かりそめ

五速 梁

第1話 「美鈴」

 わたしが美羽の姿を見つけたのは、ダイヤモンドを二周半した時だった。


 バックネット越しにわたしの動きを見つめる美羽の瞳は、双眼鏡のレンズのようにひんやりした光を放っていた。

 わたしは美羽に歩み寄った。制服のままということは、身体を動かす気はないのだろう。


「来てくれたんだね。……キャッチボールでも、する?」


 わたしはネット際に転がっていた球を拾いあげ、美羽の目の前にかざした。


「……ううん。いい」


 美羽は無表情のまま、かぶりを振った。やっぱりな、とわたしは思った。スポーツをしに来たのでないことは、薄々察しがついていた。わたしが話をしたがっていると伝え聞いたから、興味を惹かれただけなのだ。


「ね、こっち来ない?少し話したいの」


 わたしは精一杯の笑顔を作っていった。美羽はこくんと頷くと、バックネットの切れ目をくぐってこちら側に姿を現した。


「お話って、何ですか?」


 美羽はおずおずと口を開いた。わたしは「座って話さない?」と美羽にベンチに座るよう、促した。美羽は一瞬、ためらう素振りを見せた後「はい」と応じた。硬くなられると困るなあ、とわたしは思った。先輩風を吹かすつもりは毛頭ない。


 わたしは美羽の隣に腰を下ろすと「風が気持ちいいね」と言った。美羽は俯いていた顔を上げ「そうですね」と抑揚のない口調で言った。わたしの方を見ようとしないのは、なるべく話さずにすめばいいという気持ちの表れだろうか。


「あのね……先輩だからどうっていう話じゃないんだけど」


 わたしは慎重に切りだした。勘のいい子だけに、呼び出した意図を歪めて捉えられる可能性もある。


「練習に出ないかっていう話ですか?」


 美羽の反応は私が予想した通りの物だった。わたしは首を即座に振った。


「それはいいの。スタメンは足りてるし。あなた以外にも、先発の務まる子はいるから」


 美羽の表情が怪訝そうな物になった。「じゃあ」と返しかけたのを制してわたしは言葉を継いだ。


「美鈴のことなんだけど、わたしもすごいショックで、いまだに練習どころじゃないの」


 わたしは自分のつま先に目線を固定したまま、声を低めて言った。ふいに合わない靴を強引に進められた時のことを思い出し、ざらりとした気分になった。わたしもまた、雑念に囚われることで嫌な会話から逃げているのかもしれない。


「そうなんですか」


 美羽がぼそりと返した。美鈴は美羽の姉で、わたしとは小学校時代からの付き合いだ。


 美鈴は今から一月前、マンションの七階から転落して命を落としていた。即死だった。遺書らしき物が残されていたことから、自殺と判断されたのだった。


「小学校の時から一緒に遊んでたからね。親友といっていいかわからないけど」


 わたしは痛みをこらえるように言葉を吐いた。実際、わたしと美鈴の性格は真逆だった。 


 異常なまでにナイーブで自意識過剰な美鈴と、他人の目などまるで意に介さないわたしとは、会話が噛みあわないこともしばしばだった。


「でもね、わたしは美鈴が好きだった。それは亡くなった今でも変わらない」


 わたしが言うと美羽は「わかる気がします」と言った。美羽もまた、どちらかというと人目に無頓着な方だった。しかし姉妹仲は決して悪くはなかった。


「正直なところ、美鈴が何に悩んでいたのか、わたしには想像もつかない。ずるいようだけど、きっとわたしなんかにはわからなかったろうなって思う」


 わたしが韜晦めかして漏らすと、美羽は同意するかのように頷いた。


「私もそうです。姉が死んで苦しいけど、どうにかできたはずだとは言えません。姉が何を考えてるかなんてあまり関心がなかったから」


 私を冷たい妹だと思いますか、と美羽は言った。わたしはううん、と否定した。


「家族だって、わからないものはわからないもの。そう考えると他人って本当に謎だわ」


 美羽もわたしの言葉に頷いた。わたしは立ち上がり、グラブの入っているコンテナに足を向けた。


「ね、キャッチボール、しよか」


 ふいに思い立ってわたしはそう口にした。拒絶されるかと思ったが、美羽はひょこっと立ちあがると、コンテナからグラブを取りだした。


「先輩。本当は、私を復帰させたいんじゃないですか」


 いきなり美羽がそう口にした。わたしはどぎまぎしつつも、頷いた。


「ええ。本音を言えばね。あなたの身体能力は他の子をはるかに超えてるから」


 わたしは正直に言った。美羽は投手をさせても、野手をさせてもピカ一の素材だ。もちろん、足も速かった。打って良し、投げて良しの逸材に、我がソフトボール部はスター誕生とばかりに盛り上がっていたのだ。


「もちろん、本人の意思に反してなんて考えてないし、戻ってくるのはいつでも構わない。……けど、やっぱりあなたの身体能力は特別だわ。こればかりは生まれつきだと思う」


 わたしが率直に言うと、美羽は初めて口元を緩めた。


「やっぱり。そうだと思いました。……でも、不快じゃないです。自分の力を認めてもらってるってことだし、先輩のそういう、余計な感情を入れないところは私と似てるなって」


「じゃあわたしは向こうで取るね、休みたくなったら言って」


 わたしはボールを手に、内野の方に歩いていった。適度な距離を開けると、わたしは美羽に向けて球を放った。パンと心地よい音がして、わたしの球は美羽のグラブに収まった。


「大丈夫?このくらいの強さ。久しぶりだから、もう少し軽い方がいい?」

 わたしが声をかけると、美羽はぶんぶんと首を振った。


「行きますよ、先輩」


 そういうなり、球が飛んできた。美羽の腕のしなり具合は、ブランクを感じさせないやわらかな動きだった。


「痛っ!いたあー」


 わたしはグラブをはめた手を振り回した。ソフトをする前は野球をしていた美羽の球は、相変わらず重かった。手加減どころか、かろうじて捕球できたという感じだ。


「いいよ、全然いい。もう少しやろう。手加減しなくていいから」


 わたしはそういうと、美羽は本格的に肘のストレッチをし始めた。わたしたちは五分ほどキャッチボールを続けた後、再びベンチに戻った。先に音をあげたのは、わたしの方だった。正直、手がもう限界だったのだ。


「すごいなあ。やっぱ天才は違うわ」


 わたしが言うと、ふいに美羽の表情が曇った。


「それは部活だからです。子供の頃から私は変わった子、人の気持ちが汲みとれない子と言われて、距離を置かれていました。大人だけじゃなく、同い年の子からも」


「しょうがないわ。人はそれぞれ、持って生まれた個性があるんだし」

「それと比べると姉は普通だった。わたしは普通の人が何をどう感じ、喜んだり傷ついたりするのかいまだにわからない。だから姉の喜びや悲しみがすべて、謎だった」


ふいに美羽の口調が変化した。まるで何かに苛立ちをぶつけるかのような強い語気に、わたしはにわかに興味をそそられた。


               〈第二話に続く〉

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