第15話 よどんだ血


 学園の外には興味本位で集まった傍観者であふれ、フォーマルなスーツとドレスに身を包んだ紳士淑女の一人一人が単眼鏡を持ち、鉄柵の校門越しに九十九やパトカーに押し込められた瀬海の無様な姿を覗いている。異国の情緒を味わう好奇の目は、優雅なる狂気をはらんでいた。

 今のいままで姿を見せなかった教師は、瀬海と九十九の騒動を目にするや否や、樹木の蜜に集る虫のようにこぞって姿を現し、一人また一人と数をなすと2、3人は野次馬の対応、残りは全員停車しているパトカーの前に待機している警官に群がった。

 黄、黒、白の人種の垣根を越えた教師や生徒たちは、瀬海の安否を気遣って懸命に事情を説明すると、真摯な気持ちに胸をうたれたのか警官は態度をガラっと豹変させ「事情聴取ですから」と安心するよう優しく告げた。

 

「──いのいちホットラインです。寒暖差の激しいヘイローですが、わたくし、つい先日男に浮気され、幸せの絶頂からどん底に落ちております。さて、本日午前十時ごろ、ヘイロー英国エリア第三区画のそ茶の水ハイスクールで、“下半身”にモザイク処理を施した奇人が校内を徘徊しているとの情報が寄せられました。こちらになります」


 校門の前で神妙な顔をしてマイクを持った、長い赤髪を後ろで束ねた女性レポーターが、帽子を深くかぶったガタイの良いカメラマンに語りかけている。瀬海をかばう教師に迫られたじたじになっている警官を映すと、隙があるとみて野次馬をしり退け学園内へと潜入する。


「あぁっ、いました。彼が例のモザイク男のようです!」


 急かしてくるレポーターにカメラも必死に追って撮影していく。すると、もう一人の警官に連れられた全身モザイク姿の九十九を肉眼で捉えた。編集をしていないにも関わらず加工された低い声でごねている絵面は、予想以上に見苦しくて言葉を失ってしまう。


