二年の春~006

 約束の日の日曜日…

 いつも通りにロードワークに出掛けて家に帰ると、門の所に人影を発見した。

 そぉ~っと近寄ってみる。

 遥香が忠犬の如く突っ立って、俺の帰りを待っていた。

「……なにしてんの?」

「おーおはよう彼氏」

 俺の疑問を無視して駆け寄ってくる。

「いやー。コンビニ袋ゲットだわ」

「また捨てていきやがったのか。暇な奴だな」

「ストーカーだよストーカー。ストーカー怖いね」

「お前も似たような事やっていただろが。つか、朝早すぎだ」

 朝からお約束の会話。

 これが楽しい。こんな会話ができる女子なんていなかったしな。

 つか、友達少ないから男子にもいないけど。

「取り敢えず中入れよ。墓参りには流石に早い」

「彼女たる私を部屋に入れて何をしようと企んでいるの?朝早いよ?せめて暗くなってから…」

「暗くなっても企まねーよ!!」

 ……暗くなったら迫ってもいいのか?

「い、いやいや、馬鹿な事言ってないで入れ。近所の目が気になる」

 朝っぱらから軽い疲労を感じ、漸くだが部屋に戻る事に成功した。

 シャワーを浴びて着替えると、やはりと言うか何と言うか…

「隆君、朝ご飯食べよ」

 既に食卓に座っていた遥香。いや、いいんだが、なんかな?

 遥香の隣に座ると、親父が満面な笑みを浮かべて嬉しそうに話した。

「隆、このコーヒーはな、遥香ちゃんがわざわざ父さんの為に淹れてくれたんだぞ」

「昨日の朝、お袋がコーヒー淹れた時に、ほうじ茶に代えろとゴネてたじゃねーか」

 親父はパンよりご飯派だから、朝飯の時よくゴネる。

「遥香ちゃんは私と好みが合ってねぇ…本当、こんな娘が欲しかった…」

「男で悪かったな」

 お袋は朝はパン派なので、親父のゴネを止める遥香を大層気に入った様子だが、そんな単純な理由で気に入ってもいいのだろうか。

「隆君、これ私が焼いたんだよ。バターだよね」

 返事も聞かないでバターを鼻歌を歌いながら塗り捲る遥香。

 こいつは何故こんなに堂々とできるのだろうか。

 家に来たのはまだ二回目だと言うのに、溶け込み方が半端ねぇ。

 ここは見習う所…だろう。

 たぶん。

 朝飯も終わり、まだ時間が早いと言う事で、部屋に移動。

 その時、部屋の隅に紙袋を発見した。

「これは?」

「お花とお線香」

 ……そういや俺、何の準備もしてないや。

 麻美はマカロンが好きだったな。

「なぁ、マカロンってお供えしても大丈夫だっけ?」

「故人の嗜好品の事だよね。日本はそれ程うるさく無いから大丈夫じゃない?」

「うるさいって、何がだよ?」

「宗教。食べちゃダメみたいな物」

 ……いや、麻美は普通にマカロン食べていたから大丈夫だろ?

「普段普通にマカロン食べていたなら大丈夫だよ」

「心を読むな」

 何故ピンポイントで考えている事が解る?普通に怖ぇよ。

「それじゃ、隆君が今何を考えているのか当ててみようか?」

 爆乳を強調するように胸を張り、人差し指を翳した遥香。何か面白そうだな。

「じゃ、当ててみろ」

「遥香の豊満な胸に顔を埋めてー」

「考えてねーよ!!」

 いや、考えるけど、今は考えていない!!

「じゃあさ、私が何考えているか当ててみて?」

 うーん…難しいな。じゃあ、ここは仕返しといこうか。

「俺の逞しい腕の中で安らぎたい、とか?」

「凄い!何で解ったの!?」

「嘘つくんじゃねーよ!!」

 びっくりするわ。どんな乗りだ。

「いやいやいやいや!考えているって!!隆君がぷりっぷりな私の唇に自分の唇を重ねたいとか、私の細い腰に腕を回したいとか、スラリと伸びた綺麗な脚を撫で回したいと考えているようにさ!!」

「全部お前の願望だろが!!」

 むしろ欲望だ!!本気で言っているなら怖い!!

