ラバー・ガリバー
牛屋鈴
第1話
大前提:小賀勇人は背の高い女子が嫌いである。
小前提:大島栞は背の高い女子である。
結論:小賀勇人は大島栞が嫌いである。
三段論法。証明完了。
しかし、私はこの結論を覆さねばならない。
何故ならば、『小賀勇人』とは、私の想い人なのであり、『大島栞』とは、他でもない、私自身の事であるからだ。
・・・・・・
私は175センチ。小賀くんは160センチ。
初めて出会った時は小さい人だと思った。きっと、小賀くんも私を大きい人だと思っただろう。
「ねぇ、小賀くん」
高校の休み時間。机の上に突っ伏しながら、小賀くんにアンケート。
前の席の小賀くんが、私の方へ振り向いて答えた。
「どうしたんだい大島さん」
「小賀くんにとって、『背が普通の女子』って何センチ?」
「ふむ……まぁ、160センチ以下、150センチ以上かな」
「なるほど」
とりあえず、これを目標としよう。
しかし、私の身長は先述の通り175センチだ。最高の160センチになるにしても、後15センチは縮まねばならない。
これはちょっともう手術が必要なのではないだろうか。
とりあえず、それは最後の手段にしておこう。手術は怖い。
他に、身長を減らす方法はないものか。
「重ねて聞くけど、小賀くん。何か背を縮める方法はない?」
「うーん、知らないなぁ。君の知り合いの中で、一番背の低い人物に同じ質問をし
てみてはどうだろうか。何か分かるかも知れないよ」
「一番背の低い人物……分かった。その人に聞いてみる」
そうして私は自分の周りの人間を思い出し、全員の背を比較してみた。
「小賀くん。何か背を縮める方法はない?」
「僕かぁ」
小賀くんは背が低かった。私の知り合いの中で、一番。だから背の高い女子が嫌いなのだと、私の友達が持っていた雑誌に書いてあった。
「二度も質問されたからには、何か答えないといけないね。少し待ってくれ」
そう言うと、小賀くんはスマホをポケットから取り出した。
「ググるの?」
「いいや、ヤフる」
ヤフる。なんだかオーバーオールを着て土管に入っていきそうな動詞だ。
「検索結果が出たよ。どうやら納豆を食べると背が縮むらしい」
「納豆……なるほど。早速今日から試してみる」
・・・・・・
それから一週間経ち、私は小賀くんに話しかけた。
「一週間全食納豆にした」
それはそれは辛い一週間だった。昼休みは裏庭まで行って、一人で食べなければならなかったし、自分の枕から納豆の匂いがした時は、女の子としてどうなんだと
自問自答した。
「……すごいね。大した根性だよ大島さん」
小賀くんから感嘆の息が漏れる。呆れ果てた溜息ではないと信じたい。
「それで、どう?2、3センチは縮んだと思うんだけど」
一週間前よりも、小賀くんとの目線が近くなった気がする。
「うん、ちょっと測ってみようか。そこに立ってみて?」
小賀くんの言う通りに立つと、私の背中に、小賀くんが背中で引っ付いた。
真後ろに小賀くんの、私の好きな人の感触がする。私の好きな人がこんなに近く
に居る。あぁ、心臓がばくばくする。いくら背中ごしとはいえ、向こうに伝わっていないか不安だ。しかし、離れられない。今は小賀くんが私の身長を測っている最中だし、何より私の体が小賀くんから離れることを拒絶している。
あぁ、あぁ。幸せだ。ずっとこんな時間が続けばいいのに。
「1ミリも減ってないね」
小賀くんが残酷な測定結果を私に言い放つ。私は『なんですって』と答えた。
「なんですって」
「まぁ、こういうのって、一週間ぐらいじゃ効果は出ない物なんだと思うよ」
「じゃあ何か月かければいいの」
「詳しい事は知らないけれど……後三年程続けなければ、劇的な変化は望めない
と思うよ」
三年。時間がかかり過ぎる。その頃にはもう、私達は同じ高校に居ないではない
か。
「他に手っ取り早い方法はないの小賀くん」
「うーん……」
小賀くんがスマホでヤフる。
「林檎を食べる。窮屈なベッドで寝る。じゃがいもを食べる。逆にあえて牛乳を飲む。鉄棒をぶら下げる。なんていう方法があるね」
「片っ端から試してみるわ」
・・・・・・
