その文学少女、ギャルにつき

てば@

第1話

文学少女ギャルにつき


「ねぇ、アンタが読んでるのって藤堂泰憲の新作?」


そう言ったのは、隣のクラスの神宮寺ナツキだった。彼女は秀美な顔で僕を机の前から見下ろしていた。


「そうだけど」


何か用?

僕はそう言えなかった。そうだ、と言った瞬間に彼女の尖った唇が綻んで話を始めた。


「なんだ、やっぱりそうだぁ。背表紙の色見てそうだと思った。ねぇ、やっぱり予約したんでしょ?あ〜あ、あたしもそうすれば良かったんだぁ〜」


ゆるく巻いた髪の毛を指先でくるくると絡ませ前の席に座り、僕の方を向いてずいっと顔を近づける。鼻に漂った甘い香りに酔いしれそうになりながらも女子に慣れてない僕は彼女のキラキラして大きな瞳から避けるように下を向いた。


僕が手にしているのは藤堂泰憲の書いた小説でそれも昨日発売されたばかりの新作だった。ネットの通販サイトで予約開始になるのを10分も前から待機し、何度もF5ボタンを押してようやく開始になったところをすぐさま予約したのだった。

藤堂先生の本は正直言えば少々マニアックである。純文学と歌いながらも文章にはアヴァンギャルドな文字が飛び交ったりするし主人公とんでもない奴だったりする。ただ主人公がどんなにぶっ飛んでいてもヒロインは必ず主人公の事が好きになるハッピーエンドだ。僕はこの茶番劇が好きだった。

ヒロインが不治の病にかかって死んじゃう話なんて悲し過ぎるし、現実に起こっても僕には到底救えない。そんな話はあらすじを読んだだけでお腹いっぱいになる。

でも先生の本は最後には笑わせてくれる。僕にはそれが読んでいて心地良かった。そして根強いファンが多く、大して出版数は多くないくせにやたらとインターネットで賑わいを見せるコアなファンがいた。僕もその一人だ。


「読み終わったらあたしに貸してくれない?」

「えっ!?」

「……ダメ?」

「いや、良いけど。その、これを?読むの?」


また目線が合う。僕は恥ずかしかった。彼女が僕と一緒に居るところを皆が見て笑って居るような気がした。神宮寺ナツキはどちらかと言うと派手なグループで制服を改造して着るような奴だ。逆に僕のカーストは最下位と言っても良い。


「あたし、藤堂先生の本にハマってんだ。でもみんな知らないって言うし、教室入ったらアンタが読んでるの目に入ってさ」

「その、ちゃんと返してくれるなら別に今すぐでも……」

「やだ、疑ってる?ちゃんと返すよ。それに持ち主のアンタより先に読むのも何だか申し訳ないし読み終わったらで良いからさ。えーっと」

「鶴城」

「あぁ、ツルキね。ツルキか」

「あ、えっと、神宮寺さんは」

「きゃははは!やだぁ、ナツキで良いよお」


僕が恥ずかしげに彼女の名前を呼ぶと神宮寺ナツキはケラケラと笑った。想像していたよりも随分とはにかんだ笑顔を見せる。


「じゃあ……僕が読み終わったらナツキさんに貸すよ」


そう言うとまた神宮寺ナツキは顔をぐいっと僕の方に寄せてきた。


「ナツキでいいよ。さん付けされるの慣れてないんだ」


僕の指に彼女の長い髪が触れる。思わず本を持っていた手に力が入って親指を隠すように握り変えた。


ホームルームが始まる5分前のチャイムが鳴り響く。クラスメイトは自分の席に戻るなりとバタバタ仕出すのを見て、ナツキもまた椅子から立ち上がる。


「じゃあ、また来るね」

「うん」


僕の方に手を振って彼女は颯爽と教室を出て行った。違うクラスの目立つ女子が何故僕のような奴と話をしていたのか周りは気になって仕方がないようだった。すぐに隣の席の青山が俺を肘で小突いた。


