花の咲いた身体

狂音 みゆう

花の咲いた身体

 ひゅう、ひゅう。冷たい風が病棟の中に吹き込む。

 ひゅう、ひゅう。冷たい空気が私の肺を冷やしていく。

 いつの間にか自分の呼吸の音が強くなって、風の音は聞こえなくなっていた。いや、逆かもしれない。朦朧とした意識の中ではそれを判断することすら難しく、そしてどうでも良い事だった。


『近年急激に罹患者数が増えた「植化風邪」。風邪と名はついているが、一般的な風邪とは全く違う、恐ろしい奇病だ。

 具体的には、内臓や眼球から植物が生えるというもの。気道や肺などに咲いた場合、殆どの場合が呼吸困難に陥り、やがて死亡する。

 人により咲く花は様々で、唯一咲くことが無いのは「アネモネ」の花らしく、その原因は未だ分かっていない。

 不思議な事に、植化風邪に罹り、死亡した患者を解剖すると皆心臓に花が絡みつき、中にはその花の種子が詰まっている。だが、レントゲンやCTを撮っても種子は映らないので、植化風邪の早期発見は極めて難しいものになる。』


 私は、肺の底から赤いユリが咲いた。細い根が、ぐるぐると肺胞に絡みつき、生命の存続は絶望的だと言われている。色々なところから生えてくる植化風邪の末期だ。

 咳をすればはらりと赤い花弁があふれ出てくる。それを毎日見ていると、その数が日に日に増えていくことに私は気付いた。確実に死への階段を進んで行っているという実感が湧いてきて、私は何度も泣いた。

 私の恋人も植化風邪の患者で、彼は胃にジャスミンの花が咲いた。食べ物を摂ることができず、今は点滴で生き延びている。

 私は呼吸補助機器をつけていれば生活できても、彼はいつも何かを耐えている。それなのに、いつも私に「頑張ろうね」「一緒に生きよう」と言ってくれた。植化風邪なんて、治る訳がないのに。


 私は思った。どうして身体が花になるのに、その美しさを見つめないの、と。どうせ治らないなら、その身体を生かしてやれば良いのに、とも思った。

 ただの思い立ちだったが、それは私にとってとてもわくわくすることだった。


 晴れた日に、私は外へ出た。植化風邪はうつるものではないと証明されているから、許可はすぐに得ることができた。

 私は、美術が好きだったから、絵を描いて絵の具にユリを添えた。その絵は美しいと言われた。彫刻には石膏にユリの花弁を織り交ぜて像を作った。様々な芸術作品を生み出していって、私はとても幸せだった。生きていても無価値だと思っていたのに、こんなにも素晴らしい世界があるとは思っていなかった。

 恋人も連れて外でダンスを踊った。私は瞬きをすればユリの花が目から零れ落ち、彼はステップを踏むたびに指先からジャスミンの花が咲いた。

 その光景が喜劇のワンシーンの様だ、ととても話題を呼んだ。私は、恋人と過ごすこの幸せな日々がずっと続けば良いのに、心からそう思った。




 ある日の夜の病棟。

 私は強く咳き込んでいた。気管に花が詰まってしまったようだ。もうダメかもしれない。そう思っていた。

 私の口から出たのは、根のある赤いユリ。とてもおおきなものだった。

 いつもより大きなものが出ただけ。そう考えて私はその日はそのまま寝てしまった。

 次の日。

 定期的に行うレントゲンの検査。別に撮ったところでまた進行しているのをはっきりと実感するだけだから、私は嫌いだった。


 でも、その日は違った。


 憔悴しきった医者や看護師たちが私や私の恋人、そして私たちのエンターテイメントを見て喜んでくれていた重い植化風邪に罹った子供のレントゲンの結果を見て歓声をあげていた。

「やった!植化風邪は治るんだ!」

 その言葉を聞いた時、私は一瞬混乱して、何が起きたのかわからなかった。

「…何を言っているんですか?」

 私は震える声で聞いた。これが本当なら、これ以上に嬉しいことはない。

「君のは大きく張っていたユリがすべて無くなっている。恋人さんと、あの子のは花がすべて枯れているんだ!」

 嬉しかった。涙が出た。しかし、なぜこの不治の病が治ったのだろう。私にはわからなかった。


 暫くすると、私たちは退院することが出来た。その後は、彼と一緒に幸せに暮らしている。もう、世間に姿をさらさなくても普通に働いて暮らしていけるからだ。私たちの行動で、植化風邪の治療方法が明らかになってとてもうれしく思う。


『植化風邪は希望を失った精神を病んだ者が罹ると最近の患者により証明された。アネモネの花が咲かないのはアネモネの花言葉が「期待」「希望」「真実」であることに由来すると考えられ、植化風邪により身体に発生する花の花言葉は全てネガティブなものであると分かった。植化風邪が完治すると、不安などの花言葉の花を枯らす事になるので、前の様に精神状態が不安定になることも減少する様だ。』

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