第39話+エピローグ 落としまえ/戦後の希望と暗雲
五光は自走台車で月面にゆっくりと着地した。地球より緩やかな重力だ。浮き上がった砂埃もスローモーションみたいに上昇して、同じ速度で落下すると、かさかさに乾いた人型を覆った。水分を失ってミイラになった人間の死体が散乱していた。さきほどの月面攻撃によって宇宙空間に吸い出された人たちの死体だった。
(宇宙で死ぬと、悲しい死体になるのね)
スティレットが我流の祈りを捧げた。
『地球は、母なる大地だな。今なら意味がわかる』
地球で死ねば大地に還れる。だが宇宙で死ぬと物理法則に従って流浪するだけだ。
それでも五光は宇宙に対する憧れを失わなかった。無残な事故死ですら克服して、新しい世界を切り開きたいのだ。
崇高な志を胸に秘めたまま、自走台車のクモの足を動かして月面都市に向かっていくと、崩れ落ちたマスドライバーの残骸を発見した。
たしか四川がマスドライバーを破壊したはずだ。近くにいるんだろうか。
『四川、今どこにいる?』
『お前の上だ。要救助者を助けてる。いくら月面で穿った思想を持つようになったやつらだって、宇宙で死ぬのはいやだろう』
四川の〈ソードダンサーL+〉は救助活動を行っていた。元々〈ソードダンサー〉はPMCの兵器だったから、月面都市の生き残りたちも素直に救助を受け入れているようだ。
『救助は任せた。俺たちはデルフィンをやる』
五光とスティレットは握り拳を掲げた。
『こっちの仕事が終わったらサポートに向かう。五光はデルフィンを追い詰めておけ』
『ああ。待ってるぞ』
五光は自走台車のまま壊れた月面都市へ進入した。
電磁バリアとドームが壊れたので、宇宙と内部の境界が消えていた。空気の流出も終わっていて、瓦礫と死体がミキサーをかけたみたいに混ざって滞留していた。歴史的価値のある楽器やら、太古の石碑やら、未来都市から持ち出した芸術品も一緒に壊れていた。もしかしたら、二十一世紀から受け継がれた文化と文明はデルフィンの手によって失われたのかもしれない。
「デルフィンはどこだ?」
五光は運転席からデルフィンを探した。月面都市の廃墟はモノで溢れていて、普通の大きさの人間を探すのが難しかった。
(地下に強烈な気配を感じるわ。〈グレートリセット〉から感じたやつと一緒よ)
さすがにスティレットはバイオエバスだけあって、人間の気配に敏感だった。
自走台車は崩壊した地盤を潜って月面の地下へ降りた。
地下には酸素と重力が供給されていた。どうやら重要なシステムや動力を保管した区画だけは堅牢なシェルターになっているようだ。
(やっぱり自分だけ安全なところに逃げたのね、デルフィンは)
スティレットがリスみたいに頬を膨らませて怒った。
「だが、社長じゃ、歩兵には勝てないだろう」
五光は運転しながら拳銃を手にした。【ギャンブリングアサルト】の隊員なら誰にでも支給されるガンパウダーの拳銃だ。
かつて五光は、この銃で新崎を撃てなかった。
だが撃たなくてよかったんだと確信していた。
なぜならこの拳銃は――【ギャンブリングアサルト】の弾丸は、デルフィンのような世界を混沌に陥れる愚か者を射殺するためにあるからだ。
しばらく進むと区画の通路が狭くなったので自走台車では進めなくなった。デルフィンの脱出艇も近くに乗り捨ててあった。
なお脱出艇は、ひとり用だった。〈グレートリセット〉は複数の人員で動かしていたはずだ。なら同乗者を見捨ててひとりで脱出したんだろう。
「この道を進んだのか、あの卑怯者は」
五光はブラックボックスをバックパックみたいに背負うと、自走台車を降りた。
(デルフィンを追い詰めるわよ。あいつだけは逃がしちゃダメ)
