二年の春~005

 学校に着き、真っ直ぐに教室を目指した。

 遥香から『敵』を、何をしたのかを聞く為に。

 だが、それは出鼻を挫かれる事になった。

 B組教室前で、朋美と春日さんが何か話しているのを目撃したからだ。

 話していると言うか、朋美が一方的に話して、春日さんは俯きながら聞いている感じだ。

 俺は珍しい、いや、珍し過ぎるツーショットに立ち竦んだのだ。

 やがて朋美が笑いながら、春日さんの背中をポンポン叩き、手を振って自分のクラスに戻って行った。

 春日さんは暫くの間、そのままの姿勢、俯きながら立った儘の姿勢を崩さなかったが、やがて教室に戻る為に振り返った。

 その時俺達の目が合った。

「……緒方君…」

 俺の顔を見るなり、眉尻が下がり、泣きそうな表情になる春日さん。

 漸く踏み出して、春日さんに近寄って行く。

 春日さんは慌てて教室に引っ込もうとしたが、俺はドアを手で押さえ、それをさせなかった。

「なんでそんなを顔している?朋美に何か言われたのか?」

 春日さんは暫く俯いていたが、やがて力無く頷いた。

 あいつ…俺に意味も無くキレて無視した挙げ句、春日さんに何か言って困らせたのか…

 正直ムカついた。

 俺に何かあるのなら直接言えばいいのに、春日さんに八つ当たりみたいな真似をしたのか?

「……聞いたの…」

「何を言われた?」

 場合によっては絶交も有り得る。

 あいつは思い通りにならないとヒステリックになる時がある。小さな頃からの困った性格だ。

 麻美もそれに苦労していた。春日さんにまでそんな真似しやがったら…

「……緒方君…槙原さんと付き合ったんだよね…」

「うん?」

 裏返った声で聞き直した。動揺したのだ。

 いや、それは事実だし、別に隠し立てする事でも無いのだが、虚をつかれたと言うか何と言うか…

「……須藤さんに…今さっき聞いたの…」

「そ、そうかぁ」

 またまた裏返った。何故か後ろめたい気持ちでいっぱいだった。

「……じゃ…」

「あ、うん…」

 今度は教室に入るのを邪魔をせず、寧ろ身体を引いて促した。

 春日さんは俯きながら教室に入った。

 一人残されて改めて思う。

 何故朋美が、わざわざ春日さんに、そんな事を言う必要がある?

