第1話 Despierta

 「ん・・・。」


 男は目を覚ます。

 自分が草の上に仰向けで倒れていたことに気が付いた。

 辺りを見回すと自分の周囲を木々が囲っていた。上を向くと生い茂った葉の隙間から木漏れ日が差し込んでいる。

 近くには清らかな水を湛えた泉があった。

 おそらくは森の中なのだろうと、彼は当たりを付ける。

 己の手の中には一振りの剣が握られていた。そして誠司がソレを認識した瞬間、即座に理解した。否、正確にはソレをことを理解した。


 剣の握り。剣の構え。剣の振り。剣の捌き。更には剣術の妙、呼吸法、身体の使い方から、歩法といった剣術に関わるあらゆる技法、技術に至るまで遍く総てが知っていた。

 それはただ知識として脳の中にあるだけではなく、まるで幾度もの修行や実践経験を重ねてきたかのように彼の身体がその総てを覚え、知っていた。

 彼が握る剣についても同様だった。長年連れ添った相棒であるかのように、彼の手に良く馴染む。当然のように彼の剣の切れ味の冴えの程も熟知していた。


 そして誠司は試しに剣を振るう。


 近くにあった木に向けて適当に剣を薙いだ。

 驚くほどに手応えがない。まるで空を切ったかのような感覚だった。だが数秒の遅れの後に木は幹から滑り落ち、大きな音と共に地に倒れ伏す。

 その切り株の断面は、氷面を思わせるかの如く滑らかだった。


「ハハ・・・。」


 そして次に目を付けたのは巨大な岩だった。


「アハハ・・・。」


 誠司が一刀の下に切り払うと、大岩は何の抵抗も無く二つに分かれる。これもまた、まるで豆腐に包丁をいれるかのような手応えの無さだった。


「スゲエ、スゲエよ、コレッ!」


 更に一閃、二閃と目にも留まらぬ速さで、何度も剣を滑らせる。

 剣が触れる度に、大岩だったモノは見る見るうちにその体積を減少させていった。


「マジで俺が剣が使えてるぜ。それにあの大岩がバターみてえにスパスパ切れていきやがるッ!」


 誠司は夢中になっていた。

 己の持つ業の冴えに。

 己の握る剣の切れ味に。

 そして己の強さの虜になっていた。

 最早、外の事などまるで気にも入らない程に、そもそも入る余地が全く無い程にこの素晴らしき異世界チートに魅了されていた。


「流石、異世界チートサマサマじゃねえか。

 何だよ、もっと早く死んどけば良かったじゃねえか。そうすりゃもっと早くこっちに来れたんだからよお。

 これなら相手が魔王だろうが、竜王だろうが、誰だろうが負ける気がしねえよ。この業で、この切れ味で、この強さで負けたら。これだけ揃っていて負けたら、ソイツは只の馬鹿だぜッ!

 アーッハッハッハッハッハッハッハ・・・・・・ッ!」


 誠司の哄笑が森中に木霊していた。

 樹木や岩石、果てには地面その物が、彼の手によって幾何学的な彫刻が施されていった。

 そして彼が通った後には、一種異様な、ともすれば芸術的とさえ言える光景が広がっていた。


    ※


「ハア、ハア・・・。

 少し浮かれすぎたようだ。これからはもう少し冷静に動くか。」


 誠司は息を整えながら、森の中を歩く。

 その道中に彼は幾度か、モンスターと思しき生物と遭遇した。だがそのいずれもが、その剣技の前に血の海へと沈んでいった。

 始めの一匹を切り伏せた時に気が付いたことが、他の生命を奪うことに対する己の中の躊躇いが、驚く程に無くなっていたということだった。

 だがその己の精神状態も、チートによる恩恵の一種だろうと誠司は即座に思い至ると、すんなりソレを受け入れた。

 そして奴等も、何の警戒を見せることなく、誠司の方へと近付いて来たのだ。

 だからこそ彼はそんな愚鈍な魔物を一匹、或いはまた一体と、何の忌避感も容赦も無く剣の錆にしていった。


 そして遂に誠司は森を抜けた。

 彼の眼前に広がっていたのは未知の、にも拘らず既知の光景だった。

 広大な平原とその中を走る拙い造りの街道。

 更にその奥に連なる山々の群れ。蒼々としたその姿と、その頂上付近白く染め上げる積雪。かつての世界で写真越しにしか見たことのない、遙か遠く欧州のアルプス山脈を思わせる光景が今まさに彼の前に存在した。

 そして誠司は天空を見上げる。

 青々と透き通った空と所々に浮かぶ白雲。

 だが空を漂うのはそれだけではなかった。明らかに雲とは異なる確かな質量を持った物体が・・・、浮遊島と呼ばれるモノも空中に存在していたのだ。


「ハハ、スゲエッ!」


 その光景を目の当たりにした誠司が無意識に溢したのは、そんな余りにも単純な言葉だった。


「スゲエ、スッゲエよッ!