スティレットは狭い通路を掌で示した。バイオエバスの探知機能からして、デルフィンはこの通路を逃げていったようだ。
五光が油断せずに狭い通路へ入った途端、ばったりとパワードスーツを装着した警備兵と遭遇した。だが彼は五光を撃たなかった。
「…………もう社長を守る理由がない」
戦意喪失だ。味方であるはずの月面都市を破壊した社長など、誰もついていけないだろう。
「四川が要救助者を助けてる。手伝ってやってくれ」
五光は崩壊した月面都市の上空を指差した。
「そのつもりだ。そして救助活動に銃はいらない。使ってくれ」
なんと警備兵からレーザーライフルを譲り受けた。
「いいのか? 俺はこいつでデルフィンを撃つかもしれないんだぞ」
「おれは……妻子が宇宙空間に吸い出されていくのを見送るしかなかった……」
がっくりと肩を落とした警備兵は、救助作業に向かった。
(複雑な気持ちになるわよ)
スティレットが目を細めた。彼女の気持ちはよくわかった。月の民は、選民思想むき出しで月面に移住した人たちだ。地球の民を見下していた。月面都市さえ栄えていればいいと考えていた。選ばれた民が栄えるためなら地球が滅びようと構わないと思っていた。
それが一転して被害者となると、悲劇の登場人物のように振舞う――スティレットみたいに複雑な感情を抱くのが自然だろう。
五光も似たような感想はあった。だがレーザーライフルの重みで帳消しにした。
「俺たちの手でデルフィンを討つ。それが一番大事だ」
五光は手馴れた手つきでレーザーライフルの動作確認をすると、シェルターの奥へ奥へと進んでいく。特殊部隊として身につけた技術と、数々の先駆者たちから学んだ経験から、デルフィンをひたすら追跡していく。
デルフィンの逃げた痕跡は明白だった。足跡、汗、埃、少量の血痕。社長業だけあって痕跡を消す術を持っていないようだ。
たとえ地獄の底まで逃げようと、必ず仕留めてみせる。
いきなり曲がり角からケモノの気配を感じた。唸る声と獣臭さまで伝わってくる。黄色と黒と白の毛皮――九州でも見かけた凶暴な虎が、五光に飛びかかった。首に鎖がついている。どうやらなにかの用途で飼っていたようだ。
だが五光は焦らなかった。バックギャモンの思考回路をトレース――虎を十分に引きつけてから、生臭い口の中にレーザーライフルを突っこむ――冷静に引き金を引いた。
一発で脳を溶かして昇天させた。
バックギャモンから受け継いだ技術が役立った。凶暴な動物が闊歩する荒野で有効な技術は、宇宙空間でも有効だった。
「悪いが死体を処理してやれない。戦闘中だし、ここは月だ。土がない」
五光は虎の死体にマタギ式の祈りを捧げた。
(この虎、きっと闘技場かなんかで使ってたんでしょ)
スティレットが虎の胴体を調べた。他のケモノの爪あとが残っていた。どうやら闘技場でケモノ同士を殺し合わせて楽しんでいたらしい。
「どれだけ高度な文明だろうと、野蛮を捨てることはできなかったんだな。だからデルフィンを生み出した」
レーザーライフルの血糊を拭い取ってから、通路の奥へ進んでいく。他にもケモノたちが自由を謳歌していた。どうやらデルフィンは闘技場のために保管していた鳥獣をすべて解放したようだ。五光を足止めするために。
だがケモノたちは五光を見るなり後退りして、物陰へ撤退してしまった。
五光は彼らの気持ちを把握した。
人造人間――小型化したDSであることを見抜かれているようだ。さきほどの虎との戦闘から普通の人間とはなにかが違うことが伝わったんだろう。
(もはや凶暴なケモノにまで普通の人間扱いしてもらえなくなったわね)
スティレットが頬に手を当ててため息をついた。
「そうかい同類の姉さん」
(こんなときだけお姉ちゃん扱いしないでよ)
「5人だけの“家族”だからな」
