一幕終話:未来交差点

 ――この世界に来た時は、何一つ持っていなかった。

 今は、大事なものが増え過ぎた。そして、失ったものも。

 だから里琉は決めた。


「一番大事なものを、失おう」と。


※ ※ ※


「しっかし、あんたも思い切りがいいというか、切り替えが早いというか。別にいいんだけどね」

「ごめんね、巻き込んじゃって」

 フィリアにだけは、あの不思議空間での出来事を話している。彼女にしか、恐らく理解出来まいというのもあるが、彼に話してもきっと、理解が及ばないだろう。

「私みたいなのがこの国に居るわけにもいかない。……イシュトは諦めきれていないようだけど、元々、恋愛感情はあってなかったようなものだしね」

 傷が完治しきっていない里琉は、ベッドの上で苦笑する。

 ここはフィリアの研究所だ。傷があまりに深く、完治するまでは他の誰も入らせないようにしている。誰からどんな情報が洩れるか、分かったものではない。

「じゃあ、もう荷物とかまとめとかないとね。私が代わりにやっとくけど、とりあえず手あたり次第詰め込んでいいの?」

「んーっと、衣類は必要最低限でいいよ。道中とかで洗って干せばいいし。あと、貰ったものは……持ってこうかな。次の私の為に、っていうのも変な言い方だけど」

「はいはい。何だかんだ、あんたは多くの人間に慕われてるものね。どうするの? 見舞い代わりの品の山」

 示されたのは、部屋の隅に詰まれた、文字通り色んな品の山だ。菓子からはじまり、お洒落な物や化粧品など、色んな人間からフィリアへと託されたらしい。

「日持ちするお菓子は旅に持ってって、それ以外のお菓子は早めに食べようか。一緒に消費してもらっていい?」

「いいけど……装飾品は?」

「一応持ってく、けど……使わない、かもね。いざって時は誰かに譲るよ。何かと交換できるかもしれないし」

「そうね。あとはダリド王子が、上手い事やってくれていたらいいのだけど。……あれから十日も経つのに、音沙汰ないし」

 それは気になっていた。どうやら頭だけでも、と生首二つを手土産に持って帰ったらしいが、どっちも死んでいる上、女王と王妃のそれぞれのお気に入りだ。命が心配ではある。

 その時、ピーっと音がした。

「! 噂をすれば、その王子よ!」

 すぐに開錠したフィリアは、王子を出迎えるなりぎょっとする。

「ど、どうしたのよ! ボロボロじゃない!」

「いやはや、酷い目に遭った」

 中に入ったダリド王子は、確かに細かい怪我をいくつも負っていた。

「やあ、リル殿。調子はいかがかな?」

「私より、あなたの方がよっぽど死にそうなんですが」

「まあ、見ての通りだ。女王と王妃、同時に怒りを買ってしまってね。やはり生首だけは駄目だったようだ」

 里琉は「だろうな」と頷く。仮に自分が同じ状況だったとして、大事な人の首だけでも持ち帰りました、と言われて許せるはずがない。

「よく生きてますね」

「ああ。女王は元々、体が弱い。そして王妃はアリスィアを生き返らせようと石を使ったが、石は奇妙な音を立てて光りもしなかったよ」

「え……?」

 里琉はフィリアと顔を見合わせる。装置と呼ばれるあの石が、使えなくなっているということか。それとも。

「……映像化装置といえど、限界がある、ということかもしれないわね。入力された命令プログラムが実行可能でなければ、エラーが返る仕様だったのかもしれないわ」

「ん? どういうことか、詳しく話を聞かせてくれないだろうか」

 怪訝そうなダリド王子の手当てがてら、里琉とフィリアで不思議空間における「奇跡の石の正体」を教える。

 しばらく聞いていた王子は、次々と貼られていくガーゼや巻かれていく包帯を大人しく受けながら、ふむ、と呟いた。


「つまり、奇跡の石は我々の国で言う機械そのもの、ということだったのか」

「ええ。リルの魂……アストラル体と呼ばれる精神体のコアも、それの一種だそうよ。それで暴走中の奇跡の石と融合させて、それを核にリルの体を再構築。そうすれば大丈夫らしいわ」