それから、私は小賀くんが羅列した『背を縮める方法』を片っ端から実践した。
枕が林檎の匂いになったり、じゃがいもの匂いになったり牛乳の匂いになったり鉄の匂いになったりした。
だがしかし、何を食べても飲んでもぶら下げても、私の身長が変わることは一切なく、枕の匂いはすぐに涙の匂いへと変わっていった。
唯一、身長測定の結果を変えた日が有った物の、それは狭いベッドで首を寝違えただけだった。
「他に……他に方法はないの小賀くん」
小賀くんがスマホの画面をスクロールする。検索結果の次のページへ移行する。
けれど。
「駄目だ。意味のなさそうな物やもう試した物ばっかりだ」
「……そう……」
八方塞がり。つい、落胆の声が漏れた。
それを押し返すように、小賀くんが私に問いかけた。
「……大島さん。つい、聞き逃していたんだけど……大島さんは何で、身長を縮めたいの?僕はむしろ伸ばしたいけれど」
問いに答えようと、小賀くんを見つめる。見下ろす。
15センチ。目を合わせて会話しようというだけで、その差は如実に現れる。
「……黙秘権を行使します」
あなたの事が好きだから。なんて、言えるはずがなかった。
こんな大きな姿で。
・・・・・・
「うつろぎ公園の怪人って知ってる?」
学校からの帰り道。後ろから夕日が差す道を、私は友人と一緒に歩いていた。
前方には、夕日によって長い影が二人分映し出されている。
いや、長い影は私一人分かも知れない。隣の彼女の身長は162センチ。私と身長を山分けしてくれないものかと常々考えている。
友人は物知りだ。私に色んな事を教えてくれる。
背の小さい男子は、もれなく背の高い女子が嫌いだ。という情報が書かれた雑誌も、彼女から借りた物だった。
そんな彼女が私に教えてくれた『背を縮める方法』が。
「うつろぎ公園の怪人?」
「そう。知らない?知らない?」
知らなかった。初めて聞いた。と答えると、彼女は嬉しそうな顔をした。自分が知ってる事を、他の人が知らなかった時、嬉しいらしい。
「『うつろぎ公園の怪人』。そういう噂、都市伝説が有るの。駅からちょっと歩いた所に、大きめの公園があるでしょ?あそこ、うつろぎ公園って言うの。知ってた?」
「知らなかった」
彼女はまた、少しだけ、嬉しそうな顔をした。
本当は、名前だけは知っていたのだけど、知らないと答えた方が、彼女は調子よく喋ってくれると思ったのだ。
「その公園の隅っこにね。一本だけ周りより小さな木が有るの。その木には怪人が住んでいて、なんでも小さくしてくれるんだって。どうしても身長を縮めたいなら、その怪人に……」
「『背を小さくしてください』って、頼めばいいの?」
「そういう事」
なるほど。彼女の言いたい事は解った。けれど。
「……所詮、都市伝説。でしょう?」
「まーね。でも、今までやってきた作戦も似たような物でしょ?」
ぐうの音も出なかった。
「ダメ元で行ってみたら?」
・・・・・・
怪人は、居た。
「んん。こんにちは。女よ」
彼女が言っていた、うつろぎ公園の隅っこ。他の木よりも小さな木の枝、その怪人は、そこに腰かけていた。
中世貴族風の衣装に身を包み、オーラたっぷりだ。枝葉の隙間から入る夕日が、
また神秘的だった。
「怪人……本当に居るなんて」
つい、啞然としてしまった。
「怪人……?まぁ、いい。人間が私を何と呼ぼうと……。ふむ。そして、その
口振りから察するに、私を偶然見つけたという事でもなさそうだな。なれば、何か
『小さくしたい物』が有って、ここに来たのだな?女よ」
怪人が私に問う。啞然とした頭を切り替え、口を動かす。
「はい。私の身長を小さくして欲しいのです」
「身長……なるほど。それがお前の『小さくしたい物』なのだな」
「はい。15センチ程」
怪人が私の体を見回した。いくら私の体が大きかろうと、木の上からは見下ろさ
れるばかりだ。
「……ふん。まぁ、いいだろう。お前の背を縮めてやる。ただし、条件がある」
「条件?」
「反動で、お前の背を小さくする分、同じだけお前の『一番大事な物』を大きくす
る。いいか?」
一番大事な物を、大きくする。