「神宮寺と何話してたんだよ」

「別に何も。ただ俺の読んでる本を貸してくれって」

「あー?お前の読んでる気難しい本に神宮寺が興味なんか持つかっての」


ごもっともだ。何故藤堂泰憲の本なんて読んでいたのだろう。本屋でたまたま手に取ろうにも表紙は淡白でいつも味気ない。青山が言った事に妙に納得しながら、本を閉じて机にしまった。


暑い日差しは一変し、午後は雨だった。傘を持って居らず、ずぶ濡れになる覚悟をしたところで僕を呼ぶ声が響く。


「ツルキ!」


振り向くとナツキが僕の方に走ってきた。


向こう側に彼女のツレであろう男女がこちらを困惑した様子で見ていたので僕は目線を泳がせた。本当は僕なんかと話をすると仲間に変な目で見られるぞ、と忠告したいところだが彼女はそんな事微塵も思ってないだろう。

それを全く感じさせないほどに、ナツキは僕の肩をペチンッと叩いてケラケラ笑った。


「いてっ、何するんだよ」

「ツルキさぁ傘持ってないんでしょ?あたしのに入れてあげようか?」

「いや、いいよ。駅まで走れば済む事なんだから」


「何でぇ?いいじゃん」


ナツキはまた唇を尖らせた。


僕と君とは違うだろ。子供のように不機嫌な顔をする彼女にそう言いたくなったが、僕はとっさに言葉が出なかった。何が違うって、別に何ら変わらない。ただ、いつも一人だった僕の境界線に彼女が何食わぬ顔で侵入してくるものだから僕自身が戸惑っているだけだ。


「……友達と帰るんじゃないのか?」

「帰るよ、ツルキと」

「は?」

「友達でしょ?」

ふふんと満足気に答えた彼女に僕は言葉を詰まらせた。

「じゃあ傘は僕が持つ」

ナツキは持っていた傘を僕に渡してまたケラケラと笑った。

「なにそれ?ジェントルマン?」

顔が火のついたように熱くなっていたのを気付いていただろう。それでも僕は傘を広げて彼女を中に招き入れた。

「ツルキってさぁ、何であたしの名前知ってたの?」

「何でって……」

「だってそうでしょう?」

一つの傘に並ぶ僕達は寄り添って駅に向かう道中、歩く度々ナツキの腕がぶつかってくる。僕はこの狭い世界をなるべくゆっくりと動かした。傘からはみ出た肩が次第に濡れても、なるべく彼女を濡らさないよう傘を持ち歩き続ける。

