ぐずぐず飯屋「残り物」
のなみ寿々
第1話
「ぐずぐず飯屋 残り物」
こんな名前の店、絶対に入りたくない。
だいたい何なのだ「ぐずぐず飯屋」って。
お客が全員、ぐずぐずと飯を食べてるのか。
いやお客ならまだいい、店員にぐずぐず接客されたら私、短気だしキレちゃう自信がある。
この短気が原因で、30歳の誕生日に彼氏にフラれた。
だからこそ、絶対に入りたくないと思っていたこの店にも入ることにしてみたのだ。
「失恋した時に行くと、とても癒される」
ぐずぐず飯屋には、そんな噂があるから。
会社の若い女の子たちが、エレベーターで噂をしていた。
一人でへべれけに酔って、ふらふらと吸い寄せられるようにのれんをくぐった。
ただの和風の民家をそのまま使ったような、小さな店だ。
中にはカウンターが一列あるだけ。
「いらっしゃい」
一歩足を踏み入れた瞬間、私は後悔した。
カウンターに座っているのは、よくぞここまでと言いたくなるような、見事なクソババアだった。私のことを思いっきり、にらみつけている。
歯がない。髪がない。背筋がピンとしていない。
いや、それらは加齢による見た目の変化だからあれこれ言うのは失礼だろう。
私だっていずれは、そうなる。
クソババアをクソババアたらしめているのは…眼力だ。
理屈ではない。
凄みとヒネクレが見事に醸成された、上質のヴィンテージワインのような渋みのある、完全なるクソババアだった。
「あんた、なににすんだい。突っ立ってないで、早く決めなよ」
ほら見たことか。しゃべり方まで意地悪ばばあだ。
壁に貼られた品書きを見る。
「ぐずぐずA」
「ぐずぐずB」
「ぐずぐずC」
…なんだ、このメニューは。まったくもって訳がわからない。
「あの、このぐずぐす、って何ですか? どこかの郷土料理?」
「違うよ。単にぐずぐずした料理なんだ。胃腸に優しいこっくりした料理を出す店なんだよ」
「なるほど…」
たしかにとろとろぐずぐずの料理というのは、弱った心に優しい。
失恋の傷をいやしてくれるというのはそういう意味なのかもしれない。
「じゃ、ぐずぐずAで」
「はいよ」
店主は奥に引っ込んだ。
しばらく鍋をカチャカチャする音が聞こえて…
「はいよ。とっとと食べな」
出てきたのは本当に、ぐずぐずした料理だった。
「こ、これは…」
私は若干、ヒいてしまう。
その「ぐずぐす」は、とてつもなく見栄えが悪かった。
エノキににんじん、大根に白菜。
それらが文字通りぐずぐすに、白飯と絡んでいる。
雑炊とかリゾットとか、そういう趣ではない。
これはハッキリ言って…
「猫まんま?」
そう。残った味噌汁やラーメンの汁を、これまた残った白飯にぶっかけただけのもの。
昭和の飼い犬や飼い猫が鍋から直接食わされていた、まさに伝統的な猫まんまだった。
「…いやなら食わなくていいんだよ」
「いえ、食べます」
何せ私は泥酔者だ。彼氏に振られたショックで、バーを三件ハシゴしている。
シメと考えれば、ほかほかの猫まんまも悪くない。むしろぴったりかもしれない。
クソババア相手にかわいこぶる必要もないので、レンゲで一気にかきこんだ。
「…ええっ」
おいしい。
舌を疑うほどに、おいしい。
根菜がたっぷり入ってるのにアクがいっさいなく、ふんわりとした口当たり。
それでいてしっかりしたうま味があり…後をひく。
「えっ、うそ」
私はぐいぐいと、押し込むようにそのトロトロした料理を食べる。
酒でひあがったようなカラカラの胃袋に、あたたかく栄養たっぷりのおつゆが落ちていく。
「…ふあー」
全身が喜んでいるように思えた。
「ふふん。うまいだろう「ぐずぐず」をナメちゃいけないよ」
「すごい」
語彙力が落ちに落ちていた。
だって本当に、ウマいんだもの。
本能に突き動かされるように、あっという間に一杯食べきってしまい…
