終末は休みます。

百里

終末は休みます。

泣く子とエロには勝てぬ

 ああ。

 つかれた。

 息は上がりきり、心臓の鼓動が耳を打ち、全身汗まみれ。誇張でなく言っておくと、真冬なのにTシャツは絞れるレベル。

 身長175センチ、体重100キロオーバーの恵まれすぎたこの身体からだに階段はキツいぜ。

 10階建てビルの屋上登頂なんて無理すぎた。3階で後悔し、5階で絶望し、7階で悟りを開いた。膝は悲鳴を上げ、息も絶え絶え。


「シュガー、ぼかぁ、もうダメだぁぁあ!」


 俺と同じぐらい死にかけているミズカワが、後ろで甲高い悲鳴を上げる。

 高身長イケメンなのだが、ヘタレなのでかなり情けないブサイク面になっている。


「アホかボケカス! あの誓いを思い出せ!」

「ち、誓い……っ!」

「そうだ! あの理想丘を目にするという夢を思い出せ!」

「ああ。ああ。そうだった! 必ず屋上に向かい、アレを目に焼き付けるんだった!」

「根性だせや!」

「まさに、ナポリを見て死ね、だね!」

「ちっ」


 バカなくせに時々こういうシャレたことを言うのが最高にイラっとする。


「なんで舌打ちなの!」

「とにかく、もう半分過ぎてんだから」

「が、がんばる」


 ミズカワはキリっとした顔つきになったが、鼻から汁が垂れている。

 そう、この過酷で困難な試練を超えてでもやり遂げなければならない使命が、俺たちにはある。



☆★☆★



 あらかじめ管理人室に侵入して入手していた鍵で屋上のドアを開け、俺たちはぶっ倒れた。


「つ、い、たぁ」


 ミズカワが空を見上げる。

 で、なんか涙目になってるんだが。


ぼかぁ、ぼかぁ、生まれて初めて何かをやり遂げたかも……。これが“成し遂げる”ってことなんだね」


 こいつの人生やっすいなあ……。

 まあ、モテたいために入ったバスケ部を半日でバックレるヤツだし。


「ブフゥ、ブフゥ」


 一方、万年帰宅部でぽっちゃりな俺は酸欠でしゃべれない。


 ともあれ。

 回復を待って俺たちは屋上の手すりの前で毛布を広げると、準備に取り掛かった。


 まず飲み物。

 水は途中で全部飲んでしまったが、コーラのペットボトルは温存していたので並べる。

 そしてポテチ。のりしお。

 さらにクッションを置き、双眼鏡をバックパックから取り出す。今回は万全を期して、ズームできるやつを調達してきた。

 準備が整うと、俺とミズカワは敷いた毛布に寝そべり、クッションに肘を立て、軽くポテチをつまみつつ、双眼鏡を覗き込んだ。


「たしか、交差点辺りだよな……」

「えー、もうちょい向こうじゃない?」


 ミズカワは頬杖を突きながら、アーモンドチョコを小鳥みたいに食っている。

 女子か。


「むう……いた!」

「えっ、マジで! 見せて見せて!」


 双眼鏡をのぞこうと身体を寄せてくるミズカワの顔を肘でグリグリ押しのけ、俺は倍率を上げる。


 よく目立つ紺の制服。白のワイシャツ。エンブレムのついた制帽。

 それは婦人警察官……だったモノ。

 堅苦しいほどにきっちりと着込んでいるのだが、先日物資調達で出かけた時に気になっていたのである。ええ、そう、お胸がとても大きくていらっしゃるのだ。

 これこそが俺たちの求めた理想丘。


「うひ、ひ、ゲフっ」


 ポテチで汚れた指を服でぬぐい、コーラをラッパ飲みして下品にげっぷを吐きつつ、


よしよし


 俺はつぶやいた。


「ちょ、見せてよ、僕にも」

「待てって」


 はちきれんばかりの果実が制服の下でどっしりとした存在感を主張しており、その秘すれば花の魅力こそ日本男児共有のイデアと、古代ギリシャの哲学者か、後ろの席のオッパイ聖人・ウエダが言っていた。たぶんウエダだわ。


