第3話 世界樹

 泊り客のマーリンと、ミランダは村の外に出ていた。

 凶悪なモンスターが多い森の中なのに、モンスターと遭遇していなかった。


 モンスターの気配はあった。

 ミランダはマーリンに着けてもらったタリズマンをきゅっと握る。


「それは、できるだけ周囲に見せるようにしてください」

 マーリンは穏やかに言い、ミランダは慌てて手を離す。


 胸元に、美しいタリズマンが燦然さんぜんと輝いた。

 すると、黒い影がサッと遠くに去っていくような気配がした。


(タリズマンって、こういう物なの?)

 村で売っているタリズマンは、気休め程度だ。


 着けていた人が「効いた」と言うのを聞いたことがない。

 ミランダは買った人で帰ってきた人に会ってなかった。


「あなたにとてもよく似合ってますね」

 マーリンは相変わらず呑気に言う。


「私にはもったいないような気がします」

 武器も持たずにこんな森の奥まで来てしまい、ミランダは生きた心地がしなかった。


「そんなことありませんよ」

 ニコニコとマーリンは言った。

 ミランダはずっと気になっていたが、マーリンは歯が浮くセリフを平気で放つ。


 美しいマーリンに笑顔でささやかれ、ドキドキもしていたが、このドキドキは恋のときめきだけというわけでもなさそうだ。


(もしかして、ここって、モンスターの巣窟そうくつなんじゃない?)

 チラチラとモンスターらしき影が逃げていくのを感じていた。


 頼りになるのは出会ったばかりのマーリンと、その胡散臭いマーリンがくれたタリズマンだけだった。


(村まで戻りたいけど、ひとりで戻れる気がしない……)

 ミランダはマーリンの腕をきゅっと握った。

 マーリンは、ミランダの手にそっと触れる。


 とても優しい触れ方だった。

 ミランダは頬が熱くなるのを感じた。


「着きましたよ」

 笑顔のマーリンがミランダに言った。




***




「ここが、タダで薬草が手に入る場所ですか?」

「そうです」

 薬草が高いことを愚痴ると、マーリンはタダで薬草が手に入る場所があると言った。


 それがこの場所らしい。

 不思議な場所だった。


 森の中にとても大きな、本当に大きな木が生えている。

 見上げても、先端が見えなかった。


 木々や葉に隠されていて見えないのだが、果てしなく伸びているような気がした。


「これが、世界樹です」

 マーリンはその大きな大きな樹を示した。


「……これが?」

 ミランダはその樹をじっと見つめる。

 とにかく大きい。


 それからマーリンは、根本の穴を指さす。

 根が盛り上がっていて、どこまても落ちて行きそうな空洞があった。


 人、ひとりくらいなら楽々入ってしまいそうだ。


「ここに、世界樹が喜ぶ物を入れると、お礼に薬草をくれます」

 そう言って、穏やかに微笑んだ。


「世界樹が喜ぶ物?」

 ミランダがマーリンを見る。

 微笑んでいたけれど、何を考えているかわからなかった。


「ここは根に直結しています。世界樹の栄養になるような物ということです。世界樹が喜べば喜ぶほど、よい薬草をくれます」


「それなら肥料を持ってくればよかったわ」

 わけも聞かずに急いで来たので、そういう準備をしていなかった。


「もっと簡単な物がありますよ」

 マーリンはにっこりした。


「ほら、あそこ。見えますか?」

 マーリンが穴の中を指さしたので、ミランダは覗きこんだ。


「真っ暗で何も見えません」

 底がなさそうに深い穴だった。


「あなたに恋人はいますか?」

 背後からマーリンが言う。


「え?」

 いきなりそんなことを言われて、ミランダは頬が熱くなる。


「……いません」

「本当に?」


「嘘なんて言いません」

 少し怒ったように言った。


「今までずっと?」

「はい……」

 ミランダは恥ずかしくて顔を上げられなかった。


「それならよかった」

 マーリンはにっこりとする。


 ミランダの肩に手をかけ、その後ろからマーリンが洞穴を覗きこむ。

 マーリンとの距離が近くなり、ミランダが驚いていると、手を滑らせてしまった。


「あ……?」

 落ちそうになるミランダを、マーリンは支えた。


「私と、お付き合いしていただけませんか?」

 ミランダは驚いて、マーリンを見つめた。

 なんだか楽しそうにミランダを見ていた。


 とても綺麗な顔だった。

「いいですよね?」


 マーリンが支えている手を離したら、ミランダは落ちてしまう。

 断ったら、落とされる。ミランダは、そんな気がして、キュッと唇を噛みしめた。


「いやです」

 いつもは穏やかなミランダが、きっぱりと断った。


「なぜですか?」

 マーリンは、驚いたような顔をした。


「今までどういうお付き合いをされていたのかわかりませんが、会ったその日にお付き合いとか、ありえません」


 ミランダはそう言って、まっすぐにマーリンを見た。

 マーリンはクスっと笑って、ミランダを抱き寄せた。


 彼女の柔らかな肌と、花のような香り。

 マーリンは優しく微笑んだ。


「離してください」

「すみません」

 怒っているミランダに、マーリンはニコニコと言って、安全な場所で手を離す。


不躾ぶしつけなことを言ってしまったお詫びです」

 マーリンはそう言って小剣を出し、自分の腕を切り付け、血を穴に落とした。


「何を……」

 そう言うミランダの前に、上から薬草が落ちてきた。


「え?」

 ミランダが上を見ると、世界樹の枝があった。


「私の血と交換で、世界樹が薬草をくれました」

 世界樹の枝は笑っているかのように、サワサワと揺れていた。




***




 それから数年の月日が流れた。

 マーリンは今もミランダのところへやってくる。


「あなた、あの時、私を穴に落とそうとしてたでしょ?」

「私がキミを? まさか」

 マーリンはニコニコとミランダを見つめる。


「あなたの本性はわかってるの。私がお付き合いを受けたら、世界樹のエサにして、蘇生の薬でも手に入れるつもりだったのよ」


 ミランダは機嫌が悪かった。

 これまでの付き合いで、マーリンの異常さはよく知っていた。


「あの時のキミが蘇生の薬になる?」

 クスっとマーリンが微笑んだ。


「何?」

 ミランダは嫌な予感がした。


「あの時のキミの価値は、そんなものではなかったよ」

「なんで過去形なの?」

 不思議そうな顔をして、ミランダは恋人を見つめた。


「だって、わたしがけがしてしまったから」

 マーリンは愛しい人の頬にかかっていた髪に触れた。

 意味が分かったミランダは、頬を染める。


「知らない……、もう」

 逃げ出そうとするミランダの手を握り、マーリンはそこに指輪を握らせた。


「なにこれ?」

「結婚しよう」

 優しく微笑み、マーリンは言った。


「断ったらどうするつもり?」

 少しだけ機嫌が直ったようにミランダは言った。


「キミは断らない。だからどうもしないよ」

「ホントにヤなひと

 そう言いながら、ミランダは指輪をはめる。


「あら、ぴったり」

 嬉しそうにミランダは言った。


「キミのことなら、なんでも知ってるよ」

 そう言って、マーリンはミランダを抱きしめた。


「その申し出を受けたら捨てて、受けなかったら結婚かしら?」

「どっちでも結婚するよ」


「あなたのそういうとこ、キライ」

 ミランダは嬉しそうに婚約者を見つめた。


「キミのそういうとこ、愛してるよ」

 マーリンは幸せそうに微笑むミランダにキスをした。

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お留守番をしている長女の恋 玄栖佳純 @casumi_cross

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