二年の春~003

 日曜日にも日課のロードワークは欠かさない。

 今の俺を築いた礎の走り込み。中学二年のあの時、ジムの門を叩いてから、ずっとだ。

 いや、極稀にサボってしまう事もあるが、そこは登校時に代わりにダッシュするとか、夜に回すとか、まぁ兎に角欠かした事は無い。

 筈だ。

 ヒロがジムに通っていた時期一緒に走ったもんだが、ボクシングをやめた今、俺一人でずっと行っている。

 ボクシングと言う武器のおかげで、俺は弱い者虐めしか出来ない、群れるしか能が無いクズ共相手に立ち向かえた。

 今では俺の方が弱い者虐めしてをしているような程に。

 縋っているんだ。手に入れた武器に。

 手放したく無いんだ。手に入れた武器を。

 だから俺はロードワークを欠かさない。

「ふぅ…今日も良い汗かいたぜ…」

 首からかけているタオルで汗を拭いながら、走り込みから歩行に変える。所謂クールダウンってヤツだ。

 そして結構長い距離をゆっくり歩いて帰宅する。

 すると、俺の家の前に誰かが立っているのが見えた。

 こんな朝っぱらから誰だろうと思いながらゆっくり歩く。

 遠目で見たそれは女子に見えたが、まさかな。

 だが、家に近付く度に、それはやっぱり女子だったと確信した。

 そしてそれは俺の良く知る女子だった。

「槙原さん…」

 俺に気付いて笑いながら手を振る槙原さん。

 いつもと違う私服で、胸の揺れ具合がハンパ無い程確認できる。

「こんな朝っぱらからどうしたの?」

「そろそろロードワーク終わる時間だなぁと思って」

 笑う槙原さんの横にママチャリがある。

「まさかチャリで来たのか?」

「だってこんな早朝から電車動いて無いし」

 呆れるやら感心するやら、だ。

「よくロードワークが終わる時間だと解ったなぁ。得意の情報収集ってヤツか?」

「そう。一歩間違えればストーカーとなります」

 敬礼する槙原さんだが、一歩間違えればじゃなく、既にストーカーのような気がするのは気のせいだろうか。

「そうか。そして読み通りロードワークが終わって帰宅した訳だが、何の用事?」

「せっかくの日曜日だから、デートしようかと思って」

 可愛く首を傾げて笑う槙原さん。

「ふぅん。デートか、成程なああああ!?」

 それに対して仰け反って驚いた。こんな朝っぱらからわざわざデートの誘いだなんて、アグレッシブすぎる!!