「ね、ここ隆君の部屋だよね?」

「なにを解りきった事を聞いてくるんだよ」

「ベッドあるじゃん、ベッド!!」

「しねぇよ!下に親が居るだろが!!」

 色々ヤバいわ。

「つまり親が居ないのならばする。と?」

「お前は欲求不満なのかよ!!」

「いや、彼氏の欲求に応えるのが彼女の務めかな、って思って」

「俺が欲求不満な訳??」

「私初めてだから優しくしてね?」

「俺だってした事ねぇよ!!」

 しまった、言っちゃったよ。どんなカミングアウトだよ。しかもこんなタイミングでかよ。

 一人乗り突っ込みを交えつつ、俺は遥香と出掛けるまでの時間、楽しくお喋りをした。


 昼に少し前…

 町外れの墓地公園…麻美が居る墓地公園に到着した…

 駐輪場にチャリを停め、持参した桶に水を汲みながら物思いに耽る。

 あの中学二年のあの事件。

 俺が強かったら、麻美は死ななかった。

 麻美は俺の代わりに死んだ。

 糞共に屋上から突き落とされて。

 あの日、いつものように、糞共に無理やり引っ張られて屋上に連れられた俺は、理不尽極まり無い暴力を受けた。

 殴る蹴る。糞共は笑いながら俺をいたぶる事を日課としていた。

 糞共の徹底していたルール、顔は殴らない、顔を傷つけない。金品は巻き上げ無い。そのルールのみを守り、俺をいたぶっていた。

 何故こんなルールがあるのかは解らないが、最初数十人以上居た糞共は、ルールを破った奴だけ姿を消し、最終的に主犯格の五人だけになった。

 まあ、それだけじゃないと思うが、ある日いきなり五人だけになった。

 つまり糞はやはり糞で、自分達で決めたルールも守れない馬鹿共が半数以上を占めていた事になる。

 兎に角、安田、神尾、武蔵野、阿部、佐伯、この五人が最初から俺をいたぶっていた奴等であり、最後まで残った連中だ。

 後の病院送りに追い込んだ仕返しで、安田以外は就職で町から離れる事になるが、それはまだ先の話だ。

 話は逸れたが、その日もいつも通りに屋上でフルボッコを喰らっていた俺は、糞共が疲れて殴るのをやめた一瞬を突き、土下座をした。

 もう許して下さい先輩方。

 みっともなく泣きながら、ゲロで汚れた制服を気にする事も無く、ただひたすら意味も無く謝りながら土下座した。

 糞共はゲラゲラ笑い、柵に張られた金網を指差して言う。

 そんなに嫌なら、飛び降りりゃ解放してやるよ。

 言われるまでも無く、自殺を考えた事もある。

 だが、度胸が無かった俺はそれをしなかった、いや、できなかった。

 糞共はせせら笑い、出来ねぇなら手伝ってやるよと、金網まで俺を引き摺った。

 単なる脅しなのは解っていた。

 確かに金網は破れてはいたが、俺が引き摺られた金網はその逆方向、まっさら新品の金網だったからだ。

 俺は特に抗う事もせずに引き摺られた。

 その時、屋上のドアが勢い良く開いた。

 糞共は先生が来たとか思ったのか、確実にビビって固まった。

 しかし、直ぐに緊張を解いた。

 やってきたのは先生じゃない。おかっぱに近いショートの。目がでっかい小柄の女子。

 麻美だったからだ。

 麻美は実に堂々として、糞共に胸を張って言い切った。

 格好悪い。踊らされてさ。

 寄せた眉根にシワを刻み、眉尻を上げて怒りを露わに、軽蔑を露わにして。

 落とせる覚悟なんか無い癖に、虚勢ばかり。こんなのが先輩かと思うと嫌になるね。

 言いながら膝を付いている俺の視線と同じ位置に屈んだ。

 裏は取ったからもう大丈夫だよ隆。

 優しく笑い、埃まみれの俺の手を取り立ち上がらせた。

 糞共は先生にバレるのを恐れたのか、単純だから頭に血が上ったのか、麻美を平手で思い切り叩いた。

 軽い麻美は簡単に崩れたが、その目の敵意だけはしっかり保っていた。

 あんた達もう終わり。全部話すから。先生、あんた達の親、教育委員会、PTA。全部話すから!!

