シーンH
■シーンH
「……全部俺の勘違いだった、ってことですか」
「はい。確かにハルカさんには、あなたが必要だったんですよ」
愕然とするヒロキに、船長は船を漕ぎながら、あくまで飄々と告げる。
ふと、ヒロキにある疑問が浮かんだ。
死んだのは自分のはずだ。自分のことについて知っているのはわかる。だがそれにしては、この船長という男はハルカのこともいささか知りすぎているのではないか。現に今、自分ではなくハルカの映像を水面に映し出していた。
「……でもさっきから、なんでハルカのこともそんなに詳しいんですか」
「先ほど申し上げたじゃないですか」待っていましたといわんばかりに、船長が声色を変える。「この船に乗る人のことはたいてい知っています、と。つまり私は、死んだ人のことはわかるんですよ」
船長の言葉に、ヒロキは目を見開き、震え出した。
「じゃあ、まさかハルカも……」
「はい。あなたが息を引き取ったのと同じ日、乗っていた電車が事故に遭い、ミヤタハルカさんはそれに巻き込まれて死亡しました」
ヒロキは絶句した。
「あなたが病院に運ばれたと、お兄さんがハルカさんに話していたじゃないですか。そしたらハルカさん、一刻も早くあなたのお見舞いに行こうと、電車で再び地元に向かったんです。そのときに乗り合わせた電車が……」
船長が続きを促すと、ヒロキは絞り出すように声を出した。
「事故に遭った、ということですか」
「そういうことです」船長は船を漕ぐ手を止め、前髪に覆われた目でヒロキを見下ろした。「ヒロキさん、わかりますか? 事故に遭ったその電車に乗った原因を作ったのは、あなたですからね」
「……!」
ヒロキは事の重大さに気がついた。
自分が自殺したせいで、ハルカも死んでしまった。
「あなたが自殺なんてしなければ、ハルカさんは列車事故に巻き込まれることもなく、死ぬこともなかったんですよ」
「……そうだ、俺が自殺なんかしたせいだ」ヒロキは両手で顔を覆った。「誰からも必要とされてないなんて、なんでそんなふうに決めつけたんだ。ハルカの本当の気持ちにも、なんで気づかなかったんだ。自殺なんて、しなければよかった!」
絶望のあまり叫んだ。己の判断を、行為を、軽率さを悔いた。
しかし、一度やったことは取り消せない。自殺したことをなかったことにはできない。
そしてヒロキの表情を指の隙間から窺うように、船長はしゃがみこんで彼の顔を下から覗き込んだ。
「だから始めに言ったじゃないですか。『コウカイの旅に出発することになります。よろしいですね?』と」
ヒロキははっとなって、手を顔から離す。
三日月のごとく大きく横に裂けた口と、前髪の奥からぎらつく両目がヒロキを嘲笑っていた。
「後で悔やむ、と書いて、後悔。後悔先に立たず、とも言うじゃないですか。そんなに簡単に、命は捨てるものではないですよ」
船長は再び船を漕ぎ始めた。
すべてを悟り放心状態となったヒロキに、穏やかに、しかしどこまでも冷たく追い討ちをかける。
「それでは、天国まではあと少し。もうしばらく、コウカイの旅を、お楽しみください」
灰色がかった静かな海に、一艘の小船が浮かんでいる。あたりには深い霧が立ち込め、櫂が水を掻く音だけが響いていた。
その船は一人の後悔を乗せ、天国への航海を続けていくのだった。
天国への船 脳内航海士 @ju1y_white
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