第31話

 上流に近づくにつれ、人の住む気配がとぎれ、閑散とした小屋がぽつんぽつんと野ざらしになっているのを何度も見かけた。

 人気のまだ残る家屋を見つけるたびに、フーショウは立ち止まり、シェングとそこに留まることを考えた。

 それはひどく心ひかれる考えであった。

 おぼろげな記憶の中の暗い穴の生活は、冷たい母親の気まぐれな優しさに満ちていた。

 シェングとなら、暖かく心安らぐものを作り上げていくことができるのではないかと、かれは思った。

 しかし、シェングの手がかれの腕を引き、かれは我に返った。後ろ髪引かれる思いでそこを通り過ぎるしかなかった。

 山は深かったが、小道がまだ残っており、馬で山を越える分にはなんのさしさわりもなかった。

 旅は順調だった。

 なだらかな狭い牧草地帯を越え、今は見る影もない舗装された街道をたどっていく。

 大陸の内部へ進むにつれぽつんぽつんと石を積み上げて作った遺跡が現れ始めた。

 ようやく荒廃した都の崩れた土塀にいきあたった。

 門兵のいない壁を乗り越えると、開けた高地に突風にあおられてなぎ倒されたような家並みが眺望できた。

 何日もまえに出会った行商人の知るところでは、十七年ほどまえに東から竜がやってきて、大きな翼のたったひとなぎで都は壊滅され、都のなかに住むほとんどの人間が一晩のうちに喰い尽くされたらしい。

 当時この内陸の最大の力をもった支配者も同時に滅んでしまったのだそうだ。

 がれきの山を越えていくには馬では無理だった。

 シェングを馬から降ろし、背中にかついだ。

 がれきは何層にもうねって、えんえんとつづいているように思えた。

 しかし、竜を見つけるのはたやすかった。

 ひときわ小高いがれきの小山に巣をつくり、竜はまるくなって眠っていた。 

 軽快に足を進めようとするかれに向かって、彼女は忠告した。

「目が覚めたときに殺して。眠っているときはだめよ……」

 かれは彼女を信じてうなずいた。

 かれは彼女がなぜそんなことを知っているのかさえ、深く疑ったことはなかった。彼女の云うことは、かれにとって絶対真実にほかならなかったのだ。

 竜の体と翼は薄黄緑色で、太くて長い尾と四肢は深い群青色だった。白い斑紋が皮膚のしたで波打ち、まるで生きてうごめいているように見える。

 かれは竜の腹のわきに腰掛け、剣をつかんだまま、目覚めるのを待った。

 高かった太陽が沈み、星が回転して、再び太陽が顔を出した。

 一日が経った。

 渇きと飢えにかれは彼女のいる方向を振り向いた。

 彼女は飢えていないだろうか? 自分のようにのどが渇いてないだろうか……彼女をふもとの村においてくればよかったかもしれない。

 そう懸念していると、彼女が危なかしげにがれきのあいまから顔を出し、木の実と竹筒をもってきた。

 かれは思わず立ち上がり、彼女のもとへ駆け寄った。

 そして、強く抱き締めた。

 口に云いあらわせない、涙があふれてきそうな愛を感じたのだ。

 彼女の見守るまえで、彼女が取ってきてくれた木の実を残さず食べ、竹筒の水を飲み干した。

「あんたは食べたの?」

 彼女はうなずいた。

 このまま、彼女を連れてここを立ち去り、どこかよいところに居をかまえ、彼女を守り、養い、幸福を感じさせてやれる生活がしたかった。そのことを告げようと口を開けた。

「もうすこしよ……がんばって」

 気持ちを押し止め、かれは竜のかたわらに戻った。

 それから太陽は三度昇った。

 かれがくじけそうになると、不思議なくらいにぴったりと彼女はやってきて、かれをはげました。

 長く待ち飽き、しまいにはなぜ竜を殺さねばならないのか、かれにはわからなくなってしまった。

 幾度目かの太陽が昇り、かれはとうとう業が煮えて立ち上がった。いつになっても竜は目を覚まさず、このままこうしていてもむだなことだと思われたのだ。

 彼女があわてた様子でかれのところへ駆けつけ、ぐいぐいと押し戻そうとする。

「おれはなんで竜を殺さなくちゃならないんだ? あんたはそのわけを知ってるのか?」

 彼女は傷ついたのか、つらそうに眉を歪めた。

 かれはまじまじと彼女の顔を見つめた。

 彼女の悲痛な表情に耐えられなかった。

 彼女はいつでも正しかった。疑いを向けた自分がひどく恥ずかしかった。

 確かに彼女には竜に報いる理由がある。そして、自分にもその動機があったではないか。

 かれはすぐさま考え直し、彼女をギュッと抱き締めると、ためらいもなく竜のもとへ戻った。

 がれきに腰掛け、長いこと、少し離れた場所にうずくまる彼女の姿を見つめていた。

 途切れのない緊張に彼女も疲れたのだろうか、うずくまった姿勢のまま目を閉じている。

 瓦礫がぱらぱらと音を立てて崩れた。彼ははっとして竜を見た。 

 竜がいつの間にか目覚めていることにかれは気付かなかった。

 竜が巨大な頭をもたげ、かれを振り向いた。

 興味深げに目を細め、口をばっくりとひらいた。

 真っ赤なあぎとにびっしりと象牙色の牙が生えている。

 すでに竜の懐の真下にいたかれは剣を振り上げ、竜の心臓のわきにぶっすりと突き刺した。

 何かがひび割れる音。

 竜と剣にピシピシピシと見えないひびが入り、かれは驚いて剣から手を離した。

 竜はガラス細工のようにもろく、やがて崩れた。

 竜をとりまく景色も、一緒に描き出された絵のように、竜とともにひび入り、そのひびはかれの体にも及んだ。

 不安にかられ、彼女の姿を探した。

 このおかしな現象の理由を求めて彼女を見つめた。

 彼女はかれを見つめていた。がれきに立ち、ゆらりと弱々しくたたずんでいた。

 かれは崩れていく瞳を困惑に濁らせて、彼女を見つめた。

 彼女の胸に、竜の心臓にも突き刺さっている両手剣が、ふかぶかと反り返り、それをかれは問いたげに見つめた。

 ピシピシピシ。

 ひびは彼女とかれの間に大きく入り、かれの世界は次の瞬間、崩れ落ちていった。

 そしてシェングはようやく本当の安らぎと眠りが自分に満ちてくるのを感じながら、粉々に砕けていく世界を見つめ続けた。







 これで竜の見ていた夢のひとつが終わった……

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竜の夢 藍上央理 @aiueourioxo

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