第14話 未来の青写真

「んー! いい天気。久しぶりのお休みが晴れでよかったね」


 大きくのびをしたノアは、隣を歩くレイフに目を向ける。しかし目の下にクマを作っているレイフは「天気など関係ない」と素っ気無い。


(デートと言うには物足りないけど、せっかくこうして二人で丘の上まで散歩に来ているのに)


 連続窃盗事件と妖精への傷害事件の犯人としてエドガーを逮捕したあと、捜査係は事後処理に忙殺された。

 それに加えて反妖精派組織である“鋼竜の鱗”のメンバーも捕まえたため、もともと人手不足のところに他の係から人を借りても猫妖精の手を借りても、徹夜の日々が続いていたのだ。


(しかも休みとはいえ、半日だけだものね。やっぱりボスが謹慎して捜査係にいないのが痛いなぁ)


 部下であるエドガーが犯人だということで、上司のドミニクは監督不行き届きで減給やら謹慎やら罰を受けていた。


 ドミニクに処罰を下した妖精館の館長も自らを罰し、現在先頭に立って人間世界での信頼回復に努めている。

 そのため、ノアたちは妖精へのフォローに集中できているが……やはりドミニクがいないと、捜査員達も元気が出ない。


「ボスは今頃何をしているんだろうね。奥さんとのんびり過ごしてる……って感じじゃないよね、きっと。エドガーのことで責任を感じているだろうし」

「ボスの細君は妖精館館長だ。一緒に過ごす所じゃないだろう」

「は……え、そうなの!? あんな美人で仕事が出来る人が、ボスの奥さん」

「……その言い方はボスに失礼じゃないか」


 レイフに呆れたふうな目を向けられ、ノアは慌てて言葉を足した。


「別にボスに似合わないとは言ってないよ。驚いただけ。でも、うん。確かにボスの奥さん、って感じだった」


 勝手な行動を取って妖精界へ行ったことに関して、ノアは館長からも注意を受けていた。そのときに彼女は言ったのだ。


『今回反妖精派を潰せても、また違う組織が出てくる。人間と妖精の相互理解は一進一退だ。一筋縄じゃいかん。だからこそ私たちは人間と妖精双方を信じて、理解に努めなければならない。何度挫け裏切られようと、続けることが肝要だ』


 館長の言葉は、ボスの理念と同じだ。きっと二人で同じ理想を追って、切磋琢磨しているのだろう。


「わたしもいつか、館長みたいになれるかな」

「ノアでは無理だ」

「即答!?」


 あんまりだと、ノアはレイフを睨む。それを涼しげに受け流したレイフは、ふん、と鼻で笑った。


「まだろくな実績もないくせに、大それたことを。せいぜいノアが提案した妖精のホームステイが人間に受け入れられ、チェンジリングを禁じるというルールが妖精たちに定着したら、小人の爪の先くらいは可能性を感じるかもしれないな。

