帰路

【1】

 店の片付けが終わったあと、俺たちは魔術と例の本について少し話し合った。秋雨さんの説明書によれば、魔術の痕跡は何かを引き寄せるらしい。そういうわけで魔術は使わないようにしようと、いう風に話がまとまった。そして本についてはこの店に保管しておくことになった。どこかに捨てたところで、また誰かに拾われる可能性がある。川底や海に沈めてしまおうという意見もあったが、皆が習得した魔術によって何かしらの問題が起きた場合、頼りになるのはこの本だけなのだ。

「じゃあこの本は任せる。よろしくね、秋雨。」

「ええ。今日は皆お疲れ様。気が向いたら遊びに来てよねー。」

 外はもう暗く、冷たい風が吹いている。思えばもう十一月も終わりに近づいている。

「寒くなってきたわね。車で来ればよかったかな。」

「家まで近いんで大丈夫ですよ。なあ熊田よ。」

「そうだな。」

 ここから家まではおそらく徒歩二十分。問題ない。マサヒロや音無先生が住んでいるマンションは道中にある。そこまでは徒歩十五分くらいだろう。

「では行こうか。」

 先生が先んじて歩き出す。俺とマサヒロはあとに続いた。

 夜の街は静かだ。かつて過密な人口を抱えていたとは思えないほどに。そして建物の壁は住民たちの要請に応え、年々防音処理が行われていた。三人の足音と、ビルの合間を縫う風の音だけが響いている。狭い空を仰げば、やたら明るい月が見える。この辺りは街外れと言っても過言ではない程に人通りがない。その割には昔の名残で建物だけは沢山あって、当然の事ながらそれらの多くは廃ビルである。

「この辺りは結構暗いなぁ。月が出ていなかったらライトが要るぜ。」

「そうか? 俺はそこまで暗いとは思わないが。」

「熊田、お前やたら夜目が利くよな。」

「どうやらそうらしいな。生まれつきこうなんだ。」

 そう、この目は生まれつき光に敏感なのだ。昼間は少々眩しく感じるが、生活に支障が出るほどではない。どちらかと言えば、この目の色のほうが問題だった。どういうわけか白目の部分が黒いのだ。理由は分からないが、機能的には支障は無いようだ。問題といえば初対面の人に怖がられることくらいで。医者に診てもらい、検査も受けたが何も分からなかったのだ。そんなことを考えているうちに、辺りはますます廃ビルだらけになっていた。


【2】

 人が暗闇を恐れるのは、今も昔も変わらない。おそらく古代の名残であろうその恐れは、俺を警戒させるには十分だった。周囲の灯りが少なくなっていくに連れて口数は減っていき、何かを話している時は意識の一部を周囲の暗闇に向けていた。そんな時、視野の片隅で俺は異質な光を捉えた。青白いLEDの灯りの中、その一点だけが暖色の光を放っている。マサヒロも、先生ですらもその光には気づいていないようだ。その光の正体を確かめるため、視線を動かした。まさにその時、その光が急速に接近してきた。俺とその光の間にはマサヒロがいる。俺はとっさにマサヒロの肩をつかみ、歩を止めさせた。

「うおっと、いきなり何を…」

 光はマサヒロの頬のすぐ横を通り過ぎた。

「な、なんだ、今のは…。」

「危ないところだったな、マサヒロ。怪我は無いか?」

「ああ、だが直撃していればヤバかったと思うぜ。かすってもいないのに熱を感じたからな。」

「つまりあれはかなり高温だと考えられるわけだな。」

 極力冷静になろうと努めていると、音無先生が囁いた。

「…向こうに人影が見える。一旦ビルの陰に隠れましょう。」

 先生の視線の先にあるのは廃ビルの間にある細い隙間で、人一人がようやく通れるくらいの幅だった。そしてその奥には、暗さのために不明瞭だが確かに人影があった。

 何かのトラブルに巻き込まれそうな時、嫌な予感とまではいかなくとも何となく気が乗らない時、そんな時は身を引き、背を向け、元の日常へ立ち返ることが平穏な生活を送る上で最も重要である。それが俺の考えだ。ましてやこんな、見るからに危険の真っ只中に居るのなら尚更そうするべきなのだ。隠れてやり過ごすか、全力で逃げる。誰しもがそうするだろうし、俺もそうするだろう。だが一つだけ忘れてはいけないことがある。今、この場には俺と先生の他に、凄まじいトラブルメーカー…またはシイタケ高校最大の阿呆、加藤マサヒロが居るということを。