「だが、それは大きな負荷になるのでは? リル殿自身が下手をすれば、存在を歪められてしまうだろう」

「織り込み済みの事です。私はそれでいいと納得しましたし、第一、私だけがこの世界で唯一、自由の身ですから」

 心配する王子の言葉も想定内だ。里琉としては、もうそこはこだわっていない。

「レダの王には教えていないのかね?」

「何も告げずに去るつもりです。その為に、今、面会謝絶状態にしてあります」

「情報に強い王子様が居るからね。下手な勘繰りをされたら困るのよ。これからこの子の荷物整理をする為に動くの。そろそろ日も暮れたし、あの子の部屋に夜に入る馬鹿が居たら、それこそヤバいでしょうから」

「どっちみち、私はまだ完治しきっていません。なので、着替えが必要になったから、とでも言えば通用します」

「そういうことなら、フィリアが適任だろう。ところで、奇跡の石なんだが、どうするかね? この状態では国に戻ってもすぐ殺されてしまうだろう。かといってこの国に亡命は少々危険だ。ノア辺りが適切だろうか」

 確かにそれは困る。王子が居なければ、リカラズには入れない。その王子が亡命となれば、革命どころではなくなる。大事な部下とお気に入りの部下を失った暴君夫妻が何をしでかすか、分かったものではないだろう。

「クーデターの仲間はどうしたの?」

「ああ。ここで回収した武器をそれぞれ渡してある。信用出来る者にだけ、だがね。ただ、動きを見せるなとは釘を刺しておいたとも。……今動いたら、たちどころに潰されてしまう」

「そうですね。歯がゆいですが、どうにか打開出来る方法を探した方が……」

 後少しで届きそうなものが、遠ざかってしまった。

 しかし、ふとフィリアは呟く。

「……公約違反」

「え?」

 くくっ、とダリド王子が笑う。どうやら、何か正解を既に得ていたらしい。

「実は、奇跡の石だがね。リカラズ、ノア、テアにおいて発見された場合、本来ならば直ちに王族へと献上し、ティネの大賢者へ報告の後、破壊もしくは封印する事が盟約として古来から義務付けられているんだ」

「は!? つまりそれって、リコス王妃は重大な罪人じゃ!?」

「ダリド王子。しっかり頼んだわよ。……ノアへの、王妃の呼び戻し及び、尋問」

 にやりと笑うのは、フィリア。合法的に、かつ完璧に王妃ごと石を奪う機会を、王子は考えていたのだ。

 恐らく今回の件でどのみち、重罰は免れないだろうと考えた王子は、既に頭の中で次なる手段を組み上げていたに違いない。

 そして予想通り、二人の怒りを買う事で己はノアへと逃亡し、リコス王妃をノアにて無力化及び亡き者にした状態で、リカラズを再度乗っ取る。そんなところだろう。

 簡単そうな与太話に思えるが、この世界の仕組みを考えたら、それくらい当然だとも言えた。

「じゃあ、私がノアに向かえば……!」

「ああ。しかし、ノアに向かう為には、この国にて必要なものがある。山を越えて届けてもらう、ロープウェイだ」

「……あー、それに便乗ってなると、さすがに厳しいわね。風期が終わる頃に一度あるはずだけど、それを逃すと次は雨期だから、それが終わるのを待つ事になるし、そこまで待ってたら、いくら何でもあんたは逃げられなくなるわよ、リル」

 季節の変わり目に、行商人が以前はよく使っていたというロープウェイがある、と聞いた事はあった。だが、今はそれも途絶えているが、大丈夫なのだろうか。

「定期メンテナンスは問題ないと思うわ。いざって時の為に、宰相さんがいつでも使えるようにしててくれたみたい。だから、ダリド王子。先に行って、リカラズ王妃へ対する書面を送るのよ。もちろん、来なかったらリカラズ側が罰せられるから、女王も有罪だけど」