 頭がチリチリと痛み出した……

「オス。彼氏」

 そんな俺の肩をポンと叩く、巨乳で可愛い彼女さん。

「…オス…彼女」

 とは言っても、さっきのダメージ(?)を引き摺ってか、テンション低めで返した。

 途端に心配そうな表情になった遥香。

「何その顔色?また頭痛?保健室行こっか?」

「…二人っきりで保健室ってエロいよな」

「お望みなら…だけど初体験はもっとムードある所で…じゃなくて」

 真剣な顔つきになって両手で俺の顔を挟み、顔を近付けた。だから近いって。

「いつもの調子じゃない!そんな死にかけのボケに突っ込んでらんないよ!!」

 いや突っ込んだじゃんか。寧ろ乗ったじゃんか。

 まぁいいや。俺も本題に入ろう。

 俺は挟んでいる手を掴み、引き寄せた。

 ぱゆんと胸が俺の身体に当たる。

 感触を味わうのもそこそこに、その儘腕を背中に回して抱き寄せる。

「ち、ちょ、人前でこんな…」

 人前どころか、場に居る全員全てが俺達を見ただろう。

 だが、俺は気にしない。些細な事に気を取られている暇も無い。

「お前の知っている事…全て言え」

「し、知っている事って?」

「誰が俺の『敵』だ?」

 遥香の身体が硬直した。だが、やはり胸は柔らかかった。やっぱ感触を味わっていたとか、やっぱ俺は色々残念だなぁ。

「俺が殴れない『敵』って誰だ?そいつは何をしたんだ?お前は何をやろうとしている?」

「だ、だから言えないって…言ったら傷付くってば…」

 軽くもがき出した遥香。ならばと、背中に回したいる腕を強めた。

「この儘お前の胸の感触を堪能してもいいんだが、流石に学校じゃなぁ。早く離したいから言え」

「え~?学校じゃなきゃもっと抱き締めてくれるって意味?」

「調子出て来たじゃねーか。その調子で早く言え」

 遥香は暫く黙って、軽く溜め息をついた。

 そして無理やり俺に腕を突っ張って脱出する。

「解った。言うよ。だけど、今は駄目」

「今は駄目なら明日かよ?」

「そうだね…日曜日に麻美さんのお墓に連れて行ってくれるなら、その時に話す」

 麻美に拘るな?

「俺は確かに麻美をまだ好きだけど、あいつは死んだ。俺はお前が…」

「そうじゃない」

 ピシャリと発言を制して続ける遥香。

「麻美さんの件にも関係あるから、麻美さんにも話を通しておこうと思ってね」

 麻美の件にも関係があるだと?

