第2話 「美羽」

「あのね、実はちょっと気になってたことがあるんだけど」


「なんですか」


「美鈴が亡くなるちょっと前に、街で見かけたことがあるの。同年代の男の子数人と、何だか楽しそうに歩いてたわ。わたしの知ってる美鈴は引っ込み思案で、男の子どころか同性にも壁を作るタイプだったのに。一瞬、別人かと思って声をかけそびれたくらい」


 わたしの話を聞いても、美羽は動じなかった。先刻承知の事実なのだろう。


「以前の美鈴だったら「絶対にいや」って言いそうな感じのショートパンツに、原色のチューブトップで、男の子たち相手にずっところころ笑ってるの。何か心境に変化があったとしか思えないわ」


 わたしは思い切って自分が感じた違和感を美羽にぶちまけた。美羽はうんうんとうなずくと「それが気になったから、わたしを呼び出したんですね」と言った。


「そういうわけでもないけど……わたしもあなたと同様に、知りたいんだわ。美鈴のようなタイプの子が何に楽しさ、辛さを感じているのかを」


 そこまで言って、わたしははっとした。美羽の表情がいつの間にか、変化していたからだ。それまでの暗い表情が一変し、何かを期待するような、楽し気な表情になっていた。


「そう、私も知りたかった。……でも姉がある日、打ち明けてくれたの。内気な女の子から社交的な「アイドル」へと変化できたきっかけを」


「きっかけ?やっぱり何か理由があるのね」


 わたしが勢い込んで尋ねると、美羽は「もちろん。とってもささいなことよ」と言った。


「ささいなこと?」


「そう、ささいなこと。……SNSよ」


「SNS?」


 わたしは意外の念に打たれた。SNSならわたしも日常的に利用している。依存はしていないが、暇ができるとついつい、覗いてしまう。美鈴はSNSで男の子たちと交流を深めることで、自信をつけたのか。


「SNSの中の姉は饒舌で、男の子たちをじらしたり、思わせぶりなサービス発言をすることが多かったみたい。それで、あっという間にフォローしてくれる人たち……SNSの中で褒めてくれる人たちが、何百人にもなったの」


 わたしは唸った。SNSなら内気な子があっという間に何百人という知り会いを得ても不思議ではないからだ。


「それまではほんの数人しか友達がいなかったのにね。ネットの中のかりそめの自分が、本物の自分にまで影響を及ぼすなんて。不思議だわ」


「でもそれほど毎日が充実していたのなら、死を選ぶ理由がないと思わない?美鈴が亡くなったって聞いた時、真っ先に思い出したのが街中で見た姿だったの。今だに不思議で仕方ないわ」


「たしかにそう。そのままの幸せが続いていればね。……わたしは、その幸せがどこから来るのか、仕組みを知りたくてたまらなかった。そして思ったの。その仕掛けを取り払って魔法が覚めた時、かりそめの自分を失った人はどうなってしまうんだろうって」


 わたしはふいに、動悸が速まるのを感じた。美羽はいったい、何を言おうとしている?


「私にもネット上の知り合いが多少はいて、その中には他人のSNSを外から操作できるような高いスキルを持った人もいる。そして好奇心に負けた私は、ある悪戯をしたの」


「悪戯?」


「姉のSNSの表示をちょこっとだけ、いじらせてもらったの。千数百人と表示されていたフォロワーの数を、姉がチェックできないタイミングを見計らって数十人に減らしたわ。「意外に人気がないんですね」という匿名のコメントも添えてね」


 わたしは唖然とした。ある時、ふと自分のSNSを見たら、自分の味方が何百人も離れていた……急についた自信だっただけに、 梯子を外された時のショックも大きかったに違いない。


「つまり、美鈴の自殺の原因を作ったのは……」


「たぶん、私。まさか死ぬとは思わなかったから、驚いたけど、実験の結果が見られて少しだけ、満足だった」


 美羽は表情を変えることなく、さらりと言い放った。わたしはこれで全てが腑に落ちた、と思った。わたしは美羽に近づくと、美羽の肩を掴んだ。


「美羽……」


「私のやったこと、間違ってる?……でもね、私にはわからないの。だってただ、私は知りたかっただけなんだもの。……ねえ、先輩。私って異常なの?私のやったことはそんなに悪い事なの?私にはわからない。本当に、わからないのよ」


 美羽は謳うように、くりかえし「わからない」と言った。わたしは肩をつかむ手に力を込めると、ポケットから隠し持っていたナイフを取り出した。


「あ……」


 美羽が目を見開くのと同時に、わたしはナイフを水平に構え、美羽の胸につき刺した。


「ど……して……」


 口元をわなわなと震わせている美羽に、わたしは優しく語りかけた。


「わたしにもね、不思議で仕方ないことがあるの。それはね、あなたみたいな超人的な運動能力を持つ子がなぜ、生まれるのかってこと。何も見つからないってわかっていても、わたしはあなたの「中身」が見たくてしょうがなかった。

 どんな内臓から、どんな筋肉からあの能力が生まれるの?あなたは感情の代わりに運動能力をさずかった。あなたの言う「普通の子」とあなたの違いはどこにあるの?わたしは知りたい。……ねえ、これって悪いことかしら。わたしがしていることって、してはいけないことなのかしら」


 わたしは美羽に語りかけながら、切っ先を心臓にねじ込もうとした。……しかし、ナイフの刃は思ったほど深々とは入らなかった。おそらく、心筋の弾力に負けているのだろう。


 せっかく、肋骨に邪魔されぬよう、水平にナイフを構えたというのに。これでは美羽の中身が見られないではないか。わたしは心臓を貫くのをあきらめ、ナイフを回転させた。


「ぐっ……」


「美羽……わたしたち、似てると思わない?心の中が見たくて、お姉さんの心を切り裂いてしまったあなたと、身体の中が見たくて、あなたを切り刻もうとしているわたしと」


 美羽の喉が、ごぼっという不快な音を立てた。肺に刺さったのかもしれない。わたしは美羽の肩から手を離すと、ナイフの柄にそっと添えた。


「先輩……私の能力なんて、私、知らない……」


「ええ、そうよね。美鈴もきっと、自分がなぜSNSに依存してしまうのか、わからなかったと思うわ。わからないまま死んでいったのよね、きっと。だからあなたも……」


 わたしは鼻先に漂う血の匂いを嗅ぎながら、ナイフで美羽の腹部を一気に切り裂いた。


                   

                  〈了〉

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かりそめ 五速 梁 @run_doc

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