第1話 Duerme

「ハア・・・、ハア・・・。」


 誠司は元来た道をひた走る。

 全身を襲う激痛に苛まれながらも、必死の形相であの森へと駆け込んだ。


「なんで・・・、どうして・・・。」


 まるで訳が分からなかった。

 幾分かの警戒をされることは想定していた。

 多少の荒事になるかもしれないことも、覚悟はしていた。

 だが、全くの問答無用で攻撃を仕掛けられるとは、まるで予想だにしていなかった。


「クソが、クソが、クソがあああッ!」


 そして誠司の全身を駆け巡る激痛は、そのまま奴等への憎悪へと変換されていった。


「殺す、殺す、殺すッ!

 あの愚図共が、一体誰に向かって攻撃したと思ってやがる。最強になったこの俺にッ!英雄の中の英雄になったこの俺にィッ!」


 吐き出されるのは呪詛。

 事情も知らずに、手前勝手な都合で誠司に攻撃を加えた者達への怨憎だった。


「覚えてやがれ、次に会った時は絶対に殺してやる、絶対にみなごろしにしてやるッ!テメエ等の肉の細部の、一片までも細切れにしてやるッ!」


 怨嗟を糧に、誠司は森の中を走り抜ける。

 幸いにも彼が一度通った道は、まるで舗装されたかの如くに木々も岩々も地面すらも、走るのに都合の良い環境となっていた。


    ※


「ハア・・・、ハア・・・。」


 森の中心にまでたどり着いた時には、彼の体力は限界に達していた。

 そこは彼が最初に目覚めた場所だった。

 彼は一先ずここで休息を取ることにした。流石に奴等もこれ程奥深くまでは早々追ってはこないだろうと。そもそもこんな広大な森林の中で、たった一人の人間を直ぐに見つけられる筈がないと。

 

「み、水・・・。」


 必死で駆け抜けたせいか、酷く喉が渇いていた。

 直後、誠司は思い出す。この直ぐ近くに澄んだ水に満ちた泉があったことを。

 そして彼は渇きを癒すべく泉へ向かう。

 渇きを癒し、傷を手当てし、疲労を取り除く。そして奴等を迎え撃つ。今度はこちらの番だ。

 油断さえしなければ、アイツらを血祭りに上げることなど赤子の手を捻るよりも容易いことだ。


「だから先ずは水だ。」


 ヨロヨロと泉のほとりへと向かい、座り込む。そしてその水を啜らんと、水面に顔を伸ばした。その瞬間、誠司は絶句した。


「何だよ・・・、これ・・・!?」


 水面に映ったのは己の顔では無かった。

 いや、そもそも人間という種族の顔ですらなかった。

 酷く歪んだ口元。ひしゃげ潰れたような大きな鼻。醜く不自然に垂れ下がった双眸。

 そして何よりも深く、暗く、濁ったような緑色。藻が蔓延し、澱み切ってしまった沼のような暗緑色の肌。

 清らかな水鏡に映るは、顔を構成するパーツの一つ一つが唾棄すべき悍ましさ孕んだ、酷く冒涜的な怪物のソレだった。


 只々、絶句する他無かった。

 その恐ろしく醜い顔の上で己の手を這わせる。水面に映る手の動きが、彼の顔の上を動く己の手と寸分の狂い無く連動しているという事実が、改めてそこに映るモノが彼自身であることの決定的な証拠だった。


「どう・・・して、」


 そして顔の上をのたくる手もまた、暗緑色のブクブクと肉の襞が波打ち、醜く歪んだ様相だった。


「どう・・・して、」


 どうしてこんなことになってしまったのか。

 どうしてもっと早く気が付かなかったのか。

 どうしてもっとあの男を疑わなかったのか。

 答えの無い後悔が、彼の頭の中を堂々巡りに駆け巡っていた。


 そしてソレが致命的な隙を生むこととなった。


 ドンッ、と突如、誠司の頭に強い衝撃が走った。


「あぁ!?」


 水面に映る怪物の頭頂に、大きな斧が深々と突き立っていた。

 誠司はその光景が理解出来なかった。彼は恐る恐る、震える指を頭へ這わせた。 そこには当然の如く、しかし彼にとっては信じがたいことに、鉄の塊が彼の頭蓋を押し退けて鎮座していたのだ。

 そして彼は糸が切れた人形のように泉の畔に倒れ伏した。


「な・・・ぜ・・・?」


 最後に見えたのは、背後に佇む一人の男。否、その更に後ろには数人の人間が立っていた。それはまさしく己を襲撃したアイツら当人だった。


 何故こんなに早く追い付けたのか。

 何故ここにいると分かったのか。


「”Muelgö Terr öts?”」


「”Sígen."」


「”Nézd ther! Áuk Sor diviega? Was vianchielo Sor'uk. Presio reacrroado wi oz Méa?"」


「"Na delij. Execa et Yor arhoua.”」


「”Repoeas!”」


 そしてまるで聞いたことの無い言葉。

 何もかもが理解できなかった。次々と疑問や謎が浮かんでは、己の血や脳漿のうしょうと共に零れ出て行く。

 最早思考も儘ならず、只感覚だけが残っていた。


 腕が切り落とされた。

 剣が奪われた。

 地面の上を転がされる感触。

 そして、水の中へと沈んでいく感覚。不思議と息苦しさは無い。或いはそれすらも感じなくなっていたのか。

 深く深く、ほの暗い水底へと堕ちていく。

 そうして遂に、誠司の世界は暗転する。


   ※


「まあ、こんなものか。」


 薄暗い部屋の中。

 この空間の主は、酷く冷めたような目で机の上のモニターを眺めていた。


「残念だったね、セージ君。

 君はセカンドチャンスを掴むことは出来なかったようだ。」


 彼は何の未練も無く、モニターのチャンネルを切り替えた。その画面には、また別の人間が映し出されていた。


「さあて、君はどうだろうね?

 どこまで頑張れるかな。そしてどこまで僕を楽しませてくれるかな。」


 それは、穢れを知らぬ幼子のようにどこまでも清純で無垢な期待だった。

 それは、ケージの中のモルモットを心の底から慈しむ純粋で、そして残酷な子供のような眼差しだった。


 最早既に彼の中からは、誠司の存在は綺麗サッパリと消え去っていた。

 そして二度と、彼を思い出すことも永劫無い。


    ◆


 第1話 完

 

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異世界転生相談《”Demonic Consultation”》 十条クイナ @ito_aya

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