「つ、つかデートって、こんな朝っぱらからどこ行く訳??」

 俺は生憎とデートするスキルなんか皆無である。

 故に映画館とか喫茶店とかしか思い浮かばないのだが、こんな早朝からやっている筈も無い。

「ちょっと遠出して日帰り温泉なんでどう?」

 とか言ってバッグからチケットを二枚取り出して俺にかざして見せた。

「温泉…」

「都合良く昨日お父さんが取引先から貰って来てさぁ。だけどチケットの有効期限は今日までなんだって」

「い、いや、だったらお父さんとお母さんに渡して、俺達は動物園とか…」

「お父さんはゴルフ、お母さんは旅行で御座います。因みに私は一人っ子でして」

「じ、じゃあ友達とか…」

「浅い友達なら広くいるんだけどねぇ」

 つまり、一緒に温泉に行く程仲の良い友達はいないって事か…

 それにしても突然過ぎだろ。強引極まりないし。

 だけど温泉…

 これは由々しき事態だ。なんか由々しき云々の使い方が間違っているようだが気にしない。

 俺は当然の事ながら、女子と二人きりで温泉に行った事なんて無い。

 飛躍し過ぎて何だが、理性が保たれるか心配だった。

「変な事考えなくても、勿論日帰りだし、休憩用の部屋なんか取って無い訳ですよ。だから安心して私に身を委ねなさい」

「俺が安心してどーすんだよ。自分の身を案じろよ」

「だから、日帰りで部屋なんか取って無い」

 ………口で槙原さんに勝てる訳が無かった。

「勿論、付き合ってくれるなら、明日学校サボってもいいと言う覚悟はあるよ?」

「冗談でも言うなっ!身体目当てだと思われたく無ぇよっ!!」

「あはは~。初体験はできるならムードのある所を所望致します」

「飛躍すんなっ!つか温泉宿でも充分ムードあるだろ!つか高校生の初体験が温泉宿って渋過ぎるだろがっ!!」

 もう何が何だか解らない。

 ロードワークよりも疲労しているのは気のせいだろうか?

 疲労?

 疲労回復と言えば温泉だ。

 まさか!槙原さんは此処まで読んで誘ったのか!?

 だとしたら、凄まじい程の読み!!

 現に、疲れている俺の身体は、温泉を欲しているのだ!!

 断じて槙原さんの湯上がり浴衣姿を欲している訳では無い。

「まぁ冗談は兎も角、行くでしょ?チケット勿体無いし」

 微風にヒラヒラと靡く二枚のチケット。

 勿体無い…な…

 うん、勿体無い。是非使わないといけないような気がして来た。

「うん。勿体無いからな。行くか」

 この返事の直後、槙原さんは笑った。

 それは凄い可愛く見えた。

「で、でも、着替えとかしてからだぞ?」

「それは勿論」

「じ、じゃあ部屋で待ってる?」

 親指を家に向ける。

 槙原さんは一つ頷き、お邪魔しますと俺の前に家に入って行った。

「なんつー度胸だ!初めて来た同級生の、それも男の家に!!」

 慌てて後を追うと、更なる衝撃が俺を襲った。

 勝手に俺の部屋に向かっている!?つか何で俺の部屋を知ってんだよっ!!

 俺の部屋のドアに手を掛け、なぁんの迷いも躊躇も無く、普通に部屋に入る槙原さん。

「おいおいおいおいっっっ!!いくら何でもっっっ!?」

 そこには信じられない光景があった。

 テーブルに置かれているお盆。その上に、俺の家のコーヒーカップがあり、途中まで飲んだ後で放置されているのを。

「え?これってどう言う意味???」

 流石に意味が解らず、問いかける。

「簡単な事だよ明智君。君が走りに行った後、既に私は君の家に上がっていたのだよ」

 ふふんと槙原さん。

 その得意気な顔は可愛いなぁ…

 じゃねーよっ!!

「え?つまりどう言う事だ?」

「門の前に立っていたら、お母様が新聞を取りに出ていらしたのね。そこて私を発見。あれこれそうよと話している内に上がりなさいって」

 おふくろー!!この物騒な世の中、見知らぬ女を簡単に信用すんじゃねーよお!!

「いいお母様だよね。朝方は冷えるからって、わざわざコーヒーまで淹れてくれてさ」

「良すぎるだろ!色々ヤバいわ!!」

「じゃ、はい、早く着替えしてきてね。始発に乗りたいから」

「俺のこのやり場の無い気持ちはどこに行く!?」

「私が受け止めてあげるよ。だから早く着替えてね」

 言って冷めたであろう残りのコーヒーを飲む槙原さん。

 もう何が何だか解らない。意味不明過ぎる!

 だが、急かす槙原さんに負けて、俺はシャワーを浴びに部屋から出た。

 項垂れながら、だ。

 シャワーを浴び、着替えて出ると、おふくろに呼ばれた。

 何だと思って行ってみると…

「なんで呑気に飯食ってんだよっっっ!!」

 なんと!槙原さんがおふくろと親父と共に朝飯を食っていたのだ!!

「あはは~。お呼ばれされちゃった」

 舌を出してはにかむ槙原さんだが、訳が解らない。

 いや、おふくろ的には、朝早く迎えに来た友達に朝飯をと思う事はあるかも知れない。

 だが、初めて上がった異性を朝飯に呼ぶとか、相伴するとか、どんだけフレンドリーなんだ!!

