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 MMORPG[エリクシオン・サーガ]は、全国で約三百万人の人がプレイしている。

『MMORPG』と呼ばれるものだから、ゲーム機やパソコンの前でプレイするのが普通だが、このゲームは違う。転送ポータルカプセルと呼ばれるマシンに入り、電源を入れ、身体の認証がされればログインとなり、[エリクシオン・サーガ]の世界に転送されることになる。

 だが、ゲームの世界に入る場合は、服を脱ぎ、下着姿でログインしなければならないというなんとも面倒なルールがある。というのも、ゲームの世界に転送される時、最後にログアウトした時に装着していた防具などを身に付けるからだというのだ。男なら難なくできるかもしれないけれど、女なら少し羞恥心を覚えるだろう。特に若い子は。

 晴哉と怜花の兄妹は、やり始めた時期がまったく一緒で、いつも二人で行動していた。たまにパーティに誘われ、シナリオに登場するボスの攻略や、『雑魚敵を何十体討伐する』といったクエストを手伝うこともあったが、その時でも、二人が離れ離れにプレイすることはなく、周囲からは「実は恋人同士なのではないか」と勘違いされることもあった。


 [エリクシオン・サーガ]のエンドロールが終わり、晴哉は強制的にログアウトされ、現実世界の――転送カプセルに戻された。

 転送カプセルから出てきて、ベッドに置いてある服を着始める。

 だが服を着終えたと同時に、隣の部屋から妹の悲鳴が聞こえてきた。

「どうした、怜花!?」

 晴哉は慌てて怜花の部屋に飛び込むと、下着姿の妹が床に腰掛けていた。

「お、お兄ちゃん……」

 怜花は手を震わせながら、指を差す。その方向に視線を向けると、金色の髪に二本の角を生やし、バニースーツを身に纏った少女が座っていた。

「何を今更そんなに驚いているのだ? わらわをこの家に住まわすと言ったのはそなたらのはずだぞ?」

 金髪の少女が首をすくめると、晴哉と怜花は思い出したように、「あっ」と同時に短い声を漏らした。

「本当に来たんだぁ、魔王様!」

 怜花が金髪の少女を抱きしめる。

「あぁ。わらわは本当に来たぞ、レイカ。これから世話になるぞ」

「マジでラスボスを辞めて、うちに来たんだ……。リスティア」

 晴哉は自分の頬を強くつねった。痛い。金髪の少女――リスティアが、本当に現実世界に来たのだと、その姿を見て初めて認めた。

「じゃあこれからは、ことになるんだね!」

「四人で生活? それってどういうことなのだ?」

 リスティアは首をかしげた。

 晴哉と怜花の家族は、現在三人暮らしだ。というのは、昨年、父親が仕事でアメリカに赴任することになり、母親はそれについていったのだ。二人の兄妹にはもう一人、姉がいる。

「ふむ、なるほどな……。ん? 待て待て」

 晴哉の説明を聞いて、リスティアはふと、何かを思い出したかのように声を上げた。

「確か……前にわらわは、そなたらと顔の似たやつと戦ったことがあるぞ。あの時は、他に三人を引き連れていた気がしたのだが。もしや、そなたらの姉とやらなのか?」

 魔王の問いに、晴哉と怜花は揃って頷いた。

 かつては姉も、[エリクシオン・サーガ]をプレイしたことがあり、このリスティアと挑んだこともある。確かあの時は、四人でパーティを組み、互角に戦っていたが、あと一歩及ばずに涙を呑み、それ以来プレイすることがなくなったという。

