第2章:異世界占い師〜主人公枠あり。すぐ死ね〜

第16話 聖地



 人の流れが目まぐるしく変化していくドラァグ・クイーン・ストリートは、まるで迷路のような存在になっていく。交錯する思惑が街を複雑に歪めるのだ。

 継ぎ接ぎのくすんだ道にも縄張りとしての役割があり、こだわりの強そうな“おつまみ屋”の前を歩けばぶこつな鉄板が敷かれ、壁面に蔓<つる>を生やした靴屋の前を通ればモノクロ調のタイルになっていく。誰もかれもがヘイローに金を流す“好き者”や、聖域に資産を流す“冒涜者”へ媚びを売ることに命を懸けているのだ。

 それは世界を形成する権力の構図であって、食い止めることは許されない。人の繁栄が続く限り、時代の残留物である“ドラァグ”の住民は、ただ善悪区別なく時代へと必死に食らいついていくのだろう。

 

「──あなた“カートゥーン”の九十九<つくも>さん?」


 よもやその“ドラァグ”の住民である九十九が、取材と称して声を掛けられるとは思いもしていなかった。

 ヤニの匂いをまとった男は鼻下と顎にひげをたくわえ、見た目は30代後半のニット帽をかぶったくたびれた男で、この街での面識はない。

 身にまとった白いベストには胸ポケットが3つずつもあり、胸元には小さな砲台のような一眼レフカメラをペンダントにしている。治安を考えて純黒の反射防止テープで巻いているのはいかにもで、撮影関係の仕事に心血注いでいるのが分かった。


「俺のこと?」


 呆けた面で己に指差し、改めて自分なのか確認すると、男はニッコリとえくぼをつくって頷いた。


「混みあった場所で、すみません。フリーのカメラマンやってます。留盾・いとま<とめたて・いとま>と申します。トラブルシューターとしてのご活躍の噂はかねがね……」


 そういって彼は胸ポケットから黒革の名刺入れを用意し、己の肩書を1枚取り出すと両手で献上する。

 これは、そう。あのビジネスマンにとっての重要な儀礼の一つ、名刺交換だ。


「おお、これはどうも」


 九十九は目を輝かせて名刺を頂戴したものの、考えてみれば服は例の騒動で溶かされてしまったせいでストックはない。さらに荷物は学園に置きっぱなしだった。


「(こんな時に限って……)」


 バツが悪そうに頭を下げ、ベストのポケットに名刺を突っ込む。


 ──かしゃ。


 ふいにかすかなシャッター音を耳にした九十九。

 カメラマンを謳う彼が、ぶしつけにも許可なしで写真を撮ったのかと思ったが、留盾とはずっと目線は合わせていたままだったし、そもそも撮ったとしても映える絵面でもない。

 仁道寺や風真のことで接触を目論んでいたのかという疑念も脳裏によぎるが、さすがにバレるまでの間隔が短すぎる。素直に何でも屋としての努力が実ったのだと思うことにした九十九は、鼻高々と胸を張り、流れるように握手をしてお互い一言交わして挨拶を済ませる。


「申し訳ない、名刺を切らしてしまって。持ってたら20枚ぐらい差し上げたんですが」


「いえ、いいんですよ。顔合わせがしたかったんです」


 穏やかに目尻を垂らし笑っている留盾は、背中に背負っていた登山用のリュックを地面に下ろす。


「しょっと」


「あ、直は汚いですよ。何が付いてるか分からないですから」


「平気です平気です」


 九十九は慌てて指摘するが、お構いなしにリュックを漁る留盾。やがて彼はおもむろに一冊のファイルを手に持ちパラパラとページをめくり始める。

やがて、あるページで止まると、一枚の写真用紙を手早く抜き取った。


「それは、写真ですか? ボクの?」


 あからさまにすっとぼけた顔で尋ねる九十九の目の前に、スッと伏せたまま写真を差し出してきた。


「まま、お近づきの一枚と言ってはなんですが、熱いうちにどうぞ」


「熱いって……」


 言葉通りに受け取った九十九は警戒しながらも写真をちょん、と人差し指でつついた。

 が、熱がこもっているわけではなく普通の紙だ。


「大丈夫ですよ。そういう意味じゃないですから。熱い気持ちがこもった、という意味です」


 からかわれたことに怒るというよりは、どうにも留盾の態度に気味悪く感じていた。彼の笑みは固く張り付いたままで、蛇のような縦長の瞳は歪めることなくこちらを見つめている。


