第15話 喧嘩


 セカイが部屋に戻ると、マユもシオンも既に二人とも起きており、セカイが部屋に入るや否や、マユが涙目で駆け寄ってきた。その片頬は真っ赤になっており、叩かれたのだとわかる。


「……セカイ、あいつ怖い……やっぱりあたしの事恨んでるのかな?」


 そう言いながら、シオンを指さすマユ。目線の先にいたシオンは、起きてはいるが、目は半開きで、フラフラしているし、見るからに機嫌が悪そうだ。


「マユ……もしかしなくても、寝ていたシオンを起こしたよね?」

「だって暇だったから……」


 触らぬ神に祟りなし、という言葉通り、シオンとの距離を一定に保ち、彼女が座っているベッドの上とちょうど対極の位置にあるソファに彼女を誘導した。起きた直後は何も覚えていないため、シオンに謝らせることはできないだろうが、眠っている人間を無理矢理起こしてしまったマユも悪いので、お互いさまか。シオンがマユを嫌っているというか苦手にしているのはわかってはいたが、彼女は意図的に暴力をふるうような人間ではないとセカイは知っているので、マユの自業自得の色が強いだろう。


 もう少し待てば、たぶん、完全に覚醒するので、それまでは近づかずに待つことにする。


「なあ、なんで猛獣を遠くで警戒する草食動物みたいなことをしなきゃならないんだ?」

「たとえがよくわからないけど……今シオンに近づいたら噛みつかれるよ」

「いや、あたしは普通に張り手食らったけどな」


 ぼー、と動かないシオン。どうやら、襲い掛かってきたりはしなさそうだ。

 その様子を見ていると、ぐー、と可愛らしくといっては彼女がまた怒るかもしれないが、小さなお腹の音が鳴る。


「……で、セカイはどこ行ってたんだよ?」

「えっ、ああ、ちょっとね……」


 あははっ、と乾いた笑いではぐらかすしかなかった。

 お腹を空かせているマユに対して、「ちょっと、ダイと間食してきた」なんてことを言った暁には、怒られるだけじゃすまないような気がする。


 そんなセカイをマユはジー、と見つめてきたが、「まっ、いいけどよ」と言ってから、


「どこで何食べるんだ?」

「今食われないなら、外に出てから適当に決めるよ」

「……案外計画性ないんだな」


 案外と言われるのは心外だ。ここ二日間は一方的に振り回される側だったから、多少なりともしっかりしているように見えていたかもしれないが、本来、セカイは振り回す側であり、迷惑をかける側なのだ。けっして胸を張って言えることではないが。


 立ち上がったかと思うと、シオンは着替えを持って危なっかしくフラフラと脱衣所に歩いていく。傍についていてあげたいくらいだが、良心による対価が痛苦で良いと言えるほどマゾではないので、やはり遠くから見ているしかない。


 平日の朝とでも思っているのか、着替えてきたシオンは当たり前のように地味な学生服だった。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出してゴクゴクと飲み干すと、大きく伸びをする。なんだか、シオンの生態観察をしているような気がして罪悪感がこみ上げてきていると、部屋を見回したシオンが近づいてくる。


「なにやっているのですか?」


 寝起きだからだろうか、少し顔の赤い、ようやく覚醒したらしいシオンが訊いてくるが、まさか、貴女から避難しておりました、などと言えるはずもないため、「何でもないよ」と言ってはぐらかすしかない。


「……二人で秘め事ですか」


 頬を膨らませて、少しいじけたように言ったシオンはフンと顔を背けて部屋を出て行こうとしたので、慌ててセカイはその手を取る。


「いや、本当に些細などうでもいいことだからさ――えーと、そう、メジャーリーグの試合について語らっていたんだよ」

「……セカイが野球好きなんて初めて聞きましたが?」


 そんなことないよ、とか言いつつ、バットを振る動作をしながら、頭の中で知っている限りの、メジャーリーグチーム(有名日本人選手が移籍したチームしかしらないが)の名前を言って、アピールする。


 ご立腹の友をなだめようと、セカイがそんなアピールをしていると、クスリ、とシオンが笑ったので、機嫌は直ってくれたかなと思ったとき、「そんなことより、早くご飯食べに行こうぜ?」と、マユが後ろで空気の読めない発言をした。