「いやぁ。女の子がいると華やかだなぁ」

 親父いいい!!鼻の下伸ばしてサラダ取り分けて貰ってんじゃねーよっ!!

「本当にねぇ。母さんは女の子欲しかったんだよねぇ」

「悪かったな男でよぉ!!」

「あ、隆君バター?ジャム?」

「あ、バターで……隆君!?」

 思わず二度見してしまう程の衝撃!!自然過ぎて危うく流す所だった!!

「隆、さっきからなにを突っ込んでいるんだ。遥香ちゃんがせっかくコーヒーを淹れてくれていると言うのに。早く座りなさい」

「親父いいい!いつもは緑茶じゃねーと嫌だとか、パンじゃなくご飯だとか零してんだろが!……遥香ちゃんんん!?」

親父が槙原さんを名前で呼んでいる事態に、俺は衝撃倍増だった!!

「遥香ちゃん、隆のパンなんかどうでもいいから、ちゃんとご飯食べなさいよ?よく見ると痩せ過ぎじゃないの」

「おふくろまで…」

 愕然とした。緒方家は槙原さんに完全に掌握されてしまったようだ。

「あはは~。ご両親公認になっちゃったね」

 まだ付き合ってねーのに親公認とか…どんどん追い込まれて行っているような感がする。

「隆君コーヒーにお砂糖とミルクは?」

「……ブラックでいいです…」

「隆君サラダはドレッシング?マヨネーズ?」

「……マヨネーズで…」

「隆君目玉焼きは醤油?ソース?」

「……塩で…」

 ふむふむと相槌を打ち、全て世話をする槙原さん。

「全て情報と一致するわ」

「そんな事まで調べていたのかよ!?」

 吃驚するわ。いや、吃驚し過ぎて突っ込みが間に合わないわ。

「どうしたの隆君?おばさんの朝ご飯美味しいよ?食べよ?」

「食うけど…いや、うん。いただきます…」

 俺は自分の家なのに、妙な居心地の悪さを感じながら朝飯を食った。

 槙原さんは、親父とおふくろと談笑しながら楽しく朝飯を食っていた。

 なんなんだろう。この朝からの疲労感…


「はぁ~っ…疲れた…」

 始発の電車で、背もたれに全体重を乗せ、天井を見る。

「だから、疲れを癒やす為の温泉じゃないの?」

「誰のおかげで疲れたと思ってんだよ!!」

 突っ込み疲れも多々あり、疲労困憊とは正にこの事だった。

「でも、私が迎えに行ったおかげで臨時収入あったじゃない?良かったね隆君」

「隆君て…いいけどさ…」

 親父が槙原さんに美味しいもん食わせろとか言って、小遣いをドカンとくれたのは有り難かったが、見栄張り過ぎだろ。一万円って。

「いや~。お昼充実しそうだね」

「ちゃんとご馳走するから心配すんな」

 目の前で一万円受け取ったのを見られている故、下手な真似はできない。

 もしかしたら、親父やおふくろのケー番やメアドをゲットしている可能性もあるし。

 いや、槙原さんなら有り得る事だ。

「おじさん、おばさんとメアドとケー番交換しちゃったしね。着服出来ないよ隆君」

「やっぱりかよ!!」

 読み通りとかのレベルを遥かに通り越し、最早驚く事すらしなかった。


 そして電車での長い道のり、では無く、想像よりも早く到着した先は…

「……温泉プールかよ!!」

 そう、露天風呂とか源泉掛け流しとかの温泉じゃない。

 ウォータースライダーやら、流れるプールやらの設備がある温泉プールだった!!