「(なんだよコイツ)」


 とっとと写真を受け取りなんとなしにひっくり返してみるが、全面真っ白で何も映っていなかった。


「なんもないじゃないですか」


 肩透かしを食らって不満げにつぶやくと、その間に写真に変化が起き始める。どうやらポラロイドカメラのように時間を置くとじわじわと絵が浮かびあがってくるようだった。


「俺みたいなの撮ったって面白くも……」


 呆れた物言いをして照れ隠しする九十九だが、ぼやけていた写真の絵がはっきりとしてくると言葉が詰まった。

 写真には九十九ではなく、病室のベッドで人工呼吸器のチューブに繋がれた女性患者が映る。若くはなさそうな年齢だが、年老いてると断定できるほどしわもない。峠は越えているのか、顔色は人肌のありふれたものとなっていた。


「(これ……)」


 かじりつくように凝視していると、ぼやけていた顔がより鮮明になってきた。嫌な予感がしていた九十九は、瞳に確信を得た光が宿ると目を大きく見開いた。


「──おいッ」


 見上げると留盾は夜市の人ごみに紛れており、なおかつ慣れた足取りで九十九からぐんぐんと距離を離した後、端の路地へと逃げていった。


「(……どうやってこんなもの)」


 徹底したヒットアンドアウェイ戦法になすすべもなく、行き場もない怒りを発散するために写真をくしゃくしゃに丸めると真上にぶん投げる。紙くずは天井を覆う厚い電線の束に弾かれ、“爪切り屋”の赤茶けたトタン屋根に落ちていった。

 九十九は呆然とその様子を眺めていると、せき止めていた人の流れに煽られ、とぼとぼと歩き出した。





 取材への興奮に水をかけられ、すっかり胸糞わるい気分になった九十九。行き交う人々の流れに乗ったまま、気づけば喫茶店“やろう”の前に立っていた。


「(なんだ……繁盛してるみたいだな)」


 一見して外見にはまるで変化はないが、見事にも喫茶店は以前の状態で復元されており、少し小綺麗な雰囲気にもなっている。半日という猶予でこれほどの良い仕事をこなす職人に感服する九十九。

 めずらしく中の明かりからは大人数の“野郎共”の下品な笑い声、豪快にグラスを鳴らし合う音。ジュリアを慕う者の多さを物語っていた。


「(後にすっか……)」


 リニューアルして間もなく、しかもこの忙しい時にシケた顔をジュリアに見せても仕方ない。気分も乗らないまま180度転回して、手前のカビ臭い狭い路地に入り込む。いつものように鼻をつまみ、悪臭から逃れるように裏の通りへと抜けた。


 表通りに比べ客層が荒れ始め、通りの両端ではいかがわしい恰好をした妖艶な女性やたくましい男が酒を飲み、タバコをふかしている。そこに薬売りやトカゲ釣りなど露天商も加わり、一段と秩序から離れた妖しい賑わいを見せる。

 この時間帯の裏通りこそが、“ドラァグ・クイーン・ストリート”本来の顔であり、夜市においてはもっとも盛んで不健全な場所なのだ。

 瞳を濁らせた九十九は周りに目もくれず、人の波が押し寄せない空き地へと避難する。そこには濁り切った空間に差し込む一筋の月明かり。そこに待つのは九十九の自宅であり、職場でもあるトレーラーハウスだった。


「またこのオッサンか」


 空き地の入り口に酒瓶を撒き散らし横たわった酔い潰れた男がおり、九十九は驚くこともせずに、平然と彼の背を押してころころと転がして反対の路地にまで追い出し、開けた道を通る。


「漫画の続きでも見るかな」


 ようやく家に辿り着いた九十九は「ふぅ」と小さくため息を吐き、段差を踏み上がって扉の前に立つ。そして九十九はドアノブに触れた際、数秒間思考が停止した後に気が付いてしまった。


「鍵! そうだよ、鍵! しまった、忘れたよオイ! ああ、くっそ」


 頭を抱えてうなる九十九。ここまで来て厳戒態勢のそ茶の水に戻るのは不可能であり、無謀というもの。下手を打てば二度と帰ってこれない。

 かといって鍵を壊すとするとそれはそれで金もかかる。緊急用の入り口でも作っておけばよかったと今の今ほど後悔したことはなかった。


「やらかした。どうしよう」


 ボヤキつつダメ元でドアノブを掴んで回してみる。

 

「(ダメだよなぁ)」


 諦観しつつ奥に圧すと、すぅっと抵抗なく扉が開き、あまりの都合の良さに真顔になった九十九。


「閉め忘れ……?」


 不用心な自分に感謝する日がくるとは思いもせず、感涙に至った。


「ツイてる……ツイてないけどツイてるぞ!」


 ヘイローを見守る神様に十字を切って礼を述べると、一歩踏み出し家の中に入る。


「たぁだいまぁ」


 元気よく暗闇に声をかけると、独りでに電灯がついてリビングを照らしだす。


「オカエリナサイ」


「おう……誰?」


 カタコトの言葉が目と鼻の先から聞こえ、その正体に九十九は愕然とした。

 玄関のすぐそばにへそ出しセーラー服をまとった、2メートルほどの黒人がお出迎えにきており、ニヤつきながらくちゃくちゃとガムを噛み、ハートマークがついたプラスチックのステッキを構えていた。


