二年の春~004

――ねぇ…付き合うの?


 そいつはいきなり現れて、唐突に言う。

 だが、俺はそいつに会いたかった。

 聞きたい事が沢山あったから。

 昼に耳元で囁かれた時、俺はこいつを麻美と認証していた。何の違和感も無く。

 だが、麻美は漫画キャラに酷似していない。

 胸だって…まだ中学生だったから…

 お前…本当に麻美か?

――あの子と付き合うの?

 俺の問い掛けに全く返事もせず、同じ質問を繰り返した。

 見ていたんだろ。見ての通りだ。お前は麻美なのか?

――二年の春は三回しか経験していないから何とも言えないけど、気をつけて…

 女は笑った。

 寂しいような、でも喜んでいるような、そんな笑顔だった。

 お前は麻美なのか!?

 対して、声を荒げて聞き直す。

 女はいつものように、暗闇に紛れて見えないのか、元々そう言う性質なのか、見えない椅子に座って脚を組み直す。パンツが見えそうだったが見えなかった。残念。

――どうしてそう思ったの?

 伏せ目気味ながらも俺から視線を外さず、逆に聞き返して来た。

 俺がその漫画キャラを好きだと知っているのは麻美だけだ。

 いや、もしかしたら朋美にも言った事があるかも知れないが、あいつは生きている。

 そして、その『瞳』。

 厳しいながらも、綺麗系な目は麻美じゃない。

 麻美はもっと目がデカかったし、睫毛もそんなに長くは無かった。

 だが、瞳だけは…似ている…

 俺を見ていた麻美の瞳と同じ瞳…

――その子は享年14歳…でしょう?こんなにスタイルが良かったかしら?好きだった漫画キャラはこんなに胸が大きかったの?

 そうだ。身長も麻美の方が低いし、漫画キャラを模して現れているとしても、胸が違う。

 あっちは二次元だから良く解らないが、漫画キャラの胸の設定はこの女よりも小さかった筈だ。

 いや、待てよ…

『以前から知っているこの女』は、こんなに胸が大きくは無かった。

 いきなり急成長したような、そんな感じだ。

 これじゃまるで…

 槙原さんじゃないか…

 女は笑う。いつもの耳障りな笑い方で。

――クスクスクスクスクスクス…槙原遥香と私…どっちが良かったかしら?

 その言葉を受け、俺は知らず知らずに拳を握り硬めた。


 ………

 いつもの時間、ロードワークの時間きっかりに目覚めた。

 上体を起こし、寝汗でぐっしょり濡れたシャツだけ脱ぎ捨てる。

「ちくしょう…」

 逃がした。

 また肝心な所を聞く前に目覚めてしまった。

 いや、煙に撒かれたと言った方が正しいかも知れない。

「なんであんなに胸…俺の背中に押し付けていたのはあの爆乳だった…のか?」

 いや、それよりも、何故あれほど急成長した?

 何の意味がある?


 私と槙原遥香とどっちがいい?


 この言葉の真意は?

 ただの軽口か?それともいつもの警告か?

 …いつもの?

 俺はいつも警告を受けていた?

 いや、記憶にはあるが、実際にはどうだ?

 あの頭痛が警告ならば今回は然程でも…

 …今回?

 く…訳が解らない…

 頭を振ってスマホを開く。

「う…!?」

 画面を見て、引き攣ってしまった。

 非通知着信。

 深夜から今朝方まで、実に100件以上。非通知で誰かが掛けていた。

 それも、俺が寝た時間を知って掛けてきている。

 まるで見計らったような、いや、見ていたような…

 薄ら寒くなり、カーテンを開けに飛び起きる。

「…………マジかよ…」

 愕然とした。

 俺の部屋が見える道路に、ジュースの空き缶が三本。ゴミを入れたであろうコンビニ袋が一つ、転がっていた。

 やっぱり見ていたんだ…俺が寝た時間を見計らって掛けていたんだ…

 しかし、一体何のために?