「姉上はそういう面倒を嫌がる。絶対に王妃を送り出すだろうね」

 逃げ出す際に、反逆者として追われかけたが、何とか切り抜けてここまで来た王子だ。きっと、それはやり遂げてくれるだろう。

「……ところで、ロープウェイって、一応身元証明と許可証が無いと通れないのよね。あとお金」

「困ったな。どれも無い」

「何ですって!?」

「だからフィリア、借りを作りたい。……その賃金を工面してもらえるかな」

「……ほら、銀貨二枚。そんだけあれば足りるでしょ。問題は許可証だけど、本来なら審査があって、数日はかかるのよ。……何とかならないかしら」

 お金はともかく、彼は出来れば、一刻も早い状況でリコス王妃を謀殺したいはずだ。であれば、イシュトと意見が一致するのではなかろうか。

「イシュトに、相談出来ない?」

「その前に会わせろって言うわよ、絶対」

「…………この際、なりふり構ってはいられないよ。王子、今日は泊まっていって。ロープウェイがいつ動くかは分からないけど、フィリアさんが荷物まとめるついでに声掛ければ、すぐ分かると思う」

「……人の使い方、分かってるじゃない。あんたも」

 肩をすくめたフィリアは、空の袋を手にし、ダリド王子に言った。

「怪我人二人! 大人しく待ってる事。誰も入れないように。私が戻った時は音しないようになってるから、鍵も閉めて!」

「了解!」

「朗報を期待しているよ、フィリア」

 そうして、フィリアを待つ間に、里琉は改めて王子に頭を下げた。

「迷惑かけると思いますけど、よろしくお願いします」

「いやいや、こちらこそ。それに、機械となればあの石の仕様とやらも大体理解出来た。人語で命令を入力する事で石が反応し、光によって幻覚を生み出す。それが投影装置の役目だと考えていいだろう。元は確か、透明だったそうだね?」

「はい。今は真っ黒で、金色のやつが浮かんでる状態っぽいです」

「だとしたら、恐らくメンテナンス不備だろう。機械とは、貴殿も存じている通り、荒く使えばその分摩耗も早い。黒くなったのは、戦争を通して多くの人々の言語命令を短期間で実行し続けたせいだ、と考える。そしてそういった状態が続けば、黒化……つまり、劣化の最悪な状態に陥る。当然の摂理、というわけだ」

「そもそもメンテナンスなんて、出来るわけないとおもうんですけどね。あれってどうやってメンテナンスするんでしょう」

「恐らく、管理端末とやらはそのメンテナンス方法を伝えられなかったのではないかな? 例の石が落とされた頃といえば、まだレダが森だった大昔だ。数千年も昔の人間が、リカラズの現技術に至れてはいないだろうね」

「……そうか。イシュトみたいに、何言ってるか分からないからそのまま疑問で済ませる事になるのか」

 数千年前から進歩の無い世界だ。進歩がごく一部というのは、恐らく人間の体に例えたら、年だけ取った中身が子供、という感覚だろう。

 だからこそ、歪んで変質した奇跡もどきに、今も尚縋って生きているのだ。

「……リル殿は、もういいのかね? レダの王の事は」

「はい。向こうはちょっと諦めが悪いみたいなんですけど、どのみち居なくなって、新しい私になってしまうなんて話をしても、理解しきれないでしょうし。第一、まともじゃないですから」

