第三十五節 魔法使いの悔悟(1/2)

「では図書委員は立花さんに決まりました」


 そう決定されてたのが一週間前。流石にあの時ばかりは、話を適当に流すべきではなかったと後悔した。その後委員会の集まりとやらに赴き、図書の貸出手続きの日を決めた。ちなみに聖の担当日は水曜の放課後だ。

 最初は図書の貸出手続きをするために、無理矢理にでも誰かと話すことを面倒に感じた。しかし図書館特有の静かな空間や図書委員の、好きに本を読んで良いという特権は、中々これは悪くないのでは、と考えを切り替える。内心まだ面倒だと思わないわけではないが、決まってしまったのだから仕方ない。


 そんな今日は水曜日。授業が終わり放課後になると、聖は荷物をまとめて図書館へ向かった。中に入れば、先輩にあたる3年性がちらほらと受験勉強をしている。

 そういえば、6月の末に学期末試験とやらがあったな。世界史や英語は、彼にとってそれほど苦ではなかった。問題は現代語だ、まるで理解が追いつかない。物語の作者がその話をどんな気持ちで書いたか想像してみよう、などと何故そんな意味のわからないことを問いにするのか。神でもなければ分かるまい、そんな問いの答えなど。

 そんな風に思考がぐるぐる回っていたが、上から降ってきた声に意識が戻る。図書の貸出手続きをして欲しい生徒だった。


「すまん。……ああ、どうぞ。返却は一週間後でお願いしたい」


 テンプレートのような言葉を返せば、生徒は適当に頷いて本を借りていった。その後も何人かの生徒が本を借りたり返したりと、その手続きに追われる。1時間ほどで、それらが段々となくなっていく。ふう、と息を吐いてから聖自身も一冊の本を手に取り、目を通し始めた。フランスの写真集だ。

 彼にとって、フランスという地は特別だった。それは彼がフランス出身、ということもあるが。それ以上に──。

 ふるふる、と頭を軽く振る。違う、ここはフランスではない。日本の、小さな町の、その中にある高校だ。


「(それにしても……)」


 ……平和、だと感じた。ここの生徒たち、いやひいてはこの国に住んでいる殆どの人間にとっては、それが普通なのだ。事件や事故もなく、親を失うこともなく、ただ繰り返されるような毎日を何事もなく過ごす。それが当たり前なのだ。

 羨ましい、とも思う。けどそれを手に入れたい、とは思わない。いや、正確には思えない。もう、手に入れようがないのだ。


 いかん、つい思考が引っ張られてしまう。無意識とはいえ、そう簡単にフランスの写真集なんて手に取るものではなかった。ほんの少しだけ、後悔する。本棚に戻し、時間が過ぎるのを待った。




 図書委員の仕事もひと段落し、下校の準備を始める。なんだか小雨でも降りそうな気配になっていた。亮介は既に帰路についている筈だ。お使い物も頼まれていない。


 少しばかり、ゆっくり歩いて帰ろうか。


 何か用事があるわけでもない。今はなんとなく、一人でいたかった。思考が引っ張られないようにと、図書館では無理矢理フランスの景色を忘れようとした。しかし思いの外それが逆効果で、忘れようとすればするほど、頭の中に景色が思い浮かんでしまう。何処か落ち着ける場所で、気分を落ち着かせてから帰らないと。きっと、心配させてしまう。



 フランス、パリの一等地で自分は生まれた。魔法使いの血を引く父と、普通の人間の母親との間に生まれた子供。それが自分だ。

 魔法使いは、普通の学校に通うことは許されない。上手く扱えない魔力のせいで、周りに迷惑をかけてしまうからだ。自分で魔力の制御ができるようになるのは、13歳。その年になるまで、本来は家庭教師や両親から様々なことを教えてもらうのだ。そう、本来は。


 幼少期は、比較的平和だった。父上がいて、母上がいて、レーアがいて、リリーがいて。学校には通えなかったが、魔法の勉強は楽しかったし家族で旅行にも出かけていた。屋敷内の探検も、リリーと一緒なら新しい発見もあって楽しかった。