 マユの顔をじっ、と無言で見たシオンは、今度はピッチャーの真似事まで始めるセカイの方を見て、


「もういいですよ、ちょうど私もお腹が空いていたところです」


 ため息をつくように、シオンがそう言ったので、ようやく三人で部屋を出て行く。部屋のドアを開けるときに、この部屋にも盗聴器は仕掛けられているのだろうか、と、ふと思ったものの、大して重要な内容の会話などしてないし、と考え直してすぐに忘れる。


 すでに日は落ちている曇り空の下、ネオンの光がまぶしい夜の姿が露わになっているラスベガスの中を走り抜けていく。この町の夜は下手をすれば昼間よりも明るいため、暗闇で二人とはぐれることはないと思うのだが、しかし、異国の地を女子学生だけで歩くというのは何とも不安なもので、昼間と違ってオシャレなところとかは金銭面と精神面のどちらと相談しても行けない。


 そんなわけで、結果三人が夕飯に訪れたのは日本にも店舗があるハンバーガーショップになった。なんだかんだ言って、知っている味にたどり着いてしまうあたり、旅下手だなと自分でも思うが、シオンもマユも反対してこなかったので、その点では一安心だ。

 いつも食べているハンバーガーが来るとばかり思っていたが、流石アメリカ、ドリンクもハンバーガーも日本よりも大きいではないか。メニューも日本と少し違うし。


 トイレに行っていたり、並んでいるときに前の人がやたら時間をかけていたり、そういう自分もメニューを見ながらつたない英語でところどころ疑問符を浮かべる店員さんに自分の頼みたいものを注文したりしていたので、シオンとマユとはだいぶ時間的な差ができていた。


 注文したは良いものの、調子に乗ってシェイクやケーキまでも買ってしまったので、全部食べられるだろうか、とか不安になりながらも、先に席についているはずの二人を見つけると、四人掛けのテーブル席がいくつも空いているのにもかかわらず、なぜか窓際のカウンター席、それも、マユとシオンの間には一つ席が空いており、おそらくはここにセカイが座れということなのだろうが、二人の間には会話がなく、なんだか、間に入りづらい雰囲気が少し離れているセカイの立ち位置まで漂ってきているのは気のせいだと思いたい。


 お待たせ、と言って二人の間に入ると、左に座るマユは誰もいない左側を向きながら窓の外を見て、手元にあるフライドポテトを一本ずつ、すごい勢いで食べていた。一方、右隣にいるシオンはハンバーガーには手を付けず、やはり、ストローで野菜ジュースをすすりながら、壁しかない右側を向いていた。

 良い仲ではないと思っていたが、まさかこんなことになっているとは……。というか、この一色触発の雰囲気はさっきまでの彼女たちの間にはなかったことなので、二人で待っていたときに何かあったのだろうことは容易に想像できるが。


 ファーストフードだけに限らず、昼間の忙しくて味わっている暇もない時は別とすると、夕食で、三人で来ているのに、何も話さないこの時間に食べるとひたすらに不味く感じる。


「あの、シオン、何かあったの?」

「別に、私が時間をかけて積み上げてきたものを横からかっさらっておいて、何の謝罪もないことについて怒っているだけです」


 シオンは静かながらも、迫力のある声で言う。

 えーと、ごめん、何言っているのかわからない。あと、冷めてしまうのでそろそろジュース以外にも手を付けた方が良いのではないかと思う。


 さてどうしたものかと考えていると、後ろからマユに腕を取られて、引き寄せられる。そして、マユが挑発するように、シオンに向かって、


「そんなに大切なお友達なら、首にロープでもつけておけばよかったんじゃねえの? まあ、あたしはこうやって掴んで離さないけどな」

「……っ! マユ、貴女はどうしてそういう!」


 シオンが席を立ちあがると、マユも同時に立って、お互いを睨む。セカイの頭上でバチバチと音が聞こえてきそうな感じだ。


 校内で人気の高い女子力の化け物とまで先輩方に言われたこともあるはずの、おしとやかキャラのシオンが細い眼で「セカイ」と名前を呼ぶので、「はい」とまるで軍曹に呼びつけられたような二等兵のように答えてしまう。どうしよう、物凄く怖い。


「セカイ、貴女にとって私はどういう存在ですか?」

「えっと……親友だけど」


 ほら、とシオンは余裕の笑顔でマユを見る。対してセカイの袖を引っ張ったマユは、


「セカイにとって、あたしってただの契約者なのか?」


 うるんだ、どこぞの犬種が思い出される目に、敗北したセカイは「もちろん、大切な友達だよ」と返すと、マユは得意げな顔でシオンを見ると、シオンは面白くなさそうな顔をしている。


