前向きな蟹

s286

第0話

「またダメだったかぁ」

 新人賞発表の月刊誌を閉じて蟹は、ため息をついた。物心ついたときからノートに様々な物語や、アイディアを書き付けてきた彼だったが、およそ賞というものには縁が無かった。

「佳作はおろか寸評すら貰えないのはつらいなぁ」

 子供の頃には、友達や親が読者になってくれてアソコが面白かったココが泣けたなどの感想をくれたが、今では誰もいない。書き上げた原稿をコレはと思う文芸誌の公募に送る日々だ。

 手はけっして遅い方ではない。一日で二〇〇字詰め十五枚は書ける。誤字や脱字、てにをはの推敲だってキチンとやっているつもりだ。なのに長編でも短編でも……もっと短いショートショートですら相手にされなかった。

「アイディアが悪いんだろうか? それとも扱う題材か……」

 題材は、日々の新聞から得ることが多い。異世界モノも考えた時期はあるのだけれど蟹は突飛なジャンルは苦手だと思い知っていた。

 アレコレ考え出すと心が暗くなっていく。蟹は傍らの漢字辞書を手にとって手慰てなぐさみにページをめくった。そして尊敬する大作家先生の言葉を思い出す『もし作家にとって一番大切な本を挙げろと言われたら僕は迷わず辞書を勧めます。作家にとって文字は大切な商売道具なのだから』彼は自著でそう語っていた。

「くよくよしても仕方ない……前向きに頑張るぞ」

 物語を紡ぐ、孤独な作業は、時に心を病めさせる。テニスの壁打ち練習のような作業に筆を手放す者も多いという。しかし彼は、前向きな蟹だった。そして実力は横這いのままであった……。

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