらせながら言った。

「うん、でも、天乃さんのこといきなり名前で呼ぶのって、なんか恥ずかしいなあ」

「聞こえません。って言うか園子、あなた、私の名前覚えているの?」

「やだな、覚えてるよお」

(すごく変わった名前だったしね)

 園子は天乃が初めてクラスに来たときのことを思い出した。

 天乃が自己紹介をしたとき、黒板に大きく漢字で名前を書き、その横に振り仮名を振っていた。その漢字も読み方も、あまりにも風変わりで、かえってよく園子の記憶に残っていたのだ。

 姓は『天乃』と書いて『あめの』。名は『宇受賣』と書いて『うずめ』。

―― アメノウズメ ――

「えっと、じゃあ…… 宇受賣うずめ……ちゃん」

 園子がはにかみながら、上目遣いで天乃に言った。その頬は羞じらいにほんのりと赤く染まっていた。

「ひあっ」

 その言葉を聞いた天乃が、両手で頬を押さえ、その場に膝から崩れ落ちた。

「きゃっ、ど、どうしたの?」

「……一回」

 か細い声で天乃が何かを呟いた。

「え、なあに?」

「もう一回言って頂戴!」

 赤く上気した顔で園子に振り向くと、天乃は叫ぶような声で懇願した。

「う、うん…… 宇受賣うずめちゃん」

「園子おおおっ」

 天乃がいきなり園子に飛びつくように抱きついた。

「わわっ、ど、どうしたの」

「あー、これはおそらく――」

 礼がその様子を見ながら言った。

「園子さん、私の知る限り、ひい様は「ちゃん」付けで呼ばれたことが初めてなんです」

「え、だ、だから、どうゆうこと?」

「ふふふ。『萌えて』るんですよ、園子さんに」

 礼がくすくすと笑いながら言った。

 園子は首に廻された両手の暖かさを感じると、少し顔を赤らめながら考えた。

 今日から、私は新しい道を進んでいく。

 巡り合わせがさだめを紡ぎ出し、私はそれに乗ることを選んだのだ。

 ただ、今の私に、この道の未来はまだ何も見えていない。

 でも、私には新しい友達ができた。心を許せる仲間ができた。

 この人達と一緒なら何かができる気がする。満足できる人生をおくれる気がする。

(ありがとう、宇受賣ちゃん。私、頑張るね)

 神祇省の隊員達に後を任せ、三人が鳥居をくぐり石段を降りようとしたとき、園子はふと立ち止まり後ろを振り返った。そして、もう一度境内のしだれ桜を眺めると、ポケットから携帯電話を取りだし、二人に見えぬよう、慣れた手つきでメールを打ち始めた。


メール作成<新規>

To:お母さん

Sub:新しい友達

本文:お母さん、園子だよ。今日はね、すごいことがいっぱいあったの。でも、一番すごいことは、新しい友達が出来ってこと。宇受賣ちゃんっていって、とってもすてきな女の子なの。でね、内緒なんだけど、宇受賣ちゃんはね、神様なんだって!




               完 

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そのよりしろへやどるたま cocotama @cocotama

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