 虚勢を張って、喋っても俺達は怖くねぇと、麻美を殴りつける糞共。

 俺はそこで初めて糞共にタックルをかまして麻美から引き離した。

 麻美はやればできるじゃないと笑って誉めてくれた。

 俺は怖くて心臓がバクバクだったが、単純に麻美を庇えてホッとした。

 だが…

 それが良く無かった…

 女子の麻美には流石に手加減していた糞共。

 俺には本気の力で、自分達で禁じていた筈の顔面へのパンチを入れたのだ。

 今まで腹を重点に受けてきたので、完全に虚を突かれた。

 俺は今まで以上に吹っ飛んだのだ。

 それを見て、いち早く反応した麻美は、俺を助ける為に、支える為に俺の後ろに回った。


 俺に押されて…


 麻美の軽い身体は、破れた金網から飛び出した…


 小柄な麻美の身体は、簡単に破れた個所を通過できたのだ。

 落ちて行く麻美。

 振り返ると、目が合う。

 麻美は笑った。



――頑張って隆!!


「麻美っ!!」

 つい声を上げてしまった。

 気が付くと、桶には水が溢れ出ている。

「……酷い取引したよね…」

 力無く俯いた遥香。思い出して泣いているのを見られたのか…

 涙を拭い、俺は言う。

「俺が望んで受けた事だ。気にすんな」

 その通りだから仕方無い。全ては俺が望んだ事、遥香が気に病む事は無い。

 だから俺はいつもの調子で返す。

「墓参りが終わったら、その豊満な胸の中で泣かせてくれ」

 遥香もぎこちなくとも、笑いながら返した。

「服とブラ取って生肌の胸の中で泣かせてあげるよ」

 やはり、遥香の方が一枚上手だった。

 俺はこいつと付き合えて、本当に良かった。

 

 日向家代々乃墓…

 ここに麻美は居る。

 いや、居ない。麻美は俺の傍に居たから。

 いつもの漫画キャラの姿をやめて、中学二年のあの頃の姿で。

 長いストレートロングじゃなく、おかっぱに近いショートの髪を掻き分け、風を楽しむように自分の墓を見ている。

「……幽霊って怖いとか思っていたけど、違うんだな…」

「ん?何か言った?」

 墓を拭いて綺麗にしている最中の遥香が手を止め、俺を向く。

「いや、何にも」

 そう。と言って線香に火を付け、花を供えて手を合わせる遥香。


――長かった…


 独り言のように不意に呟く。

 声に出す訳にもいかず、心の中で訊ねた。

 何が長かったんだよ?

――隆が認めてくれるまで長かった

 あの漫画キャラの出で立ちの事か。

 何故あんな姿で?その儘の姿なら一発で解っただろうに?

――枷…楔…?そんな感じかな?要するにペナルティーみたいなもの

 笑って返す麻美。俺にはさっぱりだが、ペナルティーと言うからには、何かの罰なのだろう。

――あの日、本当は隆が落ちる筈だったのよ。だけど私が運命を変えちゃったの

 ………俺の代わりに…落ちた…

――あ、違う違う。責めている訳じゃないから。ごめんごめん

 笑いながら手を振り、否定。

――運命は一本道じゃない。無数に枝分かれしている。その枝分かれに属していなかったのが、あの屋上からの転落事故。運命から外れた私がことわりの中に戻る為のペナルティーが、あの姿で隆に気付いて貰う事だった。いっぱいヒント出したけど、隆ってば気付いてくれないからさぁ。結構時間掛かっちゃって。参った参った

 よく解らないのは変わらないが、兎に角これで在るべき所へ戻れると言うんだよな。三年近く待たせたな。悪かった。

――三年?違うよ?累計百年近く掛かったかな?