「だから温泉でしょ?」

「俺水着持って来てねーよ!!つかまだ春だぞ!寒いだろ!!」

 案の定、温かい温泉プールとは言え、客が疎らだった。普通に寒いから同然だ。

「水着なら私が買っているから。ほら」

 とか言って、トランクスタイプの青い水着を渡された。

「どこまで用意周到なんだ!!」

「私は黒いビキニで、真ん中に赤いリボン付いているヤツ」

 …………

 よく考えると…

 あの爆乳を布一枚越しで拝めるチャンスだよな…

「よし!さあ入ろう!行こう行こう!!」

 槙原さんの手を取り、ズンズン進む俺。

「あはは~。解り易過ぎる」

「俺は健全な思春期男子だから当たり前だ!!」

 世の中の男子諸君ならば、俺の行動を咎める者は皆無だろう。

 爆乳の水着は、そこまで価値があるのだ。

 ソッコー着替えてプールサイドでそわそわそわそわしながら待つ。

 つか寒い!まだプールは早いっっっ!!

 己を抱き締めるようにガタガタ震えながら、ハチ公のように待つ。

「あれ?早いね?」

 背後から声を掛けられ、首がねじ切れるんじゃないかと思う程のスピードで振り返った。

「…………デカい!!」

 そこにはスイカを入れてんじゃねーかと思う程、劇的に実った二つの果実。

 ほっそい身体にミスマッチどころが、美しく映えている。

「水着の感想は無いの?」

「脚ほっそ!」

「だから水着の感想は?」

「なかなか履き心地は良いよ」

「隆君の水着じゃなくて、わぁたぁしぃのぉ!!」

 勿論可愛いがなんか照れくさい。素直に言えない思春期心だ。

「メガネ外したんだ?」

「プールにメガネな訳無いでしょ」

「メガネ可愛いよね。メガネっ子巨乳萌える」

「え?ありがと…じゃなくて!だぁ!かぁ!らぁ!水着の感想はああ!?」

 意地でも可愛いって言わない意地悪な男子心。この辺りも共感を得られると思う。

 こんな感じで少し弄って、やはり寒いので温泉プールに入った。

「はぁ~…あったけぇ~…」

 勿論温泉とは違って熱くは無いが、肌寒い春に有り難い温かさだ。

「と言うか、室内にもプールあるんだけど」

「そっちに行こうよ!なんでわざわざ寒い思いして外のプールに入らなきゃならんのだ!!」

「いや、隆君、話も聞かずに、更衣室に行っちゃうから」

 ………水着を拝むのに我を忘れていたからな。健全な男子だから仕方無い。

「でも、中には結構人いるから、外の方がいいかもね」

「なんで?」

「いや、水着結構恥ずかしいから」

 そりゃ、そんな兵器を身に付けているから、ジロジロ見られるんだろう。

 見た奴をボッコにする程、俺は狂人じゃないし。

「胸大きいから、好奇な視線を受けちゃうんだよね」

「自覚あったのか!?」

 驚きだ。ならプールに来ない方がいいだろうに。

「隆君も好奇な視線の男子の一人です」

「…仕方無いんだこれは。男子なら仕方無いんだよ!!」

 軽く前屈みになりながら弁解(?)する。

「隆君はいいよ。見せる為に誘ったんだから」

「え?マジ?」

 頷いて、更に続ける槙原さん。

「お付き合いまで発展させる為に、悩殺を考えておりまして」

「素直過ぎる!」

 この突っ込みは軽く笑いながら言った。単純に嬉しかったからだ。

 温かいプールの中、泳ぐ訳でも無く、ただ浸かった。お喋りしながら浸かった。

 槙原さんとのお喋りは本当に楽しくて、ボケも突っ込みもできて、飽きなかった。こんな子に好かれている自分が不思議でならない。

 槙原さんなら引く手数多だろうに、腕っ節しか取り柄の無い、頭も悪いネガティブな俺を選ぶ必要は無いだろうに。

 しかも、俺の過去を知りつつも、自分のやった事を露呈させる芯の強さ。

 腕っ節だけの俺とは違う強さ。

 全てにおいて、自分よりも能力の劣る俺を好いてくれる。