「じゃ、いってきます」


 状況がつかめなかった九十九は、気持ちを整理するために挙動を巻き戻し逃げようとする。


 が、それは叶わなかった。筋肉で盛り上がったゴツい右腕が九十九の腕をつかみ、ぐいっと引きずり込んだかと思うとすくいあげられる。九十九は勢いよく半円を描き、軌道上のシャンデリアにぶつけられ破壊されると、そのまま奥のソファ兼ベッドに叩きつけられる。


「あぐぉっ」


 声にならない声を上げ、へこんだ寝具の上で塵埃<じんあい>にまみれ「ごほごほ」とむせる九十九。

 理不尽な暴力を振るわれ、心の整理もできていないまま脳内と視界がぐるぐると回っている。

 気絶させないよう黒人は九十九の頬を往復ビンタして呼び戻すと、大きく一歩下がって手を前に組み待機した。 


「──来ちゃった」


 茶目っ気を含んだ太く濁った声がする。

 九十九は頬をさすりながら寝返りをうってうつぶせになると、来客用の椅子に座っているふとやかな男を見て、おもむろに顔をうつむかせる。上半身は紅色、下は真っ黒のレオタード姿にサングラスをかけた変態がいたからだ。


「もぅ……なんでこんな奴ばっかり」


 吐き気をもよおしている九十九にツボが入り、男は大笑いしながら短い脚をばたばたとさせ手を叩き喜んでいる。

 はだけた胸元からは脂ぎった肉がはみ出しており、まったくもって喜ばしくない攻めのスタイル。えぐい妖怪を目に焼き付いてしまった九十九は、額をベッドに擦り「うーうー」とうなりだす。


「気に入ってくれて何より。人間関係が深まるかどうかは、初対面からの1分間で決まるらしいからね」


 男はテーブルに置いていたワンカップの酒を持つと、それを喉を鳴らして一気に飲み干し、酒臭い息を大きく吐き出してから「おい」と呼びかけた。


「めったにこないけど、おしゃれな店だね。シャンデリアとか、ベッドとか気に入ったよ」


「いま壊れたけどな……!」


 九十九の真下にある固い感触に苦悶の表情を浮かべつつ、腕を立て起き上がる。九十九が体勢を整えている間、男は眉をくいっと上げ厚ぼったい唇を動かしだした。


「最近さ、この街の荒れようが酷いと思わない? 世間様とは縁のない土地に見えるけど、ここは才人集うヘイローの受け皿であり、弱きものを救うグロゥヴァルタゥンなのよ。とにかく統治者<ルーラー>の立場としてはね、非常に面白くない。ストリートを穢される<けがされる>っていうのは、土足で家に踏みこまれるのと同じさ。無礼極まれりってね」


「おたくらも荒らしてんじゃん……」

 

 背中を押さえつつ半笑いで指摘すると、九十九の側に黒人がさっと歩み寄りステッキを振り抜いた。先端に取り付けてある強固なハートの部分が九十九の顔面にクリーンヒットし、大の字になって半壊状態のベッドに倒される。


「先日この街で大暴れしたお馬鹿さんがいたみたいでね。今朝も妙な男がキミとべっぴんさんを探しに尋ねてきたよ。どうも騒ぎの中心にキミがいるみたいだからね、ボクは忠告にきたんだ」


「(……ああくっそ)」


 あのうさんくさい留盾の存在を思い返すと、ヘドロのようなどす黒いものがこみ上げてくる。

 統治者はのそりと立ち上がるとベッド脇まで歩いてアルコール臭のキツい顔面を、考えふけっている九十九の方に近づけた。


「今度派手に騒いだらさ、“埋める”から」


 タチの悪い酔っ払いだと思っていたが、目つきを尖らせ凄む彼は、街を支配する者にふさわしい貫禄があった。


「ま、そのつもりで」


 九十九の肩をぽんぽんと叩いた後、「お世話様」と告げてから黒人を連れてトレーラーから去っていった。


 独り荒れ果てた家の中で、九十九は目が点になったまましばらく押し黙っていた。

 が、満を持して溜まりにたまったストレスのゲージが喉元までこみ上がる。

 

「──もうやだぁああッ!!!」


 襲い掛かる脅威に思い切り声を張り上げると、その衝撃でベットが完全にへし折れてしまい、九十九はくの字になってベッドの底に落ちた。

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