第5話「意趣返し」

「しばらく――でした」


 手紙が届いて数日、父娘を迎えに来たのは里竪だった。祝いの使者とはいえ、華美な衣装に居心地の悪さを感じるのか言葉数が少ない。目を合わせようとしないところを見るに、照れているのだと杜鵑は思った。


 そして父娘は馬車に乗り、十四年ぶりに蔡家の本家へと向かった。

 到着するなり、待ち構えていた複数の侍女たちが杜鵑をさらい、身体を磨き、春めいた桃色の衣装を着せ、念入りに化粧を施す。鏡に映る自分の姿に驚いていると、父がやってきた。祝宴用の立派な衣装をまとった父は、杜鵑の姿を見るなり、「なんと美しい」と呟くなり肩を震わせ涙を見せる。侍女たちがもらい泣きをしていると、静かに叩扉の音。

 侍女たちと入れ替わりで部屋に入ってきたのは、志明だった。

「ご無沙汰でございます。このたびは科挙合格、まことにおめでとうございます。ご婚約もなさったとか。二重のおめでたですな」

「ありがとうございます、叔父上」

 父と志明のやりとりを耳にしながらも、これ以上になく着飾った自分に幾分かの恥ずかしさ、それ以上に苦しみ泣いた日々を思い出して渦巻く胸を隠し通せないと思い、杜鵑は鏡台の前に座ったまま、背後に立った志明に向き直ることができなかった。しかし。

「恥ずかしがっていないで挨拶をしないか」

 その無礼を、父に咎められてしまう。当然だ、思いながら杜鵑は意を決して立ち上がり、振り返る。志明は見慣れた白衣ではなく、祝いの主役らしい華やかな衣装をまとっていた。

「久しいな。もう身体はいいのか?」

「はい、おかげさまで。このたびは、おめでとうございます」

「ありがとう」

 ゆるやかな笑みに余裕さえ感じる。良質な衣装をきちんと着こなしている姿に、ああ、やはり遠いお人なのだと改めて思った。

「――志明さま、このたびは娘のことにまでお心遣いいただき、ありがとうございます。――それで……お相手は、どういった御方なのでしょうか?」

 恐る恐る、といった様子で父が切り出した。相手が誰であろうと嫁ぐだけだと杜鵑は思っていたが、やはり父は気になるらしい。志明さまのご紹介なのだから間違いはないと思うのだか……とまるで自分に言い聞かせようとするかのように、何度も口にしていた。

 にわかに志明が居住まいを正した、そして、杜鵑の父に向き直ると、深々と腰を折り、

「杜鵑殿を我が妻として迎えたいのです。私の紹介なら相手は誰でも――とのお返事でしたが、私でもお許しいただけますか?」

 あまりにも突然のことに、父娘揃って声が出ない。志明はただゆるやかに微笑んでいる。気を取り直したのは、やはり父が先だった。

「志明さま、まことにありがたいお話ですが、いくらなんでもそれは――。もっといいお話もこれから出ることでしょうし、何より、本家のみなさまがご納得しないでしょう」

「この話を許さないなら合格を辞退してお二人のところに戻る、と申したら、みな納得しましたよ。祖父母も従兄妹同士の結婚でしたが、仲睦ましい様子でした。ご安心を」


「驚いたか」

「……ええ、あの、はい」

 開けた扉から優美な音色がゆるやかに流れてくる。それに混じる人のざわめき。二人は祝宴会場の隣室で、登場の声がかかるのを待っているところだった。

 目の前に広がる庭をぼんやりと眺めていたら、隣に座る志明が自分に目を向ける気配に杜鵑は気づく。そして、

「私が結婚すると知って、悲しかった?」

 なんて憎らしいことを訊くんだろうと思いながら、杜鵑は素直に頷く。すると志明はほんの少し、意地の悪そうな笑顔を見せて、

「別れの日、おまえに拒絶されて相当腹が立った。だからこれはお返しだ――とはいえ」

 そこで微笑をたたえていた志明の表情が、ふっと真顔になった。

「義父上にはああ申し上げたが、常に一緒にいられるわけではないから。何かと辛い思いをすることがあるだろう。――それでも私と、共に生きてくれるだろうか?」

「――はい」

 杜鵑はしっかりと頷いた。志明と別れてからの日々の辛さを思えば、何でも耐えられる。

「今宵はともに、庭を歩こう」

 開け放たれた扉からは、庭が見渡せた。杜鵑の衣装と同じ色の桃が盛りを迎えている。

「少爺、そろそろよろしいでしょうか?」

 そこへ童子がひょいと顔を出した。志明は大きく頷くと、立ち上がり、杜鵑の目の前に立った。そうして右手を伸ばす。

「じゃあ行こう」

 杜鵑は頷いて、その手をとった。

  


(終わり)









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今宵、月の庭で 天水しあ @si-a

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