「……リル殿の気持ちはどうなのだろうか」

「そうですね。……イシュトは幸せになるべきだと思います。我慢してやっと、まともに王様が出来るようになって、復興を始めようとしているところですから」

「…………そうか。貴殿は、幸せを望まないと。すまないね。このような結果になるとは、誰も想像すまい」

「いいんです。怪我も後少しで完治しますから。……まあ、元の世界で全部失っちゃったから、半分以上、自棄っぱちなところもあるんですけどね。……内緒ですよ?」

 弱いところは、知られたくない。フィリアは分かっているだろうが、その強がりを、あまりよくは思っていない事も里琉には分かっていた。

 ダリド王子は、苦笑して頷く。

「全てを見届け、新たな貴殿となった時は、我が国に迎え入れよう。王妃ではなく、革命の貢献者として」

「それは助かりますけど、王妃でなくていいってことは、もしかして当てがあったり?」

「……私が何故、彼女に肩入れしているか分かるかね?」

 彼女とは、フィリアの事か。制圧の時といい、なるほど、と里琉もさすがに気付いて頷く。

「黙っておきますね。全てが片付いたら、その時に改めて二人きりで話して下さい」

「貴殿は本当に物分かりがいい。良過ぎて不安だ」

 そうして二人で談笑していると、不意に扉が開いてフィリアが戻ってきた。手には、数枚の黒地石版。

「やあ、お帰り。不機嫌なようだが、もしや失敗かね?」

「いいえ。成功よ。ただし」

 ぽい、とテーブルの上に石板を乗せ、里琉の荷物はベッドの傍に置かれる。

 その間に内容を読んでいたダリド王子は、驚いた声を上げた。

「これはこれは……! あのテア王子も同席だったか! 災難だったね、フィリア!」

「最悪よ! 足下見やがって、あんの王子……!」

 ぎりぎりと拳を握るが、里琉は文字が読めないままである。そういえば、何故文字が読めないのかだけ分からないままであった。

「何て書いてあるんですか?」

「こちらは渡国許可証だ。ロープウェイの発着時刻も書いてある。どうやら二日後、のようだね。それからこちらは同盟反故における、テアとリカラズからのノアへの申請書。……端的に言うなら、リコス王妃を引きずり出す為の口実を、わざわざ作ってもらったよ。これを使えば、ノアの国王は無視出来ない。我々王族のサインがあるからね」

「じゃあ、これは?」

 残った一枚を手にした里琉からそれを取り上げ、フィリアは読み上げた。


『渡国許可証及び公約反故に対する要求書の発行に関して、次の条件を必要とする。完遂されない場合、二つの書面は失効し、二日後に使用不可能となる』


 前置きからしてヤバそうな気配がする。あのアルカセル王子が絡んでいるなら、尚更だ。

 里琉はもちろん、ダリド王子も気を張って続きを待つ中、フィリアだけが淡々とそれを述べた。


『一つ、リルとフィリアの二名が国外へ出る場合、ダリド王子より後とする事。

 一つ、二日以内に王が尋ねた場合、速やかに面会を許可し、事情を説明する事。

 一つ、いかなる目的、事情があっても、リルはレダの王妃となる事を認める事。――以上三項が確定するまで、ダリド王子の搭乗は認められない』


「あれ? 喧嘩売られてる?」

「ぶん殴りたいのを我慢して持ってきたのよ。風の悪戯でこの書面だけ、どっかに飛んでって欲しかったくらいにはね!」

 フィリアは内容を話した後、それを床に叩きつけ、げしげしと足蹴にした。

 王のサインが入ったそれへの所業に、里琉どころかダリド王子も苦笑いするしかない。

「やっぱ、あれかな。お腹的に「王妃無理だわごめん」って、起きて速攻言ったのが駄目だったかな」

「あの怪我でまだ娶る気があるのかって話なのよ! そしたら、王子がとんでもない事言い出して!」


『え、研究員さんがちゃんと治療したなら、快癒すると思うけど?』


「――ですってよ! とんだ信用だわ!!」

 更には輸血した王自身も「いざとなったら奥の手を使う」とまで言い出したらしく、撤回は不可能だった。

 しかし、と里琉は首をひねる。

「……王妃になる人間、外に出す気あるの?」

「確かに。これから風期が終わるとなれば、雨期だったはずだ。その間に怪我を治して飛び出すとなると、危険だろう。おまけにロープウェイを使用禁止とは」

「……陸路を使え、って事かな。フィリアさん、どうしよう?」

「出て行くなとは言われてないわ。書かれてもいないしね。とにかく、王が来たら面会謝絶はするなって事。……どうしても必要なら、あの王様に分かる範囲で説明するしかないわね」

「フィリア、貴殿はどこまで話を?」

「王子があの二人の怒りを買った為に亡命する事と、その為にロープウェイを使いたい事。それから、リコス王妃の持つ奇跡の石の話によって、ノアに行く必要がある事まで話したわ。リルに関しては、あれこれかわしたけど……」

