花冠

鈴木しぐれ

花冠

 街の市場は活気づいている。明るい声が飛び交い、その中を人が流れるようにして歩く。

「あ、アンナさん! 今日は果物が安いよ、どう?」

「今日はパンの買い出しなの。ごめんね」

 果物屋の少年の売り文句をさらりと交わして手を振り、アンナは目的のパン屋へ向かう。

「こんにちは。いつものパンをお願いします」

「いつもご苦労さま。屋敷の皆の分となると、パンだけでも量があるからね、ちょっと待ってておくれ」

「はい、ありがとうございます」

 バスケットの中いっぱいにパンが入っている。代金を支払い、両手でそれを持とうとしたとき、目の前にドライフルーツが生地に練り込んである、見慣れないパンが差し出された。

「これは?」

「試作なんだよ。おまけといっちゃなんだけど、これもどうぞ」

「美味しそう……ありがとうございます」

 アンナは受け取ったパンをバスケットの中の一番上に乗せ、両手で持ち上げ、店を後にした。

 屋敷を出るときに言われた時間までは少し時間があった。アンナは、休憩でよく訪れるカフェへ足を踏み入れた。

「コーヒーをお願いします」

「あいよ。好きな席へどうぞ」

「はい」

 アンナはいつもの窓の近くの席に座った。ここから眺める街の景色はどこか、舞台のように見えて気に入っている。

「お待たせ。コーヒーと、ミルクね」

「ありがとうございます」

 何も言わなくても、ミルクをセットで持ってきてくれるここの主人は、軽く会釈すると、カウンターへ戻った。

 アンナは、コーヒーカップにミルクを注ぎ、ゆっくりとかき混ぜた。その味と香りを楽しむ時間が至福だった。

「ユナさまもお連れしたいのに……」

 独り言は誰にも聞かれずに空中に消えるはず、だった。

「あの、ここいいですか?」

 すぐ目の前に人がいたようで、相席の許可を求められていた。

「はい、どうぞ――――え?」

 目線を上げて、前に立つ人物を見て、アンナは固まった。

「やあ、久しぶり。アンナ」

「カ、カイ!なんでここにいるの!?」

「一ヶ月くらい前から、仕事でこの街に来たんだ。そしたら、お屋敷の箱入りお嬢様のメイドにアンナという名前の人がいるって聞いて」

「探したの?」

「そう」

 話しながら、カイはアンナの目の前に座る。よく見れば、他の席はいくつも空いている。

 アンナは、驚きと呆れと懐かしさでため息をついた。

「さっき言ってたユナさまってのが箱入りお嬢様?」

「その言い方は、やめて」

 ゆっくりと目を見据えて言う。その声は思っていたよりも低くなった。

「ごめん。悪気はなかった」

 カイはぺこりと頭を下げた。顔を上げたときに少しテーブルが揺れた。

「いい人なんだ、そのお嬢様」

「ええ。可愛らしくて、素敵な方よ」

 アンナは優しく微笑んだ。その表情を見て、カイも口端を少し上げた。

「それにしても、何年ぶりだろう。こうやって会うなんてさ」

「私が町を出て以来だから……七年くらい?」

「そんなにか……まあ、アンナがメイドやってるとは思わなかったけど」

「それは――あ!」

 手元の時計を見て声をあげる。屋敷へ戻る時間が迫っていた。

「ごめん、もう行かなきゃ。昔話はまた今度に」

「またこのカフェで」

「ええ。ここのコーヒーは美味しいのよ」

「ミルク入れてるのに?」

 カイは悪戯っぽく笑いながらミルクポットを指さした。

「入れても美味しいの。カイもミルク派でしょう」

「いや、最近はブラックで飲んでる」

「そう、それは知らなかった」

 僅かなことに時間の流れを感じ、二人は戸惑いを滲ませて笑った。

「じゃあ、また」


 アンナは急ぎ足で屋敷へ戻った。

「すみません、遅くなって。パンここに置きますね!」

「おー、ありがとう」

 キッチンへ駆け込み、パンを台の上に置いた。奥から返事が返ってきたことを確認して、ユナの部屋へ向かった。

「ユナさま、お部屋の掃除をしますね」

「おかえりなさい、アンナ」

 窓際の椅子に座っていたユナは、本から顔を上げ、ドアの方を振り返って微笑んだ。

「はい、ただいま戻りました」

 慣れた手つきで掃除を進め、窓拭きをしていると、名前を呼ばれた。

「アンナ」

「はい」

「何か、あったの?」

 ユナは小首を傾げてアンナを見つめる。

「私、何か失礼なことを……申し訳ありません!」

「あ、違うの。アンナが嬉しそうだったから」

「えっ」

 アンナは思わず自分の顔に手をやった。見て分かるほどに出ていたのかと思うと、アンナは恥ずかしくなった。

「……申し訳ありません」

