第三十六節 魔法使いの悔悟(2/2)

 その日の夜のこと。部屋に誰かが入ってくる気配を感じた。

 この魔力の感じは、知っている。いつも自分のそばにいてくれた人物の魔力。ゆっくりと起き上がり、顔を上げる。金髪の、いつもの姿のレーア──竜が、そこにいた。


「レーア……」

「申し訳ありません。起こして、しまいましたか?」


 ふるふると、首を横に振る。


「食欲は、ありますか?」


 言われたから気付く。そういえば、夕飯は食べていなかった。途端に腹が空いてくるものだから、人間の体は凄いと思ってしまう。

 一つ頷けば、竜は温めますねと笑ってくれる。亮介から聞いた香織が作ってくれていたのは、味噌と玉子のお粥。風邪ならば栄養のあるものがいいだろう、と用意してくれたそうだ。明日にでも礼を言わなければ。


 味噌はフランスにいた頃は、あまり馴染みはなかった。しかし時々母上が味噌汁を作ってくれて、安心する味だということは知っていた。それは自分の中に半分、日本人の血が流れているからだろうか。


 鍋で温められ、茶碗によそってもらったお粥から立ち昇る湯気に、どこか懐かしさを感じながら。いただきますと手を合わせ、木のスプーンで一口食べる。芯がなくなり程よい柔らかさになったお米を、舌ですり潰す。出汁が入っているのか、お米そのものにも味がある。そしてなにより、おかえりなさいと言ってくれるような優しい味噌の味わいが、ようやく自分に安心感を戻してくれた。ふわふわになっていた玉子も、大丈夫だよと自分を慰めてくれているようで。思わず2杯目をおかわりしてしまっていた。


 ごちそうさま、と手を合わせる。向かいに座った竜が、静かに尋ねた。


「……風邪では、ないのでしょう?」


 竜にはやはり、見抜かれていた。彼の前では隠し事はできない。俯いて、懺悔するように話し始めた。


「……帰りに偶然、火事の現場に遭遇した。思い出して、しまった。5年前の、を」


 燃え盛る炎。

 悲鳴、怒号、懺悔。

 入り乱れる感情の中、何もできなかった。


 なにが魔法使い最後の血統を継ぐ者だ。何のために学んでいた魔法だったのか。誰かの役に立つ、父上を救う、そのために学んできたというのに。全部炎が奪っていった。

 夢も希望も仲間も、家族でさえ。

 当時感じてしまった感情が、今になって押し返してきて。自分でもコントロールができずにいた。あの時と同じで、ただ立って走って逃げることしかできなかった。


「何故父上は殺されなければならなかった、何故俺から全てを奪った、何故……!」

「エル……」


 竜が傍まで来て、優しく抱きしめてくれる。背中を撫で、慰めてくれている。


「レーア……俺は、知りたいだけなんだ。誰が父上を、みんなを、殺したのか」

「はい……存じております」

「だが、それは叶わないのだろう?何故か俺たちは、狙われている。俺たちを狙っている何者かに、見つからないように生きるしかないの、だろう?」

「……はい。見つかってしまったら、どうなってしまうか。以前、お話しした通りです」


 そうか、と力なく呟く。


 5年前の屋敷への襲撃犯は、未だ見つかっていない。魔女狩りの仕業とも考えられた。

 魔女狩りとは、その名の通り。中世から伝わる悪魔祓いの一種。魔法使いの血統は、自分の、ケーンティフォリア家意外にも存在していた。彼ら自身の身の安全のため、その殆どは本来の姿を隠している。しかし魔女狩りをしている者は、何処かから情報を得て、正確に魔法使いの血統を滅ぼしてきた。