 かわしきれてなかったから、こんな条件が付けられてしまったのだろう。諦めが悪いのは血筋か、と里琉は皮肉りたい。

「なら私は一足先に、ノアで動いておくことにしよう。と言っても二日後だから、それまではここで治療に専念するがね」

「私のせいで、とんだ足止めですか……すみません」

「あんたのせいじゃないわよ。あの王子よ、王子! あと王様!」

「まあ、言葉で納得できない人なのは知ってた。本当の事は黙っておいて、王妃になるのを承諾しておくよ。どうせ一回死ねば同じ事だろ」

「……貴殿は本当に、簡単に己を殺してしまう。心さえも」

 ダリド王子は少しだけ哀しそうな顔をして、そう呟いた。

 里琉にとっては、何もかもが終わりの見えた道筋なので、何一つ悲しくはない。ただ、空虚にはなってしまったか。

「騙しているみたいにはなるだろうけど、そうでもしないと、きっと諦めつかないだろうからさ。……新しい私をリカラズに連れてってしまえば、足もつかないし」

 だからこれは、駆け引きだ。きっと最初で最後の。


「全部飲み込んで、最善の未来だけ選ぶよ。それがせめてもの恩返しだ」


 ――体の中で今も静かにしているコアは、きっとその日を待ちわびているだろうから。


※ ※ ※


 翌日、イシュトは空き時間を作って彼女に会いに行った。

 渋々出迎えたフィリアは、ベッドの上に居る里琉の傍に椅子を置くと、自室へと去って行く。

 ちなみにダリド王子は、中央宮で宰相達に今後の話をしているらしい。

「んで、事情って何が訊きたいの?」

「……いくつかある。お前は帰れなくなったのか?」

「直球は相変わらずだね。そうだよ。あの時、死にかけた私は知ったんだ。元の世界に帰る術も無い。帰っても、何一つ残っていないって。だから、この世界にずっといる。それは、間違いないよ」

「どうやって知ったんだ?」

「……奇跡の石、私は飲み込んでいるからね。元の世界の情報が、あの状況になってやっと知れた、と思ってくれればいいよ。説明がややこしいし、イシュトはそういうの、苦手だろ」

「まともに話すつもりはない、か。……それで、国は出るのか?」

「……私の持つ奇跡の石は、リコス王妃が持つ奇跡の石と共鳴するんだ。だから、絶対に見つけて、私が破壊する。その為にダリド王子も動いてくれていると思っていい。だから、ダリド王子は絶対にノアへ。……私とフィリアさんは、雨期が始まる前にテアを経由してノアに行くよ。ロープウェイ、使っちゃ駄目って言ってたし」

 その辺りの理由は教えてもらえるのだろうか。というか、ダリド王子より後なら、雨期の間は居るとでも思われているのかもしれない。

「あれは月に何度も動かせるものじゃないからな。ましてや、雨期や風期なら尚更だ。それともう一つ。ダリド王子が一緒ならば、お前は間違いなく異端だ。今言ったように共鳴するなら、あの女との殺し合いは避けられんぞ」

