植物園だより

かなず

第1話

北国から便りが来る。少ない便りは母ともう一人の古い知人からでほとんど占められる。健康を案じる内容といつ次は帰省するかとは母と同じではあるが、次の月の見ごろの花は何なのかが綴られる。

「7月はなんといっても見頃なのは薔薇です。とても香りが巧妙で香水などで表すことは出来ません。元気なら薔薇に会いにいらっしゃい」

 私のことを思っているのか、薔薇を自慢したいだけなのかよく分からない内容であるが、その文面から彼の元気まだまだ活力があるのが伝わってきた。便りは半年に一回くらいとぽつりぽつり来るのであるが、北国の気候に負けずのびのびと緑色のきらめきの中、暮らしていることが判るのでほっとしているのである。

もう、故郷を後にして何年も経つのに、植物園のまぶしい光が瞼に蘇ってくる。


 授業が終わり、教室を出ると同じ方向に家がある子供たちが一群になる。群れになりながら、走ったり、石を方々に投げたり、草をちぎって投げたりしていて、走っている割にはあまりに学校から離れはしない。山に少し入ったり、なにか枯れた枝で殴りあったり、喧嘩しながら笑ったりしていて、道の上で転がり回っている。

 そのうちの一人が言った。

 「街はずれの白い大きな屋敷の傍に変な建物あるのを知ってるか?硝子で出来ているのだ。見ると中は草が生えているだけでさ。見に行かないか?」

 子供たちはざわついたが、好奇心は誰も同じように持ち合わせていたので、目がきらきらしながら笑い合った。

 「木の実、食べたことないのがあるらしいぞ。南の方の果物」

 食べ物と聞いたとたんにさらに顔を高揚させ声があがる。珍しい果物とはなんなのか?林檎とか蜜柑なら知っているけども、他の果物は何があったか。どこにあるのか、どんな果物か見てみたい気持ちが高まって、一人の子供が駆け出すと、渡り鳥がリーダーの飛翔に合わせるように野道を一斉にその方向に駆けだしたのであった。


 「ここだ!」

先頭の子供が叫んで指したのは高い木の柵で巡らされた場所だった。木の柵は白いペンキで塗り上げられている。柵の隙間からは緑色の乱反射し光が漏れている。柵をたどって入口らしきところにたどり着くと小さな小屋があった。周囲には誰も居ないので少年たちは流れるように柵の中へと駆けて行った。

 白い木造の建物が並び、開けた広場の向こうには何百種類も植物たちが鬱蒼と呼吸していた。木々は空に緑色の手を伸ばし青い空を隙間なく覆いつくそうと手を必死に伸ばしている。花は桜も梅も一気に咲いては散り急いでいたころから一息おいて、比較的大振りの大人びた紫や強い桃色の色調の花がじっとりと香りを放ち、凛と花びらを固く咲いていた。  

自分たちの家の周りとは様相がずいぶん異なるので子供たちの声は興奮して大きく高くなってしまった。

「お前たち、どこからきなすったかなね?」

丸い眼鏡をかけて痩せてはいるが筋肉質の黒い肌の男性が子供たちに歩み寄り、眼鏡に手を当て焦点を彼らに合わせようとしただけであるが、突然静かな場所に男が現れただけで驚いてしまって、蜘蛛の子を散らすようにわっと方々に逃げ隠れてしまった。

「植えているものたちを踏んではいけない。ただ遊びに来ただけなら出ていきなさい」

そう言われるとすぐに誰かが「帰るぞー!」と声を上げたので、その声に隠れたり地べたにすっころんだりしていたものたちは立ち上がり、入口の方に駆けて行ってしまったのである。

眼鏡をかけた男性は少年たちが出てって行ったのを確認すると、入り口の小屋の壁にかかっている鍵を手にし、出入り口の柵に施錠をしてしまったのである。


 私は背のそんなに高くは無いが密度の濃い小さな葉がたくさんついている木の傍に隠れていた。その枝の隙間から一部始終を見ていたのであるが、あまりにも驚いてしまったのと、珍しい果物がなんなのかが知りたくて、そこにずっと留まってしまった。男性が小屋から離れ、ゆっくりとため息をつきながら白い大きな建物の中に入って行った。辺りは急に人の気配ではなく木々がこすれる音と鳥たちが時折小さくつぶやく鳴き声しか響かなくなる。夕暮れはどんどん深まり太陽の光はすっかり少し地平線からわずかに漏れてくるだけとなり、もうそろそろ一番星でも見えてきそうな気配である。

 すこし体が冷えてきて、何か体を包むものが見つからないか探したくなってきた。小屋があるなら「むしろ」くらいならありそうな気がする。体を枝から離すと建物の前の広場に歩み出た。明るい時分は緑に見えた植物が随分黒く見える。白い建物の方からは明るい光が建物の部屋中をくっきりと見せた。人が何人かで談笑している声も聴きとれるのだが、何を話しているのまではわからない。