「責めてるわけじゃないわ。ただ、気になって、ね?」

 促すように首が傾げられて、髪がさらりと揺れる。

「実は、街で、同じ故郷の幼なじみに再会したんです」

「そうなの! すごいわね」

 ユナは部屋の中央にある大きなソファに移動して、アンナに手招きをする。四人掛けのソファに二人が腰をかける。

「アンナの故郷のこと、聞いたことなかったわね。聞かせてくれない?」

「分かりました。ですが、面白い話でもないですよ。何もない町なので」

「聞いてみたいわ」

 興味津々で瞳を輝かせている。アンナは困ったように、でもどこか嬉しそうに頬を緩めてから、口を開いた。

「私の故郷はここから離れた所にある、小さな町です。人も少なくて、ほとんどが顔見知りです。田舎ですが、平和でしたね。あとは、果物がけっこう美味しいんです」

「果物、いいわね。素敵な所だわ」

 ユナは何度も頷きながら話を聞いている。

「他には……あ、少し変わった風習があります」

「なあに?」

「プロポーズをするときに、男性が女性に花冠を贈るんです」

「とてもロマンチック!素敵だわ」

 手のひらを頬に当てて、ユナはうっとりしている。その様子を見て、アンナも微笑む。

「最近では、花冠ではなく、花柄の髪飾りになっているようですが」

「そうなの……。確かに、髪飾りの方が長く持つものね」

 ユナは一人納得をして頷いていたが、思い出したようにあっと声をあげた。

「ねえ、その、幼なじみはどんな人なの?」

「そうですね、家が近かったので、本当に小さな頃から一緒にいました。いい意味でまっすぐな、面白いやつですよ」

 滅多に見ない、アンナのくだけた笑顔にユナは僅かに目を見張った。

「大切な人なのね、アンナにとって」

「……そうかもしれません」

 故郷から離れたことに慣れた今、アンナにとってその存在が大きかったのだと思えた。

「――失礼いたします。ご夕食の準備が整いました」

「はい。すぐにお連れします」

 返事を返せば、ドアを少し開けて顔を覗かせた料理係はすぐにさがった。

「ユナさま、行きましょうか」

「ええ」


 数日後、アンナとカイはあのカフェの窓際の席で向かい合っていた。

「それで、アンナはどうしてメイドを?」

「どうしてって、ユナさまはいい方だし、旦那さまも――」

「そうじゃなくて、何て言って町を飛び出したか、忘れたわけじゃないだろう?」

 カイの問いかけに、アンナは深くため息をついた。

「……忘れてないわよ。『踊り子になりたいから都会に行く』ってね。確かに言った」

「しかも、町一番の金持ちの求婚を蹴って」

「あれは! もういいでしょう」

 アンナが気まずそうに目を逸らす。カイも、アンナが町を出た後、その相手が一方的にアンナを追いかけていたことを知ったため、もうそれ以上は口にしなかった。

「……踊り子の夢は叶えたのよ、一応。小さいけれど舞台にも立った。でも、色々あって、他の踊り子たちに目の敵にされてね、逃げるみたいにそこを出たわ」

「そっか……」

 カイは、言葉を探して口を開こうとしたが、見つからずそのまま口を閉じた。

「その後に、ひょんなことからメイドをすることになって、今楽しいの。踊るのは好きだけど、メイドの仕事はやりがいがあるし、満足してるわ。後悔してない」

 晴れやかな顔で言い切ったのを見て、カイはほっとしたように笑って頬杖をつき直した。

「そう。それは良かった」

「カイはどうなの?」

「ん?」

「町を出る気はないって。役人やって、町長になるんだーって言ってたじゃない」

 反撃と言わんばかりにアンナが言葉を並べる。

「あー……あれね。若かったなー」

「もう、そんなこと言って。今は何してるの?」

 遠い目をするカイの視線を引き戻し、問いかける。

「仕立て屋をしてるんだ。最初は友人の手伝いだったんだけど、けっこう面白くて。今は独立してやってる。この街に店を持とうかと思って」

「へー!意外ね。仕立て屋なんて」

「まあ、昔から興味はあったかな。……隣で踊ってるやつがいたから」

 アンナは驚いて目を見開いた。そして、口元に手を当てて小さく笑った。

「じゃあ、私のおかげね」

「ほんの少しな」

 二人は吹き出して笑いあった。会わなかった七年間の隙間はすぐに埋まった。

「お互い、色々あったのね。この七年」

「そうだな。……アンナ、今恋人は?」

「いないわよ。メイドの仕事は忙しいの」

 一度言葉を切り、悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「踊り子だったときは……どうだったかしらね」