「……分かってる。割と命かけるやり方だけど、これしかないんだ」

「言い出したら頑固だからな、お前は。なら、妃になれと言った理由は分かるか?」

「分からないし、止めといた方がいい。死ぬかもしれない人間を先に妃にして送り出すとか、頭のネジが数本落ちたとしか思えないんだけど」

 実際、無駄な事を考えたものだと思っている。

 メリットが互いに無いのに、そこまでして何を目的としているのかさっぱりだ。

 イシュトは、だが真面目に告げる。

「お前を妃に望む奴らが、あまりに多い。俺も含めてだ」

「……そんな理由?」

「ああ。こう言ってしまえば、誤解するかもしれんが……俺達二人は、あまりにも一緒に居過ぎたんだ」

 確かに朝から晩まで、かなりの時間を彼と過ごした。当たり前のように。

 本当は、何一つ当たり前じゃなかったのに。

「……雨期の前に旅立つと言ったな。それなら、直前に俺の寝室へ立ち寄れ。でないと妃になれんぞ」

「……ダリド王子の保険、か。中々、狡猾になったね」

「二日後以降なら、いつでもいい。……旅立つ直前で構わん」

「……寝室って指定したって事は、夜に出ると思ってる?」

「お前たちが堂々と昼に出て行くわけないだろう。ここまで延々と面会謝絶を続けて来たんだ。隠したまま出て行こうとしたことくらい、気付いている」

 それもそうか、と里琉は肩をすくめた。そこにフィリアが来てしまったが為に、こんな事になったわけだが。

「そこで改めて、妃となったお前に贈り物をしてやる。……だが、無理はするな。怪我は完治していないんだろう」

「してないよ。だからベッドにいるんじゃん」

「見た目は元気そうだがな。あの傷からして、もっと寝たきりかと思っていたが」

「起きて手とか足とか少しずつ動かさないとね。この年で介護はちょっと早いかな」

 訓練はともかく、既に簡単な筋トレ程度はしている。腹に負担のかからないそれらのおかげで、体力はすぐ取り戻せそうだ。

「……残ると決めても、自由なままなんだな。妃というのは、せめてもの証だ。帰る場所が無いのなら、この国を、王宮を、俺の隣を、それにしろ」

「一つだけ、教えて欲しいな」

 言葉に承諾は告げず、里琉は問う。

「私なんかの、どこが好きになったの?」

 するとイシュトは、驚いた顔で里琉を見た。

「根底は変わってないんだな、お前。いや、それでいい。お前を好きになったのは、お前が変化も不変も関係なく、そのままのお前だからだ」

「……ちょっと意味がよく分からないんだけど」

「お前という存在そのものが、俺は好きなんだ。嫌われたくはないが、嫌われたとしても、俺はお前を想い続ける。……一生だ」

「…………はあ。頑固だなあ。妃になるのはいいよ、別に。でも、宰相さんとかには言っておいてね。ノアで死ぬ可能性は高いから、次の奥さん探しといて、って」

「……不要だ。俺自身が決める事だからな」

 他人任せにはしない。そう彼が決めたのは珍しい事だ。だが、それでいい。彼はもっともっと、化けるべき王なのだ。

 一緒の未来は見られないだろうが、自分が居たことに確かな意味があるのなら、暫定妃も悪くはない。

「そうだね。自分で決めてこその、人生だもんね」

 そこでイシュトは立ち上がった。

「……お前たちの出立を待っているからな。ダリド王子がノアに行った後で約束を反故にしたら、指名手配を掛けるぞ」

「あ、そういう事だったのか……。お尋ね者は困るなぁ」

 なるほど、タイムラグがあっても条件が適用されるわけだ。

 あの王子が同席していたなら、指名手配と共に検問が敷かれるだろう。やり過ごすのはまず無理だ。

 フィリアにはその辺りも説明すれば、納得してくれるだろう。

「……ところでリル」

「ん?」

 何だ、と思った里琉の不意を突いて、イシュトは掛け布の上から里琉の腹を軽く押した。

「ぐぅっ!?」

「…………痛みは軽微、かつ包帯も厚いな。どうりで良く喋ると思った」

「なっ」

「顔色も良好、発音も明瞭。……奇跡に最も近いお前の事だからとは思ったが、どうやら間違いなく、治りが早すぎるな」

「てめっ……!」

 殴ろうと思った腕を掴まれた。キスしたら噛み付いてやる、と思ったが、彼はそれをせず、じっと里琉の瞳を見て囁く。

「…………全てを、お前一人が背負うな。その意味が理解出来るまで、俺はお前から剣を取り上げる」

「は……え? ちょっ……待てよ! 剣が無かったら……っ!」

 戦えなかったら、逃げるしかない。そんな道中は御免だ。

 だが、イシュトは既に背を向け歩き出していて。

「……では、約束だ。出立前に、俺の寝室だ。いいな」

 念を押して、出て行ってしまった。