【3】

 マサヒロが人影の方へ駆け出してから約一秒後、俺はとっさに後を追っていた。考えるより先に足が動くとはこのことか。心の片隅で、柄じゃないなぁと思いつつ、ひたすら走る。マサヒロとの距離はなかなか縮まらない。このまま隙間を抜けるかと思ったが、途中で人影は通用口に入ったらしく、マサヒロはその後を追って中に入っていった。当然俺もそれに続いた。ビルの中は暗く、非常灯すらついていない。本当に廃ビルらしい。階段を駆け上がる足音が反響している。

「上か︙。」

 幸い体力にはまだ余裕がある。俺は大きく息を吸い込み、再び走り始めた。

 階段の途中でマサヒロに追いつくことはなく、とうとう屋上まで来てしまった。目の前にはマサヒロが居て、そこから十メートルほど先に例の人影があった。その人物はフードを被り、マントのようなものを身に着けているようだ。月明かりはあるが、そいつは別のビルから伸びた影に埋もれるように佇んでいる。

「気をつけろ、熊田。奴はかなり素早いぜ。」

 マサヒロが振り向かずに言う。

「だろうな。で、これはどういう状況なんだ。」

「増援を待っていたところだぜ。というわけで、今から作戦会議でも…」

 その時、人影が片手を挙げた。

「ああ、なんてこった。そんな暇は無さそうだな。」

 またあの光が現れる。

「驚いたわ。あれは一体何なの…」

 いつの間にか音無先生も追いついたらしい。しかしどうするべきか。話し合いを持ちかけたところで、相手に知性があるかどうかすらわからない。とりあえず今はあれを避けなければ。人影が手を振り下ろすと同時に、物凄い速さで光の球が飛んできた。ああ、これは時速百キロは出てるんじゃないだろうか。

「こっちだ!」

 マサヒロの一声により、三人が同じ方向に走る。光の玉は真っ直ぐ飛んでいったらしく、誰にも命中しなかった。視線を人影の方に戻す。人影は再び片手を挙げていた。

「ああ、なんてこった。また撃ってくるぞ!」

 そこからは、ひっきりなしに飛んで来る光球を走って避け続けていた。しかし、人影は少しずつこちらとの距離を詰めてきていたのだ。

「まずいぞ、どんどん距離が短くなっている。どうする、マサヒロ?」

「そんなもん俺が聞きたいくらいだぜ。そうだ、お前の魔術で石でもぶつけてやったらどうだ?」

「俺も一度はそれを考えていた。だが、この場所を走っていてそれは無理だと気づいた。ここには投げられそうなものは何もないようだ。」

 そう、いくら廃ビルと言えど耐久性はあるらしく、外壁やタイルの欠片などはまるで見当たらない。逆に考えると、その耐久性の高さ故に今まで取り壊しを免れているといっても間違いではないだろう。

「ええと、ならば、そうだな…うむ、小銭とか?」

「取り出すまでが一苦労だな。小銭を探してる間に不意打ちを食らったら笑い話にもならん。」

 不意に、音無先生がゆっくりと、両手を前に突き出して…

「仕方ないわ。二度と使わないと思っていたけれど。」

 その手には拳銃が握られていた。なぜ、先生が、それを。その疑問は乾いた破裂音の前に霧散した。やはり本物のようだ。これならば、ひとまずこの危機は乗りきれる。そう思いたかった。

「…効いてない、みたいね。」

 人影はまるで無反応だった。もしかしたら弾丸は命中しなかったのかもしれないが、先生なら百発百中だという謎の印象があった。

「やべえ、また撃ってくるつもりだ。ああ、まずいぞ。」

 マサヒロが珍しく慌てている。人影は両手を挙げ、光の球を発生させている。どうやら本気を出してきたらしい。何か方法はないか、ひたすら考える。飛び道具に使えるようなものはない。あったとしても、相手は拳銃すら効かない可能性だってある。とすれば、この状況を打破し得るものがあるとしたらそれは………