あとには空っぽになったどんぶりだけが残っていた。
「はー、信じらんない。まさかこんな猫まんまがおいしいなんて」
「ふん、青いね。作ろうと思って作れないものが、一番おいしいんだよ」
なるほど言われてみれば、確かにそうかもしれない。
ぐずぐず飯は、作ろうと狙って作れるものではないだろう。
ああいうのは大体いつも、残りものに残り汁をかけてできるものだ。いわば偶然の産物。
それの最高においしいバージョン…なんだかすごく、レアかもしれない。
「おなかいっぱい。ちょっと気が晴れた」
「どうせ彼氏にフられたかなんかだろう。最近多いんだよ、そういう理由で来る小娘が」
「小娘って、私今日で三十なんですけど」
「小娘以外のなんだって言うんだい」
さすがはクソババアだ。
「まあ好きなだけ愚痴っていきな。ぐずぐず飯屋のぐずぐすは「愚図愚図」でもある」
なるほど。また納得してしまった。
クソババア相手に遠慮なく愚痴もこぼせる店なのか。
それはなかなか悪くない気がした。
「ここ通っちゃうかも-。ぐずぐず飯おいしいし」
「何言ってんだい。ここの飯をあんたなんかと一緒にしてもらっちゃ困るんだよ」
店主の目がぎっ、とすごみを帯びた。
「ただの汁飯で商売が出来るわけないだろう。ここで使ってる出汁やスープはすべて残り物。でもただの残り物じゃないよ。すべて『一流店や人気店の残り物』だ」
「…結局残り物じゃん」
名店の汁だけ拝借してぶっかけ飯屋をやるなんて、このばあさんはやり手だ。侮れない。
「さっきあんたが食べたのは、表通りのラーメン『ときわ』の名物どんころ麺。店長が北海道出身らしいんだ。つぶし大豆に味噌、野菜。北海道開拓時代から伝わる、栄養食品だよ。百年伝わる大衆料理をこだわり抜いて磨きあげて仕上げた一品だ」
「でも残り物じゃん」
「やかましいよ」
店主はさっさと、食べおわった私のどんぶり洗い始めた。
すでにぐずぐずを完食した私には、やることがない。
「もう一杯飲もうかなあ…」
「酒ならないよ!」
「え?ないの?」
「あんたに出す酒はないって言ったんだよ。とっとと帰んな」
洗い物を終えたババアが、きれいになったお玉をぴしりと突きつける。
「帰りたくないんですけど-」
「帰りな。帰りたくないって言ったら拾ってくれるのはスケベ男だけだよ。三十にもなって何を甘えた小娘みたいなことを」
「さっきは小娘以外の何者でもないって言ったくせに」
ババアはさらりと、聞こえないふりをした。
「こうなったら私、意地でも帰らない」
「無茶言うねえ。あんた、そういうところがふられた原因じゃないのかい」
私はぐっとうめいた。痛いところをつくババアだ。
「おばあちゃん、聞いてくれる? あのね、私はかわいげかないんだって」
「それは見りゃ分かるよ」
ますます情け遠慮のないババアだ。
「最初はね、そういうところが好きだって言ってくれたわけ。媚びないし強い、そこがいいって。なんで男ってさ、手のひら返すの?」
「返されたのかい」
「返されました! 見事に! クルリンと! 二十九になった頃からだんだんおかしくなってきたんです!」
何かで意見がぶつかったとき、昔の彼はキチンと話合いをしてくれた。そう思っていたのにここ一年くらいはまず「ぶつかることを避ける」のに重点が置かれるようになったのだ。
『あのさ、頭ごなしに反論するんじゃなくて、まずは一回『そうだね』って相手の言葉を飲み下すというか、受け入れる余裕みたいなの、あった方がいいと思うよ。俺、一緒に家庭を作る人にはそういう柔軟さがほしい』
そう言われたとき、愕然とした。
この人は、私の「そうしない」ところが好きだったのではないの? 会社で七年働いて役職もついた女に、今更ホステスみたいな対応しろって言うの?