 嫌がらせ?それとも……


――知ったからよ…


 耳元で麻美…いや、あの女が囁いた。

 振り返っても、当然ながらあの女はいない。

「……何を知ったっつうんだよ…」

 独り言のように呟くも、返事は無い。

「何なんだ一体…何が起こった?」

 いや、何が起ころうとしている?

 こんな事を考えている間にも、マナーにしたスマホが、着信を知らせる為に光っていた…

 躊躇した。出るのを躊躇った。

 だが、俺は出た。

 先が見えないならば、虎穴に入る事も必要だ。

「…もしもし……」

『……………………』

「……お前…誰だ?」

『……………………』

「無言か。いいだろう。よく聞け…暇な事すんな。迷惑だ。解ったか!!」

 勢い良く電話を切る。

 そして速攻で非通知は受け取らない設定をした。

 チカチカ光った。だが相手側にはワン切りになった筈。

 またチカチカ光った。

 また…

 やがて諦めたか、着信を知らせる光が止まる。

「電池消耗しろクズが」

 気持ち悪い。

 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い……

 犯人が解った時点で殴り殺しそうだ。

 イライラして仕方無い。

 ロードワークに出る気分でも無ければ時間も無い。

 俺は時間が無い時には、学校まで走る事にしていたが、今日もロードワーク代わりにそれを行う事になった。


 靴箱に勢い良く靴を放り込み、八つ当たり気味に上履きを床に叩き付けて、それを履いた。

 周りの同級生達を吃驚させて、申し訳無いとは思ったが、細かな八つ当たりとして勘弁して貰いたい。

 見上げると、朋美が俺の前に不機嫌な表情をして歩いていた。

 朋美も意味が解らん。何故俺を避けるのかがさっぱりだ。

 首を捻って後を付いて行く形になる。

 その時背中を叩かれ、後ろを向く。

「オス、彼氏」

「ま、槙原さん…声デカい…」

 何故か慌てる俺。多分慣れてないからだ。うん。

「なんで?彼氏彼女でしょ?」

「い、いや、そうだけど…」

 言いながら周りを見ると、同級生の好奇な視線が俺達を貫いていた。

 だが、その中、振り向きもせずに肩を震わせている朋美。

 言いながら周りを見ると、同級生の好奇な視線が俺達を貫いていた。

 だが、その中、振り向きもせずに肩を震わせている朋美。

「て言うか、槙原さんはやめて、ダーリン」

 朋美が足音を大きく立てて歩き出した。

「え?じ、じゃあ……遥香?」

 槙原…遥香はすんごい可愛らしい笑顔を浮かべ、腕を組んで来た。おっぱい当たってる~!!

 一気に今朝方の不愉快な出来事が吹っ飛んだ。かくも女子のおっぱいは偉大なものだな。これは良いものだ。

 その隙と言うか、何と言うか解らないが、とにかく朋美は一切俺達を振り向く事無く、必要以上に足音を立てて自分の教室に入って行った。

 ドアを必要以上に勢い良く開け、必要以上に勢い良く閉じて。


 槙原…遥香に腕を組まれた儘教室に入ると、案の定ざわめきと好奇の視線を浴びる羽目になった。

 真っ先に声を掛けて来たのが、比較的仲良しの部類に入るであろう、さとちゃんこと里中さんだった。

 とは言えメアドも知らないんだが。

「う、おぉぉ~…やっぱり本当だったんだぁ…」

 腰を引かせて摺り足で俺達に接近すると言う、離れ業まで繰り出して驚いていた。

「やっぱりって、知っていたみたいな言い方だな?」

「あ、うん。昨日朋美から電話で聞いたから」

 は?何故あいつが知っている?

 呆けている俺の肩をトントン叩いて振り向かせる槙…遥香。

「昨日デート終わってから、自転車取りに家寄ったじゃない?」

 そうだ。プールデートがオシャカになり、俺達は大通りに出て適当なファミレスに入った。

 そこで飯食いながらお喋りし、結構な時間が経過したので、駅を探してそのまま家に帰った。

 遥香のチャリを取りに俺の家に寄り、丁度夕飯時間だったからついでにと、お袋が遥香を夕飯に招き、後は時間の許す限り、俺の部屋でお喋りしたんだ。

「帰る時、隆の家の前で須藤さんと遭ったんだよねぇ」

 朋美と俺の家の前で『遭った』だと?