私にとって一番大事な物は、もちろん小賀くんだ。彼も背を伸ばしたいと言って
いたし、何も問題はないだろう。
「……分かりました。私の背を縮めてください」
「よし。その願い。聞き入れた」
そう言うと怪人は、空中に指で何か文を書き、それを蚊でも殺すかのように、手
を合わせ、一息に叩き潰した。
パンッという乾いた音が、夕暮れ時の公園に響く。
そして怪人が空中で合わせた手をそっと開くと、先程の文が散り散りになって私
の体へ吸い込まれて行った。
「……完了だ」
どうやら私の願いは今ので叶ったらしい。
しかし、依然、視線の高さは変わらない。
「……本当に縮んだの?」
「まだ、縮んでいない。効果が現れるのは明日からだ。明日からを楽しみにするが
いい」
そして、怪人は枝葉に消えていく。
「私は、今から眠る。百年程したら、また誰かの何かを小さくしよう。それまで、
どうか今日の事を、私の事を、語り継いでくれ」
小さな木の枝葉に、人間一人が隠れる場所なんて無いが、相手は怪人。
まるで夕日が地平線に沈むかのように、自然に、有無を言わさず、怪人は消えて
行った。
・・・・・・
次の日、目を覚ますと体が軽かった。
すぐに起き上がり、部屋の鏡で確かめる。そこに写る『私』は、昨日の『私』で
はなかった。
背が、縮んでいた。
昨日のあれは夢じゃなかった。夢ではなかったのだ。
私は軽くなった体で飛び跳ね、喜んだ。
これで私はスタートラインに立ったのだ。小賀くんに恋する事が許される、『背
が普通の女の子』になったのだ。
制服はだぼだぼ。天井が遠い。母が作る朝食の量を多く感じた。
「あら。栞。その身長どうしたの」
母が私の異変について尋ねた。
「イメチェン」
別に間違った事は言っていないし、他に説明のしようもないと思う。
「あらぁ、女の子ねぇ」
ざっくりした評価だ。
「お母さんは、この姿の私、嫌い?」
「ううん。中学生の頃みたいで懐かしいわ。今も可愛いけれど、あの頃も可愛かっ
たわねぇ」
母が私の姿を褒めた。
早くこの姿を小賀くんにも見せたい。
「……ありがと、いってきます」
いつもよりも大きく重いドアを開けて、私は学校へ向かった。
・・・・・・
「おはよう」
下駄箱で靴を履き替えている友人に挨拶する。
いつもなら昨日のように、私が見下ろす形になるのだけど、今、視線はほとんど
変わらない。
私は今、160センチなのだという事を再確認した。
「えっと……転校生ちゃんかな?職員室をご所望かい?」
一方、彼女は私が誰か、気付いてすらいないようだ。
無理もない。私は昨日と15センチも違うのだ。
「さて、誰でしょう?」
そこでいたずらっぽく笑ってみる。今日の私は機嫌がいい。
「えー……?」
友人はあごに手を当て、ひとしきり考えた後、私の両頬を掴んだ。
そしてぶにぶにした。ぶにぶにぶにぶに。
「もしかして、栞ちゃん!?」
「正解。だけど、どこで判断してるの」
「すっごーい!すごいっ!すっごい縮んだじゃん!やっぱり『うつろぎ公園の怪
人』は居たんだ!」
友人がはしゃぐ。
「ええ、あなたの情報通りだった。ありがとう」
「うん……けど、何かあれだねー……もったいないっていうか。何というか。いや、でもこれであの小賀くんの嫌いな『背の高い女子』じゃなくなったんだし、
これでいいんだよね?」
確かに、『背の高い女子』が持て囃される場所もあっただろう。例えば、何かの
雑誌のモデルに誘われた事もある。
けれど、そんな事に意味はない。
私が一番欲しいのは、小賀くんなんだ。小賀くんとラブラブになりたくて仕方が
ないのだ。
そのために必要なのは『背の高さ』ではなく『背の低さ』。
邪魔な物を消したんだ。何ももったいなくない。
はずだ。
「早速、小賀くんに見せてくる」
「あ、うん。いってらっしゃい」
教室に向かって早歩きする。それでも以前のようなスピードは出ない。身長が小さいから、当然、歩幅も短い。
もどかしくて、途中から半ば走るようにして、教室の中に入っていった。
教室に入ると、先に登校していたクラスメイト達が一斉に私に注目した。それだ