わずかに戦いの匂いを感じたので気配を消した。通路の終わりは【GRT社】本社の入り口と繋がっていた。どうやら地球から宇宙へ飛んだメガフロート型の未来都市は、月面の地下に格納されていたようだ。
スティレットが耳をすませた。
(本社のロビーから機械の動作する音が聞こえるわね。それも複数)
「おそらくロボットだろうな」
五光はパワードスーツのヘルメットパーツに付属している観測装置を使った。四脚型のガードロボットたちがロビーをうろうろしていた。彼らの武装は両手に埋め込まれた重機関銃であり、パワードスーツの装甲なら簡単に貫くだろう。
「だがロボットだけっていうのは、ナンセンスだろ。ハッキングされたらそれまでだ」
五光は物陰に隠れると御影の思考回路をトレースした。彼なら、わざわざ身を晒してドンパチやるより、隠れたままロボットをハッキングするだろう。
(ドローンを有線で飛ばしてるのだって、ハッキングで盗まれるのと困るからだもんね。ってことはデルフィンのやつ、あたしらを倒したいんじゃなくて、足止めしてるわね)
スティレットもガードロボットに観測されないように身体のサイズを縮小した。
「足止めってことは、脱出手段を確保してあるってことか……幽霊先輩、ブラックボックスでガードロボットの管理システムをハッキングできるか? 俺が携帯端末でやるより圧倒的に早いだろうから」
(任せてちょうだい。あたしだってDSの操作以外のこともやれるようになってんのよ――ってあれ〈ソードダンサー〉の三津子さんが手伝ってくれるってさ)
スティレットが天井を見上げた。
「母さんが、ついに喋ったのか?」
(音声は使えないってさ。文字のみ。えーと『うちの息子と仲良くしてやってくれ、姉さん』だってさ。複雑よね、あたしより年上の妹で子持ちの人妻ってさ)
スティレットは、ぺらぺらと口を動かしながらも三津子と協力してハッキングを実行していた。
「母さんに会ったら、どんな顔をすればいいんだろう」
五光はハッキングの完了を待ちながら、ふぅとため息をついた。これからデルフィンを討伐するというのに庶民的な悩みを口にした。だが人造人間である彼にとっては死活問題だった。
(普通にしてればいいのよ、普通にしてれば)
「普通ってなんだよ。俺たち普通じゃないのに」
(以前の自分が普通の人間だと思ってたときと同じ態度でいいの。たとえ人造人間だって心は人間のままなんだから)
デリカシーのない破廉恥な幽霊先輩のくせに良いことをいった。
五光が素直に彼女の考えを受け入れたところで、ハッキングが完了した。
ガードロボットたちは動作を停止してメインカメラから光を失った。
五光はすぐさま物陰から出ると【GRT社】のロビーを通過した。
あとはデルフィンの足取りをひたすら追って【ギャンブリングアサルト】の弾丸をお見舞いするだけだ。
● ● ●
デルフィンはひたすら逃げていた。霧島五光という名前を持った悪鬼から。
あの人造人間は、もはや人間の規格を越えていた。どんな過酷な環境に送り込まれても必ず生還するだろう。どんな強敵だろうと不屈の闘志で倒してしまうだろう。
そう、若いころの新崎と同じ評価だ。
さすがに共通の遺伝子を使っているだけあった。
霧島五光。共通の遺伝子で作られた人造人間。誰かの腹から生まれたわけではない。それでも霧島五光は自分が霧島五光であると確信していた。
だが誰かの腹から生まれたはずのデルフィンは、自問自答を繰り返して自我を疑っていた。
月面都市を破壊したとき、どちらの自我だったんだろうか。
大言壮語を並べておいて〈グレートリセット〉から脱出したのは、どちらの自我だったんだろうか。
二十二世紀のグローバル企業の社長としてか? それとも歯車が変化する以前の自分か?