 だが、まぁ家はご近所だし、有り得ない話じゃないが、『会った』じゃなく『遭った』とは。

 文章じゃなきゃ解らない所だが、ニュアンスが違う。

「だからついでに報告したのよ。彼氏ゲットしましたって」

「ポケモンじゃねぇんだから。ゲットとか言うな」

「サトシと隆って一文字違いだよね」

「ハルカって奴も居ただろうが!!」

 確か二代目ヒロインだったような。

「ちょ、え?何今の流れ?槙原さんボケ?」

 たまらず割って入る里中さん。

「付き合う前からこんな調子だ」

「まぁね。変わんないよね」

 里中さんは、はぁ~と感心する。

「でも、わざわざ里中さんに電話して教える意味が解らん。朋美には避けられ中だし」

「まだ避けてたのあの子?だから負け…まぁ、それはいいか。取り敢えずおめでとう。お似合いだよ」

 おめでとうとか、お似合いとか、普通に嬉しい。

「あはは~。ありがとうさとちゃん」

「さとちゃん!?」

 いきなりフレンドリーに呼ばれて声が裏返った里中さん。遥香のキャラがいまいち掴めないのは俺だけだろうか?

 そんなこんなで話をしていると、ヒロが登校した。

 つまりは、もう直ぐでホームルームだと言う事になる。

「よぉヒロ」

 挨拶するも、無視するように自分の席から教科書類を取り出し、俺の前を通り越して遥香の席にそれを置いた。

「大沢君、これは何の真似?」

「席代われよ槙原」

 いきなりの申し出に、流石に唖然とした遥香。

「どうした?早く代われよ?ホームルームが始まっちまう」

「い、いきなりなんで?」

「隆の隣がいいんだろ?」

 ポカンとした俺だが、直ぐ様訊ねた。

「あ、あれ?お前俺達の事知ってんの?」

「あー。昨日須藤からメールで聞いたよ。俺はお前がいいならいいんだから、別に槙原を選んでも構わないんだよ」

 すごぉく良い顔で笑いやがるヒロ。

「え?大沢君私の事嫌いじゃかったの?」

「やり方が気に入らないってだけで、別に嫌いじゃねえよ。あっちも誉められた真似してねぇしな。まぁ、これから馬鹿な残念頭を何とかしてやれよ」

 早く退けと手の甲で追い払う仕草をするヒロ。

 こいつ…こんなに格好良かったっけか?