「うーん、角度が悪い。角度が。もう少しこっちで顔はあっち、できれば少し膝を曲げてくれれば……よーし、いいね、それだ、そこ、それでいこう」


 グラビア写真家ごっこもノッてきて、ポテチとコーラが進む進む。白いブラウスの下にある理想丘を思い描き、夢は身体の一部を駆け巡る。


「もー、どうなってんの! 見せて!」


 横でプンプン!という擬音が出そうな勢いでミズカワが怒っているが無視。


 さて、宴もたけなわであるが、ここで本能について語りたいと思う。

 性欲と食欲は生きとし生ける者のさがである。

 その本能によって命を落とす者が多いのは、人の歴史に限らず生物に雌雄という性が発生してからの地球史における必然だといえる。

 いまの俺だ。

 スケベゆえに男は死ぬ。

 いまの俺である。


「うおおおおう!」


 いきなり背後から襲いかかられた!

 なんとか身体をねじって首筋に食いつかれるのは防いだものの、とても不利な状況だ。そのままの勢いで俺は尻餅をつき、は倒れ込むように迫ってくる。両腕をつきだしてどうにか止めているものの、ピンチ! ハンパなくピンチ!

 ついでにのり塩ポテチがこぼれた。


「ああ、もったいねえ!」


 とか、気を取られてる間に押し倒された。体格で勝っていれども、上と下では力の出方が違う。これはマズすぎる!


「ミ、ミっ、ミズカワぁぁぁぁあああああ!」

「ムリムリムリムリぃぃぃ」


 ミズカワの野郎、思いっきり逃げてやがる。

 というか、双眼鏡使ってないほうが周囲警戒しとけと。背後取られて気付かなかったのかよ……。


「無理じゃねえから! おい、無理じゃねえだろ! なんとか、しろおおぉ!」

「ごめん、シュガー、ほんとごめん!」


 腰を抜かしながらエビみたいに尻で逃げるミズカワ。

 

「お前こら、逃げんな! 逃げんなって! 逃げなかったらエロ本やるから!」

「エロ本…?」


 ミズカワの後退がピタリと止まる。

 デジタルが半死しているこの世界で、エロ本は男子にとって貨幣に等しい。


「に、逃げなかったらくれる?」


 ゴクリとツバを飲み、確認してくる。


「助けろって意味に決まってんだろ!!! 死んだらどうやってエロ本渡すんだよ、バカだろお前!」

「そ、それもそうか」


 もうやだこいつ。

 俺たちがアホな会話をしている間には唸り声を上げ、よだれを垂らしながら恐ろしい力でのしかかり、噛み付こうとしてくる。

 クッサいクッサい息が俺の鼻先にかかる。


「ひぎぃ」


 やべ。

 変な体勢で力んでいるせいで、思わず豚みたいに鳴いてしまった。お恥ずかしい。女王様に「このブタ野郎!」呼ばわりされるレベルで、いまのはかなり豚っぽかった。

 そんな恥じらいを感じてしまう余裕があったのは初めだけで、事態は好転するはずもなく。辛うじて拮抗していたものが、ジリジリ後退していく。まさにジリ貧。


「ミっ、ミズカワぁ!」

「い、いま立ち上がったとこ! これから、や、やるから!」


 なにを「やる」のかわからんが、ともかくミズカワはへっぴり腰で拳を身構えようとして、腰が引けすぎて思いっきり後ろに転んだ。


「ま、まっててね、い、いま、いま立ち上がるから」

「ミズカワぁぁああああああああぁぁ!」


 ダメだ、これ。

 18年の人生の終焉。結末。オッパイでグッバイ。ドラマチックな走馬燈じゃなくて、しょうもないダジャレてのが俺っぽくてなおさらリアルで。


 いや待って。待て。

 落ち着こう、俺。

 相手は力押ししかできないバカなんだから、こっちは知恵を巡らして対抗しないと。酸欠で思考が停止しかけていた。

 えーっと、えーっと、そうだ!

 双眼鏡で横っ面をぶっ叩こう。それで怯んだ隙に身体を反転させ脱出。距離を取る。反撃。これだあー!


 よし。

 まず片手で猛攻を防ぎつつ、双眼鏡をまさぐる。

 と、その間にはニー・オン・ザ・ベリーからマウントポジションにそれはもうスムースに移行してきた。


「えぇぇ……」


 思わず驚きと落胆の声が漏れる。

 ニー・オン・ザ・ベリーってのは、相手の腹に膝を乗せること。そこから尻を腹の上に移動させて馬乗りになるのが、マウントポジション。これをやられた結果、俺の足は空を切り、上半身は固められる。まあ終わりだよね、あは!

