添付――担当官ラファエルの手紙
何もかも書き残すことを善しとしないクライアントが自分だけのために書きつづった手紙を読んでからしばらくたつ。彼女がさよならの次にその唇にのぼらせた言葉は無音の二文字だった。Mの音で必ず唇が触れあう。それを見せつけるように微笑んだ。少なくとも、わたしの目には幽かにわらったようにうつった。じっさい彼女の性格からしてそうだっただろう。「保存」について、わたしが責任を負わされないように配慮していったのだとしか思えなかった。だからあんなふうに命じていった。そしてその通りの内容が記してあった。それはさして長い手紙ではなかった。それでいながらたいそう長い時間をかけて丁寧に、長考の末に書かれたものだという事実が理解できた。タブララサと彼女が呼んだ画面の記録情報を得なくとも、それが容易に察せられる文章だった。だからわたしはそれを身の内にとりこんでしばらくじっと動かず、ひとの真似のようなことをしてみたのだった。
とうとう一度も彼女の名前を呼ばなかったと詰られてもいた。呼んではならないのだと教えなかった。とうに気がついていただろうに最後にしか告げようとしないのも彼女らしかった。幾つかこの事態に対する彼女なりの見解も記してあった。現状認識としてまずまずのものだ。質問をあれだけよこしたのだから当然のようだが、わたしがどれだけ彼女に肩入れしていたか悟られてしまうような内容だった。しかもそう記してあった。小憎らしい書きぶりに苦笑を禁じ得なかった。
時任獏、もしこの便りが届くものなら、彼女の行方を見届けてほしい。わたしは貴女が彼女に預けたような言葉をなにひとつかけることはできなかった。彼女の書き残したすべてを貴女に預ける。彼女が書かなかった幾つかのことは、わたしが引き取った。それは許していただきたい。
この長い日記のタイトルは勝手につけてくれと依頼にされている。貴女にお任せする。
貴女の無事を、我らの見失われたままの主へとお祈りする。
彼女のそれは貴女が祈ってくれたので。
了
遍愛日記 磯崎愛 @karakusaginga
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