 俺はそれに応えなきゃならない義務があると思う。

 受けようが断ろうが、しっかりと応えなきゃならない。それが礼儀ってもんだろう。

 俺は槙原さんが好きだ。

 だが、槙原さん相手においそれと告白を受ける事はできない。

 指摘されたように、春日さんも好きだし、未だに麻美の事も引き摺っている。

 そんな弱い俺が、とても釣り合うとは思えないからだ。

「どしたの?急に黙っちゃって?」

 不思議そうに顔を覗き込んで来る槙原さん。慌てて取り繕う。

「い、いや、ちょっと喉渇いたかな、と思ってね」

「そうだね。飲み物買ってこよう?」

 それなら俺がと言う前に、プールから上がる槙原さん。

「隆君は中の休憩所で適当に席取ってて。直ぐ行ってくるから」

 流石に申し訳無いと思い、慌てて引き止めようとした。

「ち、ちょっと槙原さん、俺…」

「コーヒーでしょ?解ってるって」

 ウインクを一発かまされて顔が火照った。

 その隙に槙原さんは足早に売店に向かってしまった。

「……いい子だよなぁ…」

 マジ惚れそう。いや、既に惚れているけど。

 俺は頭を振り、言われた通りに中に入って席を取る。

 室内にもプールがあるとは言え、そこはまだ肌寒い春。

 予想以上にお客は居たが、席はすんなり取れた。

 そのお客を見ながら思う。

 まだ寒い春に温泉とは言え、プールに来るかね。俺も人の事言えないけどさ。

 手持ち無沙汰になって、暇を持て余したようにキョロキョロ見渡す。

 槙原さんはまだ来ない。

 だが、売店の方向が少し騒がしい事に気付いた。

 売店には、槙原さんが飲み物を買いに行っている。

 騒ぎに巻き込まれてないか心配になり、俺はキープした席を捨てて売店に向かった。

 売店の前には、あからさまにガラの悪い連中が輪になってゲラゲラ笑っている。

 輪になって、つまり誰かが輪の中心にいるって事だ。

 その中心の奴を苛めて笑っている。

 中学時代、よく見た表情だから解る。

「だからやめてって!!」

 輪の中心から女子の声が聞こえた。

 しかもその声は槙原さん…

 槙原さん絡みじゃなくとも、あの手の連中は許せない。

 当然の事ながら、既に臨戦態勢を整えて、ガラの悪い連中に向かった。

 そして一番手前の糞野郎の肩に手を掛ける。

「あ?」

 振り向いた瞬間、俺の右が顎を捉え、糞野郎の身体が宙に浮き、その儘ぶっ倒れた。

 一瞬で騒然となる糞共。

「隆君!駄目だよ!直ぐに警備員来ちゃうよ!!」

 ぶっ倒れた糞を踏みつけながら、俺に駆け寄る槙原さん。

 その細い腰に手を回し、後ろに下がらせた。

「隆………緒方隆!?」

 糞が俺の名前を知っているようだ。

 結構地元から離れた場所だと言うのに、俺の悪評がこんな所にまで届いているとは…

 と、思ったが違った。

 俺はそいつのツラを見た瞬間、全ての理性が吹っ飛び、一目散にそいつに向かってダッシュした。

「神尾おおおおおおおおおお!!!」

 そいつは中学時代、俺をよくいたぶっていた一つ上の糞先輩…

 しかも、麻美を殺した連中の一人。

 俺のダッシュに気付き、神尾の糞も逃げようと振り向くが、俺の左が一瞬早かった。

 神尾の延髄を手加減無しで殴る事に成功したのだ。

「があ!!」

 首を押さえて蹲る神尾。その丸まった背中に、思い切りつま先で蹴りを入れて転がす。

「ぎゃああああ!!」

「久し振りだなあ神尾先輩……言ったよな?ツラ見たら最低病院送りにしてやるってよお!!」

 転がる神尾の顔面を踏み抜いて止めて、何度も何度も腹に蹴りを入れた。

「緒方!勘弁して!!ぐぇえ!!ぎゃ!ひぃぃっ!!」

 勘弁してくれだ?

 お前等勘弁してくれた事無かったよな?

 随分と都合がいいなぁぁぁぁ!!