 くっそー、力押ししかできないバカって言ったの誰だよ! 俺だよ! こいつ、すげえテクニシャンだよ! 双眼鏡握ったけど、それもきっちり抑えられちゃったよ! も~う大失敗、てへ!


「ああんっ」


 ミズカワはまた転んでる。

 いますぐ幽体離脱してアイツぶん殴りてぇ……。


「クソがぁ!」


 俺は頭を振って、に頭突きをかます。

 が、ダメージで言えば俺のほうがでかい。相手は痛みを感じているかどうかすらわからない、動く死体だ。

 得体の知れない体液を散らしてのけぞったものの、すぐさま腐った口をパックリ開けてまた迫ってくる。

 俺は必死で頭を上げ、の顎を突き上げる。


「ぐううぅう」


 こんな無茶な体勢が長く保つはずもない。

 もう一発頭突きをかましたが、それでどうにかなる状況でもない。

 焦りが吹き飛び、腹の底から冷え冷えとした恐怖が湧き上がってくる。


 あー……。

 これダメなやつだ。

 しょうがないのか。「モッタイナイ」と「ショウガナイ」は日本人の美徳だからね!

 俺は、今からこいつに

 肉を食い千切られる激痛に悲鳴を上げ、急激なショック症状か、緩慢な失血で死ぬ。息絶えても食われ続け、屍を野天に晒す。獣のように。そして腐り落ちてさ迷う亡者になる。


「佐藤、見つけたわよ!」


 はっ!

 その声に俺が顔を右に向けると、怒りの形相の少女が立っていた。ツインテールが印象的だ。俺やミズカワと同じく制服姿だが、ぎりぎりパンツは見えそうで見えない。


「む、む、村崎ぃ、たすげひぃ」

「今日という今日は言っときたいんだけど!」


 状況ガン無視で少女は腕組みして説教を始める。


「新学校ルールその二、言ってみなさいよ!」

「それ、どころ、じゃ」

「ルールを守れないなら、罰を与えるわよ!」

「わ、分かったから……」

「いーや、その時その時に言わないとあんた逃げるでしょ!」


 後にしてほしい! 切実に!


「ほら、自分の悪かったところを言いなさいよ。待ってあげるから」

「ギギギギギィィ」


 なに勝ち誇った顔してんの?

 こいつバカだろ! 本物のバカだろ!

 俺、死ぬんだけど! 待ってくれても、悪かったこと言う間に死んじゃうんだけど!


「反省することで、人は成長するのよ……?」


 ツインテールは俺の横にしゃがみ込むと、ちびっ子のごめんなさいを待つ母親のごとく、俺の命を懸けた一進一退の死闘を温かく見守っている。いや、見守らないで守って守って!


「ブ、ブヒイイイ」


 俺はもはや頭どころか顔まで使って、の噛みつき攻撃を防ぐ有り様。自画撮りだったら、すっごい仲良しが頬ずりしてるようにも見えなくもない。両手はガッチリ恋人繋ぎだし! なにこれ死にたくないけど、死にたいんだけど!


「はあ。パイセン、ひどい有様ですね」


 はっ!

 左を向くと、冷ややかな視線。癖っ毛の少女がジト目で見下ろしている。ツインテールと同じく制服姿だが、やはりパンツは見えそうで見えない。


弥子やこ……ちゃん」

「ちゃん付けするような軽薄な人キライです」

「弥子……さま」

「態度をコロコロ変える人は信用しません」


 こいつめんどくさい!

 すげえめんどくさい!


「ともあれ。こんなところでどうしたんです? レスリングの練習ですか?」

「……たすけぇ…てぇ」

「task eighty?」

「そ、そ…ぴぎぃぃ」


 そんな音声認識アプリみたいなボケはいいから!

 と言いたかったが、限界。限界。もうほんとに限界だからあ! 身体がしびれてガクガク! 全身の筋肉が硬直しっぱなしで乳酸マックス、これ以上保ちそうにないって!


「おい、佐藤」


 はっ!