 そうだよな、やっぱ異世界ファンタジーってのはこうじゃなくちゃなあッ!」


 だがそれほどまでに彼は感動していたのだ。

 彼が思い描いた異世界像。彼が望んだ異世界の在り方。

 ソレらに寸分違わない景色が、そこに在ったのだ。いや、今まさに己がその中にいたのだ。


「と・・・、浮かれてばかりもいられねえな。」


 逸る心、叫びたくなるような気持ちを何とか抑え込み、頭を冷やす。


「先ずは近隣町を見つけねえとな。」


「そんでその中にあるであろう、ギルドに行ってそこで仕事を見つけるのが当面の目的だ。」


 これまで社会人として培った建設的な思考を組み立てていく。


「ギルドで幾らか仕事を重ねてある程度金を稼ぐか。

 或いはギルドポイントを貯めてとっとと上級冒険者になるか。」


「そんで適当に名前と売った後は、どっかの王国だが帝國だかに行ってそこで更に名を上げて。

 そしていずれは世界に名立たる勇者にでも冒険者にでもなってやる。」


 実に途方も無い、壮大な計画だった。

 だがそれ程までに誠司は、彼が手に入れた力を信じていた。そして事実として、彼はソレが出来るだけの確かな剣の技量を持っていたのだ。


「んん・・・?」


 そして彼は気付く。

 遙か向こう側の街道で、土煙を上げながら何かが走っていることに。

 彼はソレの正体を確かめるべく、街道の方へ向かう。やがてその正体がハッキリと分かる所まで来ると、彼は嬉しそうに笑った。


「やっぱり俺は付いてるな。あの馬車に付いて行けば近郊の町まで行ける。」


 街道を走っていたのは数台の馬車だった。

 おそらくは商人の集団なのだろうと適当に当たりを付ける。その証拠にその周りを馬に乗った数人の騎士と思しき者、冒険者と思しき者が周りを並走していたのだ。


「だったら、護衛として俺も付き添えばいいだけのことだ。護衛ならばいくらあっても足りないことは無いからな。」


 そう考えた誠司は、その集団に向かって駆け出した。


「おーいッ!」


「おーいッ!」


 誠司は何度も大声で叫び、馬車に呼びかけた。


「おーいッ!」


 そして幾度か叫んだ後、護衛の一人が誠司の存在に気が付いた。


「ヨシッ!」


 誠司はガッツポーズを決め、


「おーいッ!こっちだあッ!」


 と、更に大声で叫んだ。

 するとその集団は街道上に停止し、彼ら全員が誠司の姿を認識した。そして俄かに慌ただしく動き始めた。


「おーいッ!待ってくれえッ!」


 誠司は大手を振りながら、彼らへと近づいて行った。誠司にも彼らが慌ただしく動いているのは見えていた。

 ただそれは見知らぬが突然大声を上げながら近付いているからだろうと、彼は考えた。

 故に、『最近のこの辺りに来た者で、右も左も分からず迷ってしまった。』だの、『どうにか近くの町にまで案内してはくれないだろうか。礼はするから。』などと、適当に事情を話し、説明すれば随伴を許可してくれるだろうとも考えていた。

 それにいざとなれば、荒事になろうが勝てる自信と実力が誠司にはあった。


「おーいッ、俺も一緒に連れてってくれえッ!」


 だからこそ誠司は、彼らの方へ近付いて行ったのだ。

 すると遠く向こうに見える彼らの手元で、太陽の光を反射させ、キラリと光る幾つかの物体があった。

 誠司は疑問に思いつつも、足を止めなかった。

 暫くの間彼らの手元にあった輝く物体が、彼らの元から離れ、宙を舞った。

 その物体は、かなりの速度で誠司の方へと向かって来た。


 そしてソレらの正体に気が付いた時には、既に何もかもが遅かった。


「あァッ・・・!?」


 誠司の肩や腹部に、数本の木の棒が突き刺さっていた。その後に遅ればせながら、徐々に痛みが全身に伝播していった。

 そして突き刺さった棒の根本から赤い液体が滲み出し、その傷口の周辺のを赤く染めていった。

 

 向こうからは馬を駆る数人の護衛が、物凄い勢いと共にこちらへ向かって来た。 

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