 俺はかなぁり首を傾げた。

「ありがとう大沢君…隆君の次に格好良いよ!!」

 遥香は笑顔で返し、直ぐに教科書と鞄を退けて、俺の隣に座った。

「あの馬鹿の次なのか…」

 苦笑いしながら、ヒロも新しい席に座る。

「お前、格好良いよ…俺の次だけど」

「自分で言うな残念頭。つか、あの爆乳…お前の物かぁ…羨ましい…」

 俺の物じゃねーよ!と突っ込もうとした矢先。

「そ。この豊満な胸は隆君の物。だから大沢君は遠目で眺めるだけね」

「眺めるのはいいのかよ!!」

 突っ込みを変える羽目になった。

「隆君は触ってもいいんだよ?」

 そう言って胸を突き出してくる。

「触るか人前で!!」

「つまり人前じゃなければ触る、と?」

「ぐ、さ、触らねぇよ…」

「じゃ、眺めるだけ?」

「お前は一体俺に何を言わせたいんだ!!」

 ボケが段々と見境なくなってきている感がする。

「槙原ってあんなキャラだったのか…」

 流石のヒロも若干引いていた。

「まぁ、お前にはお似合いだ」

 最後に誉められたのか貶されたのか解らない、微妙な感じで言われた。

 だがお似合いは嬉しかった。

 昼休み。いつもはヒロと教室で弁当をつつくのだが、今日からは違う。

「隆君、お昼だよ。お弁当食べよ」

 爆乳をグイグイ押し付けて来て、あわあわしている俺の手を取って学食に突っ切った。

 食券を買えばカレーやらラーメンやらが安く食える、普通の学食。勿論ここで弁当を食う事も自由。

「昼休みに姿が見えないと思ったら、学食派だったのか」

「今日は違うよ。お弁当」

 そう言って小さな弁当を開ける。

「じゃあ教室でもいいんじゃねーの?」

 わざわざ貴重な昼休み時間、移動して持参した弁当を食う。少しばかり時間が惜しい気がするが。

 と言っても、春日さんと図書室でパン食ったり、楠木さんと中庭で弁当を食ったりする時間が惜しいとは思わないが。

 はて?

 春日さんは兎も角、楠木さんと一緒に昼飯食った事なんか無い筈だが、何だこの疑心感?

 たまに、いや、しょっちゅう感じるデジャヴ…

 俺は何回か繰り返し、此処に居ると、たまに感じる事がある。

「この窓際の席がお気に入りなんだよね。中庭も見えるし、図書室も辛うじて見えるんだ。って、どうしたの?ぼーっとして?」

「ん?あ、ああ…何でもないよ」

 慌てて窓から外を眺める。

 右下方向は中庭。ベンチで昼休み時間中を過ごしている生徒達の姿が見える。

 身体を反転させると、左側上に確かに図書室の一部が見える。あの席はたまに俺と春日さんが昼休みを取った席だ。

 つまりは遥香に、俺が春日さんと仲良く昼飯を食っていた所を見られていた訳か…

「大丈夫。私は浮気には寛大だから」

 弁当を広げようとした手が滑った。

「う、浮気じゃねーだろ。あの時はまだ付き合っていなかった…」

「いやいや、これからの話だけど?え?あの図書室で可愛い可愛い春日さんと一緒にお昼を過ごした事を引け目に感じているの?」

 こ、この女…

 引きつりながら笑う俺。

「私は浮気には寛大だよ」

 小首を傾げてニコッと笑う。浮気なんかしたら、精神を壊されそうだ…

 俺はただ頷いて、お茶を濁した。

「隆君は女子に人気があるからね。浮気は仕方ない。仕方ない」

 おかずを突っついて、仕方ないを連呼する遥香。

「女子に人気があるって初耳だ」

「そうでしょ。誰も隆君に近付けなかったから」

 ………意味深な台詞だが?

「それって、ひょっとして俺が女子と仲良くなるのを邪魔している奴がいるとか?」

「そうだよ」

 おかずを吹き出しそうになった。冗談で言っただけなのに。

「だ、だが俺は中学時代から…」

「だから中学時代から邪魔されているって事でしょ」

 平然と言う遥香…

 え?俺って中学時代からそんな仕打ち受けてんの?何の為に?

「あ、麻美は俺と…」

「麻美さんかぁ…ね、今度お墓参りに連れて行ってよ」

「だ、誰の墓を参るんだよ?」

「麻美さんに決まっているでしょ」

 だから何の為???

「あ、付き合った報告とか?」

 おどけるように言う。

「何言ってんの?」

 真顔で否定された。

「今度から私が隆君を守るから心配しないでって言いに行くのよ」

 訂正して発した弁は、俺の予想を遥か上回った。

「え?俺お前に守られるの!?」

「『お前』なんて…『あなた』って呼べって意味かなぁ?」

 頬を赤らめて照れる遥香。可愛過ぎる。じゃねぇよ!

「ち、ちょっと待て!俺は誰かに守られなきゃ生活できない状態なのか?」

「大袈裟だけど、近いかも」

「じゃ、俺を狙っている奴の名前は?先制攻撃でぶち砕いてやる!!」

 麻美…

 麻美も俺を守る為に代わりに死んじまった…遥香まで殺されてたまるかよ…!!

 弱い者虐めしかできないクズ共によお!!