けの変化が、今の私には有った。むしろ、今の私が、昨日の私の変化した者だと、
気付いている人間の方が少ないだろう。
「おはよう。小賀くん」
「えーと……君は誰だろう」
小賀くんも私が私だと気付いていない。
私だと気付いてもらえない。昨日の私だったら、悲しくてたまらなかっただろう
けれど、今の私はこれでいい。
今までの『私』の事は忘れてもらって構わない。相応しくなかった、『私』は。
「大島。小賀くんの後ろの席の、大島栞」
「おおしま……大島さん?あの大島さん?」
小賀くんがあらためて私の体を眺める。
「その大島さん」
「……すごい。ついに小さくなる方法を見つけたんだね。おめでとう」
「ありがとう」
小賀くんが祝ってくれた。すごく嬉しい。
というか小賀くんかっこいい。すごくかっこいい。昨日よりかっこいい。
何でだろう。小賀くんには、私と違って変化は見受けられない。なのにどうして
こんなにかっこよくなっているのだろう。
私はそこで昨日の怪人の言葉を思い出した。
奴は、『お前の一番大事な物を大きくする』と言っていた。
そういえば、何故小賀くんは大きくなっていないのだろう。
大きくなっていないのに、何故こんなにかっこよく見えるのだろう。
と、そこまで考えた所で、私は気付いた。
あぁ、きっと、私の一番大事な、『恋心』が大きくなったのだ。
「小賀くん。少し話があるんだけど」
「うん?何かな」
「今日、一緒に帰らない?」
・・・・・・
その少女と少年は、学校から帰る途中だった。
「男の子ってバカばっかりなの?」
小学生にしては高身長の、その少女は、不貞腐れてそう言った。
「どうして、そう思うの?」
小学生という事を差し引いても低身長の、その少年はそう問い返した。
「私の事、毎日からかうの。私が大きいってだけで。ドッジボールの時もしつこく
狙ってくるし、私が当たったら、『大きいくせに、大きいくせに』って。もう先生
に言いつけるのもめんどくさい」
少女の手には、ぶつけようのない気持ちを表すかのように、家の鍵のストラップ
がひゅんひゅん振り回されている。
「鍵、危ないよ」
そんな少年の制止も聞かず、そのままに少女は話を続けた。
「私が大きいから何なの?何でドッジボールに強くなくちゃいけないの?他の人の
分まで牛乳飲まなきゃいけないの?皆、私の身長ばっかり見てる。それで全部決め
つけてる」
少女の声は、苛立ちが滲み出ているようだった。
少女は、最早大好きな父や母でさえ、本当に自分を見ていないんじゃないかとさ
え思い始めていた。そんな気分だった。
手元の鍵の勢いが増す。
少年はこの頃まだ未熟で、誰かの怒りをなだめられるような話はできなかったの
で、ただ思いついた事を少女に言った。
「……この前テレビで、どうすれば背が伸びるか。っていう番組がやってたよ。
あれの逆をやってみたらどうかな。成長が止まって、中学生になる頃には、君より
大抵の男子の方が大きくなっていると思うよ」
僕は小さいままだろうけど。と、少年は自嘲気味に付け加えた。
「……むしろ、そのテレビの通りにしてみようかしら」
少女の声色が落ち着く。けれど、指先で振り回される鍵の勢いは止まない。
「どうして?ますます大きくなっちゃうじゃないか」
「だって、そのまま大きくなって、他の人の声が聞こえなくなるくらい大きくなれ
たら、そうすれば、何も気にしなくていいだろうから」
「……それじゃあ、僕の声も聞きたくないの?」
少年が何か言おうとしたところで、振り回されていた少女の鍵がついに、指先の
制御から外れ、勢いのままに宙を舞った。
「あっ」
少女が声を出して、鍵の行く末を視線で追う。それは、どこかの家の塀から飛び
出た木の枝で止まった。
「ほら。だから言ったのに。木の枝に引っかかっちゃったじゃないか」
少年が言わんこっちゃないという目で少女と木の枝を見上げる。
「……ふん」
少女が、鍵が引っかかった所の下に立って、鍵に向かって真上に手を伸ばした。
「どう?届きそう?」
「ジャンプすれば……何とか」
少女は膝を曲げ、足に力を溜めて、真上に跳び上がった。