「!」

 カイは見て分かるほどに息をのんだ。そして誤魔化すために何度か咳払いをしている。

「そういうカイは?」

「いないよ。仕事一筋だったから」

 ブラックコーヒーを一口、喉に通した。

「昔にさ、この歳になってもお互い独身だったら結婚しようって言ってたの覚えてるか?」

 ミルクの入ったコーヒーを喉に引っかけて、アンナは咳き込んだ。

「そ、それは、昔の話でしょう?」

「…………」

 視線を泳がせるアンナを、じっと見つめる。

「……本気?」

 恐る恐る投げかけられた問いには答えず、カイは口を開く。

「今度、衣装を担当した舞台の本番があるんだ。一緒にどう?」

「……いつ」

「明後日から、一週間」

「五日後なら」

 決まりだ、と微笑むカイに不服そうな顔を向けてから、アンナはカフェを後にした。

 ブラックコーヒーはもう空になっていた。カップを軽く指で弾くと小さい音が主張する。

「……本気だよ」



「舞台どうだった?」

 例の舞台を観た帰り道、二人は並んで歩いていた。

「すごく良かったわ! とても面白かった。ヒロインのダンス素敵だったわね。久しぶりに踊りたくなってきた」

 アンナは歩きながら軽くステップを踏む。軽やかな動きに、スカートと下ろした髪がふわりと弾む。

「衣装は?」

 そわそわしてカイが尋ねる。

「どうだったかしらー」

「えー」

「冗談よ。――素晴らしかった」

 その賛辞は、幼なじみからではなく、一人の踊り子としてのものだった。カイが顔をほころばせるのには充分すぎた。

「なにニヤニヤしてるのよ」

「いやー、嬉しくて」

 この日はすぐ後にお互い仕事が入っていた。適当な時間で話を切り上げ、帰路につく。

「じゃあね、今日はありがとう」

「こちらこそ。じゃあまた、いつものカフェで。四日後?」

「ええ、また」

 アンナは、屋敷に向かって歩き出して、はたと気付く。自然にカイとの次の約束をしていることに。それを楽しみにしている自分がいることに。

「悪くない、かもしれないわね」

 それから、二人は共に過ごす時間を積み重ねていった。逢うたびにまた次の約束が待ち遠しくなる。日々と想いは着実に進んでいた。


 ある日、二人はいつものカフェに来たが、珍しくあの窓側の席が埋まっていたため、カウンターに並んで腰かけた。

「この前くれたスコーン、美味しかった」

「本当? 良かった、今度はシフォンケーキの予定なの」

 アンナは近頃、ユナと共にお菓子作りに凝っていた。その成果をカイに贈ることもまた習慣となっている。

「もらってばかりも悪いから、俺からも」

「いいわよ、そんな。趣味を押し付けてるようなものだし」

 アンナの言葉を聞き流して、カイは小さな箱を取り出した。その中から出てきたのは、細やかな装飾が施された――花の髪飾りだった。

「!」

 町を七年前に出たとはいえ、それが何を意味するのか、充分に分かっている。

「アンナ。傍にいてほしい」

 隣から伸びる手がそっとアンナの髪に触れる。そして、髪飾りがそこに収まろうとしたとき、アンナがすっと身を引いた。カイの手から髪がすり抜ける。

「アンナ……?」

