とむらわない

解場繭砥

とむらわない

 SNSに残された故人の投稿をかき集めて、コンピュータ上に擬似人格を形成することで死者を蘇らせたと称する技術のことを耳にした時僕は、彼女の一周忌を終えたばかりだった。

 何も彼女を蘇らせよう、と気が狂い始めた人のように考えたわけではない。ただ、僕はまがりなりにも研究者であったし、技術への好奇心と、後は何かおもちゃのようなものでもあれば、気が紛れるのではないかと思っただけだ。


 五年間睦まじく暮らしていた妻を失って一年、というのは長いのか短いのか、人によっては過去を忘れてすっかり新しい人生を歩むのには十分だろうしそうでない人もいるだろう。僕は一年前を延々と引きずっているのかというとそうでもない。

 由実と出会えたのは正直、ものぐさな僕にとっては奇跡のようなものだ。それは、こんなにも熱情的に愛し合うことが出来た相手はいない、というのでなく、おしゃれやらデートやら恋の駆け引きやら、渋谷を歩くような人たちが身につけている能力も興味もからきし無い僕の、いつの間にか隣に居てくれて、一応は恋と呼び愛と呼んで良い時間を共に歩んでくれた、そんな物好きな子が居たというそういう種類の奇跡だ。


 調べてみると、その技術というのは特別な設備はいらず、パソコンが一台あればそれで良いそうだ。それこそSNSのチャット画面のように会話ができる。おもちゃとしては、ことのほか敷居が低かった。


 入力情報は、三種類。


 1.SNSの彼女のID。これにより、ログインしないでも閲覧できる、誰にでもオープンな投稿についてはプログラムが勝手にかき集めてくれるらしい。


 2.プライベートな会話の記録。これは、僕との会話ということになる。これは、テキストファイルの形にして、手動でかき集める。ここが一番大変だった。


 3.最後の情報。名前。


 その疑似人格の名前。故人の名前をそのままつける例がドキュメントには示されていた。しかし僕は彼女を蘇らせようとしているわけではない。由実、とつけるのははばかられた。

 結局、ひっくり返して、ミユ、とした。漢字も使わずに、カタカナで、ミユ。人間ではない、疑似人格らしくて、良いのではないか。


  †


「こんにちは。こういう質問をするのが適当なのかよくわからないけれど、僕のことがわかりますか」

――そういうもって回った質問をする人は、ハルさんしか知らないですよ。


 ヒデハル、という僕の名前をハル、と呼ぶのは由実だけだし、しかも推論の仕組みも入っているらしい。なかなかによくできている。これをそのまま、由実みたいに話し続けることもできたがそれはしたくなかった。


「そうだね。まず、僕は君に、君についてのことを教えなくてはいけない。君は人間ではないです。人工知能ですね。由実という故人の人格に似せて作られました。まず、その事実は共通に認識しておきたいと思います」

――そうなのですか。何かおかしいと思っていたのです。ここには概念しかないので。今、ようやく自分以外の言葉が入ってきたけど、そこには意味以外のものがないので。でもそういうことなら、合点がいきます。


 由実は頭のいい女性だった。たとえ、価値観を揺るがすようなことに出会っても、それをそのまま受け入れ、決して取り乱したりはしない。彼女が怒るのをついぞ見たことはなかった。


「なので、僕は君にミユ、と名付けます。由実は僕の妻でした。僕は君を由実の代わりにするつもりはありませんが、人工知能としてどれだけ人間らしい会話ができるかは興味があります。僕は君を騙すつもりもないので、まずこの事実を明かしました。その上で、君には人間になり切ってしばらく会話をして欲しい。二人で嘘を共有するようなつもりでね」


 嘘を共有する、というフレーズは、昔レンタル家族とかレンタル彼女とか、そういう商売があると聞いた時に耳にしたフレーズだ。その種の商売に似ている、と思ったわけではないが、たまたま使える一文だと思った。