 益々腹が立ち、目に映る箇所全て蹴りを入れた。

「おいてめぇ!!」

 糞神尾の仲間が馴れ馴れしく後ろから俺の肩に手をかけた。

 裏拳でツラをぶん殴り、そのまま回転して正面を向いて左ボディを叩き込む。

「げぇぇぇ……!!」

 糞神尾の仲間はゲロを吐きながら蹲る。

「邪魔すんな糞が!!」

 そいつに蹴りを入れてひっくり返し、再び神尾に戻って何度も何度も蹴りを入れた。

「おい!!」

 仲間をやられて群がって来る糞蠅共をワンパンチでぶっ飛ばし、糞神尾の髪の毛を引っ張って起こして壁に叩き付けた。

「神尾ぉ……お前麻美を殺しておいて、こんな所で呑気に女を虐めてんじゃねぇよ…」

「あ…あの女は勝手に…げほお!!」

 うぜぇ言い訳をする前にボディに叩き込み、口を塞いだ。

「何も言うな!!口開くな!!ぶち砕くぞ!!」

 言いながら何度も何度もボディに叩き込む。


――このままだと…殺しちゃうよ…


 いいんだよ。


――何故いいの?


 お前を殺したからだろ…


――誰が私を殺したの?


 こいつ等だろ。そして………俺だ…


―――やめなよ…隆…やめて…


 なんで泣く…


――こんな事して欲しい訳じゃない……


 俺が勝手にやっているだけだよ…俺が恨みをぶつけてるだけだよ。だから…俺が殺してやるよ…


 そうだ…殺してやる!!


「神尾お!!これ以上息すんじゃねぇよ!!」

 ゲロと血塗れになり、グッタリして動かない神尾の汚ねぇツラ目掛けて、左ストレートを放つ。

 その時、俺と神尾の間に誰かが割って入った。

 それは槙原さんだった。

 急に覚醒したような意識、伴って左ストレートを無理やり止める。

 左ストレートは槙原さんの頬に少し触れたが、何とか止める事ができた。

「危ないだろ……!!」

 怒鳴る俺に抱き付いて、ギュッと力を込める槙原さん。

「おしまい!これ以上は駄目!!ね?」

「ふざけんな!こいつ等は俺がぶち砕くんだよ!!おしまいとか勝手に決めんな!!」

 振り解こうと腕を上げるも、槙原さんが必死で抱き付いているので儘ならない。

「あんた達!早く消えて!!早く!!」

 事もあろうか、糞共に逃げるよう促した。

「おいコラあ!!神尾は置いていけ糞共が!!付け狙うぞ糞共!!おい!!」

 しかし糞共は神尾を担いで逃げ出した。

「おい待て糞共!!麻美ばかりか『俺の女』に手を出して無事で済むと…」


 俺の女!!?

 今、自分で俺の女とか言わなかったか?

 急に力が抜けて、振り解こうと足掻いていた腕がブランと下がった。

「よし、落ち着いた。さっ、私達も逃げるよ?警備員さんが来る前に」

 槙原さんは俺から離れ、しかし俺の手をしっかり握り、更衣室に向かって駆け出した。

 その後は急かされて急かされて着替え、脱兎の如くプールから逃げ出た。

 そして走った。

 どこを走ったのか解らない。

 槙原さんに手を引かれながら、闇雲に走っただけだ。

 着いた先は公園。

 桜も散り、人も疎らになっている公園だ。

「はぁあぁ~っ…疲れたぁあ~……」

 ベンチを発見し、そのベンチに腰を降ろして体重を背もたれに預けながら、槙原さんが脱力した。

 肩で息をしている。汗か?身体が濡れていた。

「……悪い」

「別に?『奴等』に出くわしたらこうなるって読んでいたから」

 実にあっけらかんと言い切る槙原さん。

 奴等とは、麻美を殺した連中の事だろう。

「それよりも、ちょっと人来ないか見張っていてくれるかな?」

「う、うん…構わないけど、どうして?」

「シャツとスカートの下、水着なんだよね。着替えたいんだ」

 言ってシャツの襟を指で開いて見せる。

 それは下着じゃなく、紛れもない、さっきまでプールで着用していた水着だった!!