 意味がよく解らないが、俺はその条件を飲む意向を示して、頷いて応えた。

 そして二人で教室に入ると、好奇な視線を一斉に浴びる中、ただ一人心配そうな里中さんがいた。

 そんな里中さんは、俺が椅子に座ると近寄って来る。

「遥香っちと何か揉めたの?」

 それは不安いっぱいな表情。いい子だよなあ。心配してくれてさ。

「いや、全然?」

 横目で遥香を追う里中さん。

 遥香も笑顔で頷く。

「良かったあ。喧嘩したかと思ったよ」

「はは。俺達仲良しだから。里中さんの質問に答えたんだから、俺の疑問にも答えてくれるか?」

「ぎくっ」

「口で言うな。その調子じゃ、何を聞かれるか解っているようだな」

 里中さんは目が泳ぎ捲りだった。どうやら隠し事は向いていないらしい。

「さとちゃん、あの事以外なら言っていいよ。あの事は日曜日に隆君が約束守ってくれたら言うから」

 里中さんは助け舟を出した遥香を、目が零れ落ちるんじゃないかと思う程見開いて凝視した。

「え?本当?『あの事』は禁忌の筈じゃ…」

「愛するダーリンの抱擁と引き換えにされちゃ、言わざるを得ないわ」

 大袈裟に肩を竦める遥香。

 つか抱擁って。今更ながら顔が火照った。

「抱擁かぁ。あんな事学校でしちゃいけないと思う」

「いきなり真面目になるな。抱擁とか言うな」

 かなりハズい。

「私の彼氏もあれくらい大胆だったら…」

「やめろ。学校でやるな、目の毒だ。そんな事より、何故遥香といきなり仲良くなった?」

 ヒロから聞いているから大体の予想は付くけども、一応な。

「そんな事?あれってそんな事で済むの?緒方君そんな事程度で愛するハニーを抱き締める訳?」

「やめろ。いじるな。広げるな」

 里中さんってこんなにSっ気があったのか…彼氏に会ってみたいな。普段どんな感じで付き合っているのか、実に興味深い。

「だからそんな事程度…」

「俺が悪かった!!」

 謝った。これ以上広げられたら精神的にキツいからだ。

 里中さんは大袈裟に胸を張り、ムッフーと偉そうに鼻で息を吐く。

「まぁ許してあげましょう。遥香っちの愛する愛するダーリンを、これ以上虐めてもね」

「それは助かる。で、何でいきなり仲良くなったんだ?」

 漸く本題に入れた。長かったが一安心だ。

「遥香っちに教えて貰ったから」

 ……何を教えて貰ったか知りたいんだが、これが禁忌の一つなんだろう。

 ヒロも多分教えてくれない。

「解った。ありがとう里中さん。俺を気遣ってくれてんだな」

 俺が果てしなく傷つくらしい『禁忌』の一つを言わないのは、里中さんも俺を気遣ってくれているのだ。

「えー…気遣いとか…照れるなぁ…ねぇ遥香っち、緒方君貰っていい?」

「何をサラッと怖い事を言ってんだよ!」

 勿論冗談なのだろうが、遥香が微妙に引きつって笑っているのが生々しかった。


 遅刻ギリギリに飛び込んで来たヒロにも一応聞いたが、やはりはぐらかすのみだった。

 仕方無いが、やはり日曜日に麻美の墓参りに行かないとならない。

 ……つか、墓参りなんて初めてか…

 正直キツいものがあるが…ケジメってのをつけないとな…

 踏ん切りがなかなか付かなかったが、これも遥香のおかげだと言う事にしよう。

 隣の席をチラ見する。

 黙々とノートに写している遥香。

 真面目だなぁ。真剣な顔も可愛いなぁ。

 じっと見ていると、不意に遥香がこっちを見た。

 目が合った。

 遥香は笑って写したノートを俺に見せた。つか黒板くらい俺も写しているっつーの。

 そう思いながらもノートを見る。

「漫画描いてんじゃねーよ!!」

 思わず普通に突っ込んでしまった。

 クラスメートが全員俺を見る。

「ど、どうした緒方?」

 先生も驚いた様子だ。

「いえ…すいません…」

 謝罪し、肩を落とす俺を見て、ケラケラ笑う遥香。

 この女は、何を四コマ漫画描いて遊んでんだよ。授業中だぞ?

 しかも少し面白いじゃないか。

 俺はノートを引ったくり、続編希望と書いて返した。

 遥香は胸を張りながら頷くと言う、離れ業を見せた。


 さて、日曜日までまだ四日程あるな。

 それまで少し気になる事でも調べておこうか。思い立ったが吉日とも言うし。

 早速休み時間に春日さんに会いに行く。

 B組の教室を覗き込むと、やはりいつも通りに真ん中の席で俯いていた春日さん。

「春日さん」

 呼んだ俺をB組の連中が一斉に見る。

 呼ばれた本人は肩をビクッとさせて、頑なに俯く姿勢を露わにする。

 ならばと、B組に踏み込み、春日さんの前の椅子にどっかと座って春日さんを向いた。

「そ、そこ僕の席…」

「ごめん、ちょっと貸して」

 いきなり席を奪われたポッチャリ系男子に許しを得て、春日さんをじっと見る。

 震えながら俯き続ける春日さん。

「なんで避けるの?」

 回りくどい話し方なんかできない俺は、単刀直入に聞いた。

「…………」

 沈黙。これも予想していたから、特に気にしない。

「何か悪い事した?だったら謝るよ」

 すんごい微かに首を振る春日さん。

 この微妙な動きは、恐らく俺にしか解らない。

 俺は春日さんに悪い事をした訳では無い事が、これで解った事になる。

 ならば、質問を変える。

「俺が遥香に何を聞いたと思ったんだ?」

 ピクリと身体を震わせ、だが俯いた儘な春日さん。

 遥香から何か聞いたので俺を避けた。これは間違い無いだろう。問題は何を聞いたと思ったかだ。

「俺は遥香から何も聞いてないよ」

「…………はるか…」

 ん?

「……はるか…槙原さんの名前…」

「ん?ああ、そうだけど…」

 名前を知っていたんだと言おうとした。会話して何とか突破口を開こうと目論んだのだ。

 だが、俺は絶句せざるを得なかった。

 春日さんがポロポロポロポロ涙を零したのだ。

 かなり焦った。端から見れば俺が何かやったように見える。

「ち、ちょ、春日さ…」

「……予鈴…もう直ぐで休み時間終わるよ…」

「い、いやそうだけど、そんなのどうでもいいから…」

「……辛いから…もう来ないで…」

 眼鏡をずらして涙を拭き、次の授業の準備を始めた春日さん。

それは明らかな拒絶。

 意思表示をあんまりしない春日さんだが、こんなに露骨に無視を決め込まれる程、俺は春日さんの『禁忌』に触れ、春日さんを何かしらの理由で深く傷付けたのか…


 すごすごと教室に戻ると同時に鐘が鳴る。

 ほぼ同時に先生がやって来て、授業を始める。

 そして俺は当然ながら、授業は頭に入らない。

 春日さんを何かしらの理由で深く傷付けた。

 その一点で、自責の念に駆られて、窓から飛び降りたいくらいだった。

 早まったか?素直に日曜日を待てば良かったのか?俺の足りない頭で、どうにかしようなど、烏滸がましい事だったのか?