 そうだ、一つだけ可能性がある。今の状況をよくよく考えてみると、俺たちは非常識極まりない事件に巻き込まれている。相手が使っているのは魔術か、それとも俺たちが知らない超常現象的な力だろう。毒をもって毒を制す、つまりこちらも魔術で対抗するべきなのではないか。

「マサヒロ、ちょっと危ないかもしれんが協力してくれ。あと音無先生も。」

「お、おう。それでなんとかなるなら。」

「ええ。」

「まずマサヒロ、【石頭】を使ってくれ。」

「なるほど、まずは守りを固めるわけだな。…よし、念じたぜ。」

 問題はこれからだ。自分で考えた作戦だから仕方がないが、少々タイミングがシビアな段階がある。

「それから先生、マサヒロを浮かせてくれ。」

「わかったわ。でもこれってまさか…」

 マサヒロが宙に浮く。およそ十センチメートルくらいだろうか。そしてついに、人影が光球を放った。その光球は今までより一回り大きく、そしてそれはマサヒロを狙って放たれたようだ。

「よし、いける。…すまん、マサヒロ!」

 俺は【瞬間加速】をマサヒロに使った。マサヒロは迫り来る光球に向かって頭から飛んでいった。そしてその頭にかけられた【石頭】の魔術が、見事に光球を打ち破っていた。光球は空中で弾け飛び、消え去っていたのだ。そしてマサヒロはそのまま人影に向かって滑空し、ついに人影に命中した。いや、人影を“貫通”していた。そう、人間砲弾と化したマサヒロが命中したのは人影の胸のあたりだ。マサヒロは人影を通り抜けた後、屋上に着陸していたのでとりあえず無事のようである。一方、謎の人影は上半身が綺麗さっぱり無くなっていた。恐る恐る近づいていくと、残った下半身が倒れ、そのまま灰のような粒子となって崩壊していった。

「何だったんだ、こいつは…。」

「それはこっちが聞きたいぜ…いや、それよりも熊田。お前人を飛び道具にするとは恐ろしいやつだな!」

 灰のような残骸の向こうで、マサヒロが立ち上がりながら声を上げる。

「ああ、すまんな。だがうまく行って良かった。」

「む、まあ何とかなった事は確かだ。でも吹っ飛んでる最中はこのままビルから落ちるんじゃないかと、気が気じゃなかったぞ。」

「ああ、俺もヒヤヒヤしてたよ。うん。」

「ま、それは私も同感ね。」

 音無先生がため息混じりに言う。ああ、この中で先生が一番不安に思っていたかもしれない。

「さて、それじゃ帰りましょう。ここに長居する意味はきっと無いわ。」

 先生の一声により、俺たちは元の帰路に着いた。

 冷静になって考えてみると、やはり今回の一件はあまりの異常さ故いまだに現実感が無い。しかしこれは夢や幻ではない。今後、また何かの厄介事に巻き込まれる可能性について考えを巡らせた。それから先生が持っていた拳銃のことも。だが今はとにかく疲れていた。これまでの日常が形を変えていくような感覚から今は目を背けたかった。どうやらその気持ちは二人も同じようで、誰も今日の出来事には触れなかった。そして個人的に思うことだが、あの拳銃について話すことは無いだろうと思う。気になるといえば気になるのだが、それでもきっと口にしない。…拳銃を構える先生の目が、とても悲しそうだったから。


【エピローグ】

 例の事件からちょうど一週間が経った。幸いにもあれから厄介事には巻き込まれていないのだ。そして今は放課後で、俺はあの骨董品店に向かっている。というのもマサヒロが何か思いついたらしく、その話し合いをするらしい。その思いつきが良い思い出になるのか、はたまた良からぬことになるのか、それは分からない。未来のことは、良くも悪くも誰一人として知ることはないのだ。それにしても随分寒くなってきた。あと半月もすれば雪が降り始めるだろうか。なんて考えているうちに骨董品店に到着した。そして俺はそっと扉を開けた。マサヒロの思いつきに、良い意味で期待しつつ。


 ―終―


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Strange Mages Cymphis @cymphis

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