それも何年かかることかわからないが」

「ぐぬぬ……」


 レイフの言うことは正論で、反論の余地がない。それでも何も言わないと負けな気がして、ノアは必死に頭を巡らせる。


「誰かの真似をするんじゃなくて、ノアはノアらしい架け橋になればいいよ」

「エムリス!」


 いつもながらひょっこりと現れたエムリスは、ノアにひらひらと手を振る。


「最近ノアは忙しそうだったけど、約束。忘れていないよね?」

「もちろん。ちゃんとした休みが取れたらエムリスを探そうと思ってたの」

「よかった。嬉しいなぁ、ノアにどんなお願いを聞いてもらおうかな」


 ほくほくと銀の髪をいじるエムリスとは反対に、レイフの機嫌は急降下していた。隣から寒々しい空気を感じたノアは、横目でレイフを伺う。


 エムリスとの約束のことは、レイフにもちゃんと話している。

 あの時は散々無茶はするなだの安易に約束をするなだのと怒られたが、ノアも助手とはいえ一人の捜査員として事件を解決したかったし、レイフのことも心配だった。


 そう話すとレイフは最終的に怒りを納めてくれたが、お小言は止まなかった。


「ねぇ、ノア」

「なに? 願い事決まった?」

「うん」


 頷いたエムリスは子供のように無邪気に目を細め、ノアを指差した。


「きみが欲しい」

「なっ!? エムリス貴様! 何を言う!」


 ノアより先に反応したレイフは、エムリスとノアの間に強引に身体を捻じ込んだ。


「レイフこそ何を言うんだい。これはぼくとノアの取引だ。口出しは無用だよ」


 むっとしたふうに頬を膨らませたエムリスに「ね」と片目を瞑られ、ノアは曖昧にうん、とかまぁ、とか答えた。


「条件は髪だったな。鎖骨の辺りまで伸びたら、だったか。ノア、今すぐ髪を切れ」


 振り返ったレイフはノアの髪に手をのばし、鎖骨に届かないように持ち上げた。その目が座っていることに、ノアはたじろいだ。


「や、それは反則じゃない?」

「………………ちっ」


 長い沈黙のあと、レイフが舌打ちする。その怒りはなぜかノアに向けられた。


「なぜお前はそんなに悠長にしているんだ! お前が欲しいといわれたんだぞ!?」

「うん、でも減るものじゃないし」


 エムリスとは、ノアの気持ちに沿わない願い事はだめだと約束している。

 それに彼の言う“欲しい”は、エムリスの食事――雰囲気や空気を食べるという意味だろう。エムリス曰く、ノアはおいしいらしいし。


 それをレイフに告げようとしたが、わなわなと全身を振わせたレイフにがっちりと両肩を掴まれ、怒りとも焦りともとれる色を浮かべた目に見つめられ……ノアは言葉を飲み込んだ。


「俺は、ノアの両親と約束をした。捜査に協力してもらう代わりに、ノアを守ると。俺にはノアを守る義務がある」


 レイフのまとう真摯な空気が、ノアの肌を痛いほどに突き刺す。けれどそれは、決して不快ではなかった。


「それに……お、お前は俺の妻だろう!!」


 大声で叫んだレイフは、首まで真っ赤になる。真正面から気持ちをぶつけられたノアもまた湯気が立ちそうなくらい赤面し、嬉しいやら恥ずかしいやらで意味もなく指先を動かした。


「そういうほしいじゃないから、安心していいよ。レイフ」


 くすくすと笑みを零したエムリスは「食事の方の意味だから」とレイフの早とちりを訂正した。


「っ!!」


 失態に気づいたレイフはまた一段と赤くなったようだ。

 ノアの肩から手を離すと、顔を覆って座り込んでしまった。そして自己嫌悪なのか現実逃避なのか、ぶつぶつと呟き始める。


 普段は落ち着いているレイフも、エムリスが相手だと調子が狂うらしい。

 極端にエムリスを警戒したり、ノアから遠ざけようとしようとすることからしても、昔エムリス関連で何か嫌な目にあったのかもしれない。


(たとえ勘違いでも、わたしはレイフがああいうふうに言ってくれて、嬉しかったんだけどな)


 ノアはにやけてしまう頬を押さえながら、エムリスと都合をあわせた。エムリスの欲しいは一日共に過ごすことでいいらしい。


「日がな一日きみの甘美でとろけるような空気を貪りながら、だらだらと過ごせるなんて。これ以上に贅沢な食事はないよ!」

「あはは……喜んでもらえるなら、よかった」


 エムリスは恍惚の表情を浮かべているが、ノアには自分がまとう空気の味はわからない。そんなにおいしいのならどんなものなのか知りたい気もするが。


「うん。すごくうれしいよ。……だから今は、それで我慢する」


 途中で声色を変えたエムリスは、ショックを引きずっているレイフを横目に見て挑発するふうに口角を持ち上げた。


「なん、だと!」

「どうしたの、レイフ?」


 エムリスの声はノアには聞こえなかったため、突然立ち上がり気色ばんだレイフに驚く。


「ノア。困った事があったらまたいつでもぼくを呼んでね。きみのためなら幾らでも協力するから」

「ありがとう。どうしても自分の力で解決できないことがあったら、お願いするね」

「そんな奴に頼るな! 頼るなら俺にすればいい!!」


 ノアの腕を掴んだレイフは、エムリスには渡さないとばかりに自分の腕のなかにノアを抱きこんだ。


(なっ、ななななな!?)