「こらこら。拳を握り締めない。隆君の拳は凶器」

 言って俺の拳に手を添える遥香。

 だが、俺は力を緩める事ができない。

「糞共にこれ以上いたぶられてたまるか!その為に俺はジムに通ったんだよ!!」

「それが勘違い」

 怪訝な顔をしただろう。そんな俺を読んで遥香は続けた。

「隆君は絶対に殴れない。本当の敵はそんな人。勝てるのは私だけ」

 本当の敵…

 それから遥香は、名前を聞いてもはぐらかし、あからさまに拒否をする。

 私に全て任せなさい。と笑いながら。

 そして全てのカリキュラムが終わり、帰宅する時間となった。

 遥香に帰ろうぜと言おうとした矢先、出鼻を挫かれる。

「あ、今日ちょっと用事あるから先帰ってて」

 忙しそうに鞄に教科書を詰め込みながら言う。

「用事って何だよ?付き合うよ」

「えー?そんなに私と一緒に居たい?」

「こ、この野郎…いや、この女…」

「私も一緒に居たいけど、今日はちょっとゴメンね」

 出鼻を挫かれつつも、要所要所で嬉しい事を言いやがるので黙った。

「つう訳だ。おら帰るぞ馬鹿」

 ヒロが俺の肩を抱き、引っ張るように教室から出ようとする。

「ち、ちょっと待てって!」

 そして里中さんが俺の前に出て頭を下げた。

「ゴメン緒方君。遥香っち誘ったの私なんだ。今日だけ貸してっ!!」

 更に手を合わせて拝まれる始末。

 つか…

「遥香っち!?」

 いきなり今日から親しくなったのだろうか?そんな事があるのだろうか?

「そんな訳で、私はさとちゃんと百合タイム突入だから。隆君は邪魔しない」

「ゆ、百合!?」

 何それ素敵過ぎる!!見てみたいなそれ!!

 じゃねぇよ!!

「大丈夫、私は隆君一筋だから。さとちゃんとは遊びだから」

「うん、私遊ばれるんだ」

 何こいつら?キャラ変わり過ぎだろ?

 唖然としている俺。

 その隙にヒロが俺を無理やり引っ張って連れ出した。

 釈然としないながらも、ヒロと肩を並べて歩く。

 つか、ヒロと帰るのも久し振りだ。

 駅方向に曲がるまではヒロと一緒だ。

 そしてその分岐路に着いた時。

「隆、ちょっと寄って行こうぜ」

 親指を突き出した先。

「喫茶店かよ。俺は貧乏なんだよ」

「大丈夫だ。コーヒーチケット2枚あるから」

 何?あの喫茶店コーヒーチケットなるものがあるのか?

「それならいいなぁ。つか、よく持ってたなそんな物」

「槙原から貰った」

 はあ?遥香から?

 温泉プールのチケットと言い、チケットマニアかあいつは?

「ファミレスのドリンクバーチケットとどっちがいいって聞かれてさ。あのファミレス、五つ先の駅だから、遠いからこっちにした」

「あの味が普通のコスプレファミレス?」

 春日さんがバイトしているファミレス。そして遥香の友達が働いているファミレスだ。

 何か春日さんと顔を合わせ難いから、確かにコーヒーチケットの方が良かったか?

「ちょっと話あんだよ」

 話ねぇ。

「コーヒーチケットがあるんならいいぞ。ついでにサンドイッチでもおごってくれ」

「馬鹿言うな。喫茶店と言えばピザトーストだろうが」

 ピザトーストはおごってくれるのか。ならば是非も無いに決まっている。

 俺はヒロよりも先に喫茶店のドアを開けた。

 窓際に行こうとしたら、ヒロに促されて一番奥まった席に座った。

「何だよ?窓際の席が良かったのに」

「見られたく無いからな」

 誰かに見られるとマズいのか?