 頭を抱えて丸くなる。

「先生」

 いきなり遥香が挙手し、立ち上がる。

 みんな遥香を見た。当然俺も。

「緒方君が、頭が痛いようなので保健室に連れて行きます」

 流石保健委員。

 緒方君とやらが頭が痛いから連れて行こうと。

 優しいなぁ…遥香は優しい。

 って…

「え?緒方君?」

 緒方君は俺じゃねーか?確かに頭は痛いが、保健室に行くとか行かないとかのレベルじゃない。

 いきなり何を言い出すんだこいつは?

 呆けながら遥香を見ていると、俺の腕を取りって無理やり立たせて、その儘引っ張って教室から出た。

 つか、まだ先生から許し貰って無いだろ?

 唖然とする俺を余所に、遥香は俺を引っ張りながらズンズン保健室に向かった。


 俺は遥香に保健室に『放り込まれ』て、当の遥香は素早くドアを閉じる。

 勢い良く放り込まれたので壁に激突しそうになったが、持ち前の反射神経でそれを辛うじて回避して遥香に向く。

「いきなり何すんだ!?」

 流石に抗議しなければならない仕打ちだ。

 文字通り詰め寄った俺。遥香とおでこがくっつきそうになる程接近した。

「ん」

 いきなり遥香が目を閉じて唇を突き出して来た。

「何をやってんだお前は!!ただでさえ保健室はエロいってのにっっっ!!」

 慌てながら高速で後退りした。

「別に減るもんじゃないし、構わないでしょ?」

 此方はあっけらかんとしたものだった。

 そして椅子に座る遥香。

「さっきの休み時間、春日さんに会いに行ったでしょ?」

「ああ、お前が何を言ったのか聞きにな」

 別に隠す事でも無い。言わないなら言ってくれそうな人を頼るだけだ。

「そんなに気になる?春日さんに話した事は、確かに隆君の件とは無関係だけど…」

 無関係なら言え。

 しかし遥香は目を逸らして、椅子を回転させて、やり過ごそうとした。

 遥香の肩に腕を突っ張って回転を止めて、再び接近した。

「ズルい取引とか言っていたな?それは取引になるのか?」

「…なった。少なくとも私が隆君と仲良くなるまでの時間は作れた」

 ……なんか微妙に嬉しいな、おい。

「聞きたいのなら教える。けど、春日さんはきっと隆君に知られたくないよ?」

 脅迫みたいだなこの展開。知るも知らぬも自己責任か。

 こんな感じで『交渉』しているんだろうなぁ。

「言っておくけど、敵とするならもっとえげつないよ。流石に春日さんにはそこまでできないけどさ」

 もっとえげつないのかよ。敵に同情してしまいそうだ。

「だけど春日さんには通じた訳だろ。俺の預かり知らない所で、俺に関係した事を俺に無断で」

「…………」

 よし黙らせた。軽くガッツポーズをする。も、そんな事は不謹慎な事を遥香は発した。

「春日さん、中学の頃、父親に性的虐待を受けていたの」

 頭が真っ白になった。いや、色々と理解が追い付かなかった。

「それを知った母親は、春日さんを引き取って離婚。だけど自分の夫を寝取られたと感じたのか、春日さんを一人離れたアパートに住まわせて、自分は以前から勤めていた病院の傍に家借りて住んでいるの」

 ちょっと待てよ…

 何だよそれよ…

 春日さん全然悪くねぇじゃねえか…

 そんな事を取引材料にしたのかよ……!!