 姉がゲームで倒せなかった魔王が、この大前家に暮らすとなったら、なんと言うか――。晴哉にとっての不安要素は、そこにあった。

「そんなことよりさぁ、怜花」

「何?」

「いつまでその格好でいるんだ? 風邪引いても知らんぞ?」

 晴哉は下着姿の妹に視線を戻して、言った。

「きゃあっ!」

 怜花は自分の身体を見て、可愛らしい悲鳴を上げた。

「お兄ちゃんのえっち!」

「今頃かよ! ってか早く服を着ろ! 姉ちゃん帰ってくるぞ?」

「じゃあ早く、今すぐ出てってよ!」

 晴哉は怜花の部屋から出ていった。

「ただいま」

 同時に、一階の玄関から帰ってきた声が聞こえてきた。晴哉は慌てて階段を下りる。

「お帰り、姉ちゃん」

 晴哉は姉から鞄を受け取った。

「怜花はどうしたの? どうせまたさっきまで二人でゲームしてて、丁度終わったからって服着てるんでしょ?」

 茶色い髪をポニーテールで結わえた姉――大前ゆみが溜息混じりに言った。

 亜弓は、晴哉が通う高校の教師をしている、三年目の社会人だ。晴哉とは直接授業することはないが、生徒たちからは結構慕われているらしい。

「実は……」

 晴哉は、思い切って吐露することにした。

「もう一人、うちに住みつくことになった人がいるんだけど……」

「はぁっ? あんた何寝ぼけたこと言ってんの!? 靴は三人分しかないじゃないの!」

 亜弓が玄関に置かれた靴を指差した。姉弟三人の靴、それだけだ。

「そ、そうなんだけどさぁ……」

「お帰り、お姉ちゃん!」

 晴哉の背後から、怜花とリスティアが階段を下りてきた。

「だ……誰なの、あんた?」

 亜弓は目を見開き、声を震わせながら訊いた。

「誰とは失敬だな。魔王リスティアと聞いて、そなたは何も思い出さないのか? アユミ」

「魔王……リスティア?」

 亜弓は首をかしげながら、名前を反復した。

 しばらくの間が空いた後で、亜弓が指を差して、こう言い放った。

「思い出した! あんた、四人がかりで戦っても倒せなかったラスボスじゃん! なんでうちにいるわけ!?」

「わらわはそなたの弟と妹に初めて敗れた。そして、[エリクシオン・サーガ]のラスボスとやらを辞めることになった」

「ラスボスを辞めた? 冗談でしょ?」

「冗談ではない」

「……じゃあ今のあんたには、ゲームにいた頃の力はないわけ?」

 亜弓は鼻を鳴らしながら、訊いた。

「もう残っとらんな。大蛇の姿にも変身できない」

「変身しなくていいよ、魔王様……」

 怜花がリスティアの背後でぼそりと呟いた。

「まぁ、そうなのね。じゃあ、なんでうちにいるの?」

 亜弓がもう一度訊きなおした。

「レイカの計らいで、この家に厄介になることになった。どうか、よろしく頼む」

「怜花の……計らい?」

「お姉ちゃん……ごめん。でも魔王様はね、住む家がないの。だから一緒に暮らして――」

「反対です!」

 亜弓は怜花の言葉を遮り、きっぱりと言い放った。

「うちではあんたの分まで面倒を見られない。悪いけど、出ていって、他の家で世話になってもらえないか?」

 亜弓が玄関のドアを指差した。

 リスティアは玄関のドアを見つめながら、考えた。

「そうか。アユミがダメだと言うなら、仕方がないな。他の家に当たろうか」 

「えぇっ!?」

 怜花が声を上げた。

「魔王様……行っちゃうの?」

「あぁ。すまなかったな、レイカ」

 リスティアは玄関の下駄履きで魔法を唱えると、長いブーツが具現化した。それを履くと、玄関のドアを開け、手を振ってから出ていってしまった。

「待ってよ、魔王様!」

 怜花はハッとなって、自分の靴を履いた。

「待ちなさい、怜花!」

 亜弓は止めようとしたが、怜花はその声を聞かず、玄関の外へと出ていった。

 晴哉は何もできず、ただ呆然と眺めているだけだった。

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ラスボスをやめた魔王がいる生活 巻崎 ジュン @JS1228

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