「誰に見られるって言うんだよ?」

「あ、このチケットでコーヒー二つ。あとピザトースト二つね」

 俺を無視してマスターに注文しやがった。

 だがピザトーストを頼んでくれたから許してやろう。

 水を一気にカポカポ飲み干し、溜め息をつくヒロ。

 何か言いたそうだな。仕方ない、俺から振ってやるか。

「話ってなんだよ?」

 ヒロはホッとした顔に変わる。

「いやな、俺間違えてたわ」

「確かに、その髪型は色々間違いだな」

「こ、これは朝早くから気合いでセットしてきた…じゃねぇよ!!」

 立ち上がりながらの突っ込み。

「そうだな…口止めされているし、突っ込んだ話は、はぐらかされているんだが…取り敢えず去年の体育祭から謝ろう」

 言っていきなりテーブルに両手を突き、頭を下げた。

「え?何いきなり?」

 対して俺はドン引き。だがヒロはその姿勢を崩さずに続けた。

「借り物競争に推薦したのは、頼まれていたからだ」

「聞いたぞそれ」

「だ、だけど謝りたかった!!」

 謝るくらいなら、頼んだ奴の名前言えよ。

「だが頼んだ奴の名前は言えない」

 こいつも出鼻を挫きやがった。

「最初は本当にただ庇って言わなかっただけだが、今は違う」

「何が違うんだウニ頭」

「言ったらお前、そいつの所行くだろ?」

「当たり前だろウニ頭」

「行ったら俺が知らない事実も知ってしまうからだ。そしてそれを止めているのが槙原だ」

 遥香が犯人と真相を隠しているってのか?

 俺は間抜けヅラでボケーッとヒロを見たのだろう。ヒロは黙った儘何度も何度も頷く。

「俺も触りだけしか聞いてないから詳しい事は解らない。だが、知ったらお前が限り無く傷つくらしい。槙原はそれを黙っても良かったが、要点は隠しながらも敢えて俺達に話した。俺達を引き離す為だと言ってな」

 俺『達』?引き離す為?誰と誰を引き離す?

 聞いてはみたが、更に訳が解らなくなり、ひたすら首を捻る事になってしまった。

「縦笛競争の推薦は誰かに頼まれたから、ね。でもあれ遥香も一枚咬んでる筈だが」

「縦笛競争?」

 あ、間違えた。

「借り物競争」

「どんな間違いだド変態。確かに約束があったみたいだけど、そこも詳しくは聞いてないな。相手側は『脅された』と騒いでいたけど」

「その『脅された』を信じて、向こうに着いたんだろ」

 押し黙るヒロ。丁度コーヒーとピザトーストが運ばれてきた。

「来たぞヒロ。冷めない内に食おう」

「ん」

 俺はコーヒーはブラックだが、ヒロは砂糖を入れる。 スプーン一匙程。所謂微糖タイプが好みだ。

 だが…

「おいおいおいおい…何杯入れんだよ?」

  ヒロはコーヒーに砂糖を一匙、二匙、三匙…

 俺が突っ込むまで、計六匙入れやがった。

「うわ!入れ過ぎた!!」

「だが、春日さんなら、それに更に蜂蜜黒糖練乳ミルクを大量に入れるぞ」

「お前、春日とコーヒー飲んだ時あるの?」

「……あれ?」

 飲んだような飲まなかったような…

 記憶が混乱しているのだろうか?しかし何の記憶と混乱しているんだ?

 首を捻る俺。それを無視してヒロは続けた。

「槙原は一年の時、入学して間もなくの頃、お前に惚れたんだって。先輩達から助けてくれたあの時から」

「そんな事も言ったのかあいつは」

 恥ずかしいだろが。あんま人に言うな。

「だけど、別に助けて貰わなくても大丈夫だったらしい」

「助けた訳じゃないんだが、大丈夫って?」

「普通に仕返しするから。最低退学に持って行くつもりだった。だってさ」

 仕返し?遥香は別に武道を習っている訳じゃない。腕っ節も強く無い。

 あの爆乳を引き立てる細い身体を見れば解る。

「それこそ情報戦。あの手の連中は叩けば埃が出るから、それを使う」

「あー。取引とか?」

 ヒロは首を横に振り、否定する。

「普通に合法で追い込む。警察も使ったり。ネットで晒したりもする。何ならメディアも使ってもいいとか言っていたな」

 なにそれ怖い。

 俺そんな奴と付き合ってんの?

 え?俺も叩けば埃出ない?