なぜこんなにも自我を認められないのだろうか。
デルフィンは未来都市に普通に生まれて普通に育った。なにか特殊な教育を受けたわけでもない。過酷な環境でトラウマを負ったわけでもない。ただ親が勤めていた企業に勤めて――なぜか歯車が切り替わった。
自分ならやれると思ったのだ。なんの根拠もないが、とにかく自分の才能なら会社を奪えると思ったのだ。
だが根拠がない。どこにもなかった。まるでビリヤードのブレイクショットみたいに自信が溢れて気づいたら奪っていた。
それに社長としてやってきた方法論も、ほとんどがありがちなものだった。奇想天外ではなく、軍隊なみの手堅い手段の頻発であった。気づいたら【GRT社】は大きくなっていたし、未来都市は繁栄していた。
だから考えるようになった。自分は時代のパーツのひとつでしかなく、他の誰かがやっても同じ役割を背負ったんだろうと。
もしかしたら、他の誰かが霧島五光に負われる役割だったかもしれない。そのときデルフィンはスラム街で落ちぶれていたのかもしれない。
ちょっとした閃きを感じた。
他の誰かが代替するかもしれないと考えるなら、他の誰もが存在しない場所へ逃げればいいのではないか?
宇宙だ――それも火星や木星などの地球圏の外へ出てしまえばいい。
ちょうどいいモノを作ってあった。
外宇宙を想定した単身用の宇宙船だ。
あくまで当初は会社のイメージアップ戦略の一環として生み出された。いつかは宇宙旅行も商品になりますよ、と。
だが今になってデルフィンを救う奇跡の箱舟となっていた。
なお置いてある場所だが【GRT社】の内部――社長室であった。
● ● ●
五光は【GRT社】の本社を捜索していた。スティレットは後ろ向きで滑空してバックアタックを警戒している。
だが敵の姿はない。人間の兵隊はデルフィンを見限ったし、ロボットはすべてシステムダウンさせたからだ。
本社に残っているものといえば、社員のボールペンと社用の展示物だ。かつては大勢の社員たちが働いていたオフィスも空洞になっていた。
戦場にいるとは思えないほど静かだ。
空気は供給されているから自分の足音も発生するのだが、それだけだった。
御影が生前語っていた平家物語の冒頭が脳裏をよぎる。
――祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もついには滅びぬ。ひとえに風の前の塵に同じ。
50年も続いた三つ巴の内戦を表すような一節だった。
誰もが塵になってしまった。艦長と御影でさえも。過去にどんな行いをしていたのかを問わずに、ただ物事の流れに沿って分子分解爆弾で消えていく。
まさに諸行無常だ。
覚悟の概念なのか、諦観の概念なのかは、教養の不足する五光には判断がつかない。
だが諸行無常の心構えを備えることで、適切に【ギャンブリングアサルト】の弾丸を制御できるだろう。
(デルフィンの動きが止まった)
スティレットが『社長室』と書かれたネームプレートを指差した。
どうやらデルフィンは、かつて自分が仕事していた仕事部屋へ逃げ込んだようだ。
もっとも安心できる部屋だからか? それとも秘密兵器でも隠してあるんだろうか。
どちらにせよ、五光は特殊部隊の流儀によって突入するのみだ。
指向性の爆薬を社長室の壁にセットした。わざわざドアノブを回してこんにちはなんてやるはずがない。デルフィンが戦う術を持たない社長だったとしても、扉の向こう側で待ち伏せ攻撃をやれば、油断した五光を射殺できるかもしれない。
だからこそ、待ち伏せ攻撃という危機を回避して、相手を殺せる確率を着実に増やしていく――それが特殊部隊である。
本来の突入なら、同じ分隊の仲間たちとタイミングを合わせるためにカウントダウンをする。だが今の五光はひとりだった。