しかし、標的が真上だったからか、狙いが外れ、そばの枝に手が掠っただけだっ
た。
「くっ」
けれど、高さはギリギリ足りている。もう一度、場所を変えて跳べば今度こそあ
の鍵を掴めただろう。
「わっ、きゃっ」
だが、鍵に集中し過ぎた故に、少女は着地を誤った。少女の体重を、アスファル
トが受け止める音がする。
「いっ……たい……」
「だ、大丈夫?」
少年が心配そうに少女の顔を覗き込んで、手を差し伸べた。
「うん。何とか……」
少女が少年の手を取り、立ち上がろうとした、そこで、少女の足首に痛みが走っ
た。
「いづっ……」
それにより、少女の顔に苦悶の表情が浮かぶ。
「……捻挫しちゃった?」
「みたい……」
もうしばらくは、先程のような思い切りのいいジャンプはできないだろう。
少女はその場にへたり込んで、木の枝を更に低い位置から見上げた。
「どうしよう……あの鍵がないと、帰れないのに……お母さんにも怒られ
る……」
この場にあの男子達が居たらどうだろう。また、私の事を『大きいくせに』とバ
カにするだろうか。
少女は、途端に惨めで、情けない気持ちでいっぱいになった。
私はどうしてあんなにドッジボールが弱いんだろう。こんなちょっとした事で、
捻挫してしまうのだろう。
そこで、少年が前に立った。
「僕が取ってきてあげる」
少年はそう言うと、塀の手前にランドセルを投げ捨て、助走をとった。
「ランドセル、踏み台にするの?筆箱とかは……」
「知らない」
少年は、そう言い切った。
少女はそんな少年のぞんざいな言葉に少し戸惑った。
少年は学校の中で一番頭が良くて、すごく真面目な生徒だったから。少女はずっ
とそう思っていたから。
「そ、それでも無理よ。あなた、私よりずっと背が低いし……」
そこで、少年はふふん、もしくはにやりと笑った。
「決めつけないでくれよ」
少年は少女の目の前を駆けた。
枝の鍵目掛けて、ランドセルを踏みつける音がする。
・・・・・・
小賀くんが塀から飛び出た枝に手をかざす。
「懐かしいねぇ」
あの時の枝はもうない。幼き日の小賀くんが勢い余って折ってしまった。
「覚えてる?あの時の事」
「もちろん。覚えてる」
小賀くんに大事な事を教えてもらった日の事。
私が、小賀くんに恋をした日の事。
「あの時は、枝を折った後すぐに逃げちゃったけど、この家の人はどう思ったか
なぁ」
「公共の道路に飛び出してるんだから、自業自得じゃない?それに、もう時効だと
思う」
「……ふふ、それもそうだね。鍵も一緒に取れたし、結果オーライだよね」
小賀くんが目を細めて枝を眺めた。
きっとあの時の情景を思い出しているのだろう。しばらく、私も一緒に枝を眺め
た。
「……何だか、寂しいなぁ」
小賀くんが、おもむろにそう言った。
「何が?」
「大島さんが、変わっちゃったから」
自分の心臓が、ドキリと跳ねたのが分かった。
ときめきとか、そういう心地良い物ではない。もっと、最悪の何かだった。
「……あの頃の大島さんじゃ、ないみたいだ」
「……身長で言えば、昨日より今日の身長の方が、あの頃の私に近いと思うけど」
「うん……まぁ、そうなんだけどさ。そうじゃなくて……もっとこう……、
駄目だ。僕も何だか上手く言えないや」
小賀くんが、目を伏せて、困ったように頭を搔いた。
「……でも、人って変わるものだもんね。大島さんがイメチェンをして、僕が寂
しいから何だという話だよ。そろそろ帰ろう。もうじき日が暮れる」
「……そうね」
そして私達は歩き出した。
木の下を通っても、頭に掠る物はない。
あの時の枝はもうない。
・・・・・・
小賀くんは寂しいと言った。私が変わってしまって、寂しいと。
でもそれは、友達として、なのだろう。
だから、これでいいはずだ。私を女の子として見てもらうには。
私が小賀くんの『恋人』になるためには、これで。
・・・・・・
次の日、目を覚ますと体が軽かった。
すぐに起き上がり、部屋の鏡で確かめる。そこに写る『私』は、昨日の『私』で
はなかった。
背が、縮んでいた。
……何で?昨日、既に縮んだはずだ。なのに、何で今日も縮んでいる?