 魔女狩りから聖を守るため、彼らの手が届かない場所に逃げる必要があった。


 ただ亡命してきたとしても、彼の心が救われるかどうかは別の話だ。


「……申し訳、ありません」

「何故、謝る……?お前はなにも……」

「私はいつも、貴方をこんなにも苦しめてしまう……。あの日の出来事も、ひいては私のせいでもあるのに……」

「それは違う!」


 一度離れ、竜の肩を掴む。


「お前のせいではない! 何度も言っているだろう、お前は何も悪くないのだと! だから、頼むから……」


 涙は出ない。泣き方なんてわからない。

 ただ今は不安で押しつぶされそうで、離れるのが怖くて。


 竜の胸に顔を埋めて、消え入る声で呟く。


「俺の前から消えないでいてくれるな……。たった一人の、俺の家族を……」

「エル……。申し訳、ありません……」

「当然だ……! 」


 しばらくの間、感情を消し去るように竜の胸に顔を埋めて縋り付いていた。


 翌日。

 気分はまだ晴れないといえば晴れない。だが迷惑をかけるわけにはいかないと、制服に着替えて香織の部屋に向かう。

 昨晩のうちに洗った鍋を手に、中に入る。

 朝食の準備をしていた香織は、聖が入ってきたと分かるといつものように笑う。


「おはようエル。体は大丈夫?」

「ああ……。お粥、美味しかった」

「制服に着替えたってことは、学校行けるんだね?」

「ああ」


 香織は笑って顔を洗ってくるよう伝える。素直に聞いて洗面台に向かう。そこでようやく気付く。亮介がまだ部屋に来ていない。

 昨日の今日である。少しばかり顔を合わせにくい。あれ、とさらに気付かされる。


 顔を、合わせにくい?


 亮介とは確かに、何かと付き合いが多くなっている。それは同じクラスメイトだからであり同じ家に住む身であり、除霊について教える立場だからという、何かしらの理由があってのこと。仕方ないと思っていても、特段好意を抱いているというわけではないはず。それにも関わらず、顔を合わせにくいなど。これではまるで、亮介に対して好意を抱いているような。


 いかん、これはナーバスという状態だからなのだと無理矢理言い聞かせた。憂鬱になっているから、余計なことまで考えてしまう。

 いつも通りでいい。いつも通りの、素っ気ない感じでいいんだ。


 その日の朝食は、少しだけ静かだと思った。



 学校まで一人で向かい、教室に入る。

 すでに登校していた亮介、俊、勉が手を挙げて挨拶してきた。


「おぃーっす立花」

「おはよう」

「おはようございますっす」

「……ああ」


 いつもと変わらずに挨拶をした、つもりだ。

 しかし一瞬だけ、妙な空気が流れた。

 すぐに俊が話題を振ってくる。


「なぁ立花! 3人で話してたんだが、今年のゴールデンウィーク、バーベキューしに行かねーか? 」

「は……? 」

「は? って、わかってなかったか? 来週からゴールデンウィークだろ」


 ほれ、とスマートフォンのカレンダーを見せられる。今年のゴールデンウィークは4月の土日から入るため、10連休近くになっているという。その中で交友を深めるためにも、遊びに行こうと話していたらしい。

 何故そんなことをと反論しようとしたが、目の前のキラキラとした笑顔の前ではそれも憚られる。一つため息を吐く。


「致し方あるまい……」

「よっしゃー! 」

「決まりだね! 」


 早速と、バーベキューの段取りを話す。

 バーベキューセットは、借りれるキャンプ場もあるらしい。食材は持ち込み自由。近くに川もあるから、川遊びもできるとのこと。ただまだ自分たちは未成年。車の運転なんて出来ない。あともう一つ大事なことが。


「ちなみに聞くぞ? この中で料理できるやつ手挙げろ? 」


 誰も手を挙げない。


「もう一度聞くぞ? 料理できる人〜? 」


 やはり誰も、手を挙げない。

 その状況に、俊が驚愕の声をあげた。


「ウソだろ!? 誰も出来ないのか? 」

「言い出しっぺはお前だろう、お前は作れないのか? 」

「俺は食べる専門だし遊び専門だからな! 」

「ドヤるな」


 一気に企画に暗雲が立ち込める。

 さてどうする、と考え込む。聖の頭に浮かんだのは、竜だ。車を持ってはいないが、免許は取っている。ただ彼にも仕事がある。彼にばかり頼るのも、どうかと思う。

 因みに俊も勉も、両親共に仕事らしい。でも行きたいよな、と話している彼ら。

 致し方あるまい。


「……俺の従兄弟が、料理店で仕事をしている。休みならば付き添うよう、頼んでみても構わん」

「ホントか立花!? 」

「ただし、仕事ならば諦めろ」

「そこは当然だ。俺たちの我儘に巻き込む訳にはいかんだろ」


 なんだかんだで話が進む。食材は何を持っていくだとか、川遊びは色々あるとか。

 なにより、目一杯遊ぼうという話になったのであった。

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非日常的クライシス 黒乃 @2kurono5

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