古本屋ヒヤシンスの出庫表
昼行灯
32.5°の怪
錆びてしまい所々読めなくなった看板が入り口に虚しく掲げられている商店街。全長は約数百メートル。その数百メートルの間に焼き鳥屋やら居酒屋やらいつの時代かめっきり見なくなった肉屋やらが立ち並んでいる。立ち並んでいる、とはいえるものの、商店街に並ぶ店の殆どは灰色の無機質で温かみを感じさせないシャッターが下ろされている。現に今も午後の三時を過ぎたばかりの時間だというのに、人通りはなく店と店の間を我が物顔で横断する黒猫と、どこかの店が出す生ごみにありつかんとする烏が、電柱の上からとぼけた顔で猫の横断する道を見下ろしているばかりだ。
商店街は確かに寂れてはいるが何も死んでいるわけではない。向こうにある、一見閉まっているように見えるレコード屋の中を覗いてみよう。丸椅子に腰かけうつらうつらと舟をこぐおじさんがいる。レコード屋と隣接するパン屋からは、焼き立てのパンの香ばしい香りが漂ってきて、店から丁度出てきたお姉さんが扉に焼き立てのパンの販売を知らせる看板を下げたところだ。
焼き立てのパンの香りが薄らいでくるのを惜しみながら進むと、これまたいつからやっているのかわからないほどうら寂しい雰囲気を放つ古本屋がある。「古本屋ヒヤシンス」と書かれている看板は、古いが文字は何処も剥げることなくしっかりとした字で書かれているので、この店はまだ現役で頑張っているのだろうということが伺える。もう少しじっくりと店の景観を見てみようか。店は両脇を古着屋と時計屋に挟まれいる。店の大きさはそのどちらと比べても随分と小さい。その割に商品の数は多いらしく、店の外からでも本棚に陳列しきれなかった本が所狭しと床に積み上げられているのが見える。誰でも気兼ねなく入れるようにと開け放たれた戸をくぐると、店の中は外で見たときよりも一層整理整頓という言葉とはかけ離れていることが分かるだろう。店の中に入ると不思議な気持ちに襲われるかもしれない。例えるなら、そうだ、靴を左右逆に履いてしまった時と似ているかもしれない。しっくりこない、釈然としない、何かが間違っている、これは本来あるべき姿ではない。だけどおかしい。だってここに来るのは初めてなんだ。だから正しいも正しくないもわかるはずがない。でも大丈夫だ。すぐにその違和感の正体がわかるはず。
原因のわからない違和感の正体を探るよりももっと店の中をよく見よう。ほら危ない。慎重に動かないと本の山を崩してしまう。なんていったってここの本の山は腰程の高さにも積まれているんだからね、それがここにもそこにもあそこにも……。
入り口のすぐ横にレジらしきカウンターがる。カウンターの上にも本が高く積まれて、その裏にも段ボール箱ぎっしりに積み込まれた本がある。本の山に埋もれて金色をした安っぽい呼び鈴が置かれているけど、それは押さなくてもいい。それを押したら面倒なことになる。右を見ても左を見ても下を持ても本、本、本。ああ、上を見てはいけない。そんなところに本はないのだから。
本の間を縫って奥から三つ目の棚、一番下の段を覗いてみようか。そこに一冊の本がある。とても古くて、分厚い外国の本だ。勿論文字は読めない。英語でもない、見たことのない文字。ゆっくりと落とさないように慎重にその本を手に取ってごらん、表紙の手触りが他の本とは違うことに気が付くだろう。どうやら何かの動物の皮でできているようだ。
ところで、気が付いていたかい?まあ、こうあからさまだと流石に気が付くかもね、この物語の語り口調が途中から変わっていることに、始めは君視点で進んでいた物語がいつのまにか僕視点で進んでいることに。
僕はね、そろそろ本の修繕をしたいと思っていたところなんだ。
古本屋ヒヤシンスの出庫表 昼行灯 @hiruandon0301
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