鏡に写る自分は、およそ145センチ。
そこで、私の携帯が鳴った。あの友人が通話を求めている。
「もしもし」
『もしもし、栞ちゃん?今日は縮んでないよね?昨日と同じ160センチのままだ
よね?』
彼女は焦った調子で私に問いかけた。
「……いえ、何でか今日も縮んでる。145センチになってる」
『あ……あぁ……』
そこで、彼女は泣き崩れてしまった。携帯越しに、彼女の泣き声が聞こえる。
「ちょっと?ど、どうしたの?落ち着いて、説明して?」
荒い息が整わないうちに、彼女の嗚咽混じりの声が聞こえる。
彼女が言うには、こうだ。
あの時の『怪人』についての説明は不足していた。
怪人は、何かを小さくする代わりに、願った者の一番大事な物を大きくする。
これは、私も直々に説明されて了承したが、もう一つ、あの怪人が説明していな
かった事。
その願いは一度に収まらず、毎晩行われるらしい。
つまり、今日の夜、私は更に15センチ縮み130センチになり、その次の日の
夜に115センチ、その次の日の夜に100センチ。と際限なく縮んでいく。
いや、際限はある。私の身長は有限だ。
……何という事だ。私は後何日の間、人間の大きさでいられるんだ?
『ごめんなさい、ごめんなさい。私が、栞ちゃんに、あんなこと、言ったから』
頭が、空虚だ。
いくらでも新しい情報を押し込めるほど空っぽなのに、頭がその情報を頑として
受け取らない。拒絶する。
私の身に起こっている出来事が、まるで何か私の関わらない絵のようだ。
『栞ちゃん、このままだと、縮んで』
彼女が、泣いている。私が、消える?
「大島さん!」
家の前から、声が聞こえる。
そこには、自転車に乗った小賀くんが居た。
「乗って!」
・・・・・・
自転車のタイヤが道路を駆ける音がする。チェーンが回る音がする。
平日の朝から、学校をサボタージュして二人乗り。
彼がさほど真面目な生徒ではないともう知っていたけれど、ここまでとは思わな
かった。
「僕も調べたよ。あの『怪人』の事。このままだと大島さん。消えちゃうんだよ
ね」
前から荒い息と共に小賀くんの声がする。
「……うん」
返事をしたけれど、私とは思えない程小さな声だった。小賀くんと同じ自転車に
乗っていなければ、きっと聞こえなかっただろう。
小賀くんは、私を問い詰めるでも慰めるでもなく、話を続けた。
「……それから、『うつろぎ公園の怪人』を調べてたら一緒に出てきたんだけど
さ。○○県××市にある公園にも、『怪人』が出るらしい。こっちの『怪人』は、
何かを大きくしてくれるってさ。そこに、君を連れてってあげる。君の背を、もう
一度大きくしてもらおう」
そこで、がこん。と車体が大きく揺れた。
荷台が私の尻骨に食い込む。
「……ごめんね。平日のこんな時間から今の君と二人で電車に乗ると補導される
だろうから、自転車しか使えないんだ。君もその体じゃ、満足に運転はできないだ
ろう」
小賀くんが、一層強くペダル踏んだ。
「だから、しっかり摑まってて」
それはもう。本来、小賀くんに抱きつくために小さくなったのだから。
一昨日より、昨日よりもドキドキする。この恋心も、背が縮んだ分、昨日より一
層大きくなっているようだ。
「……ありがとう。小賀くん」
「別に、これは僕のワガママだよ。君に、これ以上イメチェンして欲しくないだけ
だ」
「うん……ありがとう」
朝の街は、騒がしい。
私は小さいから、道行く人から奇異の視線を向けられる。
後数日で私は消えてしまうかもしれない。
でも、そんなの気にならないくらい。私は、幸せだった。
もう、死んでもいい。
小賀くんの背中越しに、朝の陽ざしを眺めながらそう思った。
・・・・・・
辺りはもう夜だった。
ちゃりちゃりと、自転車のチェーンが今朝とまるで逆の、弱々しい音を出す。
隣の県へ行く。おまわりさんに見つからないように。私を荷台に乗せて。
小賀くんは疲弊しきっていた。
そのうち、チェーンの音が止み、辺りが夜の静寂に包まれる。自転車は完全に動
きを止めた。
けれど、それは小賀くんの体力が限界を迎えた訳ではなく。