 ヒロは青くなっている俺を察し、フォローを入れた。

「あくまでも仕返しだ。普通に接する分なら何もしないよ。俺も一時噛み付いたが、笑って躱していただろ?かなりの労力が必要だから滅多にやらないってさ」

 滅多にやらないって事は、やった事があるんだ…

 遥香は頭がいいから色々考えつくんだろうなぁ。と、感心しながらも、やはり震えた。

 それよりも、遥香の『相手』は、其処までしなければならない相手だって事か。

 ヒロに話したと言う事は、そう言う事なんだろう。

 そしてそれは俺の為…

 俺の敵…?

 俺が絶対殴れない相手…

 俺が傷つく事をした相手…

「意味解らん…」

 口に出して呟く。

「何か言ったか?」

「…ピザトーストうめーって言ったんだよ」

 ヒロに聞いても多分教えてくれないだろう。そのヒロも触りしか聞いてないというし。

 そしてヒロも、触りだけで納得し得る何かを聞いた、もしくは心当たりがあったんだろう。

 俺は頭が悪いから、考えたってしょーがねー。

 明日にでも直接遥香に聞けばいいだけだ。

 言わないとか言いそうだが、それしか思い浮かばない。

「あ、そうだ。会長がたまにはジムに顔出せって言っていたぞ」

「……俺はボクシングやめたって言ったのに…面倒臭ぇなぁ…」

「つか、お前強かったじゃねーか。何でやめたんだよ?」

 ヒロは俺に一瞬だけ視線を向け、直ぐ様コーヒーに戻した。

「同じウェイトで勝てない奴がいたんだよ。なら早々に別の道選んだ方が利口ってもんだ」

 ヒロと同じウェイト…俺と同じウェイトか。

 ヒロは相当強かったが、やめる決心までつけさせた相手がいるとは。

 もし、そいつとぶつかったら、俺もヤバいかも知れない。

 そいつが所謂不良じゃない事を祈るばかりだ。


 喫茶店で結構な時間を使ったので、ちょっと時間は早いがジムに顔を出した。

 練習は先輩とスパーリングをして締めた。

「緒方、プロになれよ?」

 川村先輩がヘットギア越しからでも解るダメージを隠そうとせず、いつもの台詞を言う。

「プロになったら人殴れないでしょ?」

 ヘットギアを脱ぎ、タオルで汗を拭きながら言う。

 俺は元々報復の為に、ボクシングを習ったんだから。

「相変わらず物騒だなお前。四回戦とは言え、プロの俺がボッコされてんだぞ。素人じゃお前に勝てないよ」

 腫れた顔を気遣いながら、ヘットギアを外す川村先輩。

「お前とやり合えるのは、このジムじゃ六回戦の青木さんくらいだろ。あと博仁か」

「ヒロは同じ階級で勝てない奴がいるとかで、戻って来ないみたいです」

 本当に勿体無い。ヒロならたちまちこのジムの看板選手になれただろうに。

「何言ってんだお前?」

 残念そうな俺に、川村先輩がキョトンとして話す。

「同じ階級で勝てない相手って、お前の事だろ」

「……は?」

「だから、お前の事だよ」

 そうか、川村先輩も上手いな。

 俺を煽ててその気にさせて、プロに導こうとしているんだ。その手には乗らないよ。

 俺は微妙な笑顔を作り、足早にシャワー室に向かった。

 これ以上話すと、また説得されそうな感じだったからだ。


――ダーリン、今回はいいかも知れないわよ?


 いきなり、唐突に現れた女。ジムから帰って直ぐに寝ちゃったのか。

 手で追い払う仕草をして、ダーリンはやめろと言った。

――冷たいのねダーリン…クスクスクスクスクスクスクスクスクスクス…

 耳障りな笑い方。麻美はこんな笑い方はしなかった。

 だが、敢えて俺はこう言う。

 麻美、なんでそんなに変わった?お前を殺した俺が憎いのか?だったらいいよ。連れてけよ。

 俺はこいつを麻美と確信した。

 何故かは解らない。

 強いて言うなら、こいつ自身が訴えていると感じたからだ。

――……憎い訳が無い…

 女は目を固く瞑り、下を向く。

 胸の膨らみが、遥香並みだった膨らみがいつの間にか元に戻っている。

 その胸は遥香の真似か?

