第三部 僕と私

01

 僕は町を出ていく当日、山の中にある神社に向かった。何度となく通った道――最初は道なき道だったがいつしか踏み固められた道ができていた。

 山道を辿り、わずかに漂ってくる桃の花の香りを感じながら歩を進める。そして、神社の鳥居をくぐり、満開の桃の木を横目に参道を進む。

「モモー! いるか?」

 僕は声を掛ける。今までもそうだったが、声を掛けたりするとどこからか、リンッ――と聞き覚えのある鈴の音が聞こえてくる。僕はポケットからスマホを取り出す。ここでは電波は入らないのは知っている。取り出すと同時にスマホにつけたストラップの鈴がリンッ――と同じ音をかなでる。

 僕は目をつむり、最後に見たキミの姿をまぶたの裏に映し出す――。

 リンッ――

 どちらの鈴かはわからないが、確かな音を奏でる。僕はキミが見えなくなって以来、一番近くにキミの存在を感じた。目を瞑ってキミを思うだけで、いつでもそこにキミはいたのだ。

「モモ、話があるんだ。聞いてくれるかい?」

 僕は目を瞑ったままキミに問いかける。

 リンッ――

 僕は鈴の音が返事に聞こえて、小さく笑う。

「ねえ、モモ。立ち話もあれだし、よかったら座って話そうか」

 僕はすっと目を開け、スマホをポケットにしまい、社に向かう。いつか並んで座って話した階段を上り、賽銭箱に背中を付けるように座る。そして、また目を瞑る。

 こんなときキミはどこに座るだろうか? 横に座るだろうか? いや、違うな、きっと――。



 キミと会ってから、何度桃の花が咲いただろうか?

 私のことをモモと呼ぶキミが私が見えていたときと同じ穏やかな表情でやってきた。そして、私の姿が見えないのに、私の声は届かないのに話そうと言ってきた。

 キミが背中を付けて座った賽銭箱の反対側から同じように背中を付けて座る。

「ねえ、モモ。僕にはキミの姿は見えないし、声も聞こえない……」

「そんなの知ってるわよ」

 私は返事をする。思わず床についた手の振動で鈴が音を立てる。

「キミはそのことで、僕のことを怒ってるかな? 嫌いになったかな?」

「そんなことない……もしそうなら、こうして近くになんていないわ」

 私は小声で答える。そして、もう何を言っても聞こえないのだということを思い出し、立てた膝に顔をうずめる。今度は弱々しく鈴が鳴る。

「キミには僕が見えて、それなのに僕からはキミが見えない。それはきっとキミのことを苦しめたのかもしれない。逆の立場なら僕は耐えられないかもしれない。想像するだけで、寂しくて、怖くて――」

 私は静かにキミの声に耳をかたむける。キミはとても辛そうな声をしているのに、久しぶりに私に向けて話す言葉の一つ一つが嬉しかった。

 リンッ――

 声が届かないのならと私は小さく左手を振り、相槌あいづちを打つように鈴の音を鳴らす。



 リンッ――

 僕の話に合わせるように微かに聞こえてくる鈴の音を聞きながら話を続ける。

「ねえ、モモ。僕はキミのことがとても好きだったんだ」

 鈴の音はまだ聞こえる。それだけじゃない。賽銭箱の反対側からわずかに桃の花の香りがする。見えなくても分かる。キミは確かにそこにいる。

 僕が神社に来るたびにキミはいつも笑ってそばにいてくれた。今もキミは笑顔なのだろうか?

「それでね、今日は大事な話があってきたんだ……」

 僕は小さく深呼吸をする。これから言いたくないことを言わなければならない。伝えたくないことを伝えなければならない。

「僕は今日、この町を出て行くんだ。きっともう数えるほどにしか、ここには戻ってこないと思う。だからね、モモ――いや、桃子とうし。僕はもうここには来ることはないと思う」

 リッリンッ――

 鈴の音が乱れる。僕は胸がめ付けられるような気持ちになる。キミは初めて出来た友達で、初めて好きになった相手で――。

「僕はキミのことをいつかお嫁さんにしてあげる……いつも一緒にいたいと言ったけれど、それは守れそうにないんだ。ごめんね……」

 鈴の音は聞こえない。僕は賽銭箱の反対側にいるキミに最後の言葉を告げる。

桃子とうし……今までありがとう。さようなら――」

 僕は目を開けて、腰を上げる。


 リンッ――


 今まで以上にはっきりと鈴の音が聞こえた。僕は振り返り、見えないキミの姿を見ようと目をらす。しかし、見えるはずもなく――。

 そのとき賽銭箱の向こう側に鈴の落ちる音が聞こえた。覗き込むといつか僕がキミにあげた指輪が、水滴で濡れたあとのある床板の上に落ちていた。それを拾い上げ、顔を上げると、桃の花の香りのする風がふわっと僕を包み込み、柔らかな余韻よいんを僕の顔に残し、通り過ぎていった――。

 その柔らかな感触に涙が出そうになるのをこらえ、僕は神社を後にした。


 家に帰り、父の車に乗り込んだ僕はこの町から去っていく。車の窓を開け、さっきまでいた山の中にわずかに見えるピンクの点に思いがこみ上げ、ポケットに入れた指輪を握りしめ静かに涙を流し続けた。




 ポケットの中で二つの鈴は再会を果たし、車が揺れるたびに、リンッ――と音を重ねていた――――。

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誰が為に鈴は鳴る たれねこ @tareneko

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