「……着いたよ。『さかみ公園』。目的地だ」
自転車から降りる。途中、何度か降りようかと提案したけれど、男の子の意地と
やらで却下された。
固い荷台による臀部の痛みが和らぐと共に、小賀くんから体が離れることに、寂
寥感をおぼえた。
もう、あそこには二度と座れない気がした。
「この公園の中で、一番大きな木に怪人は居るらしい。もうすぐで0時だ。時間がない。行こう」
街頭を頼りに、一番大きな木を探す。
数々の木々を順に通っていくと、途中で声がした。
「お嬢ちゃん。坊や」
振り返ると、『うつろぎ公園の怪人』によく似た、中世貴族風の衣装に身を包ん
だ男が木の幹にもたれかかっていた。
「こんばんは」
「……あなたが、怪人ですか」
小賀くんが怪人に問いかける。
「怪人……。そうだね。そう呼ばれることもある。いかにも、私が『さかみ公園
の怪人』だ。して、何用かな」
「……私の身長を、大きくしてください。15センチ程」
怪人が、私の体をじろりと眺めまわした後、答えた。
「……うん。よろしい。貴方の背を大きくしてあげましょう。ただし、条件が二
つある。一つは、願いが毎日続くこと」
知っている。むしろ、そうでなければ今掛かっている願いを打ち消すことができ
ない。
「それから、もう一つは、貴方の身長を、同じだけ縮める」
「え……?」
話が違う。
「縮めるのは、『私の一番大事な物』ではないんですか?」
「えぇ、貴方の体、身長をいただく」
「そんな……『うつろぎ公園』の時と……違う……」
そこで目の前の怪人が、何かを思い出し、眉をひそめた。
「あぁ……うつろぎ公園の。あいつの仕事はいい加減だからなぁ。私は、マニュ
アル通りにやらせていただくよ」
「そんな!」
小賀くんが声を荒げた。
「大きくなっても、同じだけ縮むなら意味ないじゃないですか」
「ええ、その通りだよ。今なら大きくする物を別の物に変えてもいいが」
怪人の声音の調子は変わらない。
「彼女は、これから毎日15センチずつ縮んでしまうんです!何か、どうにかでき
ませんか」
「できないね。できない」
「そんな……」
小賀くんがうなだれる。
私が消えていくのを、止めることはできない。
けれど、私は不思議とそのことに納得していた。
「小賀くん。折角頑張ってここまで連れてきてくれたのに、ごめんね」
「大島さん……」
小賀くんが、今にも泣きそうな目で私を見据える。
でも、ようやく距離が消えた気がした。私と、小賀くんを遮る距離が。
同じ身長になったからじゃない。小賀くんより小さくなったからじゃない。
ただの長さじゃない。もっと別の『15センチ』が埋まったのだ。
今なら、何でも言える。
「私ね。小賀くんの事が好きだったの」
小賀くんを、見上げる。
「だから、小さくなったんだ。『普通の女の子』として見てもらえるように。馬鹿
だよね。そんな事しても意味はないって、身長なんて関係ないって、小賀くんは教
えてくれたのに。きっと、これは罰なんだ。自分が消えるって分かってから、よう
やく告白するような、本当の自分で向き合えなかった、ズルい私への……。でもね、後悔はないよ。最後に、あなたと旅ができたから」
公園の時計を見る。11時50分。もうすぐ、私はまた縮む。消滅へと一歩近づく。
「今まで、ありが……」
「それは、君の事情だろ」
小賀くんが、私の言葉を遮った。
「何が、後悔はない。だよ。勝手に一人で納得するな。君に後悔がなくても、僕に
はあるぞ。僕はまだ、君に何もしてもらってない!僕だって、僕だって君の事が好
きだったんだぞ!」
小賀くんの声が、夜の公園に響く。
「僕の前から、勝手に居なくなるな!」
気づくと、私は泣いていた。両想いだったのが嬉しかったから、それだけだ。
「でも、もう……」
「怪人!」
小賀くんが、私の言葉を無視して怪人へ振り向く。
「彼女を、大きくしてくれ」
「はぁ、だけども先程、自分で意味がないと言っていたじゃないか」
そうだ。大きくなっても、その分小さくされてしまうなら。結果変わらず私は縮
み続けるだけだ。