 レイフの匂いやら体温やらが近くて、ノアはくらくらと眩暈を覚える。

 すぐそばでレイフの鼓動を感じられて心地よいけれど、このまま触れ合っていると心臓が持ちそうにない。


「レイフってば意外と嫉妬深いんだ」


 面白そうにレイフを見たエムリスは、意味深に口元に指をあてる。


「でもさ、人間ってよく心変わりするよね。ノアの気持ちにそぐわないことはお願いしない、って約束したけど、ノアの“気持ち”が変わったら、違うお願いも出来るよね」

「お前になど渡すものか!」

「ひゃ!」


 ノアを抱くレイフの腕の力が強くなり、少し息苦しい。それでも離してほしいとは思わない。ばくばくと凄い速さで脈打つ心臓には、もう少し頑張ってもらわなければ。


「じゃあレイフがいなくなった後にノアをもらうよ。ぼくは半妖精だから、人間より長生きだし」

「それでも、俺は誰にもノアを渡すつもりはない!!」


 言っていることは子供の喧嘩のようだが、ノアはどうしようもなく嬉しかった。うっかりすると涙が出そうだ。


「……レイフがそこまで、わたしのことを想ってくれていたなんて。知らなかった」

「なっ!?」


 うるんだ目のノアに至近距離から見上げられ、レイフはようやく自分のしたことの大胆さに気づいたらしい。

 ふらりと卒倒しそうなほど身体を揺らし、寸でのところで踏ん張った。


「よ、ようやく使えるようになってきた助手を、手放す気はない」

「うん」

「あっ、相変わらず人手不足で、やることは山積みだっ」

「そうだね」

「……そ、れに……個人的にも、その」


 レイフはまったくノアを見ずに話していたが、ようやくためらいがちにだが目が合った。


「俺の、そばにいてくれないと、困る」

「わたしも、いやだと言われたってずっとレイフの傍にいる!」


 感極まったノアはレイフに飛びつき、両腕でぎゅっとレイフを抱きしめた。


 レイフに抱きしめられたときのようにどきどきするけれど、自分で抱きつくのはちょっと違う。大好きだという気持ちをありったけ込めて大切な人を抱きしめるのは、とても幸せだ。


「べ、べべつに、……嫌などと言う気は」


 もごもごと呟きながら、レイフもノアの背に手をのばす。が、


「ぼくも混ぜて!」


 ノアとレイフの上から、エムリスがくっついてきた。


「わっ!」

「なっ、離れろエムリス!」

「えーじゃあぼくにもノア貸してよ。レイフばっかりずるい」

「そういう問題ではないし、貸しもしない!」


 拗ねた声をあげるエムリスと、声を荒げて怒るレイフに挟まれて。ノアは笑った。


 いろいろあったし、これからもいろんなことがあるだろうけれど。人間も半妖精も、妖精も。みんなが笑いあえる日が訪れ、それがずっと続くように。人間と妖精を繋ぐ架け橋として精一杯努めようと、改めて決意した。




 そして、数年後――


「俺と……その、共に生きて……いってはくれない、だろうか。……俺がっ、傍にいてほしいのは、……ノアだけ、だから。

…………っ、結婚してくれ! ノア!」


 首まで真っ赤になったレイフからそう、たどたどしくも真摯なプロポーズを受けたノアは、やはり顔中を赤くして、幸せいっぱいの満面の笑みで「はいっ」と返事をした。


 そうして両親や同僚、ラウェリンを始めとした妖精たちに囲まれながら、町に唯一の教会で二度目の結婚式を挙げた。


 二人の左手薬指にはもちろん、サンザシの指輪がはめられている。


 人間にも妖精にも祝福されるノアとレイフを、かつて島を救うために手を取り合った人間の乙女と、多くの妖精たちが描かれたステンドグラスも、優しく見守っていた。



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二度目の結婚式と初めてのプロポーズは、旦那さまがデレてから 碧希レイン @Iolite

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