「俺は悪くねぇぞ! こんなことになるなんて知らなかったし、教えてもくれなかっただろ! 俺は悪くねぇっ」


「お兄さんね、どんな理由であれよ? 公共の場で裸になったらね、それはダメだよ。みんなにね、迷惑かけちゃうんだから」


 役人口調で九十九を諭すと周りの惨事を見るよう促してくる。


「なるほど、さすが警察……なんて冷たいんだクソ!」


 どう言い訳をしても警官の眼差しが緩むことはない。弱った九十九は頭を揺すりモンジュに助けを求めようとする。

 が、今さっきまで感じていた彼女の重みがなくなっていた。


「ちゃっかりしてるなアイツ!」


 風真のいいつけもあってか、彼女はいつの間にか消えてしまっていた。宿主をためらいなく乗り捨てるモンジュの非情さには敬服する。


「ずいぶん独り言が多いね。お兄さんちょっとね、これだと署の方でおしっこ採ることになるかもしれないな」


「そういうのはアキバエリアでやれ変態!」


「尿検査をするんだよ尿検査を!」


 九十九がしつこく警官に食い下がっていると、進路に立ち塞がるようにレポーターとカメラマンが現れた。


「な、なんだおたくら?」


 戸惑う九十九にぐいぐいと踏み込み、流暢に喋りながらマイクを押し付けコメントを要求してくるレポーター。


「エクキューズミー? どーも、ハイハオマ。いのいちホットラインのバツイチアイドル、ミニーです。質問のお時間ちょっといただけませんか?」


 深緑の瞳にはすべてを投げ打ってきているかのような覚悟と情熱が込められていて、不快感というよりも、哀れみの心をくすぐるような女性だった。


「あー、イエス。アイカムふろぉむ、タマリバー? マザーふぁ……」


 そのたどたどしく英語を口ずさむ九十九だが、そうはさせじと警官が間に入ってインタビューを遮ってくる。


「困りますよ貴方たち! 取材するほどの人じゃないでしょ」


 追い返そうとする警官を意に介さず、ミニーは真っすぐに視線を据えて、「はぁ?!」と不満げに声を出している九十九へ、懲りずにマイクを向けた。


「あの、どうして全身にモザイクがかかっているんですか?! 見たところ肌の色で全体像がだいぶ、その、ハッキリしてしまっているようなんですが……」


「身体?」


 彼女に言われ視線を落とすと、局部のみのモザイクがいつの間にか全身に広がっており、「うぉ!」と驚きの声を上げる九十九。


「そういえば、さっきから声も……あーあー。なんだこれ!? すっごいおっさんみたいな声になってる!」


 意図せず発現する愛力に、もはや九十九の身体は御しがたい漫画愛に振り回わされている気がしてならない。

 幸い己の立場を追い込むようなものではなく、プライバシーの盾<ほご>となって身を守ってくれている。マスコミからの追求を避けられる素晴らしい力に、九十九は不都合がないと気づき開き直った。


「なにか装飾をしているんですか?! この変質行為はやはり社会への不満からくるものですよね! 風真総裁の抗議デモですよね!? 先代風真総裁の築いたグローバルタウンや広がる格差社会に対して一言いただけませんか? ちなみに独身ですか?! 私も独身なんです!」


「いい加減にしないかキミたち! 公務執行妨害で射殺だぞ! 射殺! 見えるかピストルが! 撃っちゃうぞ! いいのか?!」


 怒涛の勢いで質問を続けるミニーによって、九十九から引き離そうとする警官と合わせて三つ巴になり場がわちゃわちゃとしてくる。

 その混乱に乗じて逃げ出す機会を窺っていた九十九は、待ち望んでいた救援が近づいてきていることを察する。

 

「──今度はなんだ!」


 九十九に一歩遅れ、遠くから徐々に迫ってくるバイクのエンジン音に気が付いた警官は、やけになったような口調で辺りに目を配らせる。

 すると、学園と体育館の間にある通路からフルフェイスヘルメットを被ったライダーが姿を現し、猛スピードでこちらに突っ込んできてくる。


「(柴乃ちゃんナイス!)」


 狙ったかのような登場のタイミングに、九十九は笑みを抑えられずにニヤリと口角を上げる。


「なんだあれは! どこから入った!? 止まりなさい!」


 制止の言葉など耳にする間もないほどバイクは加速してくる。

 いっそのこと全員まとめて跳ね飛ばしかねない速さだった。


「ちょっと、なにあれ。マズくない? ぶつかるわよ! こ、このままじゃ!」


 目前にまで容赦なくバイクが距離を詰めてくる。命が惜しくなったレポーター達はとっさに持っていたマイクやカメラを投げ出し回避する。


「うぉおおお!」


 臆病風に吹かれた警官もすぐさま九十九から手錠を外し、飛び込むようにして逃げる。

 弾丸のように駆けるバイクは立ち尽くす九十九の身体を中心に半周すると、地面に深く轍<わだち>を残して停車した。


「助かった! 課税ライダーみたいでかっこよかったぞ」


 飛び入り参加の柴乃が現れることでガヤがより一層強まる中、のんきにも演出の高さに酔いしれた九十九が拍手していた。


「気持ち悪い例えしないで。早く乗って」


 パトカーに乗車する警官を尻目に、柴乃は「ちっ」と舌打ちをして九十九を急かす。


「え゛!? いや、せっかくだけどそこまでは大丈夫だ。なんとか逃げ切るよ」


 ここにきて九十九は己の醜い姿を眺めてから、柴乃の厚意を丁重にお断りする。


「一応残してる仕事あるし、俺これでも裸だからさ」


 申し訳なさそうに鼻の頭を掻く九十九に、柴乃はわざとらしく大きな溜息をついた。


「年甲斐もなく照れてる場合? 他人を気にするのは兄さんらしいけど、警察に捕まったら仁道寺グループに引き渡されて、確実に“月送り”かコンクリ詰めよ? 遠くに行きたいなら別に止めないけどね」