「ごめん、なさい……」

「俺じゃ、だめか?」

 カイが無理やり作った笑顔で、アンナに問いかける。

「そうじゃ、ないの。カイと一緒にいるのは楽しい。一緒にいたいと、思うわ。でも、メイドの仕事は辞めたくないのよ……!」

 世間の常識として、結婚すれば妻は家庭に入り、旦那の仕事を手伝うものとされていた。

「そうか……」

 カイは手の中に残った髪飾りを見つめ、唇を噛みしめる。

「ごめんなさい。もっと早く離れればよかったわ……。でも楽しくて」

「うん、俺も楽しかった。ありがとう」

 カイはそう言うと、アンナの顔を見ずにカフェのドアを押し開けて外へ出た。その背中に手を伸ばしかけて、もう一方の手でそれを止めてきつく握りしめる。

「カイ……大好きよ……」



「アンナ、そこのお砂糖取ってほしいの」

「……」

「アンナ?」

 アンナとユナはキッチンで、チョコレートケーキを作っている最中だった。が、アンナは上の空で、ユナの声がなかなか届かない。

「アンナ!」

「あ、はい! 申し訳ありません。お塩ですか?」

「お砂糖よ。……アンナ、ここ数日元気がないようだけど、何かあったの? 大丈夫?」

 花の髪飾りを拒んだ日から数日経つが、胸のもやもやしたものは消えていなかった。

「何でもありません。大丈夫ですよ。ご心配をおかけしてすみません」

 ユナに向き合って微笑んで見せるが、眉の下がった笑顔はなんとも頼りなかった。ユナはため息をついて、話題を変えた。

「そういえば、今日屋敷に新しく人が来るらしいわ。歓迎にこのチョコレートケーキをあげるのはどう?」

「はい、いいと思います」

「ユナさま、新しい仕立て屋が到着したようです。お会いになりますか?」

 新人の到着を伝え聞いたユナは、ぱっと顔を輝かせた。

「アンナ、行きましょう」

「はい」

 応接間に行くと、見覚えのある人物がそこにいた。

「どうしてここにいるの…………カイ?」

「やあ、数日ぶり。アンナ」

 カイがにこやかに手を振っている。アンナは固まったまま動けないでいる。

「あなたがユナさまですね。少しアンナをお借りします」

 そう告げるやいなやアンナの手を引き、部屋を出る。

「ちょっと待って! なんでここにいるのよ!」

「今日から、この屋敷専属の仕立て屋になったんだ」

 カイは後ろで手を引かれているアンナの方を振り返り、ニヤッと笑う。

「専属になったら、今までのように自由に出来るわけじゃなくなるのよ。それに私はカイを……」

「そんなことはどうでもいいんだ。――アンナの傍にいたいから、来た」

「……っ」

 アンナの胸のもやもやは一気に消え去り、暖かなもので満ち溢れた。口を開けば涙が零れそうだった。

「……バカじゃないの」

「そうかも」

 カイは再び、髪飾りを手にしてアンナを見つめる。アンナは静かに目を閉じる。

「よく、似合ってる」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

花冠 鈴木しぐれ @sigure_2_5

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