 俺が視線を上げると、俺に襲いかかっているの背後に、スラリとした少女が立っている。手にでっけえコンクリートブロックを持って。

 ツインテや癖っ毛とは違うデザインの制服姿だが、こいつもパンツは見えそうで見えない。ていうか、タイツ履いてるし。どいつもこいつもなんでだよ! ガッカリだよ!


「よけろよ」

「ぱふぁ?」


 少女は短く言うと、コンクリートブロックを頭上に持ち上げ、思い切り打ち下ろす。打ち下ろしてきた!


「ニュートンのゆりかごが墓場に!」


 俺は絶叫とともに残った筋力と気力を振り絞り、わずか数十センチなんとか頭を動かした。真横で激突するブロック、頭蓋骨、床。その数十センチが生と死を分かつ距離だ。

 悲惨な音と飛散した肉片。広がる体液と脳漿。痙攣する腐敗した肉体。


「オゾイ」


 背後でミズカワのゲロリと吐く音が聞こえる。


「最低」


 それを見たのか、ツインテールの冷たい声。

 あの野郎、ほんと何もしなかったな……。


「はぁはぁはぁ………助かった」


 目前のゴアすぎる出来事より、俺は生きていることに安堵した。

 汗でじっとりと服を濡らしながら、ぶっ倒れる。ともかくもなんとか助かったのだという喜びを、今は全身で受け止めたい。


「ここでなにしてたのよ!」

「みんなに迷惑かけた自覚ありますか?」

「死ね」


 いや、助かってなかったし、喜びも受け止めれない。


「まずは落ち着いて聞いて欲しい──まって、いま死ねって言わなかった?」


 俺は息つく間もなく起き上がって、釈明会見を始めようとした。

 が、三人はこちらを見ていない。

 はなから俺がまともに話すとは思っていないのである。うーん、大正解!


「双眼鏡を何に使うつもりだったのよ」


 と、ツインテ。


「毛布とクッションと飲食物。長時間いるつもりだったんですね」


 と、癖っ毛。


「バカだろおまえ」


 と、スラリ。


 警察の家宅捜査ってこんな感じなんだろうなあ……。

 三人は手すりから俺がさきほどまで鑑賞していたものを確認したのか、揃ってこちらを向いた。


「「「ふーーーーん」」」


 白眼視とはこのこと。

 余計な言葉や態度は事態を悪化させると悟った俺は、ふいと目をそらした。


「佐藤、私に言わないで勝手な行動をするのは厳禁って言ったわよね?」

「あ、はい」

「あちこち探してくたびれました」

「あ、はい」

「帰るぞ」

「あ、はい」


 とりあえず反省する素振りを見せていれば大丈夫そうなので、ほっと安心した。しばらく自重が必要だが、これ以上の尋問はなさそうだ。


「もー、心配させないでよね!」


 と、ツインテが小声でささやいて俺の腕を取る。

 ふふふ。なんだかんだ言いながら、こいつはツンデレなのだ。ちょろいぜ!


「あぁっ!」


 と思った俺こそちょろかった……。腕をねじり上げられ、関節を極められる。そうだ、こいつなんか変な武道やってるんだった!

 トトトと、すかさず寄ってきた癖っ毛が俺の頬をぎうっとをひねるみたいに90度ねじり上げた。


「いいぃぃいっ」


 そのままツインテと癖っ毛が俺の身体をがっちり捕まえて、冷たーい表情のスラリ少女に向ける。スラリは腰を落として、拳を構える。

 あっ、腹パンされる流れだ、これ。


「刑を執行します!」

「裁判忘れてるよ~!?」

「じゃあ、何か自己弁護しなさいよ」

「……まあ、たしかに俺が悪かったかもしれん」


 目を閉じて微笑む。

 よし、いいぞ。ここで一芝居だ。

 うまく丸め込んで誤魔化そう。こいつらバカだし。


「だが、聞いてほ」


 ズドッ!


 腰の入ったスラリ少女の拳が、鮮やかに俺の腹に打ち込まれた。

 はえーよ!

 まだ何も言ってないのに……。バカすぎて話通じねえ!


「ぐう……三者三様で痛みは違うが……どれも、すごく、痛い」


 俺はくの字になって膝をついた。

 ミズカワも同じコンボを食らって、また吐いた。

 世界は終わったのに、エロを諦められない自分が……憎い!


☆★☆★


 このメモを最後まで読んだ誰かへ。

 うん、俺も同じこと思った。

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終末は休みます。 百里 @sawya

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