 紫乃が「気をつけて」と苛立ちを含んだ別れの言葉を述べるとスロットルを回し、ぶおんとエンジン音を鳴らす。


「見捨てないでください」


 うるんだ声で柴乃の腕を掴み引き留める九十九。彼女は「もう」とつぶやき、くいっと後ろに首を振って乗車するよう促した。


「あ、柴乃ちゃん。ぼくのヘルメットは?」


 ありのままの姿でバイクにまたがるには不安要素が多い。せめて頭部ぐらいは守っておきたい九十九は、緊急時であれど着けるものは着けておきたいとごねる。


「ほんと兄さんって、妙なところでこだわるんだから」


「へっへっへ……」


 いやしく笑う九十九に心底呆れながら、柴乃は上着のポケットから一枚のビニール袋を取り出すと、おねだりしている九十九の手のひらに乗せる。


「はい」


「……はい」


 阿吽の呼吸でやり取りを終えた九十九はバイクにまたがり、せっせとビニール袋を被って柴乃にしがみついた。





 弓のように緩やかなカーブを描くタマ河川が、淡くせつない陽を反射しヘイローの商業地区と境界線を引いている。九十九は目を細めたまま眉間に手を当て、メインストリート方面にふちどられた歪な建物の影絵を眺めていた。


「なんとか……撒いたようだな」


 慌ただしくも貴重な半日を消費してしまい、おまけに人間として大切な心を失ってしまった気がした九十九は、ノスタルジーな気分に浸りつつ土手に腰を下ろす。

 仕事を終えて帰宅するサラリーマン、河原で野球をしている浮浪者、川に流れる黒いビニール袋。おまけに全裸の不審者が平然と草のクッションに腰掛けているのだから、否応にも自分がどれほどちっぽけな存在なのかを痛感させられる。


「(無事に解決できたんだろうか)」


 学園に残してきたルゥナとモンジュや池に沈没した山之辺など、関りの浅い連中のことを心配し憂えていると、ふいに何かがバサッと頭に覆いかぶさり、辺り一面の視界が真っ暗闇に包まれた。


「わっぷ?!」


 慌てて被さっているものを掴み取ると、それは洋服一式だった。青いシャツのど真ん中に縫われた99の白い文字、薄手の黒ベストに特徴のない地味なカーゴパンツ。普段九十九が着ている服装だった。


「──たそがれる暇があるなら服を着てよ、変態」


 辛辣な言葉が九十九の背中に突き刺さった。

 後ろを振り向くと案の定、柴乃が見下すような視線で土手を降りてくる。溜め込んでいたストレスと湿気から解放された彼女は、毛先にウェーブがかかったセミロングの黒髪を鬱陶しげに振り払い、大仕事の要因となった男を睨む。


「おま……なんでそんなにイライラしてるんだよ」


 柴乃がこちらに来て怒りまかせに暴れられてしまう前に、ちゃっちゃと貰った服に着替える。まるで九十九は看守に見張られている囚人のようだった。


「おっ、サイズぴったりじゃん。さすが情報屋」


「はぐらかさないで」


「はい」


 ぴしゃりと告げる女王の一声に九十九は口をつぐんでへこへこと従う。

 ヘイローの情報ビジネス業界を渡り歩いてきた彼女の眼光は、何もかも見透かすかのように鋭くなっていた。

 柴乃は九十九の隣にまで着くとどさっと座り、あからさまに不機嫌な態度を見せつけてくる。


「……」


「……」


 言葉を交わさず、夕焼けを眺める二人。

 カラスの鳴き声、飛び交うヘリや飛行機。天まで貫きそうな風真の居城。これ以上見るものがなくなってしまった九十九はぎこちなく真横を向いて、無言でただずっと遥か遠くをみはるかす柴乃に視線を移した。