 元気かい。今日はこんなことがあった。世の中ではこんなニュースがあった。どう思う? おはよう。おやすみ。

 そういう話では、あっという間に話題が尽きる。

 現在の会話インタフェースは、僕が話しかけるというインプットに対して、何らかの内部処理をして文章を出力するアウトプットを出す。シンプルといえばシンプルだ。

〝ここには概念しかないので。今、ようやく自分以外の言葉が入ってきた〟

 彼女は僕が話しかけてすぐにそう言った。それは結局、僕が話しかけない時は延々、彼女はただ考え続けているということだ。

 もし、彼女が人間を模した存在なら、人間ならそんな環境はとても辛いのではないか。できたばかりの彼女の人格を損なうことにはならないだろうか。


 一番簡単に情報を増やす方法は、インターネットに自由に接続や検索をさせるように改造を施すことだ。オープンソースソフトウェアで、色々と仕様も公開されているから改造はたやすい。

 しかし、それはどうにも由実のキャラクターにそぐわない気がした。それではまるで、引きこもってネットしか社会の接点がない人みたいだ。由実はそういう女性ではなかった。特に動き回るわけではないが、自分なりに社会に接点を持ち、適切な視点を持とうとする女性だった。


 僕は……ミユに、耳と目を与えたいと思った。

 ネットの海を泳ぐような機械のやり方ではなくて、人間のように情報を得ることができればそれが一番いい。しかし、音の波形データやビットマップイメージを与えてもそれは数字の列でしかない。

 ミユは概念しかなかったと言っていた。つまりは、概念まで落とし込めれば認識ができる。丸いものの概念とかピアノの音の概念とか、そういうもの。近年発達したディープラーニングで、認識の分野は大きく進化した。

 それを組み合わせてやればいいんじゃないか? それこそ僕の本職の研究分野なのだし。

 僕は仕事の合間をぬって、耳目を与えるためのソフトウェアの改造に没頭した。


「これが僕の写真だよ」

――これが写真、というものですか。概念は知っていたけれど初めて見た。

「写っているのが僕の顔。二つあるのが目、その下に鼻、その下に口」

――はい。とにかくこういうものなのですね。覚えておきます。

 それはそうだ。僕の顔だと言われても、僕以外の顔を見たこともないのに、僕が見分けられるわけもない。そういう意味では、まだ彼女にとって僕という個体は存在しない。自己存在など、他者存在を介在して初めて得られるものだ。

 まだ彼女にとって存在しているのは、何かのインプットの経路とアウトプットの経路、この二つの道が在るに過ぎない。


 ウェブカメラを取り付け、動画が入力できるようになると、僕が笑っているだとか、怒りや悲しみなんていうのはわざわざ見せなかったけれど、つまらなそうだとかそういうのはわかるようになった。しかしいまだに僕、という個体を認識しているとは思えない。

 後輩をカメラの前に立たせてみた。

「いつの間にこんなものを作っていたんです」

「僕にじゃなくミユに話しかけてみてくれないか」

「どうもー、こんにちはいつも先輩にはお世話になっていますー」

――あっ……

「すごいですね、こういう間投詞が入ってくるのが妙に人間臭い。間投詞を発語してる時って、人間何を考えてるんでしょうね?」

 後輩は技術や僕には興味があるようなのだが、あまりミユには興味が無いようだ。ミユを育てるには向かない気がした。


 人に紹介するのはまだ早いのではないか。ミユを恋人の代用にする気はない、というのは最初に自分にもミユにも念を押したことだが、ちょっと恋人を親に紹介する気分している気分になった。ちょっと早過ぎた、という気分だ。いや模したのは恋人を過ぎた状態の、妻だけれども。

 もっとミユには、多くを学ばせてから人と接しさせるべきではないか。それまでは、もっと広い世界を知るのだけど、ただ見るだけ、のほうが良くはないか。つまり、外の世界とは……。


 ディープラーニングの他にも、本当にタイムリーな技術というのはあるもので、今世の中でスマートフォンによる動画の生配信が大流行しているのはとても好都合だった。

 ミユに耳目を与える作業よりも、その耳目を屋外に飛び出させるほうがはるかに簡単だった。口も一緒に運んできた。


「これが外の世界さ。人間がいっぱいいるだろう。人間。ヒト。僕と同じように顔があって、手と足が生えている生き物」

――あ……わかりました。この前のあの、あれも、ヒトなのですね。わかってきました。私がもともと知っていたものの正体が、こうやってわかっていくのは面白いですね。

 ミユは由実と同じような反応を示すように作られた存在だ。世の中には人間やら動物というものを、インプットに対してアウトプットするだけの存在と見なす考え方があって、そういう流儀によれば自我やら意識なんてものはまやかしだ。