 人がいることに安心を覚えた私はふと「珍しい果物」を見てみたいと思った。せっかくここまで粘っていたのだからと。感じている寒さを忘れ、広場から続く道へ足を運ばせた。黒い植物たちはひそひとと葉を揺らしながら話しているようだった。生きている気配がした。近所の山とは異なる遠くからきた異国の言葉で私の事をうわさ話ししているようにも思えた。自分の呼吸する音がなんだか大きく響いている気がして誰かに聞こえはしないかと少し小さく息をするようにした。どのくらい小さくなったかはわからなくて意味があるのかないのか混乱した。

道になっている土は明るい色の土でそれ以外の植物が生えている黒い土になっているのが暗闇でも分かった。道になっている場所しか歩いてはいけないと見つかった時に咎められないように歩いた。どんどん歩いて植物たちの住処の奥まで来たように思えたが、ふと気が付くいて回りを見ると白い建物の明かりが見えた。柵の中を大きく回っている道をただ一周したのだった。それでもなんだか探検気分であってのでがっかりしたが反対に安心もした。

その白い大きな建物の横に小さなおかしな光が飛び込んできた。建物の内部から壁を通って光が見える。全体が硝子で出来ている小屋など見たことがなかった私は足早に近づいた。仲間で聞いたのは硝子だけで出来ている変な建物で、さらに食べられるものが実っているってことだから。

 硝子の小屋の戸は思いの他に容易に開いたので、私は素早く滑り込み戸を閉めた。外の気温とは違っていてすぐに足や腕がほうっと暖かくなる。地面の底の方から水がチロチロ流れる音が響いて、小さな虫が羽音を立てて耳の傍を横切っていった。天上の近くにはランプに火がついており先ほど見えた明かりはこれである。光は弱々しいながらも硝子の小屋の中がなんとか見渡せるようになっていた。

小屋の中には幾つもの木の棚が並べられており、棚には植木鉢に種類の異なる花々がそれぞれに咲いていた。奥には天上近くまで腕を伸ばしている木々が無数に種類さまざまに生えており、小さな植物を守るように抱えてながら見つめているようだった。

ある長く生えている木から、大きな縦長の葉の間から何かがぶらんと垂れ下がっていた。ふよんと甘い香りが漂ってくる。私は手を伸ばしてみるものの全く届きはしない。なにか梯子か椅子かに上らないとあの実を確かめることは出来ない。なんなのか手に取って確かめてみたかった。小屋の中をなるべく静かに探しまわり、木でできた机を引きずってきてその上に椅子をおいて上ってみることにした。薄ぐら闇のなか手を伸ばす。椅子から体が落ちそうになる。それでも届かなさそうなので木の棒で実を叩き落してみようかとした。棒の先が実に当たり実が小さくふるふる揺れた。もう少し強く当たればと棒を大きく振った処で私の体は宙に浮いたような気がした。何故かすっと実の方に手が伸びて、つかみちぎることができたのと同時に、脇をしっかりと手で捕まえて宙高く実の方に私の体を差し出してくれる大柄な男性の存在にようやく気が付いたのである。

 「一人、残っていたんですねえ」

 眼鏡をかけた男性が傍に立っていた

 「ははは、一人でこんな夜に勇敢だねえ。実をもいで気が済んだかい?」

白い作業着の大柄な男性はにかにか笑いながら、私をまるで米俵を扱うようにくるりと体を抱きかかえなおした。

 「こんな夜になっちゃ腹が減ったろ?まず飯でも食べないか?それともバナナが先に食べてみたい?」

 手の中には珍しい果物があるが食べさせてもらえるのだ。安心して手の中の果実を香りをかいだ。よくわからないけども甘くて良い香りだ。

 「探す電話がかかってきていたぞ。家族の人たちが心配している」

男性に抱えられながら、すっかり夜が更けて建物の横に星々が輝いている空を見た。


 大きな広いテーブルで植物園の作業着の大柄な男性(園長であるということだった)とお茶漬けをかっこんでいた。珍しい果物「バナナ」は知らない香りを漂わせていて、食べながらもその実から視線を外せなかった。

お茶漬けを食べ終わると、「皮をむいてあげよう」と言ってテーブルの上のバナナが彼の手に取られた。実の枝の上の部分をもぎ取って皮をすっと剥ぐ。部屋に漂っていた香りより更に強い良い匂いがうっとりと鼻に忍び込む。香りが奥の方まで達するを頭が何か考えることを辞めてしまった。手で実を持ち歯で果実を齧じった。口の中がねっとりとした果実でいっぱいになる。今まで知ることのなかった味がこんな不思議な美味しいなんて。ひんやりとした椅子に座って、にこにこした男性の前で私は一人ぽくぽくと口を動かしていると、眼鏡の男性に連れられて母が扉の向こうから飛び込んで現れた。

 

 それから植物園の園長を友達のように慕い、学校の友達や母と植物園に遊びに行き、疎遠な時期もあったが年に何回かは訪ね、そこの人たちの進めで進学し、本州に就職したが、就職先は海外から船旅で運ばれてきた果物に変な薬や虫がついていないか調べる免疫所で年から年中甘い香りに包まれて仕事している。船が着く度に慌ただしいが、私の道がひょんなところから現れた自分が知らなかったものからだなんて、やっぱり冒険はするべきだ。なんて植物園の園長の受け売りでお話しすることをお許し願いたい。

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植物園だより かなず @kanazuuu

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