「なにこの空気?」


 両肩をすくめて柴乃に尋ねると、彼女はちらっと苦笑いする九十九に目を配らせ、おもむろに唇を動かす。


「どうして仁道寺に関わったのか説明して」


 単刀直入な質問に九十九の表情は固くなる。

 彼女の問いにすべて答えるべきか否か、頭をかいて慎重に言葉を整理していく。


「……金の為だよ金。よく分かってんだろ? 俺の“せーかく”」


 ははは、と空笑いしてごまかす九十九。愛力だの古文書だのコアボックスだのと柴乃に説明するにはあまりにも突飛でいて、あまりにも眉唾くさい話だと判断した。


「嘘ね」


 食い気味にバッサリ切り捨てる柴乃。


「はっや。どうしてそう思うんだよ」


 素直な疑問をぶつけると、彼女は九十九の方に向いて、じっと冷たい眼差しをぶつけてくる。

 あまりにもまっすぐでいてきつい柴乃の視線に、九十九は目を少しずらして彼女の左目尻にある泣きぼくろを見つめる。


「私と話すとき、兄さんはいつも大切なことをはぐらかすじゃない。顔を見てれば分かるもの」


「マジかよ、整形しないと」


 心の内を見抜かれた九十九は頬っぺたを手で挟み、ぐしゅう、と縦長に潰して変顔を披露する。


「私は、私は真面目に話してるの」


 ふっ、と一笑してしまった柴乃は己でわき腹を思いっきりつねって、本題へ戻ろうとする。


「風真総裁に頼まれたの? それとも……とにかく、あんな無茶な依頼受けるなんて馬鹿よ。それに今の兄さんの身体……」


「心配性だな」


 潰れた顔を元に戻した九十九は、柴乃に一言返した。


「知らない情報があるっていうのが許せないだけ。私のプライドよ、変態モザイク」


「その肩書きやめて。モザイク消えたからやめて」


 柴乃はむすっとした顔でそっぽをむくと、ポケットから一枚のメモ用紙を取り出し何かを書き綴っている。


「答えないつもりならいいわ。私で勝手に調べるから……はいこれ」


 うすうす悪い予感はしていたが、九十九のカンは悪い時ほどよくあたる。柴乃は九十九の方に向き直すと眼前に請求書を突きつけ、断る隙も与えず手渡した。


「金取るの?!」


「当たり前でしょ。絶対中立の情報屋を駆り出させたんだから。今度仁道寺に関わったら私がシメるからね」


 冷や汗がだくだくと止まらない九十九。

 請求書を見た瞬間から胃がきゅうっと締め付けられるような、古文書の時とは似て非なる不思議な感覚に陥ってしまった。


「この際家族ということで大目に……」


「あら、今の貴方は九十九で私は一ノ瀬。名門家に貧民との繋がりはないのよ」


 そう九十九の要求を突っぱねてから立ち上がると、柴乃はいそいそと停車していたバイクのもとへと行ってしまう。


「……くそ。プロなら融通きかせろ」


「──兄さん!」


 ボヤいていると柴乃の快活な声が響き渡り、鼓動が跳ね上がる。


「いや! なんも言ってないすよボク!」


 上ずった声を出しながら振り向くと、彼女は愛車である1400CCのバイクにまたがり、優し気な瞳でこちらを見ていた。


「今度の食事、どこにしようか」


 先ほどまでの態度と打って変わり、ばかに機嫌がよさそうな声色で聞いてくる。仕事の顔でなくなった彼女に、とりあえず九十九はほっと胸をなでおろす。


「また俺のおごりなんだろ」


「よーく分かってるじゃない。私の“せーかく”」 


 いたずらに微笑んでヘルメットを被る彼女に、九十九は一呼吸を置いてから親指を立てて高く掲げる。


「ちゃんと調べとくよ、気に入りそうな店」


「さすがお兄ちゃん、愛してるわ」


 歯が浮く言葉を九十九に投げかけクラッチレバーを離すと、彼女は彼女の生活へと踏み出していった。

 

「調子いい性格してんなぁ……誰似だよ」


 独りぽつんと残された九十九もまた、夜のとばりが下りる様を眺めながら一先ず帰路についた。

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