「目立つんだよ。いつもケラケラ笑ってるから」

「何それ、アタシに喧嘩売ってるぅ?」

「そうじゃなくて……うーん、ナツキは誰とでも仲良くするタイプだろ?だから僕の周りでも名前を知ってる奴が多いんだよ」

「なぁんだ、そういうこと」

ナツキはポケットからリップクリームを取り出して徐ろに唇に塗った。

「ツルキさぁ……1年生の時、図書委員会だったよね」

「そうだけど」

ナツキの無邪気な笑い声が響く。

「やっぱり本が好きなんだね」

「好き……か、まぁ好きっていうか」

雨の音が強まり早足で駅に着いた時には傘をさした意味が無いほどに濡れていた。

「あはは、ウケる」

ナツキはタオルで身体をさっさと拭き始めた。

「悪かったな。きっとナツキだけだったらそんなに濡れなかったと思う」

「そういうの良いからさ、風邪引かないでよね。ほら、あたしのタオル貸してあげるからさ」

「いや、良いって」

僕が断るよりも早くナツキはタオルで頭を乱暴に拭き始めた。


「ツルキくん」


僕達の様子を伺ってか、急に視界に入ってきたのは図書委員長の雪下さんだった。

「先輩?」

雪下さんはニコニコとして鞄から紙袋を取り出し、それを僕に差し出した。

「これ、前に言ってた藤堂先生の絶版になった短編集。私はもう読み終えたから、貸してあげようと思って」

僕は歓喜の声を上げずにはいられなかった。

「え!?うそ、先輩いいんですか?」

「いいよ〜ツルキくん読みたいってずっと言ってたの知ってるしさ」

「うわ、嬉しい。先輩ありがとう。おい、ナツキ!これも読み終えたら貸してあげるからさ」

そう言ってナツキを見ると彼女は唇を尖らせて無愛想な顔をしていた。不機嫌なのが見て取れて、僕は次の言葉を失った。


「あーあたし、用事思い出したんで先に帰りまぁす」


「え?ナツキ?」


ナツキは返事をしなかった。会話に置いてけぼりにしたのを怒っているのだろうか。遠退いてくナツキの後ろ姿を目で追っていると、雪下さんが喋った。

「じゃあ、ツルキくん。私もこれだけ渡したかっただけだから。もう行くね」

雪下さんはそう言って手を振ると駅のホームに消えた。


僕はなんだか腑に落ちなかった。本当はもっと話をしたかったのにどうしてあのタイミングで帰ったりしたのだろう。委員長は彼女では無いし、ナツキだってそれを分かってるはずだ。明日は普通に話せば良い。ただ、それだけだ。


僕はまだ栞を挟んだままの本を2冊全く手をつける事無く布団に入った。帰宅してすぐ読もうと鞄から机の上に本を出しておいたのに、僕は早々に寝た。


翌朝僕は全く手をつけなかった遠藤泰憲の本を再び鞄に入れてから登校した。なんだか気が重い。ナツキに会ったらなんて言おう。「おはよう」って言えばきっと笑って返してくれるはず、「昨日さ」と言えば「怒ってごめんね。それでさ」と仲直りして会話が弾む。そんな事を頭の中でやり取りをしてみるものの、その機会は一向に訪れず一限の授業が始まった。隣のクラスへ会いに行こうかと思った。けれど僕にはやはり荷が重かった。あのナツキに話し掛けるなんておこがましい奴、あれは誰だと思われるのでは。そう考えるうちに僕は何も行動しないまま、ついには昼休みになってしまった。

午後の授業が始まって、僕は落ち込んでいた。普段は黙々と食べる弁当は半分も手を付けれず、そのまましまい込んだ。

ナツキに会いたい。

午後の授業が終わったら会いに行こう。

そう心の中で決心して指をギュッと握った。僕には自信が無い。度胸も経験も無い。あんな風にナツキが笑い掛けてくれる事も。


待ちわびるように午後のHRが終わった。僕は呼吸を整えて隣のクラスに向かって歩き出した。ナツキはやはり目立っていた。

だが、騒がしく男女が彼女を取り囲むように話をしていた。まるでバリケードだ。僕はナツキの名前を呼ぼうと後ろで突っ立ってるうちに、一人の女子が僕に気付いてナツキの肩を叩いた。


「ツッキーくんきてるよ」


ツッキーくん………?

ナツキはそう呼ばれてすぐに後ろを振り返って僕をみた。アクションを取る前にナツキは「ちょっと話してくる」と言って席を立って僕の腕を掴むと、そのまま教室を出て言った。こっちきて、と言われナツキに引っ張られたまま僕はただテクテクと歩いた。僕が想像していたよりもはるかにナツキは行動的だった。


「なに」

「何って、何でこんな場所に」

「だってツルキ、あたしの他に誰かいると思った事全然喋れないでしょ。だからちゃんと二人で話をしようと思ったの」


ものがほとんどなく静かでガランとした空き教室で僕とナツキだけが並んで椅子に座る。

「で、何?あたしに話があったんでしょ?」

ナツキはまるで待ちわびていたかのように僕の方を見て言った。大きな目がくりんとして可愛い顔をしている。僕はあれだけ頭で繰り返した台詞がうまく出てこず、ただごめんと小さく呟いた。ナツキは謝られた瞬間にムッとしたが、そのまま声色を変えずに続けた。

