STEP

k.m.joe

STEP(一話完結)

篤は、いつもより、通勤電車の揺れを強く感じていた。座席に無理なく座っているのに、身体に踏ん張る力がない・・・疲れている。とにかく疲れている。


肉体的疲労ばかりではない。今日一日絶える事がなかった、田中の得意気な笑顔が頭にこびりつき、ムカつきが収まらなかった。ストレスを晴らす機会もなく、くすぶった気持ちのまま家路を辿っていた。


同僚が昇進したって、別に構わない。俺もあと5年で定年だ。今更指なんてくわえやしない。問題はヤツの態度だ。昨日までは、会社に対する不満を散々言ってたクセに、俺たちの上に立った途端、偉ぶり出し、会社の素晴らしさを滔々と述べ立てる始末だ。管理職の立場は解るが、態度の変え方が許せない。


もっとも、自分としては、仕事さえキチンとすれば、上司が誰だろうが関係ない。上司に批判的になる必要もないのだ。悪口ばかり言うって事は、案外、俺も、上の立場に立てば、田中みたいに手の平をクルッと返すのかも知れないな・・・思いが自己批判に到達しようとする頃、電車が降りる駅に到着した。


小さな駅の正面向かいには、小さなコンビニがある。大手チェーンではあるが、地元の中年夫婦が切り盛りしている。夫婦共に愛想が良く、篤が照れ臭くなるほど大きな声で挨拶してくる。


リポビタンを買って帰ろうと思い、コンビニのドアを開けると、奥さんがいつも通り元気良く挨拶してきた。栄養ドリンクの類は入り口近くに置いてある。リポビタンを買う時は、いつも妻の分まで買って帰る。夫婦共々、日常的に疲れているのだ。店内を見て回る事もなく、奥さんが笑顔で迎えるレジに、商品を置き小銭を渡した。


「あのぉ」声を潜めがちに、奥さんが話しかける。勘定を間違えたと思い、財布を出そうとすると、「いえいえ、もしかしてK高校の小沢さんじゃないかと思って・・・」たしかに、篤の苗字と出身校だ。


田中の事ばかり考えていた一日に、風穴が開いた。周りの空気さえ変わった気がした。


「2年の時の同級生の加藤です。憶えてる?」顔をマジマジと見ると、コンビニの奥さんの顔が同級生の顔に重なった。


「おー、おー。全然気が付かんかった」

「もしかしたらと思ってたのよね。この辺に住んでるの?」

「あぁ、3丁目だよ。いやいや、それにしてもビックリした」

「ははは。今後とも宜しくお願いします」

「うん、また」


何気ない会話だったが、コンビニに入る前と出た後では、篤の気持ちは大きく変わっていた。しだいに、加藤という同級生について、記憶が甦って来はじめた。あまり目立たない生徒で、ほとんど会話を交わした憶えがない。現在(いま)の明るさからは想像出来ない女子だった。


彼女は自分を変える事が出来たんだろうな、それに対して俺は・・・と、またマイナス思考に向かいそうになった時、最近24時間営業に切り替えた、レンタルビデオ・ショップの大きな看板が目に入った。青地に白で24Hと書かれている。


篤の心の奥で何かが弾け、数々の映像と共に、時間が逆戻りし始めた。


あぁ、そうだ、2年の時は4組だったよな・・・よくふざけ合ってた友達の顔・・・つまらない事でケンカした事もあったな・・・ギターの練習だけは真剣にやってた・・・本気でジミー・ペイジに成れると思っていた・・・新潮文庫の太宰治は全部読んだ・・・次々に浮かんでは霞んでいく級友や先生たちの顔・・・休み時間のざわめき、廊下や階段を歩くスリッパの音・・・校庭の土のニオイ・・・そして、笑顔と泣き顔の両方を想い出してしまう彼女のこと・・・。


篤の歩みに勢いがついてきた。右手にぶら提げたコンビニの袋の中で、リポビタンの瓶がコツコツとぶつかり合う。まるで、リズムをカウントしているかのように。篤は、彼女との初デートの前に、必死で練習したダンスのステップを踏みはじめた。


幸い誰も近くを通っていなかったが、人が居たとしてもやっただろう。凛とした冬の星空の下、頭の禿げかかったオッサンが、くたびれたコートを翻し、のたのたと踊るさまは異様だった。どう贔屓目に見ても見苦しかった。


ついに、舗道の敷石の縁に爪先が当たり、つんのめって倒れかけた。書類カバンが手から離れ、二、三歩分、前へ落ちた。絵に描いたようなジ・エンド。


篤は軽く息をつくと、現実を拾い上げ埃を払った。


もう少しで帰り着く、自宅の玄関口の灯りに目をやる。いつもの状景なのに、懐かしい温もりを感じた。


そうだよ。もう、見栄え良く踊れないのは解ってる。でも、そんな俺だって、


真っ直ぐ前に歩く事は出来る。


(おわり)

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STEP k.m.joe @koolmuddyjoe

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