 ひゃく!!?

 え?なんで百年?累計?だってお前の事故から大体三年程度…

 今まで笑顔だった麻美が、いきなり真剣な顔つきになる。

 冷たくも温かい手で俺の手をそっと握る。

 そして真正面から、俺の目をじっと見て、口を開いた。

――隆は記憶が無いかもだけど、隆は何度も死んでいる。二年の春を越えた事なんか一度も無いの。それは多分、修正。運命の修正…

 運命…

 中学二年のあの屋上で、転落するのは俺だった。

 となれば、今でも生きているのは理的ことわりてきにはおかしい?

 いや、しかしそれは麻美に変わった訳で…

――今回は今までとは違う。今回は超えられる。その時こそ解る。隆の本当の敵が…

 ちょっと待て、俺は何度も死んでいるとか、累計百年とか何だよ?先ずは其処から教えろよ?

――規制が…教えたいけど…言葉が…

 誰に規制ってのを掛けられているんだよ?人智を超えた存在か?

――解ら…ない…でも…隆は知っている筈…中庭でご飯を食べた事…借り物競争に出た事…覚えていないだけ…

 苦しそうな麻美、握る手に力が入った。

――頑張って隆!頑張って乗り越えて!

 そして徐々に薄れていく身体…

 霧の中に溶け込むように…消えて…いく…

――大好きだよ隆!頑張って生きて!!

 最後にそう言って…

 笑いながら…

 麻美は消えた……

 俺の手に、冷たいがぬくもりを残して…

 麻美は消えた。

 だが、まだ居る。

 俺の傍に、在るべき所に行けずに、まだ居る…

 俺が越えないと、二年の春を越えないと、麻美はちゃんと逝けない。

 正直何度も死んでいるとか、累計百年の意味は解らないが、言われてみると俺は 同時期、同じような経験を、全く違う経験をしながら過ごしているような気がする。

 例えば楠木さんと付き合ったり、春日さんのアパートに呼ばれたり。

 実際の俺はそんな事無い訳だが、はっきりとした記憶がある。

 いや、はっきりしているのは記憶じゃない。

 経験だ…!!