「母親も色々悩んでいたらしくてね。鬱になっちゃって。看護士だから、色々な薬を手に入れる事だってできるみたいで。例えば睡眠薬とか覚醒剤みたいなものとかさ」

 敢えて最後まで言わず、遥香は含みを持たせて喋るのをやめた。

 結構な沈黙の時間、いや、時間にして一分も無いかも知れないが、長い時間沈黙していたような気がした。

 だが、俺は漸く振り絞るように口を開いた。

「それで…お前は春日さんと…どんな取引をしたんだ…?」

「…隆君に黙っててあげるから、ちょっとだけ距離を開けて、って」

 考えるよりも身体が先に動いた。

 俺は遥香の首を掴み、その儘ドアへ押し込んだ。

 回転椅子に座っている遥香は、簡単にドア側に身体を押されて苦しそうな顔をした。

「…ぐっ…」

 首を絞められたような形となった遥香。だが、俺は力を緩めようとは考えなかった。

「…春日さんがおかしくなったのはお前の仕業か」

「…ぐっ…そ、そうだよ…だ…だけど…私はせめて春日さんと同じ距離になるまで距離を開けて…って言った…」

 苦しいだろうが、遥香は俺の手から逃れようとも、抗おうともしなかった。

 しかし、その代わりに言葉を続けた。

「逆に聞くけどさ…春日さんの秘密を知ったからって、隆君は春日さんから離れる訳?」

 微かに笑いながらの質問…それは返事が解っているような質問だった。

「過去がどんなか関係あるか!俺は俺で春日さんは春日さんだ!!」

「だ…だよね…隆君は女子の過去云々に拘る男の子じゃない…だけど…春日さんは『嫌われる』と思って距離を置いた…解る?」

 漸く抗って手から逃れ、大きく息を吸い、呼吸を正す。

「私にしてみれば賭だったよ?春日さんが隆君を信じてれば、成立しない取引だったから」

 言われて固まった。

 実際の所は解らないが、それは確かに遥香の言う通りだ。

 固まった俺を視認し、ベッドへ移動して座る遥香。そして続けた。

「信じる信じない以前に、そんな過去を知られたく無いって気持ちは解るけど、確かに返事はしなかったけど、結果春日さんは取引に応じた。そして私は晴れて隆君と同じクラスになれました。此処で取引終了。距離を大分詰めた筈だったからね。そして私はその旨を春日さんにちゃんと言ったよ?」

 だけど春日さんのよそよそしい態度は変わらなかった…

「春日さんが動かなかった、動き方が解らなかったのは私の責任じゃない。私はそこまでお人好しじゃない。確実にチャンスは物にする」

 春日さんは弱いから何も出来なかっただけだろうけど…遥香に正当性を感じる必要は無いんだろうけど…

 それは確かに遥香の言う通りだった…

「お前はどうして其処までして俺を…?」

「私は豊満な胸のダイナマイトボディの持ち主でして。痴漢によく遭うし、絡まられる訳ですよ」

 聞いたよそれ。つうか自分で言うな。

「隆君だけは、単に自分が気に入らないだけとは言え、私を一切『見なかった』。豊満な胸も、スラリと伸びた脚も、このぷりっぷりな唇もね」

 だから自分で言うな。

「私は見られる事に慣れているのですよ。下心だけの男共の視線を、ウンザリする程浴びている訳です」

「俺だって見てるいよ。下心で」

 大袈裟に肩を竦めて笑う遥香。

「知っている。だけど『見ていない』。いや、胸もひっくるめて、見てくれているってのが正しいかな」

 そりゃお前は話上手だし、突っ込みやすいボケをかましてくれるし…

 頭も良いし、可愛いし、何より強いし…

「何より…隆君、格好良いし…容姿も勿論だけど、それ以上に…その鍛え上げた拳の理由が格好良い…」

「単に気に入らない奴等を殴り倒す為の凶器だよ…」

 俺の拳は復讐の為、クズ共より優位に立つ為のただの武器。それ以上でもそれ以下でも無い、ただの凶器なんだよ…

 その凶器をそっと握る遥香。

「元々才能はあったと思う。だけど、あの短期間で其処までのし上がった努力…本当に格好良い…決して誉められた理由では無いにしろ、なりたい自分になれたのは紛れも無い事実」