 ややしてフィリアが扉から出て来る。

「ちょっと、大丈夫?」

「あ、やっぱり聞こえてた?」

「監視カメラもマイクもあるのよ。……お腹、見せてみて」

 言われて包帯を解と、ほとんど縫合跡すらない腹部がそこにはあった。本来なら、まだまだ痛々しい傷痕が残っていてもおかしくない、と言われるのだが。

「念の為、チェックしましょ。中が衝撃受けて傷開いたら、あの王様、ぶん殴りたいところね」

「その時は媚薬でも酒に混ぜておくよ」

「ああ、それいいわね。ほら、台に立って」

 メディカルチェックの機械でスキャンすると、隣の全身を映した方にランプが光る。下腹部自体は黄色いままだが、その真下にあるランプが赤く点灯していた。

「……え、ちょっと待って。おかしいわね」

「何が?」

「何が、じゃないわよ。あんた、王様としたでしょ」

「した……あ、ああ、うん」

 数回にわたって経験済みの里琉としては、もう抱かれなくていいのだと安堵していたが、はたと思い出す。

 下腹部の、赤い点灯。確かそれは。


「しょ、処女に……戻ってる!?」


 何故、と里琉もフィリアも混乱と困惑を極めた。

 そこにダリド王子が戻ってきて、それを聞くとあっさり納得して告げる。

「リル殿にとって、処女に戻る事が望みの一つだった、と考えられないだろうか? 深層心理が望めば、権限は発動するのだろう?」

「そうですけど! 別にどうでも良かったんですって!」

「もしくは、管理端末が余計な事をした際に、おまけで戻しちゃったかもしれないわね。……何にせよ、あんたはまた処女に戻ったって事。今度は経験の記憶だけ残ってる状態」

「うわあ……色んな意味でやばそう」

 イシュトと過ごした情欲系のあれこれは、出来れば黒歴史にして葬りたいのだが、それ以前に、悪夢としてストーカーの事を思い出しかねない気がする。

「行く前にやっとく?」

「一杯飲んどく? みたいなノリで言わないでよ! 出立出来なくなるよ!」

「面白いものだ。だが、深層心理とは困ったものだね。自らが望んだかすら分からない事をやってしまうのだから」

 ダリド王子はすっかり他人事だ。面白がるのはいいが、王達には出来れば黙ってて欲しい。

「しかし、関係を持ったはずの体が純潔となれば、知られると危うい。リル殿はもちろん、フィリアも口を滑らす事の無いように。知ってしまったら、王はショックを受けてしまうかもしれないからね」

「むしろ怒って襲いかねないわよ」

 誰が言うか、とフィリアは不機嫌に腕を組む。

 里琉も装置のスイッチを落とし、はあ、とため息をついた。

「これからだってのに、前途多難なんですけど」

「まあ、秘密が今更増えたくらい、どうってことないわよ。……多分」

「そうだね。私は明日出るが、貴殿らも十分に支度を整えてくれ。ここもじき、使えなくなるだろうからね」

「ええ。分かってるわ。……可哀想だけど、お別れね」

 そう、旅に出ると分かった時点で、この研究所も封鎖することになった。何しろ色んな機械や薬品が置いてある。ましてや、後宮の地下だ。後年に使われる事の無いよう、出立前に全ての電源を落とし、鍵を掛け、その鍵を捨てて出て行くことになる。

「……鍵くらいは、私が持って行ってしまってもいいかもしれないけどね」

「そこは好きにしていいと思うよ」

「…………ま、考えとくわ。ダリド王子、明日は朝一番に叩き起こしてあげるから、さっさと寝なさい」

「ああ。頼んだとも。では、ノアで先に待っているよ」

 そう告げて、ダリド王子は借りた部屋に入っていく。

「あんたも、もう休みなさい」

「うん。フィリアさんも」

「ええ。……完治は恐らく、ダリド王子がノアに渡ったほぼ直後よ。期間は短いでしょうけれど、念入りに打ち合わせしましょ」

 剣を取り上げられてしまった以上、里琉も考えるべき事がある。

 いずれにせよ、ここからが再スタートだ。


※ ※ ※


 彼女は持っていく。失うと分かっていながらも。

 彼女は連れて行く。理解を共にした、たった一人の友を。

 彼は渡っていく。眼下に広がる山脈の先にある、霧の国へ。

 彼は待つ。未知の未来と可能性を。


 ――記された全ては、この世界が救われる為の終わりと始まり。

 それは御伽噺と誰かが呼び、綴られる物語である。


〈一幕・了〉

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フェアリーテイルは瓶の中 宮原 桃那 @touna-miyahara

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