「ちゃんとお話できた?」

 遥香が首を傾げて訊ねてくる。

「ああ。した。お前のおかげだ」

「あはは~。違うよ。私は私自身の為。隆君は隆君自身の為に頑張るがヨロシ」

「何故中国風に…」

「まあまあ。さて、約束守って貰った事だし、私も約束守ろっかね」

 腕を組みながら伸びをする遥香。おっぱい強調し過ぎだ。

「ん?どしたの?」

「俺のおっぱいなんだよなぁ、とか思って」

「あはは~。しちゃおうか?」

「不謹慎過ぎるだろが!!先ずは腹拵えだ、行くぜ飯食いに」

「ご飯食べた後に、私も食べられちゃうみたいな?」

「だから不謹慎だろが!!聞くなよ麻美、耳塞げ!!」

 遥香の笑い声に混じって、麻美の笑い声が聞こえたような気がした。

 とは言ったものの、ここは墓地公園。辺りには食事を取れるような店は無い。

 歩けばコンビニがあるが、ちっとも直ぐそこには無いので、どちらにせよ移動しなければならない

「遥香、ここら辺りには何も無いんだ。だからチャリで移動しなきゃならないけど大丈夫か?」

「勿論、大丈夫だよ」

 そうかとチャリに跨がり、後ろに居る遥香に行くぞと促そうと振り向く。

 遥香のチャリがバランスを保てず、激しく横転し、倒れた。

 倒れた?いや、倒れされた。

 倒れされた遥香をケラケラ笑いながら見下ろしている痩せこけた女…

 その手には包丁が握られ、赤い液体が付着している。

「お、おい遥香…」

 遥香の背中が、真っ赤に染まっている…

 痩せこけた女を再び見て、握られた包丁に視線を送る。

 そして漸く状況が飲み込めた。

「お前何してんだあ!!遥香あああ!!」

 突っ立って笑っている女を突き飛ばし、遥香を抱きかかえた。

「おいっ!しっかりしろっ!!おいっ!?」

 遥香は頑張って笑い、言う。

「あ…あはは~…まさか…このタイミングで報復って…しくったなぁ…完全に油断してたあ~…あはは~…」

 報復!?何故お前が報復されなきゃならないんだ!?

 俺は涙で視界が滲んだ状態で女を睨み付けて、そして気が付いた。

「まさか…楠木さん!?」

 春先にヒロと一緒に見た事がある、風貌がまるっきり変わった楠木さん…

 間違いない、遥香を刺したのは楠木さんだった。

「緒方くんん~!!久し振りだねぇ~?キャハハハハハ!!」

 包丁を振り回して。ただ笑う楠木さん…その顔には狂気しか感じない…

「何でだ!?何で遥香を刺した!?」

「ん~?ふっふふ~…し・か・え・し!!キャハハハハハハハハ!!」

 狂ったように、いや、狂ったのだろう。恐らくは薬物で…

 楠木さんは笑いながら包丁を振り回して、駐輪場を行ったり来たりしている。意味も無く、ただはしゃぎながら歩いている…

 どうする?取り押さえるか?救急車が先か?

 全く考えが定まらない…

 どうする?としか浮かばない!!