「ごめんて、何よ」

「いや、その、昨日怒らせて帰っちゃっただろ……?」

「ねぇ、あたしが何で怒ったのか分かって謝ってんのソレ」

「いや、分かんないけど……」

ナツキはハァと下を向いて溜め息を吐いた。すこしの間沈黙してまた僕の方を見る。

「まぁ……いっか。初心者のツルキくんに教えてあげるけどさ、女の子だからこそ分かるアレコレってあんの」

「何それ」

「あたしといるのにさ、わざわざ割って入る意味考えてごらんよ。喧嘩売ってんのよあの女。はぁー思い出したらムカムカしてきた」

ナツキは口を尖らせた。

「まって、ナツキ考え過ぎだろ。委員長が僕なんか好きになるはずがない」

「はずがない?じゃあ惚れたあたしはどうなんのよ」

「えっ……!」


僕の顔は一瞬でタコのように真っ赤になったのが自分でも分かる。熱くなって額と鼻の頭に汗をかいた。


「なによ、その顔まさか気付いても無かったわけ?」

「その、どちらかというと好きな方かなとは思っていたけれど………」

「ハァ!?」

ナツキは怖い顔をして怒っていた。


「馬鹿じゃないの!もうどんどんイライラしてきた!あたし今日はもう帰る!」


ナツキは椅子から立ち上がった瞬間に僕は咄嗟に彼女の手を掴んだ。「痛い!」と言われてすぐに手を離しナツキを見た。少し驚いた表情で僕を見てから荒ぶった肩を落ち着かせた。


「言って、今すぐ。自分の言葉で、あたしを好きって言いなさいよ」


ナツキは真っ直ぐに僕を見て言う。

このど直球の告白に声を震わせた。


再び僕はナツキの手を握って彼女と瞳を合わせる。



「君の涙を拭く役目を僕にくれませんか?」



ナツキはボンッと顔を一瞬で真っ赤にさせた。この教室で、僕達二人とも顔を真っ赤になっていた。いや、夕暮れのおかげで誤魔化しが効くかもしれない。


それから吹き出すように笑ってナツキも僕の手をギュッと握り返した。


「へたくそ」


ナツキは笑っていた。ほんの少しだけ目元に涙を浮かべて。夕暮れで顔が赤いのは隠せても、涙は隠せそうにない。

僕の瞳も潤ってきたのが自分でわかった。下を向くとすぐに溢れてきそうで視線をナツキから外さなかった。


「泣かないで、ちゃんと伝わったから」


ナツキはポケットからチェックのハンカチを取り出して僕の涙を拭いた。拭く役目をサラリと交代するナツキはやはり僕よりも何段も上手だ。


僕達は夕暮れの中をまた二人で並んで駅まで歩いた。大きく影が伸びて重なりそうになる。


「どうしてナツキみたいな子があの本に興味を持っていたのさ」


僕は思い出したように一番聞きたかった事をナツキにぶつけた。


「私一年の時こんなタイプじゃなかったから」


「えっ……それって」


「ツルキは覚えてないかも知れないけど、私足繁く通ってたんだ。図書室」


「一年の時?」


「ごめんね、知らないふりして。あたしずっとツルキの事気になってたんだ。でも全然行動しなかったの。なんとなくあの委員長の事も気になってさ。ツルキの事馬鹿にしてたけど、ダメだったのはあたしの方だよ」

「そんな、じゃあずっと前からナツキは僕の事知ってたって事?」

「うん、だから名前知っててくれて嬉しかったんだ。あたしにもチャンスあるかもって」

ナツキは少し照れくさそうにしてふふっと笑う。僕の顔はまた真っ赤になっていた。




「分かんないよね、恋って。人生も、どう転ぶかさ」




ナツキはケラケラと笑って僕の手を握った。



そして僕も彼女の手を握り返す。





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