【ギャンブリングアサルト】参加してから、死に立ち会った人たちの顔を思い浮かべていく。
スラム街で焼き払われた人たちから、月面都市でミイラになってしまった人たちまで。
諸行無常の響きあり――ただしデルフィンには落とし前をつけさせる。
五光は呼吸を整えると指向性爆薬を起爆した。
雷鳴のような轟きによって直線の爆風が社長室の壁を吹き飛ばした。
五光は素早く室内へ突入するとレーザーライフルで敵をサーチ。
デルフィンは、謎の小型船に乗り込むところだった。
わざわざ声をかける理由がないので、五光はいきなりレーザーライフルで撃った。
だがデルフィンが小型船に乗り込むほうが一足早かった。レーザーライフルの赤い光は小型船の頑丈な装甲に阻まれて貫通しなかった。
『さらばだ霧島五光。私は1人でやりたいことがある。地球圏の外を旅するのだ』
どうやらデルフィンは、宇宙に希望を見出したようだ。人類を滅ぼしたいと抜かした愚か者が。
腹立たしいことに五光や四川と同じ希望を持ったのだ。動機と経緯がまったく重ならないが。
「逃がさない。お前だけは、絶対に」
五光はレーザーライフルを連射しながら小型船へ近づいていく。どんな頑丈な船だろうと、ハッキングしてコクピットを開いてしまえばいい。あとはパイロットとの白兵戦だ。対DS戦法と同じ原理である。
御影から受け継いだ技術――【ギャンブリングアサルト】に脈々と受け継がれてきた技術によって、宿敵に落とし前をつけさせる。
『無理だよ、霧島五光。この船は外宇宙の過酷な環境を耐えられるように作ってあるのだから、防御力も移動速度も従来の技術を軽く超えている』
だがしかし――だがしかし――小型船は動かなかった。
デルフィンはコクピットで何度も発進操作を行うのだが、エラーが表示されるだけだった。
四川の声が社長室のベランダから聞こえた。
「それを使うだろうと思ってな、先回りして細工させてもらったよ。エンジンは動かない」
救助活動を終わらせた四川が、社長室のベランダで仁王立ちしていた。
そして五光が小型船に組み付いた。対DS戦法――ハッキングツールでコクピットを解放すると、内部のデルフィンに拳銃の銃口を向けた。
「おのれ人造人間どもめ……!」
デルフィンは脂汗を垂れ流した。ずっと人間らしい表情を出さなかった人物が、命の危機に立ち会ったことで、人間らしい焦りと恐怖と絶望を表に出した。
「コギトエルゴスム。やっぱりお前にも意思があるじゃないか。その顔だよ」
五光は躊躇や葛藤もなく発砲した。特殊部隊らしくトリプルタップで。
デルフィンは3発の弾丸を胴体と顔面に被弾して、コクピットの操縦パネルに倒れた。銃創から血が流れて脈拍が弱まっていく。
さらに四川も小型船によじ登るとコクピットに銃口を向けた。彼もガンパウダーの拳銃だった。PMCの特殊部隊【イモータル】で支給される拳銃である。【イモータル】の隊員たちは、拉致されてブラックボックスにされてしまった。
四川もデルフィンに落とし前をつけさせるのだ。
「たとえ心神喪失だろうと、因果応報からは逃れられないぞ」
四川も特殊部隊の隊員らしく、確実なトドメのために発砲した。
暗殺の教訓だ。標的を確実に殺したいなら、死体になったことを確認するまで攻撃を継続すること。脳や心臓などの生命維持に必要な臓器を潰せばなおよし。時間に余裕があるならば、検死もやるとよい。
五光と四川は穴だらけになったデルフィンの瞳孔と脈拍と呼吸と体温の変化を確かめた。
完璧な死体だ。
外宇宙へ航行可能な小型船は、彼の墓標となった。
エピローグ
50年間継続した三つ巴の戦いは終結した。
ついに戦争は終わり、地球圏は平和を取り戻した。
地球統合政府は、すべての分子分解爆弾の廃棄を進めていくことを宣言した。【ソイレントグリーンシステム】をさらに進化させて、失われた資源を再生する運動も開始した。
