エピローグ 続・ある日の朝

 エルピスによるリリィ誘拐に始まる一連の事件から一月強が、ウェイルとリリィが出会ってからは三ヶ月程が過ぎた頃、メイツハーツクリニックは日常を取り戻していた。

 だが、今朝はいつもと少し様子が違った。

「朝からアンタは何をやっている訳なの?」

 看護服に身を包んだ蒼髪の女が、廊下でウェイルを詰問していた。

 彼女は、先の事件の後、メイツハートクリニックに保護されて看護士の一人として働いていた。容姿端麗で気遣いも出来、頭の回転も速いと評判も上々だったが、そのどれも彼女が人形として設計されたが故に強化されていた能力だという事を、彼女自身がどう思っているのか、ウェイルには解らなかった。

 だが、少なくとも、誰の目から見ても、今の彼女は人形では無かった。

 ――きっと、それが一番大切な事だった。

「リリィちゃんが拗ねてたわよ? 何やってるのよアンタ」

 彼女は、リリィと年が近く、また、メイツハート姉妹やグレイほど忙しくないという事で、ウェイルと並んでリリィの世話係となりつつあった。

「いや……なんというか――」

 ウェイルは今朝の機工剣に端を発する一連の出来事をかいつまんで説明した。

「あっそ」彼女は実につまらなさそうに言い捨てた「リリィちゃんなら今私の部屋に居るから、さっさと謝ってきなさいよね」

「いや謝っちゃだめだろ」

「何でよ。アンタが機工剣をちゃんと片付けてたらこんな話にはならなかったじゃない」

「そりゃそうだけど、リリィが言い付けを破って勝手に触ったのが問題なんだろ?」

 堂々巡りの問答を始めそうになった二人に、横からカタナの声がかかる。

「貴様ら、朝から喧しいぞ。盗まれる様な所に置いた方が悪い、いや、盗んだ方が悪い、などと下らん類の議論で熱くなりおって……。そういう時は喧嘩両成敗が鉄則であろう」

「……ま、そりゃそうだな」

 ウェイルはそう言って頷くと、蒼髪の女と別れ、カタナを肩に乗せてリリィの下へと向かった。

 部屋に入ると、隅の方でリリィがいじけていた。放っておいたら床に指で渦巻きを書き出しそうな雰囲気だった。

「リリィ、そんなイジけてないで、とりあえず部屋に戻って話し合おう。な?」

「むー」リリィは不満そうに口を尖らしたが、結局は「うん」と頷いた。

 そうしてウェイルの部屋に戻り、すぐに、

「リリィごめん」「ウェールごめん」

 と、二人の声が重なった。

「ま、この話はこれで終わりって事で。仲直りしよう」

 言って、ウェイルはリリィの頭を撫でた。

「うん。ありがと!」

「さて、と。それじゃ、一回倒しちゃったし、一応大丈夫だとは思うけど、機工剣のメンテ、頼めるか?」

「うん、任せといてー!」

 リリィはそう返事を返すと、床に倒れた機工剣をテキパキと慣れた手付きで解体していった。

 ウェイルは、その様子を見守りつつも、机に座って一冊のノートを手に取った。

 カタナは、ウェイルの肩から机へと移動すると、

「……? 少し前からそのノートをよく書いている様だが、何なのだ、それは?」

 と、問いかけた。

「ちょっとした記録だよ。ほら、リリィの成長って目覚ましいとかってレベルじゃないだろ? 気を抜くと、三ヶ月前は言葉も喋れなかったって事、忘れそうになるんだよ。だから、記録を付けてるって訳」

「なるほどな。確かに我も、時にリリィがその実未だ幼い子供だと言う事を失念しそうになる。そのノートは、差し詰め成長の軌跡、と言った所か」

「ああ、そうなるね。色々と、見守ってやらないと」

 ウェイルの視線の先には、工具を巧く使えずに戸惑っていた少女はもう居ないのだ。

 優しげな表情でリリィを見守るウェイルを見て、カタナが言った。

「貴様も大分、あの男に似てきたな」

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