「違う……今、あなたに願っているのは彼女じゃない……僕だ。僕の身長を、
使ってくれ」
「……え」
私は驚いて、一瞬声が出なかった。
それでは、今度は小賀くんが。
「なるほど、わかった」
すると怪人は、うつろぎ公園の時と同じように空中に文字を書き始めた。
「だ、駄目」
この願いが叶ってしまっては駄目だ。
怪人の儀式を妨害しようと怪人の手を掴んでも、それはするりとすり抜けてし
まった。
そして、あの時と同じように、儀式は進行され、空中の文字が小賀くんの体の中
へ吸い込まれて行った。
「それじゃあ。さようなら」
怪人が、闇に消えていく。
「ま、待って」
もう一度、今度は私が小賀くんを大きくするように願えば。そう思ったけれど。
「すまない。一度願いを叶えたからには、私はしばらく眠りにつかないといけな
い。どうしてもと言うなら、また百年後に来てくれ」
そのまま、怪人は闇へ消えていってしまった。
「あ、ああ」
声にならない。小賀くんが、私の身代わりになってしまった。
「……何で、何で」
「……君の事が、好きだからだよ。男の子の意地さ」
小賀くんは、すっかりいつものように笑った。
涙が溢れる。さっきの涙とは違う。色が違う。悲しい。
「ねぇ。僕らは恋人になろう」
小賀くんが、泣きじゃくる私の頭を優しく撫でながら、そう言った。
「後、何日か。今度は、君が僕の人生を、後悔のないものにしてくれ」
そう言って、私を抱きしめた。
私は、小賀くんの胸元で更に泣いた。
小賀くんが、私より大きい最後の一日で。
・・・・・・
「あ、起きた」
起きると、目の前に小賀くんが居て、私を抱いていた。
辺りを見回すとそこは『さかみ公園』だった。
「どうやら、あれから野宿してしまったみたいだね。大丈夫だよ、僕が敷布団に
なって、君の服はあまり汚れていないはずだ」
「そう……」
昨日の夜を思い出して、目に涙が滲む。
それが小賀くんにばれないように顔を伏せる。後数日、小賀くんを幸せにするん
だ。笑顔で、笑顔で居なければ。
涙が引っ込むの待って、小賀くんの顔を見上げた。
……見上げた?
「小賀くん。ちょっと立ってみて」
「うん」
測る。
「……1ミリも減ってないね」
「なんですって」
お互い、1ミリも減っていなかった。
「何で、いや、嬉しいけど、どうして」
ふためく私とは違い、小賀くんは何かを察して、気まずそうに頭を搔いていた。
「その、あらためて言うのは何か恥ずかしいけどね。その……昨日の夜、大島さ
んの『一番大事な物』が、僕に更新されたんじゃないかな……」
うつろぎ公園の怪人の条件を思い出す。
「反動で、お前の背を小さくする分、同じだけお前の『一番大事な物』を大きくす
る。いいか?」
なるほど、昨日までは小賀くんを想う恋心が一番大事だったけれど、昨日の小賀くんがあまりにかっこよかったから、ついに私の『一番大事な物』が小賀くんそのものに変わったのだそうかだから今回の願いの代償を打ち消すことができたのかと考えた所で顔から火が出た。
慌てて顔を逸らす。
「……うん。えーと、じゃあ、帰ろうか」
「え、ええ……」
入り口に止めた自転車まで小賀くんの後ろを歩く。
すごく恥ずかしい。
何より、結局この状況が未来永劫続くのだという事がとても恥ずかしい。
あの告白は私が消える前提だから言えたのだ。
けれど、それ以上に嬉しい。嬉しくってたまらない。
きっと、前を歩く小賀くんも同じ気持ちでいてくれているだろう。
「ねぇ、小賀くん」
小賀くんへアンケート。
「どうしたんだい大島さん」
前を歩く小賀くんが、振り向かずに答えた。
「背の高い女子って、嫌い?」
「いや、別に」
今の私は、結局30センチ縮んだままで、もう背が高いとは言えない身長なのだ
けど、その答えが、なんだかとても嬉しかった。
朝焼けが照らす公園で、少し、足が逸る。
もう一度、小賀くんの自転車の後ろに座れる事が楽しみだ。
ラバー・ガリバー 牛屋鈴 @0423
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