デルフィンの死体は政治的に利用されることになり、今も博物館に飾ってある。愚か者の象徴として。
地球統合政府に合流しなかったテロリストたちは、しばし平穏を味わうことにした。彼らには思想も志もあったが、精神と体力が限界だった。どんな人間にも休息が必要なのである。
そして根本的な資源不足を補うために、火星や木星を探査する宇宙船団が結成された。
● ● ●
月面の戦いから一年が経過していた。
五光はラーメン屋を営んでいた。ただし場所は地球ではなく大型宇宙船〈コギトエルゴスム〉の繁華街だった。
大型宇宙船〈コギトエルゴスム〉は、月面都市に遺されていた未来都市を掛け合わせることで完成した。東京と同じ大きさの宇宙船であり、500万人もの収容数を誇った。
そんな大型宇宙船の乗組員だが、宇宙航行に耐えられる有能な人間ばかりが選ばれた。ある意味でかつての未来都市に近い人選になってしまったが、戦略は違った。
すべての人類のために宇宙の資源を発掘し、そして新しい技術を開発すること。
「店長さん、昔はDS乗りだったのか?」
お客さんのひとりが五光に聞いた。店の棚にバックギャモンが愛用したレーザーショットガンが飾ってあったからだ。他にも艦長が被っていた士官用の制帽の模造品と、御影がサラリーマンカットを直すのに使っていたクシの模造品が飾ってあった。
「今でも訓練には参加していましてね。実戦はないほうがいいでしょうけど」
肩書きと所属は今でも地球統合政府の特殊部隊【ギャンブリングアサルト】だ。だが大型宇宙船の内部では兵士以外の職業を兼任することが許可されていた。
「たしかに経済活動を活発化させることが推奨されてるからねぇ。すべては地球統合政府さまさまってことさ。おかげでおれみたいな庶民がラーメンを食える」
お客さんは、うまそうにラーメンを食べた。
地球統合政府は経済を立て直し、さらに税金の再分配も回復させた。新型の【ソイレントグリーンシステム】の効果も相まって、ラーメンが庶民の食事の座へ戻ってきた。
となれば五光は自分で店を開くことにしたのだ。新崎との愛憎は深く考えないことにした。もっと時間が経てば思い出さなくなるかもしれない。
ちなみにお店の経営状態だが、おおむね良好だ。みんなラーメンというかつての高級食材が手ごろな価格で食べられることに興奮しているから、味にこだわりがないのである。逆にいえば味にこだわる人が出てきたら経営が難しくなるかもしれない。
そのときは五光がラーメン屋としてレベルアップするときだろう。
お客さんが電子マネーで支払いを済ませて店を出ていくと、入れ替わりで薬品臭い白衣を着た男が来店した。
「塩ラーメンだ。大盛りだぞ」
四川である。彼は賢いのでDS乗りかつ研究スタッフだった。
五光も四川もパワードスーツを着ていないので、ダックスフントの顔が双子の兄弟みたいに強調されていた。
「なんだ四川。この時間にくるってことは、また研究に詰まったのか?」
五光はお冷をテーブルに載せてから、厨房に入って塩らーめんを作り始めた。
「ああ。なかなかうまくいかなくてね」
四川は、お冷の水をがぶがぶ飲んだ。
彼が研究しているのは、人間の脳の構造解析だ。
子晴の脳内に埋め込まれた爆薬は、脳の大事な機能と密接に癒着しているため、現段階の技術では解体できなかった。だから四川は研究スタッフになった。自らの手で技術を発展させて愛しい彼女をすくうために。
「必ずうまくいくさ。四川はがんばりやだからな」
五光は塩らーめんにチャーシューをおまけして四川に提供した。
「ありがとう。そういえば、破廉恥幽霊はどこだ? いつも壊れたラジオみたいにうるさいんだが、今日は静かじゃないか」