 ここで状況を整理してみよう。


 どうやらこの二人はどっちの方がよりセカイの友達なのか、とかいうとんでもなくくだらないことで、争っているみたいだ。マユの体は小さいため、外から見ると姉妹喧嘩をしているように見えるだろうが、実際はマユの方が遥かに年上なのだ。どっちでもいいから、もう少し大人になってくれないだろうかと思う。


 ちなみに、セカイの感覚から言うと、シオンは幼馴染で親友、それでいて、いつも面倒を見てくれているせいか、ちょっとお姉さんという感じもある。一方、マユは突然できた妹という感じ。


「二人とも、周り見てよ」


 二人の肩を叩いて、セカイは諭す。若い女の外国人が二人で言い争っているというこの状況に、店の視線が彼女たちに注がれていた。セカイに言われてそのことに気づいたらしく、シオンはゴホン、と咳払いをした後、「すみません」と言って席に座る。


 マユもつられて席に着くと、断りもなくセカイのトレーからデザート類だけ持っていき、パクパクと食べ始めた。私のデザートが……、と思いながらも、これ以上マユの機嫌を損ねたくはなかったので、何も言えなかったのだが。


 やれやれ、と思いつつ、相変わらず野菜ジュースを吸い続けているシオンの方を向く。


「珍しいよね、シオンがここまで感情的になるなんてさ」


 いつもは後輩や同学年の女の子たちを優しくたしなめる方で、『聖人』だとか『麗しの君』なんてあだ名がついているくらいだから、彼女が怒っていることなんて学校の生徒は見たことがないんじゃないだろうか。


 ちなみに幼馴染のセカイの彼女と一緒にいた記憶でも、彼女は元々あまり争いを好む正確ではないためか、怒りの感情をここまであらわにしたところは見たことが――いや、そういえば、遊んでいる最中に危険なことをして怪我をしたときには怒ってくれたっけ。


「すみません、自分でも大人気ないとわかっているのですが、抑えきれませんでした……」


 なおさら珍しい。さっきの様子だと、火種になるのはマユの行動や発言みたいだが、あの程度の煽りでは本来シオンが腹を立てることはないはずなのだ。少しくらい怒っても、抑えて自分の中で解決してしまう、伊月シオンとはそういう少女なのだ。


「心配しなくても、ずっと親友だったんだから、きっと、これからもずっと一緒だよ」


 もしかしたら、シオンは、セカイがマユから力を貰ったことで、何処かへ行ってしまうかもしれないと不安に思っているのでは、と考えたので、彼女を安心させられるような言葉を選んで、セカイは言う。


 シオンは、しばらくの間セカイの目を見ていたが、やがてフッ、と笑うと、


「そうですね、昔からセカイは危なっかしい子ですから、私が傍にいないとダメですよね」


 子ども扱いされていることについて少しばかり疑問を持ちつつも、「頼りにしてるよ」と返す。この余裕のある雰囲気と発言からして、ようやく、いつもの彼女になったと感じた。


「あたしが隣にいるってのに、堂々と浮気とかねえだろ……」


 何かマユが言っていたような気がしたが、声が小さすぎてよく聞き取れなかった。

 彼女に何と言ったのか、セカイが訊ねようとしたとき、セカイの胸ポケットに入っていた携帯電話が鳴ったので、電話を取り出したセカイは、知らない番号からであったので、どうしようかと一瞬迷ったものの、シオンとマユの目がどちらも同じ『早く出ろ』と言っていたので、通話ボタンを押すと、叫び声にも似た音量で、低い女の声がセカイの耳を貫いた。


『セカイかい? 僕だが……』

「……ダイ?」


 声から相手がダイアナとわかったが、彼女の声はまるで、刑が執行される前の死刑囚のような緊迫した恐怖心のあるものだった。


『どうやら僕は『運命を記す者(ディスティニーライター)』に目をつけられてしまったらしい』

「ディスティニー?」


 一体どこにいるのか、ビュービューと風が吹いているのがわかる。ダイアナはセカイの言葉を聞いている暇もないくらい急いているようで、すぐに言葉が続く。


『よく聞いてくれ、僕は今から殺される。自分で自身の体に火をつけ、街の北側にあるビルの屋上から飛び降りるんだ』

「何言っているの! ねえ、ダイ!」


 殺されるとか、火をつけるとか、物騒なことを言うダイアナはやはり、普通じゃなく、セカイの心臓は急激に加速していった。ただならぬ事態だと隣にいた二人も感じ取ったらしく、顔を近づけて聞き耳を立てて漏れてくる音を聞くマユは眉をしかめながら、シオンは、険しい顔を浮かべながら、焦るセカイ見守っていた。