「た、隆君…危ないから逃げなよ…」

「危ないって、お前が一番危ないだろうが!!待っていろ、楠木さんを瞬殺でぶち砕いて救急車を…」

「何で私を殴るのよ緒方君んんん?悪いのはその女なのに?キャハハハハハハハハ!!」

 いつの間にか俺に接近していた楠木さん。

 包丁を振りかざし、まさに突き刺そうとしている最中だった。

 目に映る楠木さんの動作が全てスローに見えた。

 包丁の柄を握っている細い手に、血管が浮き出て脈打っている所まではっきり見えた。

 血走った目、黒目が微かに左右に揺れ動いている様も解った。

 だが、俺は動けない。

 いつもの俺ならば瞬時に反応できる自信はある。

 だが、この時ばかりは違った。

 楠木さんに告白された一年の夏。

 補習で夏休みが潰れたら遊べなくなるから頑張って、と笑った楠木さん。

 中庭で一緒に弁当をつつき、毎日必ず一個くれる卵焼き。

 俺じゃない俺の記憶が、後から後から湧き出て来る。

 これは走馬灯か…?解らなない。

 解らないが、走馬灯状態の俺が反応できる筈も無い。

 つまり俺は、ここで死ぬ―――

 ある種の覚悟が決まった。

 何度も何度も経験している死への覚悟。

 俺は確かに麻美の言う通り、何度も死んでやり直していた。

 だから恐怖は無い。

 また駄目だったか。

 そんなレベルでしか感じられなかった。

 そしていよいよ、包丁が胸に突き刺さらんばかりに接近して来た時、俺の身体は横に飛んだ。いや、飛ばされた。

 証拠に、俺は派手に地面に身体を叩き付けられた。

 何故飛んだ?そりゃ押されたから。

 誰に押された?そりゃ一人しか居ない。

 俺を突き飛ばしたのは遥香…

 その遥香は、俺の代わりに楠木さんに胸を刺された。

 返り血が楠木さんを真っ赤に染め、遥香はその儘地に伏した……

「はるかあああああ!!」

 迷い無く遥香を抱く。

 痛いだろうに、頑張って笑顔を作り、その儘重力に逆らわず、俺に全ての体重を預けた―――

「あああああああああああああああああ!!!」

 絶叫する俺。それしかできない。やれない。

「しんじゃったあ~?キャハハハハハハハ!!いい気味だ!!私から全て奪って自分だけ幸せになろうとするからだよ~?キャハハハハハハハハハハハハハハハ!!」

 何か言っているが、聞こえない。

「ねぇ知ってる?槙原はねぇ~…学校にチクって私を退学に追い込んだばかりか、私のお客の個人情報を警察に渡したんだよ~?」

 知らねぇ。どうでもいい。

「全ては君を手に入れる為、要するに、私は君に近付いたから酷い目に遭ったって事なんだよ!!」

「お前の事なんざ知るか!!解っている事はお前が遥香を殺したって事だけだ!!!」

 型も何も無い、ただの力のみでパンチを振るう。

 しかし、遥香を抱いていた為に楠木さんには届かなかった。

 全く届かなかった俺の拳だが、楠木さんは目を見開き、引き攣りながら後退りをした。

 拳では顔面を貫けなかったが、殺気は心を貫いたのだ。

 本気の殺気。

 一切の迷いも無く、鍛え上げた凶器を殺す気で放った。いや、薙いだ拳が、薬で堕ちに堕ちた楠木さんの恐怖心を呼び起こしたのだ。

「ひ、ひひひ、ひぅぃぃ~!!」

 尻餅こそ付かなかったが、ひっくり返りそうな勢いで逃げた楠木さん。

 しかし、俺は追わなかった。

 だってまだ温かい。遥香の身体はまだ温かい…

「まだ助かるかも知れない!救急車…」

 携帯を取る為にポケットを探っている最中、俺の視界に女の脚が映る。

 ゆっくりと顔を上げると、それは春日さんだった。

「春日…さん…」

 春日さんはいつもの瓶底眼鏡を外し、バイト以外では晒さない素顔を見せていた。

「……やっぱりここに居た…言われた通り……」

「言われた…って…誰に…?しかも…その…」

 春日さんの私服は露出の少ない地味な服が多いのだが、今日は違った。

 胸元が開いたキャミワンピ、どこかのブランドの高そうなバッグ…

 まるで、これからデートにでも行くような姿だった。

「……槙原さん…死んじゃったね…」

 カッとなった俺は思わず怒鳴った。

「まだ温かいんだよ!!」

 まだ死んでない!きっと大丈夫だ!!

 認めたく無い一心での完全否定。ただ目を逸らしているだけだと解っていても、俺は否定する。

「……そう…じゃ…病院行かなきゃ…ね…」

 近寄って来て、遥香に肩を貸すような仕草をする。

「か、春日さんじゃ無理…う!!?」

 左脇腹にいきなりの激痛。

「な、なん…だ…」

 涎が溢れ出て腕で拭うと、袖が真っ赤に染まった。

 血?

