エピローグ

 合体を解除できるようになるまで三日かかった。

 その間、あたしは身体を男の子として過ごすことになり……色々大変だったのはこの際おいておく。

 あたしとしては、分離してもレモンが大丈夫だと確信してから魔法を解きたかったけれど、レモンは頑固だった。これ以上、キャイネに滞在させると、地球のあたしの家族が心配する、と言い張った。


 合体を解く前に、あたしは自分の姿を鏡に映してみた。

 鏡の中には、あたしと同級生くらいの、つまり中学二年生くらいの男の子が立っていた。髪が金髪で、瞳もブロンド。ちょっと生意気そうな西洋人の男の子って感じ。着ている服だけは元のままのあたしのワンピースだから、女装している少年に見えちゃって少し笑っちゃった。

 でも、見ていると、ちょっとドキドキもしてくる。う、うん。けっこう、この姿ってかっこいい、かも。

 なんだか少し惜しい気もしたけれど、三日後の夜にはあたしにとり憑いていたレモンは合体を解いて元のレモンイエロー猫に戻った。

 まだ傷が開きそうだったので、お腹にはふたたび包帯を巻いた。

 夕食は取らずに、あたしたち──あたしとレモンは地球に帰ることにする。

 盛大なパーティを開きたいとか大臣猫たちは言ってくれたけれど、ね。

『虹の間』には、お城の全員が詰めかけていた。


「ユズハ様、ありがとうございます」


 深々と頭を垂れたのは、執事猫のセバスティアンさんだ。その脇にはハナコさんがいて、柔らかい笑みを浮かべている。

 あたしは元の制服に着替えて、片手に鞄を提げたまま「またね」と言った。

 それから、白猫と白い少女のほうを向く。


「調べて、そうして戻ってくる。すぐに!」


 シィに向かって言った。

 彼女は地球に戻らない。戻れないのだ。

 王女の言葉を聞いてレモンはすぐに理解したらしい。

 シィは猫の道を通ってキャッティーネに来る途中で、どういうわけか、魂と身体が分離してしまったのだと。


『それが、シィの髪だけが白い理由だ。使い魔が変化するのはふつうならば耳と尻尾だけ。だが、身体から魂の一部が抜けてしまったシィは、人間としての存在が薄くなっているんだ。より魔法使いの影響を受けやすくなっている、ってことだな』


 レモンがそう解説してくれたけれど、正直に言って、理屈はよくわかってない。

 わかったのは、弾き出されたシィの魂の欠片はどこかへ飛んでいってしまって今も行方不明ってことだけ。

 ほんのひと月前のことだった。

 実のところ、ブランシュとシィはその逃げ出した魂の欠片を追って、キャイネ国へとやってきたってわけ。

 魂の欠けた状態では地球に戻ることはできない。だから、シィはひと月もの間、ずうっとブランシュと一緒にこの世界をさ迷っていたわけだ。ということは、ひょっとしたら、地球ではシィがいなくなってから、数年経っている可能性がある。

 おおごとだよ。

 あたしは地球でのシィの行方を追うことを約束した。逃げた魂のありかを突き止めるために。

 地球でのシィの名前も教えてくれたんだ。

 雪乃原 椎。

 それが彼女の名前だ。


「絶対、絶対、また来るから!」


 あたしはシィの手を取ってそう言った。

 シィはただ黙ったまま頷いた。

 レモンが猫の道を作って、あたしは来たときと同じように彼の尻尾をつかんだ。ただし、今度はそっとだ。

 周りが一瞬で真っ暗闇になって、気づいたら、どこかの公園の外灯の下に立っていた。

 そこは街の外れで、見ると、東の空がそろそろしらみ始めている。

 レモンを抱きかかえてあたしは家に帰った。


      ※

 

 あたしがキャッティーネに行っている間に、ほぼ丸一日が経過していたらしい。

 朝帰りをしてしまったので、当然ながら親にはとっても怒られた。

 帰ったあたしの顔を見ただけで泣き出してしまったのはユカリだった。

 詳しい理由を問いただす両親に、あたしは「ごめんなさい」だけを繰り返した。だって、本当のことを言っても、とてもわかってくれるとは思えない。

 お腹に包帯をぐるぐる巻いたままのレモンを抱きかかえ、「ごめんなさい」を繰り返すあたしに、両親は何かを悟ってくれたらしい。おそるおそるレモンを家に置いていいかと問うあたしに渋々ながら承知してくれたのだ。まるでここで断ったら、またあたしが帰ってこなくなるんじゃないかって思ってるみたい。