『いいかい、奴には絶対に逆らっちゃダメだ――じゃないと、君たちも、そう、シオン君も僕と同じ運命をたどることになってしまう』

「ダイ!」


 セカイがそう叫んだ瞬間、電話の向こう側で悲鳴とうめき声が聞こえる。地獄の中で釜茹でされているような、死と生の間を行き来する一瞬の絶叫に身の毛がよだつ。


 ドクン、ドクン、心臓が早くなっていく。


 嫌な予感がして、息が出来なくなっていき、冷静になろうと意識的に呼吸をする。

 ダラダラとかいた汗を手で拭いながら、耐え切れなくなって、席を立ちあがったセカイは、何か違和感があることに気づく。というのも、彼女の唸り声が電話の向こう側ではなく、もう片方の耳からも聞こえてくるような……。


「セカイ、近いぞ!」


 マユの声を聴いて、周りを見ると、ガラス越しで向こう側にいる人々が皆、頭上を見上げて、指をさしているではないか。悲鳴が上がり、警察か救急車を呼ぼうとでもいうのか、誰かが携帯で電話をし始める。

 行くぞ、とマユが店を飛び出していった瞬間、セカイの目の前に、何かが落ちてくる。


「えっ……」


 ガラス越しに見えるのは、全身を焼かれた黒焦げになった何かである。傍に特徴的な眼鏡が落ちており、宙を舞う服の焼け端はスーツ。


 その後、ほんの少しだけ遅れて携帯電話が落ちて来て、同時にセカイの耳にはガシャン、と言う音が聞こえてきた。


 一体何が落ちてきたのか、セカイにはわからなかった。

 ツーツーと言う音に携帯を下したセカイは、黒い物体を前にして呆然と立つ。


 涙を流す余裕もなく、何が起こったのか、理解しようとする脳を拒み、震える手を片方の手で押さえつけていると、シオンがその暖かい手で握ってくれたので、なんとか、正気を保っていられた。


「おい、セカイ! 早く神聖化に! 奴はすぐそばだ!」


 戻ってきたマユが、物を欲しがる駄々っ子のようにセカイ腕を掴んでくるが、反応することができなかった。


「おい、聞いてんのかよ!」


 耳元で言われて、ようやくセカイはマユを見るが、足が震えて動けなかった。その目には涙が浮かんでいたが、関係ないと言わんばかりにマユはセカイの腕を引っ張り続ける。


「犯人を逃がしちまうぞ! いいのかよ!」


 頭のどこかではそんなことわかっていた、しかし、体は動かないし、そんなことを考えられる精神的な余裕もないのが事実だった。

 強く引いてくるマユの力に倒れそうになったセカイは、シオンにその体を支えられる。


「守るためにあたしと契約したんじゃなかったのかよ! 何で――っ!」


 なおもセカイを引こうとするマユであったが、二人の間に入ったシオンが、彼女の頬に一発平手を打った。左頬が真っ赤に腫れ上がったマユは、驚いて用にシオンを見ると、


「いい加減にしなさい! 貴女にはセカイの気持ちがわからないのですか!」

「わかんねえ! あたしはセカイが守りたいって望んだからここにいるんだ!――おい、セカイ! 戦って、傷ついて、たとえ死ぬことになろうとも、守らなきゃなないものがあるんじゃねえのかよ!」


 戦う、傷つく、死ぬ、そんなマユの言葉にセカイは怯えたように、無意識にシオンの手を握っていた。彼女の太陽のような手は優しくそれを受け入れてくれて、ギュッと手を握り返してくれる。


 守るように前に立ったシオンがマユを睨みながら、言う。


「……やはり貴女にセカイはふさわしくありません」

「なんだよ……それ……」


 眉をその場に残したまま、シオンにつれられて、その場を離れていこうとしたが、後ろからマユに「セカイ」と呼ばれて、セカイは反射的に立ち止まる。


「お前、もう戦わないつもりかよ」

「…………」


 セカイは答えなかった。ただ彼女の目をうつろな目で見返すだけ。

否定する気はない。


 お前も同じかよ……、と傷ついたようにうつむいたマユは、険しい顔をした彼女の目には涙が溜まっており、怒りを抱いた、まるで親の仇を見るかのような眼で睨んできた。


「……馬鹿野郎」


 そんな言葉を背中から刺さってきて、もう一度マユを見たときには、すでに彼女の姿はそこにはなくなっていた。

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