 しかし何故…

 激しく痛む左脇腹を見ると、そこにはナイフが刺さっていた。しかも鍔まで。根元まで。

「かは!!」

 抱いていた遥香を支え切れず、俺は倒れた。同時に遥香も倒れる。

 その倒れた遥香を跨いで、下着を気にせずに屈む春日さん…

「……大丈夫だよ…私も直ぐに行くからね…寂しく無いから…」

 言いながら、バッグから新しいナイフを取り出す。

 俺は声が全く出ない状態になっていた。

 出るのは咳のみ。しかも吐血を交えていた。

 何度も何度も突き刺さるナイフ。

 既に痛みは感じない。

 俺は何時しか、俺が春日さんに刺されるのを春日さんの頭の上で『眺めていた』。

 そしてふと思う。


 今回も駄目だったか。


 同時に横から女の声。

――………隆…

 麻美が漫画キャラじゃない、俺の知っている麻美の姿で、見えないと言うか周りの漆黒に溶け込んで見えない椅子に座らず、俺の後ろに立っていた。

 いつの間に?いや、問うまい。

 麻美は常に俺の傍に居たのだから。

 何度も何度も繰り返す高校生活、常にずっと……

――本当に私だって解ってくれたんだね。嬉しい…

 麻美は笑いながら泣いていた。

 あの漫画キャラが紛れもなく麻美だと、俺がはっきり認識したから枷が取れた。

 あるいは罪。あるいは罰。

 俺の代わりに死んで、在る筈の無い運命を創ってしまった麻美へのペナルティー…

 これで漸く麻美は在るべき所へと還れる。

 俺は本心で思った事を口にした。

 良かったな麻美。今までごめんな麻美。

 麻美は返事の代わりに、首を横に振った。泣きながら振った。

――また助けられなかった…ごめんなさい…

 そんな事気にするな。

 元々俺が死んでいた筈。高校生活は麻美がくれた、オマケみたいなもんだ。

 充分だ。

 なりたい俺になれた。

 虐めを拳でぶち砕ける俺になれた。

 今まで俺を生意気だとか、目つきが悪いとか、因縁つけて殴って喜んでいる糞共の恐怖の対象になれた。

 これが正しいのか否かは問題じゃない。

 俺がこう有りたかったから、これでいい。

――前の二年の春は、槙原さんと付き合わなかった…そして死んだ…車に跳ねられてね…

 交通事故か。俺を跳ねた運転手も不運だな。逆に申し訳ない。

――事故じゃない。殺されたのよ

 ああ、糞共の報復か。それならそれでいい。

 俺が糞共に恨みを持っているように、連中も殺したい程俺を憎んでいる筈だから。

 だが、麻美はひたすら首を横に振って否定する。

 嗚咽混じりの声で、必死に、頑張って言う。

――報復じゃない…聞いたでしょ?敵、私にも関係がある…それを聞く為に私のお墓参りに来たんでしょ?

 ……言われてみれば…確かにそうだ…

 遥香は?そうだ、遥香はどうした!?

 俺は声を荒げて麻美に問い質した。既に答えは解っているのに、問い質した。

――槙原さんは…もう…居ないよ…

 俯き、言葉を選んで選んで言ったような、そんな感じだ…

 解っていた…認めたくなかっただけ…

 お前が死んだ時と同じように…

 俺はお前の墓参りには行かなかった、行けなかったが、遥香には葬儀にも行けないな…

 はは…お前の周りに飾ってあった、百合の花の香りしか印象に無かったが、遥香の場合は俺も死んじゃったしな…

 乾いた笑い、糞くだらない自虐しか口にできなかった。

 今回は俺だけじゃなく、遥香までも…

――違う…今回は一番多い人が死んだの…こんな未来だったなんて…槙原さんに守って貰おうなんて、私が考えなかったら…

 ボロボロボロボロと涙を零す。顔をクシャクシャにして、頻りにごめんなさい、ごめんなさいと謝りながら。

 しかし、俺と遥香と…あと誰が死んだ?

 一年の夏の三人よりも多いって事か?

――楠木美咲は…隆が怖くて逃げて…赤信号を無視して飛び出して…大型ダンプに跳ねられて…

 嗚咽でよく聞き取れないが、交通事故か…

――そして春日響子…は…隆を刺殺した後、持っていたナイフで…自分で首をかっ切って…

 春日さんまで死んだのか…俺なんかの後追いで…

 これで四人…確かに一番多い人間が死んだ…

――そしてもう一人…

 驚いた。もう一人?他に誰が死んだ?

 麻美は喉に何かへばりついたように、何度も何度も声を漏らしながら、漸く言った。

――朋美だよ…

 名前が出た人間は、俺の幼なじみ…須藤朋美…

 流石に信じられなく、何も口から出なかった。

 そんな俺を置いて続ける麻美。

――朋美は……明日……飛び降りて死ぬ…自分を責めて…死んじゃうの……

 明日!?何故解る!?

――隆が死んだ後、視えるのよ…関わった人達の死が…そう言っても、後は大沢くらいだけど…

 取り敢えずヒロは無事か…少し安心したが、何故朋美が?しかも飛び降り自殺? あいつは関係無いだろ?いや、寧ろ俺を意図的に避けていたんだぞ?まさかその避けていた事を苦にしての自殺?