 後で聞いたところ、朝になったら警察に届けるつもりだったらしいから、本当にぎりぎりだったのだと思う。無理を言って帰してくれたレモンには感謝している。


「父さんも母さんも大変だったんだよ」


 と妹のユカリから聞かされて、あたしは両親が目を腫らしていたわけを知った。徹夜であたしを待っていてくれたのだ。父さんは何度も辺りの公園や駅まで探しに出てくれたらしい。両親にもういちど謝った。ほんとうに、ごめんなさい。

 幸いなことにその日は休日だったので、あたしはもう少し部屋で寝かせてもらうことにした。色々と考えなくちゃいけないこともあるんだけど、もう眠くて眠くて。

 全部、起きてから考えよう。

 部屋の扉を閉めて、レモンを下ろす。


「今日からうちの子だからね。自由にしていいよ」


 そう言ったけれど、レモンは答えてくれない。元通りの黒猫に戻ったレモンはまるでキャッティーネに行く前の単なる猫みたい。


「こら、なんかしゃべりなさいよ」


 にゃあ、と鳴くだけだった。

 頬についていた契約の証の肉球スタンプさえ消えていて、異世界の出来事が全て夢だったみたいに思えてくる。


「っと、いけない。あたしは絶対、帰るって約束したんだ!」


 制服を着替えながら、あたしはつぶやいた。


「でも、困ったな。どうやって、レモンに連れて行ってもらったらいいんだろう?」


 制服を吊るしてベッドに腰掛けながら寝巻き代わりのジャージに手を伸ばした。

 寝巻きは着ない。面倒なんだもの。TシャツにジャージでOKだ。


『もうちょい色気のある格好で寝られないのか、残念なやつだな』


 声にぎくりと身をすくませる。

 だ、だれ?

 膝の上にレモンが乗ってきて、にゃあと鳴いた。ってことはレモンじゃない……よね?


『おまえの妹のほうがよっぽど女の子じゃねえか』


 む。わ、悪かったね。確かにユカリのほうがかわいいのは認めるけど。

 え?

 あたしは声のほうへと顔を向ける。部屋の隅に大きな姿見が立ててあった。ベッドに腰掛けている自分の姿と、あたしの膝を枕にして横たわる金髪の男の子の姿が──。

 ハダカの。


「きゃああああああ!」


 悲鳴に真っ先に飛び込んできたのは、ユカリだった。


「おねえちゃん! どうしたの!」

「な、なんでもないよ」


 両親までやってこようとしたので、部屋に虫が出ただけ、と言っておく。


「おねえちゃん……なんかヘン」

「そ、そんなことないさー。あはははは」


 ごまかすように、ぎゅーっと抱きしめる。うん、ひさしぶりだ。


「それならいいけど……」


 心配そうな顔をしつつ自分の部屋に帰っていった。

 扉を閉めて、念のために鍵をかける。

 それから、改めて鏡を見た。


「レ、レモン……?」

『おう』


 鏡の中の金髪少年が答えた。キャイネであたしにとり憑いたときの合体したときの姿と同じだ。間違いない。でも、


「どうして……」

『俺にもわからん。ひょっとしたら、おまえと合体したせいかもしれないな』


 とだけ言って、鏡の中のレモンはごろんとベッドに寝転がる。

 って、そこ、あたしのベッド!

 ベッドのほうに振り返ると、すでにレモンは目を閉じていた。直に見ると黒猫の姿だ。


「ちょっとぉ」


 起こそうとして伸ばした手をあたしは引っ込める。

 レモンのお腹にはぐるぐる巻きの包帯が巻かれたままだ。

 あたしのために負った傷だった。

 どうしよう。追い出せなくなってしまった。


「ま、まあ、猫だし! き、気にするほうがおかしいし!」


 ベッドに入って、毛布を引き寄せようとして、鏡をちらりと見てしまう。

 うあ。

 は、恥ずかしい。だめだ、心臓が大きく鳴ったまま静まらない。だって、どう見ても、男の子といっしょに毛布にくるまっているようにしか見えない。

 ね、眠れるわけないでしょ! これ!


「レモンぅ……」


 声をかけても起きてくれない。疲れてるんだ。むにゃ、と寝言を言ってから、肉球のついた手をきゅっと丸めた。か、かわいいったら。ちくしょー、ずるいよ。

 ため息をついてから、あたしはベッドから出る。


 部屋の隅の姿見を、くるっとひっくり返してから、寝た。

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《魔法使い》には猫、《使い魔》にはあたし はせがわみやび @miyabi_hasegawa

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