――…あの子なら…あなたを守れそうだったから…前の三回は、あなたはあの子とつき合わなかったから…

 前の三回の意味が解らないが、要するに遥香に興味を持つように身体を模した訳か…

 ちょっとショックだった。

 身体で釣れる男だと思われているようで、少し憤った。

――私は…ただ手助けをしたかっただけ…前回の二年の春、あなたは槙原遥香と付き合わなかった。だからし…

 口だけがパクパクと動いたが、声は発しない。発せない。

 確か…規定…とか言ったか。

――駄目…一年の夏は夢に見させる事ができたのに…やっぱり何度も繰り返したから記憶の蓄積量が沢山だから、禁忌に触れないだけなのね…

 …意味が解らん。取り敢えず要求してみる。

 麻美の姿に戻ってくれよ。漫画キャラなんかにならなくていいから。

――あなたが本当に信じるのなら、あなたの望む姿に戻る筈… つまり、あなたはまだ疑っていると言う事…

 俺のせいだって言うのかよ。

 だが確かに、俺はこいつをまだ疑っている。麻美じゃないと、心の隅で思っているんだ。

――今回…私はまだ信用されていないようだけど…今回は…今回こそは…

 女は俺に接近し、俺の手を両手で包み込みんで涙を流した。

――今回は今までとまるで違う…頑張って……………

 女の姿が遠くに行くように、徐々に小さくなっていく。

 そして完全に見えなくなる刹那、はっきり聞こえた。


――頑張って隆…


 俺の拙い記憶では、女は初めて俺を名前で呼んだ声だった……


 …………

 やはり朝…

 あれは麻美だ。俺はそう確信していた筈だ。

 だが、信じきれていない事もまた事実。

 だから麻美に戻らない。戻れない?

 そして遥香なら『敵』に勝てるかも知れない?

 だから遥香の身体を模した…

 遥香と付き合わせる為に。俺を守る為に。

「……俺は弱い儘なんだなぁ…」

 誰かに守って貰わなきゃ、生きる事すらできない。

 ぶっちゃけ、もういいんだが、今は遥香と一緒にいたい。

「……だからまだ生きなきゃならない…」

 ならば俺も戦おう。

 ぶち砕く為に鍛えた拳。

 それが絶対に殴れない相手ならば、俺は俺の為じゃなく、麻美と遥香の為にそいつをぶち砕く。

「取り敢えず、これも敵の攻撃か?」

 チカチカ光る着信を知らせるスマホ。

 開いてみると、やはり非通知着信。50から数えるのをやめたから50件以上。

 俺が寝た時間からかけ続けていやがる。

「つまんねー真似しやがって…」

 非通知着信履歴を削除している最中、一件メールが入っていた事に気付いた。

 遥香からだった。

 内容を見て思わずにやける。


【お休みダーリン。大好き。愛してる】


 このメールは当然ながら保存した。


 今日はロードワークはサボった。

 代わりに登校する直前までストレッチをし、学校まで走った。

 一応走ろうと思い外に出たんだが、コンビニ袋にジュースの空き缶や、お菓子のゴミを入れて玄関先に捨ててあったのを見て、走る気が失せたのだ。

 暇な奴。

 俺ん家を張っても仕方無いっつーんだ。朝方じゃなきゃ気付かないんだから。

 寧ろ気付かせる為じゃなく、『見張っているぞ』と脅しをかける目的かも知れない。

 逆に言うと、一晩中張っていた訳じゃなく、俺が寝たのを見計らってゴミを置いているだけかも知れない。

 多分そうだろう。嫌がらせの目的は解らんけど。

 嫌がらせ?

「あ、そっか。非通知着信も嫌がらせか」

 そう考えたら気が楽になった。

 今まで目的が解らずに気味悪がっていただけだが、目的がただの嫌がらせなら、申し訳無いが免疫がハンパない程あるのだ。

 中学時代に受けていた嫌がらせの数々は、こんなモンじゃねーんだよ。

 ネガティブなのかポジティブなのか解らんが、兎に角そう思うと心が軽くなった。


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