 母上は、元々身体が弱い方だった。しかしそれを微塵とも感じさせない、強い意志を持った人でもあった。自分が10歳の時に亡くなってしまったが、多くのことを教えてくれたかけがえのない人。その頃から、父上の覇気が徐々に衰えていった。気丈に振る舞っていたが、心から愛している人を失うと、人はあんなにも変わってしまうのだろうかと。正直驚きを隠せなかった。厳しくも優しく、大らかな性格。広い心を持った、聡明な人。

 母上の代わりに、レーアやリリーと共にこの人を助けるんだと、信じていた。


 なのに……。



 ・・・・・・



 けたたましいサイレンの音に、思考が現実に戻る。顔を上げた景色の先に見えたのは、春の夕暮れ時に似つかわしくない黒煙。横を通り過ぎる消防車。一目で火事だと理解するのに、時間はかからなかった。

 ある光景が脳内でフラッシュバックする。



 燃え盛る屋敷。

 見知った人間が黒焦げにされていく。

 助けて、逃げて、嫌だ。

 叫び声が脳内でガンガン音楽を鳴らす。


「あ……」


 足が竦む。前に踏み出せない。

 行かなければ。

 だってあの屋敷には、まだ、


 最愛の、父上が──。



 気付いた時には、火事とは反対の方向に駆け出していた。

 わかっているつもりだった。ここはフランスではなく日本だということも。今起きている火事は自分と何の関係もないことも。


 父上が、もうこの世にいないことも。


 わかっている。わかっているはずなんだ。なのに、何を怖がっている。何に対して恐れを抱いているんだ。

 数ヶ月前、亮介の屋敷が燃えた時はここまで取り乱すことはなかった。景色を思い出しはしたが、亮介の手前落ち着ける自分がいたんだろう。ならば今回も同じはず。そうだ、同じはずなんだ。

 もう、わからない。何に対して何を感じているのか、今は何もわからなかった。


 あったか荘に帰ってくる。

 いつもは帰ってきたら香織の部屋に一度顔を出し、ただいまと声をかけていた。しかし今はその余裕はなかった。一目散に自分とレーアの部屋に入ると、蛇口をひねりコップに水を注ぐ。

 自分の感情にこれ以上翻弄されないよう、全てを飲み込んでしまいたかった。一気に水を流し込む。

 喉が痛い。肺も痛いし、足も痛い。息苦しさを吐き出すと、全身の力が抜けて立てなくなっていた。へなへなと座り込む。肩でゼイゼイと息をする。しかし水を飲み込んだところで、感情の渦が鎮まることはなかった。


 ドアがノックされる。

 誰だと問いかける気力もなかったが、相手の方から声をかけられた。亮介だ。


「聖さん? あの、大丈夫っすか? 」


 自分が、いつもの状態ではないことにさすがに気付かれていたか。亮介のことだ。純粋に心配しているのだろうが、今は誰とも会いたくなかった。ドアノブに手がかかる音が聞こえ、思わず叫ぶ。


「入るな!! 」

「えっ、あ、ごめんなさいっす!」


 彼の謝罪の声に、我に返る。つい叫んでしまったが、彼はただ様子が気になっただけではないか。それに感謝はすれど、怒鳴るなど筋違いだろうに。思った以上に、動揺している自分がいる。

 一度呼吸を整える。


「……すまん。今は少し、一人にしろ。あまり体調が、芳しくないだけだ……」


 言い訳にしか聞こえないが、一人になりたいのは本当のことだ。


「わかりましたっす。きっと慣れない学校生活に、疲れが出たんすね。じゃあ俺、香織さんに伝えておくっす。ゆっくり休んでてくださいっす!」


 この時ばかりは、亮介の純粋さに救われた気がした。カンカン、と階段を降りていく音が聞こえる。

 風邪をひいているわけではないが、確かに今は休んだ方が得策かもしれない。力が入らないなりにも、ゆらゆらと立ち上がる。そのままよろよろと部屋に入り、布団に包まれることにしたのであった。

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