四川はずるずると麺をすする。
「今日は映画を見たいそうだ」
ブラックボックスはお店の地下に置いてあった。ラーメンの材料と一緒に。
「どうせ立体映像の身体を活かして入場料を払わないつもりだろう」
四川が眉間に皺をよせた。
「本人は幽霊特権っていってる。もう死んでるんだから大目に見ろって」
「まったく、お前の母親と違って遠慮というものがないな、あの二番目の姉には」
母親――〈ソードダンサー〉の三津子はひたすら電子書籍の読書をしているという。外界の様子にあまり関心がないらしく、四川が話しかけても淡白な返事しか返ってこないそうだ。
「生きていたときと一緒だな、母さんは」
五光は呆れてしまった。母親は典型的な文学少女タイプであり、友人と遊ぶより本を読んでいるのが好きな女性であった。
「お前のところにブラックボックスを持っていってもいいんだぞ、母親だろう」
「いいんだよ。〈ソードダンサー〉に必要だろう」
「お前の〈グラウンドゼロ〉は壊れたものな。〈コスモス〉とアインも消えた。やはりあの戦いの犠牲者は多かったか」
四川はラーメンの汁まで飲み干した。塩気の濃い食べ物が好きなのである。
「黙祷を捧げつつ、未来を願うだな」
五光は黙祷を捧げるために目を閉じた。
ちょうど宇宙船団が提供するニュースが店内に流れた。
『地球統合政府内部では、大統領選が始まっています。本命は宮下議員とアベベ議員です。支持率は拮抗していまして、どちらが大統領になってもおかしくありません』
親しかったはずの宮下とアベベは、大統領の座を巡って二つの派閥に分裂――政敵となっていた。
人間は愚かなままなのかもしれない。
だが地球統合政府が完成したならば、ほんのちょっとでも前進できたのではないか。
(あ、四川がいる! いらっしゃーい! うちのラーメンは最高よ!)
スティレットが戻ってきた。赤い髪はいつものままだが、衣装は今日見た映画の登場人物と同じものになっていた。
「うるさいのが帰ってきたか」
四川がおおげさにかぶりを振った。
(なによ。あたしが静かになったら逆にびっくりするでしょ。なんかあったのかと思って)
「子晴が理知的な女性で本当によかった……」
(でももしこのまま子晴は眠り続けて、四川がおじさんになったら、いざ目覚めたときに加齢匂が臭いって嫌われるかもよ)
スティレットはニヤニヤしていた。
「やっぱりお前は破廉恥幽霊だ」
四川はこめかみに青筋を走らせた。
(あんたは弟のくせに生意気よ)
「そういうお前は幽霊のくせに生意気だ」
口論が長引きそうだから五光が仲裁した。
「よせよ。まぁ本当に兄弟喧嘩みたいだからいいんだろうけどさ」
こんなことをやっていられるのも平和のおかげなんだろう。
しかし火星にはなにが待っているかわからないし、地球統合政府でなにかが起きるかもしれない。
今は夢と希望に向かって突き進むのみだ。
――五光、四川、スティレットの兄弟が談笑している横で、宇宙船団用のニュースが流れていた。
『戦後処理の続報です。本日未明、再生中の月面都市にDSの残骸が漂着しました。〈リザードマン〉のカスタムタイプのモノですね。登録名は〈リザードマンキング〉。コクピットブロックが焼けていますが、パイロットの死体は残っていません。もしかしたら宇宙空間に流れてしまったのかもしれませんね』
地球と月のラグランジュポイントには、御影のパワードスーツのヘルメットが漂っていた。
なおアインのブラックボックスは破片すら残っていなかったという。破片ひとつ残らず溶けてしまったのか、それとも――
〈了〉
国家憲兵隊所属・対DS特殊部隊【ギャンブリング・アサルト】 秋山機竜 @akiryu
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