私はとことんかわいげがなかった。だからこそ、そのまま、思った通りに口にした。
そしたら…もう別れる、と言われた。
別れよう、ではなく、別れる、だ。
あんたの方がよっぽど柔軟さがないじゃないか! と憤ったけど、そこでハタと気づいた。
彼が『××する』とはっきり何かの意思表示をしたのを聞いたのは、初めてだったということに。
もしかすると私は今まで、この人にとんでもない我慢を強いてきたのかもしれない。
とにかく、私の荷物は部屋に送り返される事になり…それで私と彼の、四年に及ぶ交際は終わった。
「ふーん」
店主の答えは、それだけだった。
「何かもっと、ないの?」
「ないよ。よくある話だろう。毎日毎日おなじような話ばっかり聞かされて、こっちは飽き飽きしてんだ。年寄りが優しいことを言ってくれると思ったら、大間違いだよ」
どこまでもどこまでも冷たいばあさんだった。
「だいたい最近流行ってるのかい? 三十路の女を捨てるっていうの。昨日もおとといも、似たような女が愚痴りに来たよ」
「…そんなに飽き飽きしてます?」
「はっきり言って飽き飽きだね。飽きの天井を割ってるね。三十路でふられた女は入店禁止にしたいくらいだね」
本当に飽きているのだろう。もともと根性の悪そうな顔が、これ以上はないほどにひん曲がった。
「…あっ。なんか元気出てきた」
しかし。
なんと言うことだろう。今の一言で、私は少し、MPが回復した。
三十すぎて彼氏に振られる女は、この町にたくさんいるのだそうだ。飽きるほどたくさん、どこにでも、ひしめいているのだそうだ。
「…なんだ。私だけじゃないんだ」
「…あんたって娘は、最低だね。なんだい、その元気の取り戻し方は」
まったくもって、なんという事だろう。
このクソババアにまで、あきれられてしまった。
私のかわいげのなさは本物なのかもしれない。でも。
「いいです。もうこうなったら何でもいいです。私が元気なら。トイレ行ってきます」
勢いよく立ち上がって、バタンとトイレに入る。
はっきり言って空元気だ。きっと今夜か明日あたり、また落ち込みはぶり返してくる。
でも今はこのくらいでいいような気がした。
出すものだして帰ろう、と洋式トイレに腰を下ろしたとき。
「…げっ」
私はとんでもないものを、そこに見た。
ドアの裏側に、何枚かの色あせたポスターが貼ってある。
大衆演劇というのだろうか。和装のきれいな女性や女形の男性が色鮮やかな和服をまとって涼しげな流し目をくれている。
「うっそでしょ」
ぴたりと目があった「お三津」というらしい一人の女性。
少し鷲鼻で目力が強い。一度見たら忘れられないような美人だ。
まさかとは思う、まさかとは思うが、面影があるのだ。
ここの店主に、よく似ている。
「こ、この美人があのクソババアに…」
用を足した私はふらふらとカウンターに戻り、クソババアの顔をじっと見た。
「なんだい、人の顔をじろじろ見て」
「あの、トイレのポスターの『お三津』って…おばあちゃん?」
「そうだよ」
「!」
驚くのも失礼だとは分かっている。しかし思わず目玉をひんむきそうになった。
「舞踊一座『玉幌』の花形さ。今だって踊れるよ」
店主は狭いカウンターの中でひとさし舞って見せた。
その仕草は流れるようで…クソババアであるのに確かに凜として美しかった。
「ま、せいぜい次の男にはフられないように頑張りな、花の命は長くないよ。私は今でも咲いてるけどね」
そしてかっかっか、と笑ってみせる。
「…そうですね。帰ります」
花の命が長いのか短いのかは、よく分からないけど。
とにかく帰って寝よう、と思った。
クソババアに人生あり、私にも明日があり、だ。
ぐずぐずした飯で腹が満たされ、とろんとほどよい眠気も訪れてきた。
「ごちそうさまでした。また来ます」
「もう来なくていいよ。1200円ね」
「たっか! 残り物なのに」
「一級の『ぐずぐず』は高いんだよ」
「こんな店、もう本当に来るもんか…」
財布からお金を出して、スタスタと店を去る。
もう本当に来なくていいように、次はいい男つかまえてやる。
でも「ぐずぐず」は本当においしかったから、またフラリと来てしまうかもしれない。
そんなことを考えながら、家路についた。
ぐずぐず飯屋「残り物」 のなみ寿々 @suzunonanae2
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