 麻美は首を横に振った。

 何度も何度も振り、口をパクパクと開いた。声が出ないように。

――規定に引っかかって…出ない…でも…もしかしたら、この事かも知れない…

 そう言って顔を上げる麻美。

 泣きはらして目蓋が腫れ、目が真っ赤だったが、力強い光が戻っていたような気がした。

――隆の禊はもしかしたら…知る事。全てを知り、苦しむ事かも知れない。更にひょっとしたら、今まで死んでいた過去は罪じゃなくて恩情かも知れない

 恩情って?悪いけど、俺国語は弱いんだよ。知っているだろ?

 麻美は初めてクスッと笑った。

――弱いのは国語だけじゃないでしょ?

 そう言って、文字通り俺の懐に飛び込んだ。

 あの爆乳は無くなったけど、百合の香りも無くなったけど、あの時と同じ、中学二年の時と同じ、小さくて当たっているのか解らない胸と、優しい香りが鼻腔を擽った。

――今度こそ越えて。全てを越えて。悲しみも憎しみも、弱さも辛さも、何もかも越えて生きて

 その小さな肩を抱き、腰に腕を回して力を込め、抱き締めた。

 俺は…別にいいんだ。このままなら、麻美とずっと一緒に居られるし…

――私の立場も考えてよね?言わば命を交換したようなものなのにさ!!

 ほっぺを膨らまし、胸に顔を埋めてくる。

――恐らく次で最後。私を知った、認めた隆は、多分全ての記憶を持ちながら『戻れる』。記憶を頼りに私を助けてくれたように、あの女の子達を助けてあげて?あの子達は隆が生きてしまった為に命を失うんだから

 思わぬ事実!!

 楠木さんも春日さんも遥香も、俺が生き延びたが故に命を落とす事になっていたなんて…

――無い運命を作ってしまった私の罪を隆が晴らした。あの子達の運命も覆して隆。最後一回、私も力を貸す。だから抗って。隆にしかできない。隆しかやれない

最後の一回…次でラストチャンス…

 そりゃそうだ。今までは記憶が無くなっていたからこそ、やり直せた訳だから。

 今度は違う。今までの全ての記憶を持って戻れるのだから。

 そして俺が生き延びた為に新たな不幸な運命が生まれたのならば、覆すのも俺の使命。

 だから俺は抱き締めた力を更に込めて言う。

 任せとけ。俺が全て覆す。

――そして『敵』の正体もね?

 二つもあったか…いやいや、任せとけって!俺はこう見えても頼りになるんだぜ?腕っ節だけはな。

――頼りになるのは腕っ節だけって…でも、それだけでもかなり変わったよ。中学生の隆は全然全く頼りにならなかったんだから

 笑いながらサラッと傷付く事を言われた。まぁ、確かに事実だから仕方無いけど、もう少しこう、な?

――さてと…

 麻美は俺の胸に腕で突っ張って距離を取った。

 そして優しい瞳で俺を見ながら言う。

――名残惜しいけど、そろそろ戻らなきゃ

 セーブポイントまで戻るってアレか。

 名残惜しいが頼むぞ麻美。直ぐに会えるんだろ?

――うん。今度は私の姿で、おはようって言って起こすから

 ニコーっと。ニコニコっと首を傾げながら笑う麻美。

 この笑顔に俺は助けられてきた。

 中学の時、虐められていた俺を救ってくれたのは、紛れもなくこの笑顔…

 そして今でも俺を救ってくれる。

 だから俺は力強く頷いて目を閉じた。

 次は持ち越せる記憶と、麻美がいる。

 次は、ラストチャンスは必ず俺が勝つ。

 迷いなど無い。安心して暗闇に身を任せる事もできる。

 そしていよいよ意識が遠くなって来た頃…


――大好きだよ隆…


 麻美の優しい、嬉しい声が、心に届いた………

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緒方隆の廻愁奇談録~序章~ しをおう @swoow

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