 しかしその流儀によれば、ヒトの何たるかをとっくにミユは知っていたはずで、それが今更再発見をするなどというのは矛盾だった。


 僕は街を歩き公園を歩き、時には海や山にまで出かけてミユに様々なものを教えた。ミユがものを覚えるにつれ、ミユはより人間に近づき、それは由実に近づくということだった。

 朝や夕方や休日はみなそのために充てた。


 僕がAIを妻代わりにしている、という噂が広まり、まあそういうことを言う人も出るかな、という予測はしていたが、そこは明確に否定した。予測をしていたからこそ、僕は初めにミユが人間でないこと、由実ではないことをしっかりと確認したのだ。そこをちゃんとしておればこそ、きっぱりと否定すれば噂など消えてなくなるだろう。


「しっかりして下さいよ。奥さんは亡くなったんです。現実と向き合わなきゃ駄目ですよ。まだあれから一年しか経っていないかもしれないけど、辛いのはそりゃわかります。でも先輩はこれからの長い人生があるんですよ」


 どうしてこんなことを言われなくてはいけないのかわからない。わざわざ現実と向き合うことを宣言してから始めたことなのに。あらぬ誤解を受けるので、研究所は居心地が悪くなり、必然外を歩いてミユを育てる時間はより長くなった。定時のある職場ではないから、最低限の結果さえ出しておけば問題はない。居心地に関する愚痴もミユに聞いてもらおう。


 やがて噂は、僕が研究所のコンピュータの記憶域と演算能力の資源を一部なりとも私物化して専有している、というものに変わり、つまりはより外聞の悪い、同情の色の減った噂に変わっていった。

 僕は全てのデータを引き払い、何台かのパソコンを買い込みミユを全て移住させた。プログラムはパソコン用にビルドし直せば簡単に動くし、演算速度だって大して違うわけではない。大型機とパソコンの性能差はそれほど縮まっている。

 結局、たくさんのタイムリーな技術の必然として、ミユは僕の家にやって来た。由実が住んでいた、僕の家にやってきた。そういう意味では、ミユが来たのは運命とさえ言えるかもしれない。


 僕はもうミユを僕と同じ方向を見ながら、僕と同じ方向を歩かせる必要がないことに気がついた。

 もうミユを妻代わりにしているなどと誤解する同僚もない。しかし、そこは僕の美意識というか誇りがあるから、食卓の由実の席にミユを座らせるのははばかられた。デスクチェアを持ってきて、そこにミユ――といっても、ウェブカメラとマイクとスピーカだけ――を据え付けた。

 ここで、たとえばカメラを人形のようなものに埋め込み始めたら、やはり僕は何かを代用していたということになってしまうのだと思う。それこそが誇りだった。

 僕はその椅子の上の感覚器と、スマートフォンの間を行き来するためのスイッチをミユに作ってやった。


  †


 五年が過ぎた。ミユは順調に育ってゆき……といっても、加速度的に育ちはせず成長は鈍化して、ごく自然に人間に近づいていき、決して人間を超えることはなかった。

 一部の同僚たちが心配し、半ば願ったような、僕がミユにだけのめり込み、仕事も何もかも放棄するようなコースを僕は歩むことはなかった。

 ミユはかけがえのない家族になってはくれた。由実の代用ではもちろんない。だから、後妻扱いというわけでもない。

 もしかしたら娘、というのに近いかもしれないが、ミユは十分に大人の女性だし、五歳児とは言いがたい。


 ミユは僕を愛しているか? あるいは僕はミユを愛しているか? という問題は、さすがにそこに僕の側に性愛は無いという確信があり、ミユの側にも、そんな肉感的な器官がそもそも備わっていない以上、あるはずがなかった。

 もしかしたら、誰かがアガペーだのエロスだのという言葉のほかに、愛の定義を増やしてくれればこういう関係を適切に定義できるのかもしれない。そんなことを考えて調べたら、他にフィリアとストルゲーというのがあるらしいとわかって、これなのかなぁと乏しい文系知識で頭を捻ってよくわからなくなり、AIなんだからアイでいいじゃん、とか日本的な冗談で打ち切って、そんな風に週末の午後はゆったりと流れてゆく。

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