 確かにそれは…その通りかも知れないが…

「ね、保健室ってエロいよね」

 いきなりシリアス展開から脱する発言をした遥香。

「お前はいきなり何言い出すんだよ!しんみりした雰囲気ぶち壊しだ!」

「だってベッドに座っているし。ベッドだよ?ベッド!!」

「じゃあ座らなきゃいいだろが!!つか保健委員!保健室で長話し過ぎだろ!教室に戻れ!」

 我に返ると、結構な時間保健室で話している。流石に先生とかヤバい。

「じゃ、立たせて?」

 手を伸ばす遥香。

 俺はその手を取り、引っ張り上げる。。

 遥香の軽い身体は簡単に上がり、そのまま俺の胸に飛び込む形となる。

 髪の匂いが鼻腔をくすぐったかと思うと、俺の唇に柔らかい物が触れた。

「あはは~。ファーストキスでした」

「おっ!お前っ!いきなり何をっっっ!?」

 テンパる俺。ハンパ無く心臓が高鳴っている。

「ベッドあるよ?」

「しねぇよ!とっとと教室戻るぞ!!」

「はぁい」

 俺の腕に必要以上に絡みついてくる遥香。それを振り払う事もせず、唇の余韻と肘に当たる柔らかい感触に浸りながら、教室に戻った…

 教室に戻ると、やはりと言うか当然と言うか、好奇な視線が俺達を貫いた。

「緒方、もう大丈夫なのか?」

「はい、頭痛薬を飲んだら良くなりました」

 本当は頭痛薬なんか飲んでいないのだが、これぐらいの嘘は許して貰おう。

「そうか。無理はするなよ」

 言われながら授業再開。

 授業自体が俺の脳に無理を掛けているっつーの。

 そう思いながら隣の遥香をチラ見すると、超高速で黒板を写しているじゃないか!!

うわズルい。

 俺も負けじとミミズの這ったような字でノートに書き写す。

 頭も末期なら字も末期だぜ俺は。

 必死で写している最中、やはり遥香をチラ見すると、既に書き写したようでリラックスしている。

 なんだそのスピードは?ちくしょう負けられねぇ。いや、既に負けているが、ここは意地だ。

 俺はヒーヒー言いながら、続きをノートに書き写した。


 それからの四日間は大人しく過ごした。

 日曜日、麻美の墓参りに行けば全て教えてくれる。

 普通は彼氏に言わないだろう、狡い取引の全貌を晒した遥香だ。

 下手な隠し事なんかしない。完璧に信用しても大丈夫だ。

 結果俺がどうなろうが、遥香だけは味方でいてくれるだろう。

 深く傷付いたとしても、遥香が俺を優しく包み込んでくれるだろう。

 心地良い安心感を得た俺は、連日深夜に大量に来る非通知着信も気にならなくなった。

 せこい嫌がらせなんかどうでもいい。遥香が俺の味方でいてくれる限り、大抵の事は大丈夫、屁でも無い。

 一応非通知着信の件を遥香に話した時の事。

「ふーん…あの子らしい陰湿さねぇ…」

 もうこれ犯人を既に知っているだろ、的な口振り。それだけが気になるが、それも日曜日解る事だろう。

 そして明日、日曜日…

 俺は電気を消し、ベッドに潜り込んだ。

 麻美…

 明日漸く会いに行ける…遥香のおかげで、漸くだ…

 睡魔が一気に襲って来て、いよいよ深い眠りに入ろうとした瞬間…


――待ってる…


 それは紛れもなく麻美の声…

 あの耳障りな笑い方も一切無く、俺を待ってると…

 行くよ麻美…

 全てを乗り越える為に…大好きだったお前に会いに行くよ…


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