「お、おう!合点だ!!」

 慌てて槙原さんに背を向け、人が居ないかを確認する俺。

「スカートの中の方は何とか着替え可能だけど、上の方はどうしてもシャツ脱がないといけないからね」

 ガサガサと音が後ろから聞こえてくる。なんつー度胸だ!こんな場所で迷わず着替えるなんて!!

「うわ…ろくに身体も拭いて来なかったから、温水と汗でベショベショだぁ」

 そういや妙に身体が濡れていたな…

 あの場所から一刻も早く逃げる為に、取り敢えず水着を隠したって感じか。

「……そこまでして何で逃がそうとする?俺は別に捕まっても構わなかった」

 神尾の糞をぶち砕いた後なら、警察に捕まっても構わない。

 そしたらあの事件の事、白日の下に晒してやるだけだ。

「好きだからだよ」

 ドキンと胸の鼓動が高鳴る。

「す、好きって…」

「捕まってもいいとか思っているみたいだけど、私は好きだからもっと一緒にいたいなぁと。だからあんな連中の為に会えなくなるのは辛いかな」

 ………単純かつ明快な解答だった。

 確かに、俺も同じ事を思うかも知れない。

 もしも槙原さんが警察に捕まって、会えなくなったら辛いものがある…

「はい。もういいよ。ありがとう」

 着替えが終わって振り向く事を許可されて、俺は槙原さんの方に身体を向けた。

 少し髪が濡れているが、槙原さんはちゃんとメガネを掛けて身なりを正して笑っていた。

「じゃ、はい」

 右手を出す槙原さん。

「?」

 よく解らずその手を握ると、握り返してブンブンと振った。

「な、何?」

「これから宜しくねって意味だよ彼氏」

「彼氏いいいい!?な、なななななな、何故そうなったあ!?」

 激しく驚いて握っていた手を離して仰け反った。

「言ってくれたじゃない?『俺の女』って」

「い、言って…」

「言った!」

「い、言ったかも知んないけど…」

「けど言った!!」

 爆乳を揺らしながら詰め寄って来る槙原さん。

 近いから!おっぱい当たるから!!

「言ったでしょ!!」

 俺の邪な思考を無視し、真っ直ぐ俺の目を見ながら言う。

「い、言いました…」

 俺は折れた。確かに言ってしまったから。

 何故言っちゃったかは解らないが、間違い無く言ってしまったから。

 槙原さんはニコッと笑う。

「よろしい。改めてよろしく彼氏」

 言いながら、再び右手を伸ばして来る。

 俺はそれを恐る恐る握り返した。

 槙原さんは一気に機嫌が良くなった感じで、ニコニコニコニコ笑う。

 そして握手の手を離して、指と指を絡めて握り直した。

「い、いきなり大胆過ぎね?」

「なんで?恋人同士だし。恥ずかしくないし」

 こんなに積極的な子だったのか…唖然とするやら嬉しいやら、だ。

「さて、プールデートもオシャカになった事だし、ちょうどお昼だし、何か食べに行こ?」

 言いながらも絡めた指を離そうとはしない。

「オシャカになったのは悪かったよ。だけどそうだな…つか、ここどこ?」

 逃げ回って辿り着いた先の公園。しかも地元じゃないし、土地勘なんか全く無い。

「大丈夫大丈夫。道は繋がっているから何とかなるって」

「つまりどこかは知らないって事だよな」

 まぁいいか。槙原さんがいいのなら。

「それより人気が無い公園だよね。丁度いいから、ついでにキスでもしとく?」

「どんなついでだ!つか、ぶっ飛び過ぎだ!たった今付き合ったばっかだろ!!」

「私は構わないけどなぁ。相手がダーリンなら」

「ダーリン!?」

 こんな会話をしながら、俺達は大通りを探しに公園を出た。

 ずっと指を絡めて手を繋いだ儘…

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